
2018/7/3 愛山~中愛別 4620D (第5石狩川橋梁)
こう書くと鉄道写真みたく感じるものです。
北海道に梅雨が無いというのはすっかり昔の話になってしまったようです。
この写真を見ての通り、石狩川が今回の台風の影響でものすごく増水していました。
列車が走れるくらいまで水位が下がったので運行しているのであって、その前までずっと運休でした。

これは、この橋を渡っている時に撮った石狩川の写真。
同じ場所、同じ向きで撮っていますが水の感じが全く違うものです。


北海道道140号 愛別当麻旭川線
北海道道296号 比布愛別停車場線共有区間:愛別橋
同じ場所から撮った写真ですが、全く違いますね。

第5石狩川橋梁は、石北本線の特急列車の写真を探すと時々登場する場所です。

タイミングが合えば、鉄橋からカーブしてくる列車を撮ることができます。


美鈴:道の先に、何があるのか。
今回の記事は、愛別町と上川町から。
追記に続きます。
続きを読むからどうぞ。

美鈴が立っていたのは北海道道640号 中愛別上川線。
ヘキサには3640とありますが、最初の3は管理番号です。
田舎の道路だと3とか5とかが付いています。(北海道の場合は)

愛別側から行くと、「国道分岐点」というバス停があります。

まっすぐ行くと国道39号。 今回は左折。
旭川紋別自動車道が開通するまでは、国道39号の抜け道として通行量もありましたが現在はひっそりとしています。


起点からの風景。 この先1km位で通行止めです。

この踏切の名前は、「上川中央線道路」
その名前の通り、かつては大事な道路でした。
明治40年、北海道の「仮定県道中央線」として指定されたこの道路。
なんと道南の江差からスタートで森・長万部・喜茂別・札幌・旭川・北見峠・網走までという遥かなるもの。
上川は旭川~北見峠間に属しており、そこから上川が付けられたのでしょう。
明治時代~大正時代の名残がそのまま今まで使われ続けています。 踏切の名前はまず変更されないという事情もあります。
踏切の名前から、歴史が見えて来ることもあります。


この道路は、明治時代に囚人たちによって拓かれたいわゆる「囚人道路」。
ここに限らず、今でも沿線にはいくつもの記念碑・慰霊碑が建てられております。

中央道路は、札幌から網走を結んだ道路。
北見道路は、そのうち旭川から網走までの区間を指します。
旭川から北見峠までは、樺戸・空知集治監が、網走から北見峠までが釧路集治監網走分監の囚人が担当。
228kmもの道路を、わずか1年で完成させるという無謀な計画。
東京で例えると難しいですが、東京~長野間を1年で作れと考えるとその無謀さが分かるかもしれません。


明治政府のこの考えの基、囚人たちが酷使・亡くなっていったのです。
全てはロシアの南下政策に対抗するため。

千咲:北海道の暗い部分だけど、知ってほしいのよね。

旭川~網走間の道路も、鉄道も、完成までには多くの強制的な労働があったこと。


上川町越路地区にあった、官設駅逓。
駅逓(えきてい)とは、駅舎と人馬を備え、宿泊と運送の便を図るために設置され、開拓期の北海道では重要な役割を果たしていました。
北見道路では、12号まで設置され越路が10号です。

