くにたち桜守の授業に行ってみた

 神無月も末日だ。ちょっと肌寒い。
 神無月といえば、井上陽水の「神無月にかこまれて」が大好きで、カラオケでの私の持ち歌の一つだ。
 神無月に僕はかこまれて
 口笛吹く それはこだまする・・・

 この季節、通勤途上の道でよく口ずさんでいる。

 なぜ神無月というのかは分かっていないらしい。
 「出雲大社に全国の神が集まるので神が不在になる」というのは俗説で、出雲大社の御師(おし、おんし)が全国に広めたのだという。(御師とは、「特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者」で、冨士講や伊勢神宮など有力な寺社は、全国に信者を持ち、遠い地方に住む檀那(だんな)のもとに派遣されてお札を運んだりもした。)
 神無月の「無・な」は「の」で、「神の月」が語源だとするのも有力だそうだ。雨の多い6月を水無月(みなづき=水の月)というのと同じだという。確かに10月は収穫や祭りの時期だから「神の月」はありえそう。
 「新穀で酒を醸(かもorかむ)すことから、カミナヅキ(醸成月)の義」という『大言海』がとる語源解釈にも惹かれる。新米で酒を仕込む月という意味だ。
 なお、師走のよく言われる解説(年末でお経をあげる注文が多いので、僧の師も駆け回っている)も本当の語源解釈ではないという。うんちくはここまで。
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 先日紹介した、くにたち桜守(さくらもり)の大谷さんの活動その2をお届けしよう。

(JR国立駅の前から延びる「大学通り」とそれに交差する「さくら通り」に400本の桜並木がある)



 26日は先に紹介したように、朝は、矢川探検で小学3年を川にじゃぶじゃぶ入らせて五感で自然を感じさせる授業。都会の子どもたちは、土いじりなどほとんどしないから「虫はキライ!」「バッチイ!」となりがちだ。そこを川遊びなどで少しづつ克服していく。
 午後は5年生の桜の世話だ。2クラス60人ほどが大学通りにやってきた。まず大谷さんが、作業を説明。国立駅前の大学通りは昭和8年、9年、今上天皇の生誕記念に植えられたので、樹齢80年を超す。病気の木も多い。木の根元が踏み固められ硬くなるのは木によくない。そこで、草花を根元に植えて、人が近づかないようにするのだ。
 土をシャベルで堀り、ヤブランやコクリュウを植える子どもたち。低学年で川遊びなどの授業で、自然の生きものに親近感をもつようになっているから、虫を見て「キャー」という子はいない。逆に、「あ、ミミズだ!」と嬉しそうにはしゃぎながら作業をしていた。大谷さんがみんなの中に入っていって、子どもたちに語りかける。
 「あそこの枝に葉が付いてないね。桜もみんなと同じで、病気にもなる。なったら世話しようね。そうすればいつまでも花を咲かせるよ」。この子たちは、来年春、自分の世話した桜が咲いているのを、特別な思いで見上げることだろう。そこから自分の住む町をもっと好きになっていくだろう。それこそが桜守の目指すところだという。桜が好きでたまらないからやっているのではなく、桜はあくまで手段だという。
 桜守の活動をこれからも追っていこう。