ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

右脳の冒険

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

超人化した人間の事例

イギリスの作家コリン・ウィルソンは『右脳の冒険』『フランケンシュタインの城』で、人間が超人化した事例を的確に描いたが、彼自身はその意味が全く分からず、ほとんど実用的なことを教えることが出来なかった。
だが、自分で事例を探しに行く必要がなくなったことは実にありがたい。
また、ウィルソンが誤った考察を示してくれたおかげで、楽に正しいことが分かるのである。

1つ、その事例を上げる。主旨さえ分かれば良いことなので、現象の描写が正確ではないかもしれないが問題ない。
とにかく、無駄な描写を除き、簡単に書く。それで十分だ。
ある若い夫婦がいた。
新婚間もなかったのかもしれない(そこそこの熱愛状態であったことも関係するかもしれないので書いた)。
妻が心神喪失・・・つまり、意識不明に陥った(原因はどうでも良い)。
夫は、妻の意識が戻る瞬間を逃さないよう、ずっと妻を観察し続けた。
何か月もかかかったのかもしれないが、妻は意識が回復した。
その時、夫は超人化した。
夫が超人化した理由について、ウィルソンはこう考えた。
夫は心神喪失した妻を観察している間、ずっと緊張していた。
そして、妻が意識を回復した時、夫の緊張が解けた。
つまり、緊張状態を続け、緊張を解いた時(弛緩した時)に、程度の差はあれ超人化する・・・とウィルソンは考えた。
ウィルソンは、おそらく最後まで(亡くなるまで)、この「緊張-弛緩」の考えに囚われていたのだと思う。

だが、事実は、夫が妻を観察していた間、緊張していたりなどしなかった。
当たり前だ。
そんなことをしたら、夫は疲れ切ってしまい、精神の健康を失い、癇癪を起したりうつ状態に陥ったりしたはずだ。
だが、この夫は静かに妻を観察した。
夫が何をしたのかと言うと、思考を消したことであるのは明らかだ。
観察という行為を続けただけで思考が消えたのか、何かの手段・・・例えば祈ること等で思考を消したのかは分からない。
こういった手段については、全く書かれていないが、おそらく、祈るか、ごくシンプルなイメージが心を占めたのだろう。
それが長期間続く間に、徐々に思考が消えたのだろう。心が消えたと言っても良い。
心が消えず、考えていたら、思考はどんどん悪い方に行き、上でも述べた通り、夫は無事でいられなかったはずだ。
だが、夫は、思考(=心)を消す適切な手段を持っていたか、何かの理由で(妻をよほど愛していたか、特別な精神性を持っていた等)、夫はうまく思考(=心)を消すことが出来たのだ。
それで、妻が回復した後、夫は不思議な能力を発揮し始めたのである。

白薔薇の意識
AIアート171
「白薔薇の意識」
Kay


私はウィルソンの肩に乗ることで真実が分かった。
だから、もちろん、私がウィルソンより優秀なわけでは全くない。

我々は思考を消すために、別に、夫や妻や恋人に心神喪失に陥ってもらう必要はない。
ただ「私は誰か?」と自分に問い続ければ良い。
他にも多くの手段があることは何度も述べたし、自分が好きなものをやれば良いが、最良の方法は「私は誰か?」と問うことである。








現実を創造する人間の精神性を得る方法

人間の想念が現実を創ることを描いたフィクションに心惹かれるなら、あなたにも、その能力がある。
楳図かずおさんの漫画作品『洗礼』、谷川流さんの小説・アニメ『涼宮ハルヒ』シリーズ、城平京さんの小説・アニメ『虚構推理』などが、そのようなお話だが、他にも沢山あるはずだ。
『涼宮ハルヒ』シリーズでは、涼宮ハルヒという特別な力を持った少女が、無自覚に世界を大きく動かす。
だが、『洗礼』では、少々変わった家庭で育った、そして、大変な美少女ではあっても、別に特別な少女ではないさくらが、不思議で恐ろしい現実を作り出す。
そして、『虚構推理』では、特別な能力を持った人間は、可能な範囲でそれを行うが、平凡な人間であっても、SNSを媒介にして、共同で想念を作れば、あり得ないような現実を作り出すことが描かれている。
これらは、普通、あくまでフィクションとされるが、ここまでドラマチックではなくても、そんなことを何度もやった私からすれば、やはり、こんなことは起こり得るし、起こっているし、本来は誰でも起こせるのである。

