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シリーズ記事 【嫌いな国の人を何に喩えるか】
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その9
前回の記事「イギリスとフランスが犬猿の仲だった長い歴史 」を書くために調べていたら、少し気になった書籍に出会いました。
スティーヴン・クラーク(Stephen Clarke) というイギリス人ライターが書いた本です。フランス語の題名は『1000 ans de mésentente cordiale』。
英仏の国旗があって、「千年(1000 ans)」にわたる「不調和(mésentente)」だから、英仏間にあった千年の不仲について書いてあるのだろうと想像できます。でも、「不調和」には文字を大きくした形容詞「CORDIALE」がついている。
cordialとは、真心がこもった、誠実な、という意味があるのですが、ここでは反語的に使っていて、「心の底からの」不協和音という意味なのでしょうか?
彼は英語で書いているので、オリジナルの英語版でタイトルがなんとなっているのか調べてみました。左がフランス語バージョンで、右が英語バージョン。
1000 ans de mésentente cordiale | 1000 Years of Annoying the French |
仏語バージョンの方では、下に「ローストビーフから見た英仏の歴史」と説明がついています。
英語バージョンのタイトルは、俺たちイギリス人がフランス人をイラつかせた千年の歴史、のように私は受け取りましたが、どうなのでしょう?
◆ イギリス人にとって、Merde(糞)はフランスの象徴?
スティーヴン・クラークというライターを知らなかったのですが、フランスやフランス人について、英語と仏語訳でたくさんの本を出しているのでした。
英語版の著書の題名を見ると、そんなことをフランス人に言ってしまって大丈夫なの? と思ってしまうので気になりました。
「Merde(糞)」というフランス語の単語がお気に召しているようで、それを何冊もの英語版のタイトルで使っているのです。
☆ Stephen Clarkeの著書を検索
- A Year in the Merde ⇒ God save la France
- The Merde Factor
- Merde Actually = In the Merde for Love(米国版) ⇒ God save les Françaises
- Dial M For Merde ⇒ God save le Président
- Merde Happens
- Merde in Europe
「結構毛だらけ猫灰だらけ、お尻の周りはクソだらけ」なんていう、有名な啖呵売(タンカバイ)の口上があったけ...。
スティーヴン・クラークが特別に「メルド」という単語を取り上げたわけではなくて、イギリスではフランスらしさを表すものとして、バゲットやベレー帽の他に、このメルドもあるようなのでした。
ともかく、それだけ彼は糞まみれが好きなのに、フランス語の翻訳本では、「メルド」を使ったタイトルの本は一度も出していないですね。
フランス人読者に対しては、メルド=フランスとするのは憚られたからでしょうか? フランス人もよく「メルド」という下品な言葉を使いますが(悔しいときに「くそ~!」と言ったりする)、それがフランスの姿とはしていないわけですから。
◆ イギリス人の忖度(そんたく)?
かなり前のことですが、フランスで友人たちとおしゃべりしていたとき、「フランスの、ここが気に入らない」と話したら、「フランスが気に入らないなら、日本に帰れば良いじゃない」と言われて、少なからずショックを受けたことがありました。考えてみれば当然のことを言われたわけです。
でも、日本には「外国人による日本語弁論大会」というのがあって、外国人たちが日本人のことをこき下ろしていたのです。それで、日本人は外国人から批判されるのが好きなのか、外からの批判を素直に受け止めて成長する国民なのだろうと思っていました。
でも、日本も変わったのですね。
それで書いたのが、この記事:
★ ちょっと怖いな... 最近の日本礼賛ブーム 2015/03/01
日本では、外国人に日本のことを褒めさせるのが流行っていると感じた後、日本人女性と結婚しているイギリス人に出会いました。東京で開かれた会合に参加した後に夕食をして少し話したのですが、何となく彼は変だと思ったのです。
日本語が流暢なそのイギリス人は、口癖のように「日本は素晴らしいです!」と繰り返したのです。その場で私たちが話していることとは全く関係ないし、誰も彼が「素晴らしい」と褒めていることには耳もかしていなかったのに、彼は30分おきくらいにその言葉を繰り返していました。
そう言って日本人をおだて上げていないと、彼は日本では仕事できないからなのだろうと思って、気の毒になりました。
それで、フランスとフランス人についてしか書いていないライターのスティーヴン・クラークは、どういう風に書いているのか気になったのです。
最近のフランス人たちは、昔に比べるとフランスに対する自画自賛の考え方が薄れてきたと感じます。経済は低迷しているし、しばらく優秀な政治家も出てきていないので、このままではフランスは悪くなるばかりだ、と考えるフランスの友人が多くなってきました。
とすると、同じような問題を抱えた日本では、日本礼賛ブームになったのとは逆に、フランスでは外国人に貶されると痛快に感じるようになったのかもしれない。
スティーヴン・クラークが、フランスのことを良く言っているのか、悪く言っているのかを知るには、彼の著書を1冊でも買って読んでみれば良いのですが、イギリス人がフランスのことをどう言っているのかに全く興味がないので、私は読む気にはならない。
それで、インターネットでどう語られているのかを少し見てみました。
◆ フランス語の翻訳版のタイトルが、原作と違いすぎる
スティーヴン・クラークのフランス語版には翻訳者の名前があるので、彼はフランス語では書いていないもよう。翻訳者のアドバイスなのか、彼自身が気をつかっているのか、英語のタイトルとフランス語のタイトルが余りにも違うのが興味深い。
フランス人を怒らせないように気を使っているのではないでしょうか?