増水が収まってきた第5石狩川橋梁。 (7/7撮影)
最後まで読んでいただきありがとうございます。
コメント
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こんばんは。
貴重な歴史のご紹介、ありがとうございます。
囚人が強制労働に駆り出されたと言える事例なのでしょうか。
過酷な環境での労働では命を落とされた方も多かったのではと思います。
第二次世界大戦中には、アメリカのアラスカ州で似たような歴史が作られました:雪の中での道路建設突貫工事で、軍隊が投入されたようです。
日本軍はアラスカの方も攻撃したのですよね〜カリフォルニア州よりも小さな国がアメリカを立ち向かったと云うのは、今、考えれば驚きですが、敵側の驚きも大きかったでしょうね。
その所為で、日本はいまだに「敵国」のままなのかも知れませんね。。。
つい最近まで「北海道には梅雨はない」という既成概念があったと思うのですけど、そうした常識も崩壊しつつあるようですね。
あの美しい石狩川の水位があんなにも上昇していて、線路スレスレにまで達している写真を拝見させていただき、美しい石狩川との対比で
見てしまうと「おそろしいものがある・・」としかいいようがないのだと感じられます。
これは北海道だけの天候異変ではなくて、もしかしたら地球全体での異変といえるのかもしれないですし、私たちが彼岸の彼方に旅たつ頃には、
日本には四季という概念は消失し、夏と冬しか存在しない二季の国に
なる可能性すら秘めているのかもしれないです。
先日の西日本の水害は大変なものがありましたが、南関東は逆に雨不足の
空梅雨でしたし、逆に水道の使用規制がかかる可能性があることを考えると、皮肉なものを感じてしまいます。
道内の公共アクセスの歴史には、そうした多くの名も無き囚人たちによる壮絶な労苦があったのだと思いますが、
そうしたこともきちんと後世に伝えていくことが、彼らへの最大の供養といえるのかもしれないです。
美鈴さん、とてもかわいいですね!
足が長くて、短めスカート・デザイン風セーラー服はいかにも今風の
JKさんという雰囲気にあふれていると
思います!
> こんばんは。
yokoblueplanet様、コメントありがとうございます。
> 貴重な歴史のご紹介、ありがとうございます。
> 囚人が強制労働に駆り出されたと言える事例なのでしょうか。
> 過酷な環境での労働では命を落とされた方も多かったのではと思います。
当時の北海道まで工事に来てくれる会社も無く、費用もかかるという考えからこうした考えに至りました。
網走から離れるにつれ栄養失調や過労で次々と倒れ、結果的にはおよそ6人に1人が亡くなりました。
> 第二次世界大戦中には、アメリカのアラスカ州で似たような歴史が作られました:雪の中での道路建設突貫工事で、軍隊が投入されたようです。
> 日本軍はアラスカの方も攻撃したのですよね〜カリフォルニア州よりも小さな国がアメリカを立ち向かったと云うのは、今、考えれば驚きですが、敵側の驚きも大きかったでしょうね。
> その所為で、日本はいまだに「敵国」のままなのかも知れませんね。。。
北海道の開拓は、ケプロンやクラーク(農業)・ライマン(鉱業)などアメリカ人のお雇い外国人を多く招きました。 鉄道もJ.U.クロフォードの元でアメリカ西部開拓を参考に作られました。 ただなぜかクラーク博士だけが今でも有名です。
ぬくぬく先生様、コメントありがとうございます。
> つい最近まで「北海道には梅雨はない」という既成概念があったと思うのですけど、そうした常識も崩壊しつつあるようですね。
ここ最近は雨か曇りの日が続いています。
そんな中でも、行ける時には撮影をしに行っています。
> あの美しい石狩川の水位があんなにも上昇していて、線路スレスレにまで達している写真を拝見させていただき、美しい石狩川との対比で
> 見てしまうと「おそろしいものがある・・」としかいいようがないのだと感じられます。
水位が下がり、大きな損傷も無かったので石北線は復旧しています。
ただ、倶知安・ニセコ方面は線路に土砂が流入した影響で暫く運休が続く見込みです。
> これは北海道だけの天候異変ではなくて、もしかしたら地球全体での異変といえるのかもしれないですし、私たちが彼岸の彼方に旅たつ頃には、
> 日本には四季という概念は消失し、夏と冬しか存在しない二季の国に
> なる可能性すら秘めているのかもしれないです。
北海道の夏は短いですが、これが本州並みに長くなるのでしょうかね~
そうなったら比較的冷涼な北海道が別荘地として賑わうのかもしれないですね。
> 道内の公共アクセスの歴史には、そうした多くの名も無き囚人たちによる壮絶な労苦があったのだと思いますが、
> そうしたこともきちんと後世に伝えていくことが、彼らへの最大の供養といえるのかもしれないです。
こうした労苦を経て完成した路線も、廃線になることもありました。
時々こうして伝えていくのが、供養になるというのは同じ思いです。
鉄道だけではなく、道路についてもたまに取り上げていきたいと思っています。
> 美鈴さん、とてもかわいいですね!
> 足が長くて、短めスカート・デザイン風セーラー服はいかにも今風の
> JKさんという雰囲気にあふれていると
> 思います!
黒セーラー服の杏が加入してから、セーラー服で撮ることが増えました。
暑い季節に、セーラー服は涼しげでいいです。
そのうち取り上げたい夕張篇でも、浴衣やセーラー服で誰かが登場しますのでお楽しみに。
いつもながら本当に勉強になります!
雑学知識として本当に興味深い。
このブログいつかまとめて本にして下さいよね (^^)
kenken様、コメントありがとうございます。
> いつもながら本当に勉強になります!
> 雑学知識として本当に興味深い。
> このブログいつかまとめて本にして下さいよね (^^)
北海道の中でも非常に地味なものを取り上げていますが、自分が書きたいと思ったものを作っています。
囚人道路に関しては興味があり、駅逓の碑などもある程度撮影していたので今回その一部ですが、取り上げることができたのは良かったと思います。
路線別に纏めていきたいとは思っているのですが、なかなか編集する時間が取れないというのがあって進みません・・・