引き寄せのマスタークラスの人がよく、「お金をうまく得られない人は、心がお金の受け取りを拒否している」と書いてあるのをよく見るが、それは本当に正しい。
ただし、私など、その仕組みが分かっていながら拒否することがあり、心の性質というものは、なかなか厄介である。
心の性質を変えるため、肯定的な言葉を唱えたり、催眠療法を施すこともあると思うが、大抵はうまくいかない。
凡人の心は、それほど強固に、駄目な方向に固定されているのである。
普通の生活を普通に送っている限り、精神の傾向は変わったりしない。
よほど驚くか、よほど感動するか、あるいは、よほど絶望するか・・・などといったことでもない限り、心のベクトルは変わらないのだ。
いわゆる、人生観を変える出来事が必要だ。
誰だったか、ある偉人は、目の前で、犬が雷に打たれて死ぬのを見て人生観を変えたらしいが、多くの偉大な人物には、そんな経験があり、そんな経験がないから平凡な人間であるのかもしれない。

人生観を変える体験は、ゾーンとかフローと呼ばれる体験の一種であり、昔、世界的心理学者のアブラハム・マズローは、そんな体験を至高体験と呼んだ。
そして、マズローは、「偉大な人間とそうでない人間との唯一の違いは、至高体験があるかないかだ」と言ったが、英国の作家コリン・ウィルソンは、「至高体験はありふれたもので、誰でも体験している」と言い、後にマズローもそれに同意した。
大切なことは、至高体験の頻度というよりは、それを覚えているかどうかだ。
そして、それは思い出せる。
どうやって思い出すのかというと、最も簡単なのは、他の人の至高体験を聞くことだ。
マズローも大学で、その実験をやった。教室で学生達に、自分の至高体験を語ってもらうと、それを聞いていた学生達が次々に至高体験に入っていった。
私も、主に小規模な企業の経営者を集めたセミナーでやってみたことがあり、やはり、そんなふうになった。
そんな会に参加する機会がなければ、至高体験が提示されている本を読むのも手である。
コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』には、そんなことが書かれているだけでなく、疑似至高体験を起こす簡単な方法が紹介されている。
それは、「ペン・トリック」と呼ばれ、59ページあたりに書かれている。
やり方を簡単に言えば、模様のない背景の中にかざしたペンや鉛筆の先に意識を集中させては緩めるということを繰り返すだけである。
興味があれば、本を参照していただきたい。

また、度々言うが、腕振り運動や四股を、淡々と丁寧に長時間行っていれば、至高体験、ゾーン、フロー、あるいは、それらに近い意識状態になる。
だから、これらを熱心にやっている者は引き寄せがうまい場合が多い。








断言する。これで引き寄せは出来る(超自信作)

よく、「引き寄せはない」と言う人がいる。
引き寄せとは、願望を心の力で現実化することである。
だが、引き寄せがないどころか、この世に引き寄せ以外に何があるだろう?

引き寄せはないという人とじっくり話せば、その人が完全に引き寄せを行っていることが分かる。
そりゃ、その人が男であれば、例えばだが、100億円は欲しいし、若くて美人で清純な彼女は欲しいし、格好良い肉体と健康も欲しいとは思っているだろう。
しかし、話してみれば、彼が、安月給、モテない、肥満を引き寄せていることは明らかなのだ。
引き寄せは、精神性・・・つまり、精神の成熟に応じたものを引き寄せるのである。
100億円持っている者と話せば、その者が100億円に相応しい精神性を持っていることは明らかである。

ロンダ・バーンの有名な引き寄せの本『ザ・シークレット』では、とかく、「望みはでっかく」といった感じの話が多いが、でっかい望みを実現するには、でっかい精神性が必要である。
仮の「100万ドルの小切手」を作って100万ドルを引き寄せるなんて話もあったが、100万ドルの精神性がない者が100万ドルを引き寄せるはずがないじゃないか?
作家のジャック・キャンフィールドが、数十万円くらいの年収しかなかったのに、年収を約一千万円にしたのは、年収数十万円の精神性が一千万円の精神性に変わっただけだし、それから彼は、年収1憶円の精神性になったので、100万ドルの小切手を得たのである。
『ザ・シークレット』は、意図的かどうかは知らないが、その一番肝心で、一番読者受けしないところを書いてないのである。

精神性って、別に修行して得られるものではない。
むしろ、欲望の成就を目指して修行すると(下心があれば、誰でも、結構、厳しい修行が出来るものだ)、変なものを引き寄せるのである。
コリン・ウィルソンは、『右脳の冒険』の中で、引き寄せとは書いていないが、右脳の使い方をうまく書いている。そして、引き寄せって、つまるところ、右脳を使うことなのだ。
そして、ただの少年が右脳を使った話をしているが、その「ただの少年」って、ウィルソン自身の子供時代のことだ。
ウィルソンは、この経験から、右脳を使うのに・・・つまり、引き寄せを行うのに一番大切なことは、「シャンとすること」と見事に書いている。
つまりだね、「引き寄せはない」という話をする人は、ちっとも「シャンと」していないのである。
「シャンと」するって、どういうことか分かるだろうか?
「泣き言を言わない」ってことだ。
「僕は引き寄せが出来なかったんです」なんて泣き言を言っている者に、好みの引き寄せが出来るはずがないじゃないか?

