水俣が国のかたちになった

 きょうのクロ現《“加害企業”救済の裏で〜水俣病60年「極秘メモ」が語る真相〜》には怒った。
 番宣は《「補償金支出の歯止めが欠落している」「そのままでは、ザルに水を注ぐがごとしだ」 今回、NHKが独自に入手した、チッソ元副社長が残したとされる手記。 記されていたのは、加害企業チッソを手厚く救済する一方で、水俣病患者への補償金を抑えようとする政治家や官僚の思惑だった。 水俣病公式確認から60年、初めて明らかになる真相とは?極秘資料と関係者への取材で知られざる水俣病の真相に迫る。》
 昭和53年から、熊本県が県債を発行して政府から調達した資金を、患者補償の資金としてチッソに貸し付けるという県債方式によるチッソ支援が行われ、その県債の累計発行額は約2,260億円となっている。政府はこのチッソへの大規模な財政支援を始める一方で、同年、新たな認定基準を作って患者の認定率を5%未満へと激減させていった。番組では副社長のメモなどから、政府・行政・企業が一体になった動きを明らかにした。メモには、患者に補償を行うことを「ザルに水を注ぐ」などと表現した政府高官の言葉などもあり、テレビに向かって思わず罵りの声を上げてしまった。
 水俣病「第1号患者」である田中実子(じつこ)さんの姉の下田綾子さん(72)は、「中学生ぐらいから姉妹みんな指がしびれていた。いまもけいれんが来たりする」という。実子さんのすぐ上の姉は水俣病で死亡している。
 《若い頃は、差別を恐れて、水俣病の認定申請をしなかった綾子さん。昭和53年の通知が出された後に審査を受けましたが、結果は「棄却」でした。》(クロ現より)なんと理不尽な。
 そもそも、チッソの排水が原因の可能性があるとの指摘を握りつぶして排水垂れ流しを続けさせた政府の責任は問われず、公害企業を救済して被害者を切り捨てる構図は、「この国のかたち」として定着したようにみえる。
 福島第一原発事故のあと、「水俣のようになるだろう」と予言する声があったが、東電救済と被災者の切り捨てが進み、どうやらそのとおりになりつつあるようだ。
 水俣病の患者を認定しないまま、政府は「未認定」の人にわずかのお金を握らせる「救済策」を実施したが、それも2012年7月末までという期間限定だった。
 《水俣病救済策、6万5千人申請 想定2倍、潜在被害多く
 水俣病の症状があるのに国の基準では患者と認定されない人に一時金や医療費を給付する救済策に、受け付けが締め切られた7月末までに全国で計6万5151人が申請したことがわかった。申請を受け付けた熊本、鹿児島、新潟各県が30日、発表した。環境省が当初想定した「3万人超」の約2倍で、多くの被害者が潜在していることをうかがわせる結果となった。2010年5月の申請開始からの県別の累計は、熊本4万2961人、鹿児島2万0082人、新潟2108人だった。》(朝日新聞2012年8月30日)
 6万人超もの人びとが自らを患者だと自覚しているのだ。認定されぬままに。

 クロ現は2012年7月25日(水)放送で、《水俣病“真の救済”はあるのか 〜石牟礼道子が語る〜》という放送をし、そのごまかしの「救済策」でさえ、さまざまな線引きをして認定から外れる人がたくさんいる事実を伝えている。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3234/1.html
 ここで語られた石牟礼道子さんの言葉が胸に突き刺さる。

●石牟礼さんから見た特別措置法
 特措法の“救済”という言葉は、いかにも官僚用語。最初の段階から基礎調査をすべきだった。一軒の家に患者がいると、必ずと言っていいほど家族全員が何らかの症状がある。
 天草で案の定、被害者が出てきた。行政は地域を区切って減らそうとしている。魚を食べた証明を出さないと、(対象地域外では)救済対象にならない。(特措法の)条文を作った役人は、50〜60年前の証明書を持っているのか。

●なぜ“線引き”はくり返されるのか
 行政はごまかし、ごまかし、大変な事件だと思っているに違いない。手落ちを隠すというか正当化する。

●国はどう向き合うべきだったのか
 日本は経済成長路線でやってきた。人間性の善なるもの、徳義、精神的な成長を国民と共に遂げること、やってこなかった。

●半世紀を経て思うことは
 患者たちと東京によく行った。患者は「日本という国はなかった」と言う。
 「東京まで行っても日本という国は、どこにあるかわからなかった。日本という国は、人がつくってくれるのではない。自分たちでつくらないとない。」
 人間の希望。最低の希望はわかり合う努力をすること。一番せつない、わかりあえないということが。それでね、もう亡くなったですけど杉本栄子さんという方がいらっしゃって。
 「私たちは許すことにした。全部許す。日本という国も、チッソも、差別した人も許す。許さないと、苦しくてたまらない。みんなの代わりに私たちが病んでいる。許す。」と言って死ぬ前に、「まだ生きたい」と言って亡くなった。私たちは許されている、代わりに病んだ人から許されて生きている。罪なこと。
 代わりに病んでいる、日本人の代わりに。

●国には何を学んでほしい
 純朴ないいものをたくさん持っていた。水俣の人たちの心をズタズタにした。
 きょうも無事に生きた。あしたも、きょうくらいに生きられればいいと思う人たち、特別、出世したいと考えもしない人が、この世にはたくさんいる。普通に生きている人たちの行く末、普通に生きるというのは大事なこと。

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 こんな「国のかたち」ははやく葬りさらねばならない。