| Français, je vous haime | 英語版 Talk to the Snail: Ten Commandments for Understanding the French |
英語のタイトルでは、イギリス人がフランス人をバカにするときの呼び名の「蛙野郎」と出してきているので、フランス人をストレートに貶しているのだろうな、と想像します。
でも、フランス語のタイトルは全く違います。
「フランス人たち」と呼びかけて、そのあとで「私はあなた方を...」と続いています。『Français, je vous haime』をちらりと見たとき、動詞らしき「haimer」は存在しないので、「haïr(憎む)」をもじったのだろうと思って、「あなた方を憎んでいます」なのかと思ってしまいました。
でも、たぶん「aimer(愛する)」の頭に「h」を付けてみたのではないでしょうかね? フランス人はHを発音しないわけですから、耳で聞けば同じになる。だとすると、「あなた方を愛しています」になる。フランス語版の本の紹介でも、イギリス人はフランス人を馬鹿にするけれど、彼らのことを本当に好きなのだ、と書いてありました。
◆ デビュー作のタイトルも...
スティーヴン・クラークが作家としてでデビューしたのは、2005年に自費出版して、イギリスでベストセラーになった下の作品。ノンフィクションかと思ったら、彼がパリにやって来たときの体験をもとにした小説なのだそう。
彼の作品としては唯一、これは日本語訳が出版されていました。3か国語のタイトルを並べてみますが、全く違うのですよね。
日本語版 | 英語版 | 仏語版 |
英語のタイトルをそのまま訳せば、「糞まみれの1年」のような感じでしょう? 日本語の題名は、英語で使っている「MERDE(糞)」を活かして、それがフランスを表すことを出す苦労をしていて、タイトルに「くそったれ」と付けていますね。
糞という単語を使ったのは、パリには犬の糞がたくさんあると作品の中でも書いているそうなので、それから来ているのかもしれない。左足で踏むと縁起が良いなんて言われていたのですけど、最近はパリ市も努力して、犬の糞はかなり見かけなくなりましたけど。
フランス語の題名の方は、糞(メルド)を削除してしまって、イギリス国歌の「God Save the Queen」 をもじって『God save la France』にしている。でも、犬が道路を歩いて、イギリス国旗を付けた運動靴がそれを踏みつけようとしている絵に糞のイメージは残したようです。
読んだフランス人のコメントを読むと、面白いことが書いてあると思ったのに、ちっとも笑わせられなかった、などというのもありました。フランスを痛快に貶して笑わせる、という域にまでは達していないのではないかと感じました。イギリスとフランスのユーモアには、かなり開きがあるのですよね。
『くそったれ、美しきパリの12か月』を読んだ日本人には、ますますフランスが好きになったと書いている人もいたので、貶してばかりいるというわけでもないのでしょう。
誰も聞いていないのに「日本は素晴らしいです!」と繰り返していたイギリス人を見たときにも違和感を感じましたが、スティーヴン・クラークも、正面切ってモノを言わないのがイギリス人なのかな?
前回の記事で、フランス人はイギリス人のことを偽善家だと感じるというのを書きましたけれど、そういう違和感が両国にあるのかもしれない。
『A Year in the Merde』というタイトルだった本を『God save la France』にしてしまったのなんかは、私でも鳥肌がたつけれど...。
それにしても、どうしてこんなに英語と仏語で意味が違う題名を付け、しかも表紙に使う絵も変えているのだろう?
フランスのアマゾンサイトに入っているコメントを見たら、英語版を読んだ人が、こちらも読んでみようと思って注文したら、フランス語への翻訳版だったと初めて分かり、「詐欺だ!」と怒っている人がいました。本屋で立ち読みしなかったら、そうなる可能性はありますね。
◆ 似たような題の本があった...
『A Year in the Merde』というタイトル。どこかで聞いたことがあると思ったら、同じくフランスに住んだイギリス人のピーター・メイル(Peter Mayle 1939~2018年)のベストセラー『南仏プロヴァンスの12か月』でした。このベストセラーの原題は『A Year in Provence 』だったのです。
「プロヴァンス」を「糞(メルド)」というフランス語に置き換えただけではないですか?
ピーター・メイルが著書の題名に「Provence」を何度も使っていたのと同じに、スティーヴン・クラークは「Merde」をトレードマークにしたのかな?...
A Year in Provence |
この『南仏プロヴァンスの12か月』を、ずっとピーター・メイルはフランス語版を出すのを拒否していたけれど、余りにも有名になったので、ついにフランス語版を出版する許可を出しました。そうしたら、それを読んだご近所の人たちから総スカンをくって、彼は引っ越したと聞きました。
彼は文章を書く才能が優れていますが、私が読んだ時は、かなりでっち上げのお話しが入っているだろうと感じたので、そういう結末はありうるだろうと思いました。
日本でもかなり有名だったあのベストセラーが出たのは、もう30年近くも前でしたか。
ピーター・メイルは、今年の1月に亡くなっていたのを知りました。
Comme le temps passe...
続き:
★ どんなものを食べているか言ってみたまえ
シリーズ記事: 嫌いな国の人を何に喩えるか
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ブログ内リンク:
★ ちょっと怖いな... 最近の日本礼賛ブーム 2015/03/01
★ フランスでは「13日の金曜日」はラッキーな日 2007/04/13 Merdeについて
★ 海の向こうにある国に憧れるものなのか? 2006/10/12
★ 目次: 文学者・哲学者、映画・ドキュメンタリー
外部リンク:
☆ Wikipedia: メルド (フランス語)
☆ イギリス人は好きだなぁ 『くそったれ、美しきパリの12か月』
☆ 【shithole】「肥溜め(こえだめ)・便所」トランプ大統領人種差別発言de英会話・スラング・略語の意味や使い方
☆ Pourquoi êtes-vous tant à désirer quitter la France ?