私だって、何度も書いたが、子供の時から、誰も信じられないような奇跡を沢山起こした。
もちろん、泣き言を言わずにシャンとしていた。
だが、泣き言を言う時は、あまり嬉しくないというか、ロクでもないことしか引き寄せなかった。
言い換えれば、泣き言を言えば、嫌なものを引き寄せるのである。

ところで、母親や教師は、子供や生徒に泣き言を言わせるのが大好きだから気をつけないといけない。
そんな精神性の低い、未熟な親や教師と関わると、好みの引き寄せが出来なくなるのである。
だからって、「ママが悪いんです」「あんな教師に当たりさえしなければ」なんて文句や泣き言を言ってはならないよ(笑)。

つまり、好みの引き寄せを行うために、言ってはならないことは3つだ。
それは、「いいわけ」「文句」「泣き言」だ。
引き寄せが出来ない人は、この3つをよく言う(あるいは思う)はずだ。
いいわけしない、文句を言わない、泣き言を言わない人が、引き寄せが出来ないなんて話は聞いたことがない。

作詞家の阿久悠さんなんて、息を吸って止めて願うだけで、曲のヒットを引き寄せた。
たとえ曲がヒットしなくても、彼は、いいわけしないし、文句を言わないし、泣き言も言わないからだ。
だから、我々も、いいわけせず、文句を言わず、泣き言を言わない範囲のことを望めば、息を吸って止めて望めば叶うのである。

私が知る範囲で、最も「いいわけしない」「文句を言わない」「泣き言を言わない」を実践していたのは、笹沢佐保氏の時代劇小説『木枯らし紋次郎』のヒーロー、紋次郎である。
小説とはいえ、彼の引き寄せのパワーは半端ないが、それが実に自然であったと思う。
世界的ベストセラー小説『アルケミスト』で、たった一人で異国に来た少年が持ち金を盗まれた時、彼が、文句を言うことも泣き言を言うこともやめた時、即座に引き寄せが起こったではないか?
良い小説とは、全くの現実なのである。








人にはタイトロープ状態が必要

釈迦、イエスはじめ、聖人と呼ばれる人が特別な人間になるには、何らかの神秘体験があったのだと思われる。
ただ、その神秘体験の小さなものなら、誰でも体験していて、比較的大きな神秘体験をした者が偉人になる場合が多いと推測される。
では、その神秘体験がどうやったら起こるかというと、コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』を参考に考えると、「長い緊張状態から解放される」ことである。
例えば、この本の中で言えば、心神喪失に陥った妻をずっと・・・起きている間は欠かさず観察し続けた男がいたが、数週間後か数ヶ月後だったか忘れたが、妻が意識を取り戻した時、男は長い緊張状態から一気に解放され、そして、聖者と言って差し支えない者となった。

プロボクシング世界ヘビー級王者だったジョージ・フォアマンが、1974年にザイールの首都キンシャサで行われたモハメド・アリとの試合で、圧倒的有利の予測だったはずが、挑戦者アリに逆転のKO負けを喫した。その後、フォアマンは控え室かどこかで「白い光」を見たという。
これもまた、フォアマンが長い極端な緊張状態から解放された時に起こった神秘体験と思われる。フォアマンはその後まもなく引退し、伝道師になるが、あの試合から20年後、45歳になって奇跡の世界王座返り咲きを果たした。
癌になり、僅かな余命を宣告された者が、神秘体験の後、癌が消えたという話がよくある。これも、死が迫る激しい緊張状態の後、何らかのきっかけで緊張が解けてしまった時に、神秘体験が起こったのだと思う。

人間に根本的変化を起こす神秘体験は、強い緊張状態から解放された時に起こる。
緊張と集中は違うという話はあるが、一致する場合も多いと思う。
むしろ、極端な緊張を通り過ぎた状態が、本当の集中かもしれない。
例えば、レーサーや宇宙飛行士が、そのような状態になり易いかもしれない。
逆に言えば、生半可な緊張や集中では、あまり大きな神秘体験はやってこない。
会社などでも、楽な立場で過ごす者より、責任重い立場を長く続けた者の方が、大きな神秘体験をすると思われる。

