『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』

東京宝塚劇場での宝塚星組公演を見てきた。
原作が並木陽『斜陽の国のルスダン』といい、何を隠そう、学生時代の先輩が書いた小説なのだ。
知り合いの書いた作品が宝塚で舞台化される、という得がたい経験をしてきたわけで、開幕の際の影ナレで原作者の名前が読み上げられた時には、何とも言えない感慨があった。
原作はむろん読んでいたが、とはいえ、もうそれも相当前の話で、今回観劇に行く前に予習・復習もしていなかったので、正直、話自体は結構忘れている状態で見に行った形となった。
見ている間に「そういえば、こんな展開だったなー」と思い出しつつ、舞台ならではの点を楽しみながら見ていた。
ちなみに、ブログ内を検索しても出てこなかったのでこのブログに書いたことなかったみたいだが、自分は宝塚については、銀英伝を見たことがあり、人生2度目の宝塚観劇である。
宝塚大劇場・東京宝塚劇場 公演案内> 星組公演 『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』『JAGUAR BEAT-ジャガービート-』

『斜陽の国のルスダン』と並木さんについて

原作である『斜陽の国のルスダン』は、並木陽さんが、2016年に文章系同人誌即売会であるテキレボにあわせて刊行した作品。その後、文学フリマなどで頒布していたが、2017年に、NHK-FMの藤井プロデューサーが通販でこの本を購入したことがきっかけで、同局のラジオドラマ「青春アドベンチャー」でラジオドラマ化された。
まあそれだけでもなかなかすごい話なのだけど、その後、並木さんは、この藤井プロデューサーとのタッグで、オリジナルドラマの脚本を次々と書き下ろしていった(参考:並木陽さんの原作・脚本・脚色作品の一覧 - 特集【演出家・脚本家別一覧】)。
で、この「青春アドベンチャー」では、宝塚OGを始めとしたミュージカル俳優が声優をやっている*1。ラジオドラマ化された際には、主人公のルスダンを宝塚OGである花總まりが演じたわけだが、それ以外の作品にも宝塚OGがたびたび出演していた。
おそらく、そこからの縁で今回の演出である生田大和氏が、本作を知り、宝塚での舞台化につながったようである。
また、宝塚での舞台化をきっかけに、星海社より商業版が刊行されている。



さて、並木さんは、自分にとって大学の文芸サークルでの先輩にあたる。
このサークルは、主に小説を書き、年に2回会誌を発行するという活動をしていた。
僕は何故かこのサークルで主に批評を書くようになっていくのだが、自分ももともとは小説を書くつもりでこのサークルに入ったし、小説を書く会員のほうがもちろん多かった。
並木さんは、当時から歴史(主にヨーロッパ)ジャンルで小説を書いていて、サークル内での人気も高かった。
この『斜陽の国のルスダン』については、僕自身は2016年の文学フリマで入手していたようなのだが、多分、僕が参加した最後の文学フリマでもあったと思う。
第22回文学フリマ感想その2 - logical cypher scape2
僕が文学フリマなど同人活動が遠ざかっていった一方で、並木さんはこの後、文学フリマをはじめとして、地方開催のものも含め、多くの文章系同人誌即売会に参加するようになり、瞬く間に人気を獲得していった。
その過程の中で、上述した「青春アドベンチャー」採用もある。
かなり希有なルートではあるし、まさか小説ではなくラジオドラマの脚本を手がけていくことになるとは思いもよらなかったけれど、同人活動からこうやって世に出ていくこともあるんだなあと思いながら、その活躍を眺めていた。
ところで、妻はミュージカルが好きということもあって、以前から並木陽作品が舞台化されないだろうかという希望をたびたび口にしていた。
NHKでラジオドラマ化されたのだから、いずれは舞台化されることだってありえなくはないんじゃないかと語る妻に対して、しかし僕は、ラジオドラマと舞台*2じゃ規模感も違うし、さすにが同人小説のままでは無理でしょ、と思っていたのが正直なところだった。
ところがである。


