安倍元首相殺害にメディアの責任

 23日(土)、JCJ(日本ジャーナリスト会議)の贈賞式に行く。

 今年のJCJ大賞は鈴木エイトさん。大メディアが沈黙するなか、一人で巨大組織に立ち向かって困難な取材を続けてきた実績に、審査会では満票で大賞に選ばれたという。著作に『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』、『自民党の統一教会汚染2 山上徹也からの伝言』(小学館)がある。

鈴木エイトさん。いくつか賞をもらったが、この受賞が一番うれしいとのこと。(筆者撮影)

大賞とJCJ賞の受賞者。

 大賞とJCJ賞5点の贈賞式のあと、受賞者のスピーチがあった。

 鈴木エイトさんの話でとくに感銘を受けたのは、メディアの監視機能の不在が安倍元首相の殺害を招いたとの指摘だ。

 山上達也被告が安倍元首相を襲う引き金になったのは、旧統一協会(世界平和統一家庭連合)の関連団体である天宙平和連合(UPF)が開いた大規模集会に安倍晋三元首相がビデオメッセージを贈り、「敬意を表します」などと約5分にわたり演説したことだった。

 統一協会の2世信者や元信者に大きな衝撃を与えた「事件」だったが、これを報じたのは『週刊ポスト』や『赤旗』などわずか4つのメディアにすぎなかった。

 なぜ安倍元首相はビデオメッセージを送るという大胆な行為に出たのか。かつて統一協会と政治の関係が報道され批判されていたころには、政治家が統一協会に祝電を送ったり、会費を払ったりすることを自粛していた。

 ところが、メディアが書かない「空白期」を経て、統一協会との関係を大っぴらにしても大丈夫だと政治家が思うような環境になってきた。それが安倍氏のビデオメッセージにつながったのではないかとエイトさんは言う。

 今年になって、鈴木エイトさんは、山上達也被告が『やや日刊カルト新聞』の自分の記事をすべてチェックしていたことを知って「責任」を感じたそうだ。「もっとちゃんとメディアが報道していたら、安倍元首相の暗殺はなかったのではないか、山上達也被告は犯罪者にならなかったのではないか」と鈴木エイトさんは語る。

 権力とメディアのあいだの緊張関係、メディアの権力監視機能がいかに重要かを痛感させる指摘だ。

贈賞式後の懇親会で配られた『やや日刊カルト新聞』。鈴木エイトさんはこの「主筆」として記事を書き続けてきた。

 鈴木エイトさんは、雑誌などのメディアに統一協会の企画をもっていっても通らないことが続いた。「旬のテーマではない」と断られ、クレームを恐れる編集者に「めんどくさい企画」と疎まれ、もっぱら『やや日刊カルト新聞』というマイナーな媒体で書き続けてきた。エイトさんは、報われなくても当然と思いつつデータを集め蓄積し、情報を問い合わせてくるメディアには、情報を惜しみなくオープンに提供してきた。他のメディアにも追ってほしいと願ってのことだ。彼の存在がなければ、安倍氏殺害以降の展開はずいぶん変わっていただろう。

 安倍氏殺害とそれ以降の展開から引き出すべき教訓は多い。

 ほかに、JCJ賞受賞者のなかで印象に残ったのは、『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)の小山美砂さんだ。

小山美砂さん。

講談社新書

 小山さんは2017年に『毎日新聞』に入社。原爆報道を志して広島支局に配属され、「黒い雨」訴訟の担当になったが、「ピカドン」を重視していたので、郊外に暮らす黒い雨被爆者への取材は「二の次」と思っていた。ところが、原告のほとんどが、「原爆放射線の影響を疑わしめる」「11障害」を伴う病気を患っていたことを知り、猛省したという。自分は、国が認めていない被害を、軽んじてはいなかったか、と。

 井伏鱒二の『黒い雨』は有名でも、黒い雨を浴びた人たちがどのような健康影響を訴え、どんな境遇に置かれてきたかを記したノンフィクションはなかったので、黒い雨被爆者が歩んできた歴史や経緯を知るのに苦労したそうだ。小山さんは3年の取材でこの本を書いた後、さらに取材を続け被爆者に寄り添いたいと、毎日新聞を今年はじめに退社し、フリーになって広島に移住した。若いのにこの根性、ジャーナリスト魂はすごい!

 「マスゴミ」などという言葉が普通に飛び交うメディア不信の時代、真摯に取材活動をs続けるジャーナリストがまだまだたくさんいることを知り、勇気づけられる。