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その8
James Gillray, The Plumb-pudding in danger - or - State Epicures taking un Petit Souper (1805)
”the great Globe itself and all which it inherit", is too small to satisfy such insatiable appetites.
Le plum-pudding en danger ou Les Etats épicuriens prenant un petit Souper
"Le monde entier lui-même et tout ce qu'il recèle" n'est pas assez grand pour rassasier de tels appétits.
⇒ 拡大画像は、こちら
イギリスの風刺画家ジェイムズ・ギルレイ(James Gillray 1756~1815年)が、「プラム・プディングの危機」と題して1805年に発表したたカリカチュアです。
左には、イギリス陸軍の赤い制服を着ているウィリアム・ピット首相 (小ピット)。その向かい側に座っているのは、皇帝になったばかりのナポレオンで、彼がつくった大陸軍の青い制服を着ています。
副題にはフランス語を使って「簡単な夕食」とあるけれど、彼らは大きなプラム・プディングを分け合おうとしています。
英仏の勢力圏争いを、美食を探求をする政治家二人として描かれています。
プディングは、実は地球儀。拡大してみると、地名まで読めます。ナポレオンがフォークを突き刺しているのは、ドイツのあたりでハノーファー(イギリスが統治していたハノーヴァー朝の拠点)。ピットは大西洋を付いているので西インド諸島を狙っている?
ナポレオンが奪おうとしている大陸は、ピットが取ろうとしている海よりずっと小さいよ、というわけなのかもしれません。
ピットの方は気取ったイギリス人紳士という感じなのに対して、ナポレオンの方は欲にかられた小僧という感じ。ピットは、食事用のカービングナイフとフォーク(3つ歯)を使っています。対するナポレオンは、サーベルと、突っつくためのフォーク(2つ歯)に見えます。
主にカービングフォークと一緒にローストビーフなどの肉の塊を切り分けるのに使われるナイフ。
ギルレイは、フランスを貶そうというわけで描いたわけでもなさそう。この風刺画の題名の下には、シェークスピアの言葉を引用しながら(『テンペスト』に出てくる?)、こんな食欲旺盛な人たちを満腹させるには地球は小さすぎる、と書かれていますので。
プディングには、湯気がたっています。
この風刺画が描かれるほんの少し前、戦争状態にあったイギリスとフランスは1802年にアミアンの和約を締結しました。でも、翌年には両国の関係は再び悪化。ナポレオンも皇帝に就任。
そして、ナポレオン戦争(1803~1815年)の時代に入ります。
この風刺画が発表されたのは、1805年2月26日。この年の10月には、トラファルガーの海戦にイギリスは勝利して、ナポレオン1世の英本土上陸の野望を粉砕しました。12月には、フランスはアウステルリッツの戦いで、陸軍ではイギリスには負けないことを示しています。でも、10年後にはナポレオンの完敗。
イギリスとフランスの仲が悪かったのは、ナポレオン時代だけではありません。両国が敵対関係であることを止めたのは、19世紀初頭になってからでした。
◆ イギリスとフランスの敵対関係には、千年近い歴史がある
歴史に疎いので、フランスとイギリスの間にあった主な戦争を書きだしてみました。
| フランスの勝利 | イギリスの勝利 |
| 1066年: ノルマン・コンクエスト ノルマンディー公のイングランド征服 15世紀まで、イギリスの宮廷では仏語が使われた 1337~1453年: 百年戦争 イギリス国王がフランス王位の継承権を主張したことに始める、イギリス王家とフランスの王家の戦い。イギリスはフランスに領土を広げたが、ジャンヌ・ダルクに鼓舞されたフランス軍が反撃に転じ、カレーを残してフランス国内のイギリス王領は消滅した。 1775~83年: アメリカ独立戦争 1805年: アウステルリッツの戦い (ナポレオン戦争 1803~1815年) 1806年: ナポレオン1世(在位: 1804年~15年)による大陸封鎖 ⇒ 失敗 | 1415年: アジャンクールの戦い(百年戦争) 1689~1815年: イギリス・フランス植民地戦争 (第2次英仏百年戦争) 1756~63年: 七年戦争 ⇒ パリ条約(1763年) 1805年: トラファルガーの海戦 (ナポレオン戦争 1803~1815年) 1815年: ワーテルローの戦い(ナポレオン戦争) ナポレオン1世が率いるフランス軍の敗北 ⇒ ナポレオンはセントヘレナ島(イギリス領)に幽閉される |
フランス側の情報ですが、イギリス人を嫌うフランス人の割合より、フランス人を嫌うイギリス人の割合の方が多いのだそうです。イギリス人がフランスに対する反感を持つ底には、ノルマンディー公のイングランド征服(11世紀)が根強いのだろうと思います。
これによって、フランス王家とイギリス王家の間に婚姻関係もできたので複雑になります。
14世紀になり、フランスでは、シャルル4世(カペー家)が跡継ぎがないまま世を去ったので、従弟のフィリップ6世(ヴァロア家)が王位を継ぎました。そこで、シャルル4世の甥にあたるイギリス国王のエドワード3世は、王位継承権は自分にあると主張して宣戦布告しました。この百年戦争を始めは有利に展開したイギリスでしたが、結局フランスを領土にすることはできませんでした。
フランスの政治家クレマンソー(Georges Clemenceau 1841~1929年)は、「イギリスは、悪い方向に向かった旧フランス植民地だ」という憎らしい言葉を残しています。- L'Angleterre est une ancienne colonie française qui a mal tourné.
