年間400万tの最盛期からわずか25年で炭鉱が0になった夕張。
人口も一気に70%以上減少しました。
しの(左):ツヤ~の~、良いの~が自慢だよ。
瑛理(右):夕張娘と~黒ダイヤ~
オビツ製作所からリリースされた、「夏季休暇中」をテーマにした2人。
今年の夏は、彼女らをメインに起用していきます。
2019年3月に廃線となった石勝線夕張支線の終点、夕張駅。
失われたものの多いこのまちで、新しいものを見つけに。
6月19日から配布開始となった「炭鉄港カード」
夕張市の配布箇所の1つ、夕張市石炭博物館。
瑛理:ここで「炭鉄港カード」が貰えます。
しの:全部で23枚、先は長そうです。
追記に続きます。
続きを読むからどうぞ。
現在の特別展は石炭博物館が新規収蔵した夕張市内で使用されていた鉄道収蔵品の紹介展示。
清水沢駅で使用されていた駅名板と名所案内板。
踏切に取り付けられていた看板。
しの:「ファッション」が踏切の名前?
夕張支線鹿ノ谷~夕張間にあった「ファッション通り踏切」
この矢印の場所にかつて夕張ドレスメーカー女学院(洋裁学校)があり、踏切の通りには手芸店があったといいます。
炭鉱が盛んだった頃は街に何軒もあった洋裁学校。 男は炭鉱・女は洋裁。 そんな炭鉱町の歴史を伝えていました。
2016年に廃止された十三里駅の駅名標も収蔵されていました。
瑛理:鉄道があった頃に来てみたかったです。
最盛期の夕張は、こんなに活気があってこんなに賑やかでした。
毎年5月の炭山まつりの時期は3日間、市内全ての炭鉱が休みとなり北炭三菱関係無く親も子も祭に繰り出していました。
黒ダイヤばやしが作られたのは昭和44年(1969)頃、夕張が一番栄えていた時代のこと。
これが炭鉄港カードです。
夕張の歴史は、坂 市太郎が当時地名も無い全くの原始林だった中、シホロカベツ川沿いで石炭の大露頭を発見したことから始まります。
「四山老樹鬱蒼として為に日光暗く路傍雑草茫々として身幹を没す」
最初期に入植した者は夕張に至る道をこう記しています。
官営事業として小樽~札幌~幌内(三笠)に鉄道を敷設し炭鉱を開発していきましたが行き詰まり、民間の手に任せることに。
そして誕生したのが北炭(北海道炭礦鉄道→汽船)。
この事業にも渋沢栄一が携わっているのです。
北炭は石炭を効率良く輸送する為に、空知太(現在の砂川市)から岩見沢を経由し室蘭までと夕張までの鉄道を作りました。
これは現在のJR函館本線・室蘭本線・石勝線に引き継がれています。
北炭が取り組んだのは炭鉱の機械化。 機械化するためには動かす電気が必要です。
なので、第一斜坑坑口前に火力発電所を建て自家発電による電力確保に取り組みました。
鉄道が国鉄に買収され、補填となる資金で製鉄事業に進出。
当時北炭の専務だった井上角五郎(この人も炭鉄港カードになっています)が室蘭で輪西製鉄所と日本製鋼所を設立。
「炭鉄港」の「鉄」、鐡のまち室蘭の先駆けとなりました。
製鉄事業が思った程上手くいかず、北炭は三井の傘下となります。
電力を確保することを優先とし、北炭清水沢火力発電所、滝ノ上地区に水力発電所を建てました。
最盛期には市内に24もの炭鉱があった夕張。
そして戦後、石炭から石油へのエネルギー革命期。
今回は、炭鉄港の時代を中心に紹介する為、全ては紹介できませんが現地で是非読んでみてください。
かつて夕張を走っていた三菱大夕張鉄道・夕張鉄道・北炭真谷地専用線・そして夕張支線。
夕張と言う町に数多くの鉄道があり、旅客扱いしない専用線は更に多くありました。
瑛理:こんなにあったのに、今は1つも残っていない。
しの:たったの25年で炭鉱が0になるなんて、誰が思っていたでしょうか。
炭鉱が消える夕張、炭鉱=暗いイメージを払拭すべく石炭の歴史村、めろん城、映画祭といったレジャー開発を進めて行きました。
最初は良かったのですが、すぐに苦戦。借金が増えて行き最終的には財政破綻。
昭和28(1953)年発行の地図。
今とは比較にならない程店舗が密集しています。
しの:これ「のんきや」ですよね? さっき行ってきた。
瑛理:こんな昔から続いている、本当に老舗なんですね。
今でも夕張市民に愛されるラーメン店「のんきや」
メニューは塩ラーメンと醤油ラーメンのみ、おばあちゃん1人で切り盛りしている5席だけの小さい店舗ですが市民を中心にファンは多いです。
地下には、坑道での採炭風景をジオラマにして展示しています。
機械化が進む以前は、人力と馬だけで採炭も運搬も行っていました、
女性の炭鉱労働が禁止される以前の、明治期~戦後すぐの頃は男も女も関係無く炭鉱で働いていました。
産出された石炭の仕分け作業。 これは女性の仕事でした。
瑛理:女性も炭鉱で働いていたのですね。
機械化が進んだ炭鉱の光景。
昔はツルハシ一本手作業で掘っていた石炭。 圧縮空気を用いた電動ピックなどの機械で採炭効率は飛躍的に向上しました。
炭鉱夫が使う安全灯の歴史。
瑛理:オリンピック聖火灯? 札幌オリンピックで使われていたんですね。
札幌冬季オリンピックで使用された聖火運搬灯。
飛行機での運搬や夜間の聖火維持に使われていました。
炭鉱の現場で磨かれた技術が札幌五輪を支えました。
炭鉱で使われた大型機械の数々。
この先は、史跡夕張鉱。 昨年の坑道火災により現在は見学できない状態が続いています。
夕張石炭博物館は2019年にも記事にしており、その時に紹介をしています。「こちら」からどうぞ。
道道から石炭博物館に入る道路から撮ったもの。
上の写真と下の写真はほぼ同じ場所、角度からのものです。
上の写真左中央の煙突と、下の写真中央の煙突の位置は変わっていません。
昔はここに夕張駅があり、炭鉱住宅がびっちりと立ち並んでいました。
今回は夕張石炭博物館からでした。
「炭鉄港」と炭鉱について少し興味が持てましたでしょうか。
標準見学時間は45分となっていますが、もっとじっくりと見学していってもらいたい施設です。
「黒ダイヤばやし」
今でも夕張のお祭りでは必ず掛かる、盆踊りの定番唄です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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