『日経サイエンス2017年10月号』


若冲、特に興味ないしなあと思ってスルーしてたんだけど、宣伝ツイいくつか読んでたら、いくつか興味ありそうな話題かもしれないと思いなおし、眺めてみたら面白かった。
若冲、ボヤジアン星、地衣類の3つ

特集:若冲の科学

若冲が描いた虫たちを語る 倉谷滋/橋本麻里

進化形態学者の倉谷さんと美術ライター橋本さんの対談
倉谷さんの顔初めて見たけど、イメージしていたのと違ったかもw どうでもいい話ではあるが
実際に若冲の絵の実物を前にしての対談
倉谷さんが、若冲の絵に描かれている昆虫や動物について、「これは○○、これは色は△△っぽいけど形は××、こっちは実在しない種、この絵は現実にもありうる風景だけど、こっちの絵は別の場所や別の時間が混ざってて現実にはありえない風景」と次々と言っていくのが面白いんだけど
別にこれは、この絵が科学的に正しいか間違っているかというジャッジをしているわけではない。
そうしたところから、この絵を若冲がどのように描いていったのかを推測していっている。
例えば、若冲は、自分ではあまり知らない種については実物を正確に写そうとしているけれど、よく知っている種はむしろどんどんアレンジしていっている、とか。
橋本さんからも、この当時は、他の絵から描き写すということも普通に行われていたので、例えば○○の絵から写してきたのかもしれない、とか。
若冲自身は、博物画の人ではない。だから、時に正確性よりも絵としてのバランスのよさとか見た目のよさとかを優先して描いている。
一方で、この時代、博物学本草学)ブームが起こっており、若冲も博物画からの影響を受けているのだろう、と。
若冲の中の代表作といわれる『動植綵絵』、やはり倉谷さんの指摘に拠れば、現実にはありえない風景になっているようだけれど、橋本さんによれば、それは仏教画で、一切衆生悉有仏性を描くために様々な生き物を描いていて、それぞれの生き物は若冲にとっての理想形として描かれている、と。ただ、仏教画でこんなに色々な生き物を描くのも珍しい、と。
この対談の中で注目だったのは、橋本さんが、この時代の博物学ブームの中で描かれた博物画として、鱗の1枚1枚まで非常に精密な博物画を見せるところがある。
で、倉谷さんが、キュビエ以前にこんな博物画が日本で描かれていたなんて、認識を改める必要があると驚いている。

若冲を生んだ江戸の博物学 橋本麻里

吉宗の時代、産業振興の一環で博物学本草学)に力が入れられ、全国的にブームになる。
平賀源内も本草学やってたし、この時代、実用書については洋書が入ってきていたこともあって、『解体新書』翻訳も行われている。
それ以外に、大名の中にも博物学にハマってしまった人たちがいて、コレクションを作り、また情報交換をするネットワークが出来ていた、と。
博物画と美術品としての絵画は、作者も発注者も顧客も違うのだけれど、と前置きしつつ、歌麿若冲などにも影響を与えていて、人的にも交流が
あったなど、博物学と美術とのあいだに接点があったことにも触れられている。

謎のボヤジアン星 K.カルティエ/J.ライト

ケプラーによって、謎の減光現象が確認された恒星
報告者の名にちなんでボヤジアン星と呼ばれている*1

恒星と地球との間に何かが通ると減光する。その減光の量と周期で、系外惑星を探しているわけだけど、明らかに系外惑星による減光ではなかった。
短期的に見ると、不定期に、非常に大きな減光を起こす。
また、長期的に見ても、急激な減光が生じている。
これについて、様々な説明が試みられている。
リングやもやが恒星を覆っているとか、恒星自体が減光しているとか、彗星群が通過しているとか、極めつけがダイソン球が建設中であるとか。
これらの仮説を並べて紹介するとともに、筆者らの主観によって妥当性の判断も行っている記事。
筆者らはまず、星間空間にある塵などによる減光と、他の星と衝突し融合が起きている(一時的に光が強くなって元に戻っているところ)というのに、高い妥当性を当てている。
ダイソン球を含む知的生命体による何かという考えについては、情報が少なすぎて妥当性が判断できない、としている。
他の説では、物理法則に反しているので妥当性が低いとか言っているのに対して、知的生命説は、物理法則に反するが未知のテクノロジーを持っている可能性もあるので、判断できないと言っているのはちょっと面白いw
人工物にしろ天然物にしろ、何かが恒星の周囲を覆っているとすると、恒星のエネルギーが熱に変換されて赤外線を出しているはずなんだけど、赤外線が全く観測されていない、と。
ダイソン球を探すための有力な方法が、赤外線を探すことらしいので、ボヤジアン星の減光現象がダイソン球である可能性は低そうだけど、ワクワクする記事であるのは間違いない

地衣類に見る共生の姿 E.ギース

在野の研究者ガワードについて書かれた記事。書き手は科学・環境ライター
どうも、一部を除き専門家・科学者コミュニティから無視されているが独創的な視点を持った研究者、あるいは、還元主義的な視点や従来の規範に従った視点では出てこなかった発想みたいなアングルが強い記事なので、どこまで鵜呑みにすればいいのか量りかねる記事ではあるのだけど。
地衣類というのは、藻類と菌類の共生生物のことだが、2種類からなるものだと考えられていたようだ。ところが、構成している2種は同じはずなのに、場所によって全く見た目の異なるものがあり、ガワードはさらに細菌が共生していて、その細菌の種類の違いが見た目の違いをもたらしているのではないかと推論した。
ガワードと共同研究している研究者が実際に調べてみたところ、細菌ではなく菌類だったものの、確かにもう1種類別の生き物が共生していたことがわかった、と。
最近の生物学者は、細分化・専門化が進みすぎてて、細胞より小さいものしか見てなくて、実際の生き物をあまり見ていないんじゃないか、という話も。
植物とかって明らかに我々のような動物とはかなり異なる生き方をしているので、確かに、見方を変えてみるというのはありなのかもしれないと思った

サイエンス考古学 オンデマンド

150年前の記事として、電線をもっと張り巡らせろというようなことが書かれていて、いずれ新聞なんてなくなるだろうと書かれている

海外ウォッチ 顔認識のメカニズム

この記事読んでないんだけど、気になる

*1:ケプラーのデータについて人の目で、アマチュア天文学者たちがチェックしていて、当時、そういうチームのとりまとめをしていたポスドクだったのがボヤジアン氏