2022年4月に、宝塚での舞台化決定の知らせが入ったのである。

衣装、音楽、舞台装置等を中心にした感想

衣装については、ジョージアの民族衣装をもとにしたという話は、リリースか何かで見かけていたのだが、そのジョージアの民族衣装がどういうものなのかということはあまり調べずに見に来ていたので、こんな衣装なのかと結構驚かされた。
服飾文化に疎いので何とも言えないが、エキゾチックというか、ヨーロッパとアジアのテイストが両方入っているように感じられた(女性衣装の振袖っぽいところとかにアジア要素を感じた)。
また、ジョージア軍の衣装は、どことなく「帝国軍」風であり、13世紀にこんな服あったのかと思いつつも、敵対するモンゴルやホラズムとの対比という点も含めて、見栄えが良くかっこよかった。
ミュージカルという点で言うと、都・トリビシでたつ市場のシーンでの群舞が、とても楽しくてよかった。ミュージカルというとやっぱりこういうのが見たいよなあ、という感じ。
上述のジョージア軍の衣装とも関連するが、ジョージア軍のダンスは、細かい足さばきが多くて、ちょっとコサックっぽいなという気もした。衣装とあわせて、ロシアからジョージアの影響があるのかなあと感じたところ。
ただ、この細かい足さばきというのは、ジョージアンダンス由来の動きらしく、ググってみると「ロシアのコサックダンスと勘違いされてしまうのがジョージアンダンス関係者の悩みなのだそうです。」*3なる記述を見つけたりもしたので、ここらへんの影響関係はよく分からず。
結婚式のシーンは、パーカッション主体の曲がかっこよかったという印象
また、ダンスなどの演出でいうと、銀橋を派手に使うのが多かった。兵隊が銀橋の上をだーっと駆けていくとか。今回、関係者枠でチケットをいただけて、なかなか前の方の席だったこともあり、ここらへんは非常に迫力があった。
それから、舞台装置のこと。
ステージ上のターンテーブルが回転する中、役者がその回転とは逆方向に歩くというのは、他の舞台でも見たことがあったが、それに上下動も加わった上で、役者が歩いてるのを見たときは「すげぇ」となった。
また、寝室全体がせりに乗っていたのもすごかったし、花道にもせりがあって驚いた(ところで、この記事を書く際にググったら、花道のせりは歌舞伎にもあって「スッポン」と呼ばれているらしく、むしろかなり昔からある装置のようなので、無知による驚きであった……)
小説ではなかなか表現が難しい視聴覚的な要素をめいっぱい楽しませてくれる舞台化で、原作者本人の感動はいかほどか、と思わせてくれた。
ところで、原作タイトルは『斜陽の国のルスダン』とあり、ルスダン女王が主役であるのに対して、宝塚版ではタイトルが『ディミトリ』に変更されている。
内容うろ覚えだった自分が何を言うかという話だが、観劇に行く前日まで「ディミトリって主人公か?」と宣っていた。しかし、いざ実際に見てみると、ディミトリが完全に主人公になっており、ジャラルッディーンがディミトリの最期を見届けるシーンでは、思わず涙ぐんでしまった。
また、帰ってきてから原作をぱらぱらっと見直していたら、セリフが結構そのまま採用されていることに気付いた。物語内容は長篇小説のボリュームがあるんだけど、それをかなりコンパクトに組み立てているから、わりとそのまま1時間なりの舞台作品に仕立て直すことができるんだなと思う。
並木さんはもともと小説を書いている人ではあるが、ラジオドラマの脚本やったりマンガの原作をやったりと、今ではメディアの別なく活動しており、小説かどうかよりは、物語を書くことに力点があるんだろうなと思うし、その意味で言うと、ある尺の中に物語をおさめることができるのが強みなのだろうと思う。
あともう一つ、並木さんの強みをあげると、題材チョイスの上手さがあると思う。
この『ディミトリ』という作品の魅力、物語の面もさることながら、やはり衣装やダンスという点でジョージアという土地を出してきたところにあるので。
青春アドベンチャー」で書いているラジオドラマも、高校世界史レベルの歴史教養だと微妙によく分からんというあたりを突いてくる。