痛快な格言をたくさん残しているクレマンソーですが、これはいつ言ったのでしょうね。
第一次世界大戦が終わって開かれたパリ講和会議(1919年)は、米英仏3国によって主導され、クレマンソーはフランス代表として参加していたので、イギリス人の気持ちを逆なでするようなことを言う立場にはなかったと思うのですけれど...。
◆ 英仏海峡
ヨーロッパ大陸の地図をあらめて眺めてみました。イギリス人が一番行きやすい大陸の部分はフランスですね。英仏海峡は日本海のように波が荒くないので、泳いで渡ってしまった人もいたくらいです。
イギリスがヨーロッパ大陸に上陸したいとき、フランスのカレーは最も上陸しやすい町のようです。1994年に開通した英仏海峡トンネル(ユーロトンネル)も、カレーとイギリスのフォークストンを結んでいます。
英仏海峡トンネルの経路図
このトンネルを通る鉄道を延長せて、イギリスとヨーロッパ大陸を結ぶ電車「ユーロスター(Eurostar)」ができたのですが、少し驚くことがあります。
ロンドンのターミナル駅の名前は、2007年までウォータールー国際駅だったのでした。「ウォータールー」と聞いても何も思い浮かびませんが、英語でWaterloo。ナポレオンを失脚させたワーテルローの戦い(1815年)の「ワーテルロー」なのです。
フランス人を逆なでしたくて、イギリスとフランスを結ぶ電車の発着駅をワーテルローにした訳ではないでしょうが、イギリス側は強気だな、と笑ってしまいます。
Waterloo(ワーテルロー)はベルギーにある地域で、ロンドンとは無関係のはず。ウォータールー国際駅の前身のロンドン・ウォータールー駅ができたのは1848年。30年ほど前にあったイギリス側に勝利をもたらしたワーテルローにちなんで命名したのでしょうね。
ユーロスターのロンドンのターミナル駅は別の駅になりましたが、フランスに対する配慮でワーテルロー駅は止めたというのではありませんでした。
◆ カレーの恨みもあった?
カレーと言っても、ライスカレーではなくて、北フランスの町、カレー(Calais)のことです。
「ローストビーフはイングランド料理で、スコットランドはボイコット? 」に書いた、イギリス人の画家ウィリアム・ホガースの絵画「古きイギリスのローストビーフ(1748年)」に描かれていたのは、英仏海峡に面したカレーの町の入口にあるゲートでした。
William Hogarth, The Gate of Calais (O, the Roast Beef of Old England), 1748
カレーは、2つの世界大戦でも戦場となって破壊されました。観光しに行きたくなるような町ではないので、2回くらいしか行ったことがありません。でも、歴史的にはとても重要な町だったのですね。
カレーの町は、古くからブリテン島を結ぶ中継地として栄えてきました。それだけに、イギリスとフランスの間で奪い合いの戦争も頻繁に起こっていたのでした。
英仏が百年戦争をしていた時代、カレーは、長期間に渡って行われたイギリス軍の包囲に破れ、1347年から翌年まで占領されました。このカレー包囲戦における降参の逸話は、ロダンの有名な彫刻『カレーの市民』の題材となっています。
Auguste Rodin, Les Bourgeois de Calais, 1895
イギリス軍に包囲されて飢餓状態になっていたカレー市。6人の人質を差し出せば市民は助ける、とイギリス王から言われ、名乗り出た勇敢な6人のカレー市民を描いています。市の門をあける鍵を手に、首に縄を巻き、裸足で市を出て行く6人の群像。
※ 「市民」と訳された「Bourgeois(ブルジョワ)」は、市民権を持つ、つまり裕福な者という、当時の都市住民の階級を表しています。
カレ-は、1453年から再びイギリスの手に渡ります。ヨーロッパ大陸に残る唯一のイギリス領となったカレーが、ようやくフランスに戻ったのは1558年。ヴェルサイユ宮殿にある「戦闘の回廊」には、その勝利の絵が掲げられています。

François-Edouard Picot, La Prise de Calais,1558
◆ 違和感を持つ外国人のメンタリティー
日本では「欧米」という範疇で捉えますが、フランスで色々な国の人たちに接すると、それぞれの国民性はかなり違うと感じます。服装やしぐさを見ただけでも、その人の国が判定できることが多いのです。
フランスにいる外国人らしき人たちを見るとき、「あれはイギリス人だ」というのは一目で見分けられると思っています。服装とか物腰が違う。さらに、話してみると、フランス人とはかなり異なったメンタリティーを持っている人たちだと感じます。
やたらに偉そうにしているイギリス人が多い。むかしフランス人たちからイギリス人は好きではないというのを聞いていたとき、私は偏見を全く持っていないと思っていました。ところが、在日フランス系企業で働くようになったら、フランス人たちが言っていることは正しいかな、と思うようになりました。
私の会社では第一言語が英語だったので、有名大学を出たイギリス人スタッフが何人かいたのですが、日本人スタッフに対する態度が半端ではないのでした。こちらを植民地の人間として扱っているのではないか、と感じました。フランス人でも大柄な人たちはいますが、あんな風にこちらの人間性を否定するような態度をされたことは一度もありませんでした。
その頃、兄がロンドンに転勤になり、一家はイギリスに移り住みました。ある時、幼い子どもたちが夏には学校で辛い思いをするのだ、と兄嫁が私に話しました。終戦記念日になると、戦時中に日本軍が酷いことをした、と毎年しつこいくらいに授業でやるのだそうです。「それなら、アヘン戦争についても詳しく学びたいです、と先生に言わせれば良いじゃない?」と、私。姉は何も言わなかっただろうとは思います。
イギリスとフランスは植民地争いをしましたが、植民地支配のやり方でフランスは劣っていたと言われます。フランスは、アレキサンダー大王のやり方を伝承しているのか、現地に溶け込もうとしました。イギリスの方は、徹底的に高圧的にやるので支配できる。植民地を持っていたら問題だと判断したら、イギリスはさっさと手を引くのに、フランスは踏ん切りがつかなくてダラダラやった。
フランスの植民地支配の歴史で、最大の汚点を残したのはアルジェリア(1962年独立)でしょうね。イギリスに強い敵対心を残した旧植民地はあるのでしょうか? 日本人よりは上手くやったのだろうという気がするのですが...。
◆ 一般の人たちの、対フランス、対イギリス感情は?
