救出可能性大だった湯川遥菜さん

takase222015-05-23

まるで昔の修道院みたいだが、ここは図書館だ。
上野の国際こども図書館。
かつての帝国図書館だそうで、階段、廊下、書庫も風格がある。
また行きたくなる。図書館は、雰囲気も大事だな。
・・・・・・
「邦人殺害テロ事件対応検証委員会」の報告書は、政府の対応に「救出の可能性を損ねるような誤りがあったとは言えない」と結論づけた。
そもそもこの委員会、委員長が杉田和博官房副長官で、身内で構成されているうえに、首相にも外相にも、また後藤さんの奥さん、湯川さん救出に直接に関与した常岡浩介さんや中田考さんにも事情を聞いていない。
何を調べたんだか・・・

きょうのTBS「報道特集」で、この報告書の検証をしていた。
常岡さんのインタビューは核心をついたものだった。
9月、常岡さんは、「イスラム国」のウマル(オマル)・グラバー司令官から、8月に捕えられた湯川遥菜さんの裁判をするので、通訳(中田考さん)とともにその裁判を記録するジャーナリストとして来てほしいと言われて「イスラム国」入りしている。
そのとき、常岡さんは、ウマル司令官から、「イスラム国」は湯川さんを身代金のネタにすることはない、拷問もしない、イスラム法に則って公正な裁きをすると告げられている。
8月にはすでに、アメリカ人二人が斬首処刑されおり、イギリス人の処刑を控えていた。もちろん裁判などない。
つまり、湯川さんの扱いは、それとははっきり異なっていたのだ。
さらに常岡さんと中田さんは、司令官から「もし無罪判決が出たら、あなた方のヌスラ(勝利)だと。(湯川さんを)連れて帰ってもらうと」とも言われている。わざわざ日本から裁判のための通訳と立会人を呼んだということは、極刑はおそらくなかった、かなりの確率で無罪判決が出たと思われる。
アメリカ人、イギリス人と扱いの差は、「イスラム国」は日本を別扱いしているぞというメッセージを発しようとしたのかもしれない。

裁判は、「首都」ラッカの爆撃などの事情で「延期」になる。
常岡さんたちはいったん帰国し、10月7日に再び日本を発って「イスラム国」に入る予定だった。ところが、その前日の6日に、常岡さんは家宅捜索を受け、「イスラム国」司令官との接触は絶たれてしまった。

今年1月20日に、二人がこれまで処刑されたアメリカ人らと同じく、オレンジ色の服を着た映像が流れた段階では、救出の可能性はきわめて小さくなっていた。
9月の常岡、中田の「イスラム国」訪問時から今年1月までの間に、「イスラム国」側に日本人の人質の扱いに大きな変化が起きたと考えられるわけである。

常岡さんは「報道特集」のインタビューで、
「助けられる、自分の手の届くところにあると思っていたのを、むざむざと殺された」ことが残念でならないと語っている。警視庁公安部が結果的に湯川さんの救出を妨害したのではないかというのだ。

だから、検証の一つのポイントは、湯川さんの救出の可能性が高かった時点で、政府がどんな情報をもち、どう助けようとしていたのか、常岡さんたちのルートを絶ったことをどう考えているのかということだと思う。
ところが、8月に湯川さんが「イスラム国」に掴まったと思われる映像が出た直後からの政府の動きはどうだったのか。全く検証されていない。
報告書では、《1.8月の行方不明発覚から12月3日までの対応》の中で、掴まったのが「イスラム国」であるかどうかさえ分からなかったとしている。
《この期間は、湯川遥菜氏がシリアで行方不明となっており、何者かによる拘束の疑いがあった。また、2014年11月1日以降は、後藤健二氏が同じくシリアで行方不明となっており、夫人宛てに犯行グループから接触があったことを政府が把握する12月3日までは、危険地域における邦人の行方不明事案であった。》

湯川さんについては8月の映像が「イスラム国」のものであることは確実であったし、何よりも常岡さん、中田さんが、この湯川さんの件で「イスラム国」に呼ばれているのである。
「分からなかった」などという嘘で、無策をつくろおうとしているのか。
(つづく)