同時上演『JAGUAR BEAT-ジャガービート-』

宝塚の舞台は、物語劇とレビューの二本立てになっていることが多いと思う。
今回、『ディミトリ』と同時上演であったレビューが、この『ジャガービート』
自分は宝塚観劇2回目で、ほとんどレビューというものが何なのか分からない状態で見ていたので、ただただ「うわ、すげ」となっていたが、後になって、ヅカオタの中でも賛否両論となっている作品だと知った。
世界観がなかなかカオスで、ハイテンションノンストップで進んでいくので、僕は途中から楽しくなってきて、面白く見れたのだが、同行者の中には「ずっとギラギラしていて疲れた」という感想を漏らす人もいて、またやはり後になって知ったのだが、ヅカオタの中でも同様の感想を持つ人がいるようだった。
逆に、同行者の中で、アイドルやら何やらのライブを多少なりとも行っているような面子は、「よくわからんところもあったが、わからんなりに分かった」という感じであり、自分もそういう印象。
しかし、正直なところを言うならば、見ていて何度も「ダサ」とも思った。
というか、歌やダンスについて技術的な卓越があるのは分かるし、見ていて楽しくなるところもあるし、つまり、よさやすごさは伝わってくるのだが、しかし一方で、否応なしにダサさも感じる。「すごい」んだけど「ダサい」、「ダサい」んだけど「すごい」という感想をいったりきたりしながら見ていた。
ある種の異文化交流感はあって、「なるほど、この文化ではこれが楽しまれているんだな」という感じでの理解は得られるのだけど、自分の価値尺度で留保なく「よい」って言えるかというとちょっと……というのはあった。
音楽的な教養を求められる感じはあって、かなり多様なジャンルの音楽要素が使われているなとは思ったが、しかし、それらが結局のところ、昭和歌謡曲的な曲に集約されてしまうと感じた。
あと、多様なジャンルの音楽の要素が使われているとは述べたが、そうは言っても、クラシック、ジャズ、ロックであって、ヒップホップ、ハウス、テクノとかは入っていなかった。まあそりゃお前の好みの問題だろと言われればそれもそうなのだが、しかし、ある種のカオスさみたいなのを売りにしているようでも、ロック止まりなのかーという気持ちは抱かざるをえない。
そのロックにしても、メタルに振り切った曲は悪くなかったかなと思うんだけど、出てくるエレキのフレーズとかでよかったなと思うのがあんまりなかった印象で、一方で、サックスかなんかだと「それ好き」ってなるフレーズがあったりしたので、クラシックやジャズまでは自家薬籠中のものになっているのだけど、ロック以降はそうでもないのかなと思ってしまった。
ところで、では宝塚のレビュー鑑賞は、クラシックやジャズ鑑賞のようなものなのかといえばおそらくそうではなくて、そういった要素を盛りこみつつタカラジェンヌが浪々と歌い上げる歌謡曲に仕立てて大衆芸能にしてしまっている*4のであり、まあアイドルライブの鑑賞に近いのかもしれないなあとは思う(推しがいると非常に楽しいだろうな、これは、というのは見ていて思った)。
つまり、これはもはやそういうものなのであって、それを外部から見て「ダサい」と言ってしまうのもいかがなものかとは思うけど、しかし外部から見るとそう見えてしまうんだよな、という感想。

*1:なお、坂本真綾が出演した時もあり、並木さんの脚本で坂本真綾が、と(特別に坂本真綾ファンというわけでもないが)わが家が騒然となったこともある

*2:なお、ここで僕と妻の間で言っている舞台化は宝塚とか東宝ミュージカルとかを前提にしている

*3:ダンサーそして私たちは踊った | おどりびより|社交ダンス情報メディア]

*4:いや、ジャズも大衆芸能だが