互いにどんな悪口を言っているのか、典型的なのはこんなのだ、とフランスの雑誌に書いてありました。
イギリス人は... (こういう時はローストビーフと呼ぶ)
偽善家で、みっともない服装をしていて、ビールを飲み過ぎで、どんな料理にもミントソースで味付けをする。
フランス人は...(蛙と呼ぶ)
横柄で、薄汚く、不誠実で、無作法で、四六時中ストをしている。
フランス人が、どういう理由でイギリス人を偽善家だと感じるかという例に、お育ちの良いイギリス人は絶対にNOとは言わない、というのがありました。これは日本人の方がもっと上を行っていますね。日本に少し滞在したフランス人が、基本的な言葉として「はい」と「いいえ」を覚えたのだけれど、滞在した1カ月半の間に「いいえ」というのは一度も耳にしなかった、と言っていました。
思っていること、欲していることをはっきり言わないのは日本人の美徳だ、とフランスの友達に話したとき、そういうのは偽善的な行為だ、と言い切られて、腹がたったことがありました。イギリス人にも、同じように不快感を持ちますか...。日本では、イギリス人は礼儀正しいと思っていますが、フランスでは、彼らには遠慮がないと言われることが多いように感じます。
日本人は、同じ島国の国イギリス人に似ているのかもしれない。「どんな料理も醤油ソースで味付けをする」と言えるでしょうから!
政治的なことに関しては、フランス人たちのイギリス批判はもっと厳しいはずです。
イギリスがEUからの脱退を決定したときに行ったアンケート調査では、Brexitを好ましいことだと答えたフランス人は41%もいたそうです。ドイツ人は13%、スペイン人とポーランド人は7%しかいなかったそうです。
フランスのサイトに見られる人種偏見を分析した調査(OECD 2004年)では、反イギリス感情は第4位にランクされていました。フランス人の15%がイギリス人に警戒心を持っている、と分析した学者もいました。
長い憎しみ合いの歴史があるイギリスとフランス。言葉の上でも喧嘩しているように見えるものがあるので面白いです。
英仏海峡は、イギリスではEnglish Channelと呼んで、イギリスのものだと見せていますが、フランス語では la Mancheと呼ぶだけ。でも、日本も勝手に「日本海」と呼んでいるので、イギリスの呼び名が不自然だは思いません。
さすがに、英仏海峡トンネルの呼び方は、イギリス側はChannel Tunnelとしていました。フランスではTunnel sous la Manche。
面白いのは、パーティーなどで、ご挨拶もせずにいつの間にか帰ってしまうことを何と言うかです。イギリスが先にtake French leaveと呼んだようですが、これはフランスも負けずにfiler à l’anglaise(イギリス式に立ち去る)と言います。
◆ 一概には言えないと思う...
割合からすると、イギリスは嫌いだと思うフランス人より、フランスは嫌いだと思うイギリス人の方が多いのだそうです。
私の個人的な経験からすると、そうかな?... と疑問符を付けます。フランスでは「イギリス人は好きではない」と言うのよく聞くのに、私はフランス人に反感を持っている発言をするイギリス人に出会ったことがないからです。本音を言うほど親しいイギリス人がいないからだろうとも思いますけれど。
イギリスに語学留学したとき、私は言葉が楽に通じるフランス人のクラスメートと一緒に、学校の近くにあるレストランで食事していたのですが(田舎だったせいか、料理が不味いとは全く感じなかった)、私もフランス人だと思っていたレストランのマダムは、「フランス語を学んだことがある」と嬉しそうな顔で私に言ったのです。
その話しをフランスの友人にしたら、イギリスではフランス語を話せることはステータスだからだ、と言われました。11世紀のノルマン・コンクエストの後、イギリスの宮廷では15世紀までフランス語が使われたし、今でもイギリス皇室の方々は流暢にフランス語をお話しになるそうです。それで、フランス語を話すのは上流階級だというという意識がイギリスにはあるようです。
イギリス人がフランス人を好かないとしても、フランス人に親近感を持っているイギリス人は9%いる、という数値もありました。フランスに住んでいるイギリス人が多いので、そのくらいはいるだろうな、と思います。
2004年の情報ですが、60万人のイギリス人がフランスに別荘を持っていて、13.5万人が永住するつもりで住んでいるとありました。
この統計は、フランスに家を買うイギリス人が急増しているので、不動産価格を釣り上げてしまうためにフランス人が困っていると問題にされた始めた時期だったと思います。
辺鄙な田舎でもイギリス人が異常に多くなった、と私も感じ始めていました。2008年に書いた私のブログでは、ここ10年足らずの間に、フランスに住みついたイギリス人の数は7倍になり、今ではフランス在住のイギリス人は50万人いる、とメモしていました。
