田中泉吏・鈴木大地・太田紘史『意識と目的の科学哲学』 - logical cypher scape2のあとがきで紹介されていた論文
意識をめぐる新たな生物学的自然主義の可能性
ギンズバーグ&ヤブロンカ、ファインバーグ&マラットについてのサーベイ論文
それぞれの問題点と応用可能性についても触れられている。
『意識と目的の科学哲学』では触れられていない論点なども紹介されており、両方読むことで、互いに補完されるところがある。
1. イントロダクション
2. 新たな生物学的自然主義者の間の共通点と違い
3. ギンズバーグ&ヤブロンカの意識理論の概要
3.1 魂のアリストテレス的な三段階と、生命の自然化
3.2意識への移行の目印としての「無制約連合学習」
3.3 ひとつの「ありさま」としての意識
3.4 「意識の機能」という考え方はカテゴリー・ミステイクである
4. ファインバーグ&マラットの意識理論の概要
4.1 意識の四つの特性
4.2 生物学的特性の三つのレベル
4.3 意識の徴候に関するF&Mの見解
4.4 意識の存在論に関するF&Mの見解
4.5 「自–還元不可能性」と「他–還元不可能性」
4.6 意識の適応上の価値と機能
5. 評価と問題点の抽出
5.1 意識の徴候について
5.1.1 ギンズバーグ&ヤブロンカ
5.1.2 ファインバーグ&マラット
5.1.3 人工生命体への応用可能性
5.2 意識の存在論と機能について
5.2.1 ギンズバーグ&ヤブロンカ
自然主義と目的論
意識の価値や意義をめぐる議論との関連
5.2.2 ファインバーグ&マラット
認識的ギャップを認め、存在論的ギャップを否定するという方針の見込み
意識の機能は生存の観点から理解できるのか
3. ギンズバーグ&ヤブロンカの意識理論の概要
まず、意識の徴候について、生命と比較しながら論じている。
この点、田中泉吏・鈴木大地・太田紘史『意識と目的の科学哲学』 - logical cypher scape2では触れられてなかったところだと思うので、なるほど、そういう理屈だったのか、と。
生命についての定義は共通見解がないが、十分条件を形成する一連の特徴なら合意がある。
そして、そうした特徴全てを備えたシステムにしかいできないことは、生命であることの目印となる。具体的には「無制約遺伝」
これと類比して、意識についても、その定義は定まらないが、十分条件を形成する一連の特徴なら合意があるだろう、と。
そうした特徴として、以下の8つがあげられている。
(1) バインディング/統一
(2) 大域的なアクセス可能性
(3) 柔軟な価値づけシステム
(4) 選択的注意と除外
(5) 志向性
(6) 通時的な統合
(7) 身体化と行為主体性
(8) 自他の判別
(そういえば、この8つの特徴、クオリアないし現象性への言及がない?)
そして、そうした特徴全てを備えたシステムにしかいできないことは、意識を持つことの目印となる。
それは「無制約連合学習」
混成的な条件刺激、新奇な刺激、二階の条件、柔軟な価値の組み替えなどが可能な連合学習のこと
存在論については、
生命が、独自の目的をともなうひとつの「ありさま」であるのと同様に、
意識も、独自の目的をともなうひとつの「ありさま」である、と。
そして、意識は機能をもたない、と。
ここらへんは、田中泉吏・鈴木大地・太田紘史『意識と目的の科学哲学』 - logical cypher scape2の後半で書かれていたことだろう。
4. ファインバーグ&マラットの意識理論の概要
ファインバーグとマラットは、意識には、参照性、心的統一性、クオリア、心的因果をあげる。
また、意識を3つの階層構造の中に位置づけることで、意識を神経生物学的自然主義の枠組みで捉えることを可能とする。
その上で、意識の徴候として、まず、同型的な神経表象をあげる。
それから「大域的なオペラント条件付け」をあげる。
これは、無制約連合学習よりも条件が緩くなっている(混成刺激による学習までは必要ないとしている)
存在論について、あまりはっきりした言及はなされていないとしつつ、本論文は、彼らの立場をタイプB物理主義に分類する。
ファインバーグ&マラットは、意識には「自–還元不可能性」と「他–還元不可能性」という特徴があるとする。
これは、意識には認識論的ギャップがあることは認めつつ、存在論的ギャップは認めない立場である、と整理されている。
なお、ファインバーグ&マラットは本当は「自-存在論的還元不可能性」と「他-存在論的還元不可能性」という言葉を使うが、本論文は、これは存在論じゃなくて認識論の話してるだろ、ってことで、存在論的を省略したとのこと。
ファインバーグ&マラットについて、自分は以前少し読んだ。
トッド・E・ファインバーグ,ジョン・M・マラット『意識の神秘を暴く 脳と心の生命史』(鈴木大地 訳) - logical cypher scape2
