立華の京都探訪帖

1200年の都を歴史・文化的視点から楽しむ旅記録 ᝰ✍︎꙳⋆

「『源氏物語』のリアル 紫式部を取り巻く貴族たちの実像」

 

引き続き、今回も読書感想文の回です。

今日は下記の本をご紹介します。

内容はその名の通りのものになっていて、実在の人物を数名挙げ、『源氏物語』の登場人物との類似点などをまとめてある本です。

登場人物がたくさん出てきますので、あらかじめ『源氏物語』を読んだことがある方、もしくは内容はなんとなく知っていて、登場人物も大体はわかる、という方であれば楽しめる本かと思います。

 

感想

平安時代の歴史・文化に詳しくはない私にとっては、衝撃の内容もありました。

以下に面白かった点をいくつか挙げます。

 

主として男性は恋愛強者

『源氏物語』を読んで知ってはいたものの、当時の男性は、身分が高い人ほど女性に対して強気に出られたようです。

とはいえ礼儀や暗黙のルールは存在しており、多くの男性はそれを守っていたものの、高貴な身分であればあるほど、礼儀を破った押しかけも可能だったとのこと。

(例・冷泉天皇第4皇子敦道親王→和泉式部)

押しかけられた方は無礼千万と感じようとも、押しかけた方にしてみれば愛ゆえの行動だと言い訳できるのが、女性にしてみればたまったものではないですよね。

『源氏物語』でも、光源氏が度々そのような無礼を働いていますね。

 

リアル六条御息所・藤原仁善子

藤原仁善子という方の名前を、私は今回初めて知ったのですが、菅原道真を左遷させた藤原時平の娘なのだそうです。

当時は菅原道真の怨霊の力で次々に死人が出た(ことにされている)わけですが、実際に父・夫・子を無くしたのが、この藤原仁善子だとか。

この項目は面白かったので、気になる方にはぜひ読んでいただきたいです。

 

村上天皇をハラスメントした后・藤原安子

『源氏物語』における桐壺帝の正妻・弘徽殿女御を思わせるとして、有名な人だそうです。

妻でありながら、天皇を黙らせる強烈さを持った彼女には、夫である村上天皇も逆らえなかったそう。

たとえ頑張ってわずかな抵抗をしようとも、その抵抗さえもねじ伏せる人だったようです。

 

「悪后」と評される藤原詮子

『光る君へ』では仮病などのシーンはあったものの、父の兼家を恨み、父を嫌っていた詮子ですが、史実の彼女は悪い后だというのが通説だそうです。

私は彼女の人柄や人生をその『光る君へ』で初めて知ったので、ドラマで描かれた人物像よりもずっと悪名高い人であったことに驚きました。

ですから実際の詮子はドラマの兼家のように、好き勝手に振る舞っていたようで、政治にも深く介入していたようです。

 

まるで明石の君・宮道列子

個人的に、この人物は、京都検定的に気になった人物です。

宮道列子という人の父は宮道弥益という人で、山科の郡司であり、京都の山科にある勧修寺はこの宮道弥益の邸宅跡を寺に改めたものなのだそうです。

彼は郡司であったわけですから裕福だったようで、列子も不自由ない暮らしをしていたと思われます。

『今昔物語集』には、その列子が、都から山科を訪れていた藤原高藤という人と子をなし、その子が醍醐天皇の生母になったという説話があります。

この説話が、光源氏と明石の君の関係性と同じだというわけですね。

 

さいごに

『源氏物語』の物語自体、とても興味深いと思います。

しかしながらやはり平安時代の知識があまりない状態で、内容を読み進めていくと、疑問に思う点が多々出てきます。

もちろんこれは『源氏物語』に限った話ではないのですが、当時のさまざまなリアルを学んだ上で、それらと比較しながら読んでみるのも、また一段と『源氏物語』を楽しむことができる面白い読み方だと思います。

 

\いつもありがとうございます!/

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