横田滋さんの逝去によせて12-「孫に会う」決断が引き寄せたストックホルム合意

 連日、韓国を口汚く罵る金与正(キム・ヨジョン)。彼女に注目が集まっている。

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 ジン・ネットはロイヤルファミリーの取材でもいくつかスクープがある。
 スイス・ベルンには、のべ7~8人の取材班を出して、3兄弟(正哲、正恩、与正)の留学時代を洗っている。
 当時は正哲(ジョンチョル)がターゲットで、激しい取材競争のなか、彼が学んでいたインターナショナルスクールにはフジテレビに次いで二番目に辿りついた。同級生や先生にインタビューし、当時の写真をたくさん入手した。
 彼らが滞在していたアパートにたどり着いたのは、ジン・ネットが最初だったと思う。カネも組織力も劣る中、大企業メディアに先んじたのだから、よくやったものだ。

 正恩は一時、兄と同じインターナショナル・スクールに在籍したが、なぜかすぐに退学し、公立学校に転校した。与正も公立学校に入り、小学3年から6年まで(96年から2000年末まで)在籍している。これだけ長く公立学校にいたからには、彼女はドイツ語がかなりできるはずだ。バレーも習っていたという。

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スイス時代のキムヨジョン

 ただ当時、我々は与正には関心を持っていなかったので深い取材をしていない。

 この3兄弟の母親が、高ヨンヒ(漢字は不明)という在日朝鮮人であることは、日本では知られている。

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コ・ヨンヒ(デイリーNKより)

 高ヨンヒを知っているという、Kさんという女性に、東京で会ったことがある。
 Kさんは在日朝鮮人で、1959年から84年まで行われた「帰国事業」で北朝鮮に渡った9万3千人の一人だ。およそ半世紀を北朝鮮で暮らし、命がけで脱北して日本に帰ってきた。
 「帰国事業」と言っても、日本の在日のほとんどは南の出身で、北には親戚も知り合いもいないから、帰国というより見知らぬ土地への「移住」である。
 北朝鮮の住民とソリが合わないこともあり、いきおい「帰国者」同士のコミュニティができていく。

 Kさんによると、高ヨンヒ(当時は別名)は踊りが上手できれいな娘だったが、ある時、その一家が忽然と消えてしまった。偉い人に見染められたと噂が立ち、しばらくたって、知り合いがその一家のところを訪ねたら、御殿のような家だったと驚いていたという。
 Kさんのところには、私は友人に誘われて遊びに行った。お茶を飲んで雑談していたら、そんな話になって驚いた。考えてみると、「帰国者」コニュニティは狭い世界だから、コ・ヨンヒを知っている「帰国者」がいるのは当たり前だ。
 日本の政府関係者から話を聞かれたことはありますかと尋ねると、一度もないという。貴重な情報源なのに、もったいないことである。

 拉致問題を進展させようとするなら、拉致に直接に関係する情報以外にも、北朝鮮の政治・経済・社会事情、軍の動向などと並んで権力の中枢の構造、とりわけ金一族の内部に関する情報を入手することは必須ではないか。
 脱北して日本に帰ってきた「帰国者」は200人いる。なかには高ヨンヒにつながる人がいる可能性もある。金一族の誰がどんな役割をしているか、性格はどうか、中枢につながるルートは作れないか、どんな圧力が効果があるかなどなど、対北朝鮮戦略を考える上でのヒントが得られるかもしれない。

 政府はいつも、情報収集に最大限つとめてまいります、というが、ほんとにやっているのか、はなはだ疑問である。
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 孫娘の金恩慶(キム・ウンギョン)さんに会いたい気持ちを封印してきた横田さん夫妻だったが、高齢化と体力の衰えを自覚するにつけ焦りも出てきた。