Au secours, les Anglais nous envahissent ! (2006年)
この後、イギリス・ポンドのユーロ換算率が下がったので、フランスに大挙してやって来るイギリス人の波は下火になった感じがしています。
以前からイギリス人が多く住んでいる地域はありました。例えば、昔にはイギリス領だったアキテーヌ地方(中心部は、ワインで名高いボルドー)。旅行していたら、当然のことのように英語で交通標識が出ているので驚きました。
それから、スキー場があることで有名なシャモニーの町。そこに住んでいる友人が、フランス人お断りのような態度をする飲食店があるのだと話していたのですが、この町もイギリス人に気に入られているようです。この町に年間を通して住んでいる住民は1万人強なのですが、そのうち千人はイギリス人なのだそう。
フランス人の方でも、イギリス(特にロンドン)に住んでいる人はたくさんいます(2004年で25万人)。若者が英語を学ぶためにイギリスに行くのは普通になっています。
私の知人の中にも、イギリスに住んでいる家族がいる人が何人もいます。食べ物が美味しくないという不満を除けば、イギリスをしっている人がこの国を悪くいう話しは聞いたことがありません。ビジネスなどは、フランスよりやりやすいなど、褒める話しもよく聞きます。
実際に付き合ってみれば、偏見は消えるのでしょうね。イギリス人は大嫌いという私の友達も、近くに引っ越してきたイギリス人は、初対面のときから良い人だと好感を持ってしまっていました。
ところで、イギリスとフランスが仲が悪いと言っても、妙にフランスがイギリスを頼りにした歴史もあります。
フランス革命が勃発したとき、断頭台の露にならないために、イギリスに亡命した貴族たちがいました。
彼は「自由フランス」をロンドンに結成し、イギリスの公共放送BBCを通じて、国内外のフランス人に、対独抗戦の継続と、ドイツの傀儡となったフランスのヴィシー政権への抵抗を呼びかけました。
フランス国内の政権にイギリスが反感を持つから、協力してもらえるのかもしれない。でも、例えば、日本の安倍政権に反対する人たちが、海を挟んでお隣りの韓国と協力して、現政権を倒す運動を起こすことは考えつきもしないですよね?
続き:
★ イギリス人がフランスについて書くと...
シリーズ記事: 嫌いな国の人を何に喩えるか
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ブログ内リンク:
★ やっと見ることができた「バイユーのタペストリー」 2009/11/06 (ノルマン・コンクエスト)
★ 海辺のレストランで食事 2012/06/03 (イギリスとの歴史的関係があった町)
★ 海の向こうにある国に憧れるものなのか? 2006/10/12
★ 助けて、イギリス人たちに侵略される! 2008/03/20
★ フランスへの民族大移動が始まったのか? 2006/10/12
★ フランスの歴代大統領の身長 2017/06/26 (ナポレオンの身長は1.68 m)
★ フォークを使って食べることが定着するには、百年以上もかかった 2017/04/07
★ 目次: 戦争、革命、テロ、デモ
外部リンク:
☆ L'Express: Nos meilleurs ennemis 2004
☆ Ça m'intéresse: Les Anglais détestent-ils les Français
☆ Angleterre: du rosbif en tranche
☆ Les rosbifs, nos amis britanniques !
☆ Libération: Chamonix vend (très cher) son âme aux Anglais 2004
☆ Le Parisien: Brexit les Anglais, nos meilleurs ennemis 2016
☆ イギリス文化論 - 英国大衆文化から見るフランスへのまなざし
☆ イギリス人はフランス人をどう思っているのか?15項目でわかったこと
☆ 仲の悪い隣国・イギリスとフランスは、これぐらい悪い。
☆ 趣味の歴史: 百年戦争
☆ 英仏植民地戦争/第2次百年戦争☆ Wikipedia: James Gillray
☆ ジェイムズ・ギルレイのナポレオン
☆ Syphilis, Christophe Colomb n'y est pour rien
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シリーズ記事 【嫌いな国の人を何に喩えるか】
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その5
◆ イギリスは、豊かな食文化ができても不思議はない国だった?