また、ファインバーグ&マラットは意識の「機能」についてもあまり語っていないらしいが、生存に寄与する、という適応上の価値について論じており、これがギンズバーグ&ヤブロンカとの大きな違いだろう、としている。
5. 評価と問題点の抽出
5.1 意識の徴候について
- 5.1.1 ギンズバーグ&ヤブロンカ
批判がいくつかある。
まず、無制約連合学習と意識の結びつきは明らかでない、というもの(これは経験的証拠が足りないので、今後の研究次第)
次に、意識の特徴の中に、学習は関係しないものもあるのでは、という指摘
個人的にも、意識の話からなんで学習の話がでてくるのか、ピンと来ていなかったので、ちゃんと指摘されているのだな、と思った。
最後に、意識の十分条件をなす諸特徴についてなら合意があるといってるけど、そんな合意もねーよ、という批判
- 5.1.2 ファインバーグ&マラット
同型的な神経表象と大域的なオペラント学習を意識の徴候としてあげていることについて、有望な仮説の1つとはいえるかもしれないが、十分説得力のある議論にはなっていない、という批判
- 5.1.3 人工生命体への応用可能性
両者ともに、生物の意識のみを扱い、ロボットやAIへの意識への言及は控えている。
それは、意識の研究をする上で、手堅いアプローチではある、としつつ、例えば、脳オルガノイドが、無制約連合学習や大域的なオペラント学習をするかどうか、という方向で、彼らの意図しないところかもしれないが、応用可能性があるのではないか、と。
5.2 意識の存在論と機能について
5.2.1 ギンズバーグ&ヤブロンカ
- 自然主義と目的論
彼女らのアリストテレス的自然主義は、まさに田中泉吏・鈴木大地・太田紘史『意識と目的の科学哲学』 - logical cypher scape2でも主題的に取り扱われ、田中・鈴木・太田はこの方向性に活路を見出していたわけだが、小草・新川はこの点については中立を保っているように読める。
つまり、興味深いが、現代の科学とこのままでは両立しないだろう、と。
しかし、進化的な総合について、有機体という存在者の復権や目的論的な説明を認める方向での修正を求める議論が存在し、論争中であるということも触れられている。
ここでも、田中泉吏・鈴木大地・太田紘史『意識と目的の科学哲学』 - logical cypher scape2でも、Walshという人への言及がある。
- 意識の価値や意義をめぐる議論との関連
彼女らの、意識を「ありさま」として捉える議論は、意識ある動物への道徳的配慮・道徳的地位の議論と親和的だろう、と指摘している。
5.2.2 ファインバーグ&マラット
- 認識的ギャップを認め、存在論的ギャップを否定するという方針の見込み
「自–還元不可能性」と「他–還元不可能性」の議論は、より詳しい説明が必要だ、という指摘
- 意識の機能は生存の観点から理解できるのか
これは、田中泉吏・鈴木大地・太田紘史『意識と目的の科学哲学』 - logical cypher scape2でもなされていた批判
本論文でも、太田論文が言及されている。
で、太田論文を参照しながら、「目的」を導入することについて、以下のように述べてしめられている
たしかに何かしら魅力や説得力があるようにも思われる。このような考え方が、結局は古風な哲学的幻想にすぎず、進化論的な観点に基づく自然主義的な意識理論の中に居場所をもちえないものなのか、それとも何らかのやり方で進化論的な観点とも両立させることができるものなのか。この問いに取り組むことを通じて、新たな生物学的自然主義をさらに発展させることができるだろう。
というわけで、田中・鈴木・太田ほど積極的に、目的論を導入することによる進化生物学の修正を自説として打ち出しているわけではないが、しかし、その方向性に可能性があるという見方を示しているように思える。
生物学的自然主義全体への大雑把な感想
彼らはみな、意識の起源はカンブリア紀にあり、脊椎動物、節足動物、軟体動物には意識がある、と考えているらしい。
そもそも意識が哲学の問題になったり、あるいは科学では扱えないと長らく思われてきたのは、その私秘性によるところが大きいと思うのだけど、そのあたりの話はあまりしないで、かなり広範に動物に意識があることを前提にしているような気がして、そのあたり、飲み込みにくいところはある。
しかし、それはそれとして、意識の多重実現を具体的な形で考えられるのは、確かにそれはそれでSFっぽい面白みがある。
田中泉吏・鈴木大地・太田紘史『意識と目的の科学哲学』 - logical cypher scape2の感想としても書いたが、意識を「ありさま」として捉える議論には、独特の魅力を感じる。
意識の特徴をある程度説明しているように思える。
また、本論文で指摘されている、倫理学との関係も興味深い。
それから、脳オルガノイドへの応用なんかは、指摘されるまで気付いてなかったが、結構重要な観点なのではないか。