 このまま会えないままになってしまうのではないか。

 迷い、悩み続けてきた滋さんが、ウンギョンさんに会うと決めたのは2013年10月だった。その決意を早紀江さんに告げ、すぐに安倍首相と岸田外務大臣に手紙を書く。
 11月半ば、首相からは実現しましょうという意思が伝えられた。

 この対面のために水面下で日朝間の協議がはじまり、場所は第三国のモンゴルでとなった。

 横田さん夫妻が長年、ウンギョンさんとの交流について相談してきた人がいる。参院議員の有田芳生さんだ。相談が始まったのは、国会議員になる前の2006年秋だったという。ウンギョンさんに関する情報を、政府からは全く教えてもらえないと、横田さん夫妻は悩んでいた。
 15日のブログで書いたように(https://takase.hatenablog.jp/entry/20200615)
有田さんは、「ニューヨークタイムズ」紙に意見広告を出すなど、早くから拉致問題解決のために活動しており、夫妻と信頼関係を築いていた。

 有田さんによれば、横田さんが孫に会うことを決めたことで、安倍政権が北朝鮮側と水面下で交渉を開始したという。
 小野啓一北東アジア課長と新「ミスターX」との水面下交渉で、横田さん夫妻の孫との初対面が実現。それによって環境が整い、局長級会談へと進み、「ストックホルム合意」が結ばれたのだった。

 滋さんは、ウンギョンさんとの対面の経緯について、モンゴルから帰国後の記者会見でこう語っている。 

 「会いたいという気持ちは以前からありました。松木さんのお母さんのように、高齢の家族の方が亡くなったこともありますし(注)、今、夫婦そろってというのは私のところと有本さんだけなんです。被害者の方はみんな片親か、両方とも亡くなっている。 

 できれば何かの機会に会いたいということを外務省とお話ししていましたら、時間がかかりましたけど、セットして下さいましたんで、ありがたく思っております。
 その直後に、赤十字会談が瀋陽で開かれるようになって、外務省からも交渉する機会がでてきたんで、この話があったからそれができたということはないですけど、両国の交流が起きて、その結果以前のような交渉が開かれるということであればいいなと思っております」
 「松木さんが亡くなったり、我々ももうそういうことになる年齢なんで、できれば1回でも行ってみたいなあと思ってお願いしました」
(注:1980年、留学先のスペインから拉致された松木薫さん(当時26)の母、松木スナヨさんが2014年1月11日に92歳で亡くなった)

 滋さんがここで触れた「中国・瀋陽での赤十字会談」は、2014年3月3日、1年7ヵ月ぶりに行われ、北朝鮮に残された日本人の遺骨や墓参などを協議している。

 3月10日から14日にかけて横田さん夫妻はモンゴルに行き、ウンギョンさんと対面した。

 その後、14年5月26日から28日まで、スウェーデン・ストックホルムで日朝政府間協(日本側代表・伊原純一アジア大洋州局長/北朝鮮側代表・宋日昊(ソン・イルホ)外務省大使)が開かれた。

 ストックホルム合意では、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」としてきた立場を改め、「特別調査委員会」を設置して、拉致被害者を含む日本人行方不明者、戦後北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨、残留日本人、日本人配偶者などの調査を行うと約束した。日本政府は、見返りに独自制裁の一部を解除することで合意した。

 残念ながら、この合意は2年後、北朝鮮が核実験と弾道ミサイル発射を行い、日本政府が独自制裁を科したことで機能しなくなった。

 この合意については評価が分かれるが、その前まで北朝鮮がずっと言い続けてきた「拉致問題は解決済み」の立場を転換させ、その後に含みを持たせた点では「進展」とみなしうるものだったと思う。

 ともあれ、あのとき日朝交渉が進んだのは、横田滋さんの孫に会うという決断と首相への要請がきっかけだった。
 では、横田滋さんは、「孫に会いたい」という肉親としての情だけで決断し行動したのだろうか。
 実は、滋さんは、政府の拉致問題への取り組みに大きな疑問をもっていた。
(つづく)