イギリスの料理が不味いのは、北の方に位置していて、農業に適さない国土なので、美味しい食材がないからなのだろうと思っていました。
でも、そう農業に悪条件がある国ではないようなのです。
イギリスの土壌は耕作地に適しているのだそうです。
雨がよく降る国ですが、「恵みの雨」とも言われるくらいですから雨量が少ないよりは良いでしょうね。
それに、海に囲まれている国なので、海産物が豊富。イギリス国内には、海から120キロ以上離れている地点はないのだそうです。とすれば、何処に住んでいても海の幸が味わえる好条件があるわけですね。
しかも、古代から外国文化が入っているので、食品加工や料理の技術も発展していたのだそうです。
| 【外国から食文化が入ったイギリスの歴史】 | |
| ● | 紀元前55年: ユリウス・カエサルがグレートブリテン島に侵入。 古代ローマ人は、色々な家畜(ガチョウ、キジ、ウサギなど)や植物(サクランボ、アーモンド、コリアンダー、ブドウなど)をもたらしたし、チーズ製造などの技術なども伝えた。 |
| ● | 5世紀: アングロ・サクソン諸部族がブリタニアに侵入し、養蜂、開放耕地、三圃式輪作などをもたらした。 |
| ● | ヴァイキングの時代(9~12世紀): スカンジナビアにあった魚の乾燥、塩漬け、燻製の技術が伝わった。 |
| ● | 1066年: フランス王の封建臣下であるノルマンディー公がギヨーム2世によって、イングランドは征服され(ノルマン・コンクエスト)、フランス文化が入ってくる。ノルマン朝は1154年まで続く。 ブログにも書いたバイユーのタペストリーは、この戦いを描いているのですが、戦いを前にしたノルマンディー公が豪華な宴会を開いているシーンがあります。 |
| ● | 十字軍の遠征(1196~1270念)により、イスラム諸国の食文化として、スパイス、生姜、アーモンドミルク、砂糖などが入った。 |
| ● | 12世紀: イングランド国王ヘンリー2世はアリエノール・ダキテーヌと結婚する。ボルドーワイン市場が開かれるようになる。 この結婚によって、英仏海峡にまたがる広大な領地のアンジュー帝国が成立する。 1172年頃のアンジュー帝国 |
イギリス王とフランス王の間では、王位継承や領有権での対立が原因だった百年戦争(1339~1453年)もありましたから、イギリスとフランスに区別できない領土になっていた時代はずい分長く続いたのですね...。
近世以降のイギリスは広大な植民地を獲得します。日本が明治維新だった時期には、イギリスは世界の4分の1を領土にしていたのだそう。当然ながら世界各地の食文化がイギリスに入ってきますね。インド発祥のカレーなどは、イギリスが世界に広めたと言われます。
こうして書きだしてみると、イギリスの料理が世界で一番不味いとさえ言われてしまう環境ではなかったように見えます。
もう1つ、イギリス料理は、ピューリタンの影響で食の楽しみが罪悪視されたから美食文化が発展しなかったというのも考えられます。
イギリス人から、食べ物にうつつを抜かすのは罪悪だという文化がある国なので、イギリス料理が不味いと言われても気にならない、と言われたことがあります。なるほどと思ったのですが、よく考えてみると、それは彼らの言い訳ではないかという気もしてきました。
イギリスで宗教改革が起こったのは1534年。それなら、その時期にイギリス料理の発展はストップしたはずなのに、そうでもなかったのです。
ルネサンス期までのヨーロッパでは、どの国も似たり寄ったりの料理を作っていました。17世紀になってから、それぞれの国が独自の料理を模索し始めます。フランスの貴族たちが美食の追及をしたほどではないにしても、イギリスもイギリス料理と呼べるものができてきました。特に、ローストビーフとステーキ。
もしも、ピューリタンの教えに従ったから料理が不味くなったのだと言うなら、そこでイギリスの食文化はストップしていても良かったではないですか?
◆ イギリスには、世界に誇れる料理があった
日本語だと、フランスのものでも英語で呼んだりするし、日本のものなのに外国語風の名前を付けていたりするので、片仮名を見ただけでは、それがどの国から入ったのかを判別するのが難しいです。
その点、フランス語は便利。ローストビーフ(英語でroast beef)はrosbif。フランス語ではスケーキ(英語でsteak)はsteakで、ビフテキ(英語でbeefsteak)はbifteckです。英語から来たのだろうな、と想像がつきます。ということは、この2つの料理はイギリスから入ったのだろうと想像できるわけです。
フランスの文献に「ローストビーフ」という単語が初めて現れたのは17世紀だったそうなので、その頃には既にローストビーフが存在していたということですね。始めは「ros de bif」だったけれど、すぐに「rosbif」になったとのこと。
イギリスでの伝統的なローストビーフの食べ方は、ヨークシャー・プディングを添えて、肉にはグレイビーソースをかけるというもののようです。
イギリスでは、日曜日に食べるご馳走として「サンデーロースト(Sunday Roast)」と呼ばれる料理を食べる習慣があり、ローストするのは牛肉が多く、それがローストビーフということなのだそうです。
日本のサイトでは、イギリス貴族は牛一頭を殺して日曜日にローストビーフにして、次の日曜日までその残りを食べていたから、イギリス料理では残り物料理の域を脱しなかったと書いている人がいましたが、これは私には信じられません。
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大きな牛を丸ごとローストビーフにするはずはないと思うのです。大勢が集まるフランスのパーティーでは、バーベキューで動物の丸焼きにすることがよくあるのですが、丸焼きにできるのは子羊、子豚、イノシシなどです。それでも火の通りが悪いので、長時間焼かなければなりません。
たとえイギリスで日曜日のご馳走としてローストビーフを作ったとしても、牛の一部を使うだけで、残りはステーキにするとか何とか、別の料理にしていたはずだと思うのですけれど...。
イギリスで生まれたローストビーフに、当時のイギリス人たちは非常に誇りにしていたようで、それの証拠が面白かったのですが、それをここで書くと長くなるし、本題から外れてしまうので、別の記事にします。
◆ イギリス料理を不味くしたのはヴィクトリア女王
イギリスでは、1760年代に産業革命が起こり、急速に発展します。16世紀に進行し、19世紀始めに絶頂期を迎えたエンクロージャー(囲い込み)によって、働き場を失った農民が都会に出て賃金労働者となり、労働力を提供したことも発展の大きな要因だったでしょう。
