『ウクライナはなぜ戦い続けるのか』発売!

 先週、『ウクライナはなぜ戦い続けるのか ジャーナリストが戦場で見た市民と愛国』(旬報社)が発売になりました。

 ご関心あれば書店で手に取ってご覧ください。できればお買い求めください。去年のウクライナ取材の経費がまだ回収できておらず、この出版でなんとかしたいと思っているので、よろしくお願いします。

 この本は、ウクライナ戦争の取材記だが、私たち日本人の価値観を問い直したいという問題意識で書いた。拙著の「はじめに」にはこんな文章を載せている。

 

《侵略したロシアにではなくウクライナ側に「停戦せよ」と要求して“問題”になったのが『通販生活』2023年冬号の表紙だった。銃をかまえるウクライナ兵を猫がたしなめている。

『通販生活』2023年冬号の表紙

 プーチンの侵略に断じて屈しない ウクライナの人びと。

がんばれ、がんばれ、がんばれ。守れ、守れ、守れ。

殺せ、殺せ、殺せ。殺されろ、殺されろ、殺されろ。

人間のケンカは「守れ」が 「殺し合い」になってしまうのか。

ボクたちのケンカは せいぜい怪我くらいで停戦するけど。

見習ってください。停戦してください。


 これにウクライナ大使館が抗議し、発行元のカタログハウスが、ロシアのウクライナ侵攻を猫のケンカに例えたことについて「不適切な言葉で表現した」と謝罪する顛末となった。しかし、これは言葉の表現の問題ではない。侵略もそれへの抵抗も「ケンカ」として同列にみなし、侵略されている側に停戦せよと迫っていることが問題なのだ。

 日本では、侵略であろうと侵略への抵抗であろうと、戦うことはすべて悪と考える人が少なくない。しかし、この日本的価値観で、ウクライナの戦争を正しく認識することができるのだろうか。疑問が募っていった。(略)

 ウクライナ人も命を失うのはもちろん怖いし避けたいはずだ。「兵役のがれ」のため、不法な手段を使って国外に逃げる人がいることは社会問題にもなっている。それでも多くの国民が国に踏みとどまって軍事大国ロシアに抵抗しつづけるのはなぜなのか。

 私はジャーナリストとしてその答えを知りたいと思い、ウクライナへと向かった。》

 

 ウクライナ戦争の「即時停戦」論にみえる日本左翼のダブルスタンダードへの疑問もこれに関係している。

takase.hatenablog.jp

 さらには、私たちにとって生きて死ぬ意味とは、という大きな問題につながっていくのだが、それをこれから追究しつづけようと思う。

 と、大ぶろしきを広げてしまったが、日本人への問題提起として書いた本である。多くの人に読んでもらって感想を聞きたい。