緊張状態にあることは、よく、タイトロープを渡ることに喩えられる。
人間は、タイトロープを渡るような緊張感が必要である。
それはいつか解放される。
その時に神秘体験が起こり、あなたは超人に生まれ変わるのである。
サルトルは、いつ撃たれてもおかしくはない紛争状態のパリで、夜間に好んで出かけた。
その恐ろしい緊張状態が必要なことを理解していたのだ。
だから、あのようなものが書けるようになったのだろう。
安楽、怠惰が人間の敵である。
貧しい者は幸い・・・苦しい状況を喜ぶべきである。
まあ、ロシアン・ルーレットのようなものは、効果的ではあるが、避けた方が良いだろうが。













当ブログオーナー、KayのAI書。
なぜ、このような本を書いたのかの理由は次の通りです。
「概要だけのAIの本は役に立たない」
「従来の実践的なAIの本は、とんでもなく難しくハードルが高い」
「従来の実践的なAIの本は、扱う問題が面白くない」
そこで、実践的であっても、Excelが使える以上のスキルを求めず、なるべく面白いテーマを考えました。
「モンティ・ホール問題」や「囚人のジレンマ」を、簡単なシミュレーションでやっているものは、私の知る範囲ではありませんし、それを、AIに解り易く解かせるのも見たことがありません。
それらのExcel VBAプログラムでのシミュレーションも載せてあります(プログラムは無料ダウンロード出来ます)。

時代劇に見る真の愛

このブログも、いよいよ愛というテーマにたどりついた。
笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』に、素晴らしい愛の例がある。
紋次郎は、刀を折り、至急、新しい刀を必要とし、腕の良い刀鍛冶師がいるという山に行く。
確かに、天才的な鍛冶師がいて、丁度、新しい刀が完成間近で、それは素晴らしい名刀であり、しかも、紋次郎の鞘にぴったりだった。
だが、鍛冶師は、丹精込めて鍛え、仕上げつつあるその名刀を、紋次郎には売らないと言う。
当たり前である。紋次郎は乞食同然の流れ者。それに、売ってくれるとして、紋次郎に払える額とも思えない。
だが、紋次郎は、すぐにでも刀を手に入れないと命がない。大勢の敵に追われていたのだ。
そこで、紋次郎はどうしたか?
鍛冶師が、その名刀を仕上げるべく、朝から仕事を始めると、紋次郎は、やや離れた場所から、鍛冶師の仕事を見ていた。
時間が経過し、鍛冶師は熟練の技と研ぎ澄まされた心で仕事を続ける。それを、紋次郎は静かに見ている。片時も目を離さず。
そして、夕刻に、ついに刀が完成する。
すると、鍛冶師は静かに紋次郎に近付く。鍛冶師は黙って手を出し、紋次郎は黙って自分の折れた刀を渡し、鍛冶師は黙って受け取ると、それを持っていき、柄から折れた刀を外すと、完成したばかりの刀をはめ込む。
鍛冶師は黙って紋次郎に刀を渡し、紋次郎は黙って受け取る。
「御代は要りません」
紋次郎こそ、この名刀の持ち主だった。
小説には、これ以上は書かれていない。

では、なぜ、紋次郎は、この刀を手に入れることが出来たか?
また、なぜ、鍛冶師は、こんな大切な刀を紋次郎に譲ったか?
それは、紋次郎が、鍛冶師を、鍛冶師の仕事を、じっと見ていたからだ。
じっと見るというのは関心を示すが、紋次郎は実際に、鍛冶師とその仕事と彼が作る刀に対し、言葉で言うことも出来ないような深い関心を注ぎ続けた。
関心とは愛なのである。
マザー・テレサが、愛の反対は無関心と言ったように。
そして、人間の愛は、人も全ても動かすのである。

コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』に、こんな実話がある。
心神喪失の妻を、何日も観察し続けた男の話だ。
妻が心を取り戻すのを願い、そして、心を取り戻した時を逃さないために、男は片時も離れず、妻を見続けた。
妻は奇跡の回復をしただけでなく、男は賢者になった。
これが愛の力である。
そして、無論、関心の力である。

46歳で亡くなったミュージシャン、村下孝蔵氏の、沢山の人がカバーした名曲『初恋』の、こんな一節を覚えている。
「遠くで僕はいつでも君を探してた」
「探してた」は「見ていた」でも良かったが、意識を向け続けること、関心を持ち続けることが愛である。
この歌は、「愛という字書いてみてはふるえてたあの頃」で終わる。

関心を自己から切り離し、対象に向けた時、それが真の愛なのである。
『バガヴァッド・ギーター』では、「五感を外界から切り離して自己の内部に向けよ」とある。
それは、内なる神にのみ関心を注げという意味で、神を愛せよということである。
ただし、全ては神の現れでもある。神として見る限り、何を見ても、内なる神を見るのと同じだ。
だから、本当に好きなものを、神聖な目で見れば、それは神を愛することである。

尚、最初の話は、『木枯し紋次郎』の何巻の何だったか分からない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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