農村から都会に出てきた労働者階級の人々は子どもの時から働き、料理を覚えたりすることもできない。働いていれば料理をしている暇はないし、燃料費を使うような調理をすることもできない。
中流階級は、そうした人々を使用人として雇うので、ろくな料理を作ってもらえない。かくして、それまであったイギリスの食文化は崩れた。
しかし、19世紀始めには、まだイギリスの食文化は破壊されていなかったようです。これについても長くなるので、別に書きたいと思います。
イギリス料理が不味くなったのは、ヴィクトリア女王(在位 1837~1901年)の時代だと言われます。
ヴィクトリア女王(1859年)

ヴィクトリア朝は、世界各地を植民地化して繁栄を極めた大英帝国を象徴する時代でした。しかし、庶民生活は過酷な状況におかれていたようです。
ところが、住民が食べるものがないというのに、アイルランドからイングランドへの食糧輸出は続けられました。
アイルランドでは100万人以上の餓死を出し、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどへの国外脱出者がでて、深刻な人口危機に陥ったそうです。
その60年ほど前におこった飢饉では、当時の政府は港を閉鎖してアイルランド人の食糧を確保していたのに、植民地になったアイルランドにイギリス政府は輸出禁止令を出しませんでした。
ヴィクトリア朝の政治では弱者に救いの手を差し伸べないで、ひたすら大英帝国の拡大ばかりに努めていたらしい。イギリスの食文化などが無くなっても気にしなかったのだろう、という気がしてきます。
ギュスターヴ・ドレ「ロンドンの貧民街(1872年)」

イギリス料理は不味いという印象を与えるイギリスの食べ物は、この時代に考案されていたのでした。
まず、フィッシュ・アンド・チップス。言ってみればファストフードの走りですよね。
それから、ウスターソース(英語 Worcestershire sauce、仏語 Sauce Worcestershire)。インドのレシピですが、それが1835年にイギリスにもたらされて改良されたソースなのだそうです。
これは手抜き料理には非常に便利なソース! 日本の家庭で、これがチューブ入りのマヨネーズと共によく使われているのを見ると、日本の食文化は衰えてきていると思ってしまう...。
フランス人はウスターソースを見ると顔をしかめますが、なぜかタルタルステーキをレストランで出されたときには、肉に混ぜ込むに欠かせない玉ネギのみじん切りやケッパーなどの他に、ウスターソースが出てきます。
このタルタル人のステーキという料理を初めてヨーロッパに伝えたのは、イギリスだったかと思って調べたのですが、17世紀のフランス人だったそうです。この料理になぜウスターソースが必要なのか気になりましたが、そこまで調べているときりがないので止めます。
◆ 現代生活で食事の質が下がったのは、フランスでも同じ?
19世紀後半から、イギリス料理は不味くなった。その原因が産業革命にあったとすると、フランスの産業革命は、幸いなことにイギリスより約百年も遅れていたのですよね。私の独断で「幸いなことに」と書きましたが、フランスが出遅れたことを歴史家はネガティブに捉えるようです。
フランスの産業革命は、1830年代の七月王政の時期に始まり、1860年代のナポレオン3世の第二帝政の時期に完成したと言われます。とはいえ、フランスの農民は都会に働きに行きたがらなかったこともあって、工業化の速度は緩やかでした。産業革命がフランスで本格的になったのは1905年からとみられます。
イギリスの都市人口は、産業革命の時期に50%になり、19世紀半ばには75%にまで増加していました。フランスの農民はなかなか都市に働きに出たがらなかったので、都市人口が農村人口を上回ったのは1931年です。フランスでは古き伝統が破壊されたのは遅かったということになります。
むかしフランスに留学したとき、親しくなったフランス人の家庭によく招待されました。どの家に行っても、何でもない家庭料理が素晴らしく美味しい。フランス料理が優れているのは、底辺が支えるのだ! と私は結論したのでした。
その後には、フランスの農家では手間暇かけて料理していて、都会では食べられない風味豊かな料理を作っているのを知りました。統計を見ると、サラリーマン家庭よりは農家の方が毎日の料理に時間をかけているので、私の感想は裏付けされたと思いました。
でも、家庭料理の質が高いとか、農家の日常的な料理は美味しいというのは、今では70歳を過ぎる人たちが料理を作っていた時代の話しだと思うようになりました。今の私は、フランス人が作る料理は素晴らしく美味しいなどと一般化しては言えません。料理がとても上手な人たちはたくさんいるけれど、本当に(!)下手な料理を出すフランス人たちも多くなったのです。
冷凍食品やレトルト食品を使った手抜き料理も多くなったし...。日本では『フランス人はお菓子づくりを失敗しない。』という本が出版されていましたが、失敗しないのは、今では自分でケーキを焼いて出す人は非常に少ないからだと思ってしまいます!
夫婦共働きになったら、家庭料理が簡略化される道を歩んで当然でしょうね。
フランスの場合、1970年代に女性解放運動がおこり、今では妻も職業を持つのが普通になっています。
戦後の貧しい時代に子ども時代を過ごした60歳くらいの友人たちは、母親は食費を節約しながらも美味しい料理を食べさせてくれた、と思い出話しをします。毎日、潔癖症と言えるくらいに掃除をしまくっていたけれど、母親は長い時間をかけて料理して美味しいものを食べさせてくれていたのだそう。
良き伝統は失われる運命にある...。
フランス人の料理時間について、20年前くらいに見た推移の時間、つまり調理時間が劇的に短くなっているのを見て驚いたことがありました。最近は低下した状態のままだろうと思ったのですが、それでも少しは減少していますね。
食生活に関する1986年と2010年の比較の統計がありました。国勢調査もしている組織のデータです。
この間に家庭で料理をする時間は18分減少していました(2010年には1日に平均53分)。それでも、食事にかける平均時間は逆に13分増加しているそうなので(2010年には1日に2時間22分)、それほどフランス人の食生活は乱れてはいないと言えるのかもしれません。
Les Français passent chaque jour 2h22 à manger 12/10/2012
◆ イギリス料理に新しい風が吹いている?
食べるために生きていると言いたくなるようなフランス人たちですが、フランスの食文化は少しずつ乱れていると感じています。
不味い料理だと貶されていた国の方が努力しているかもしれない。
フランスのチーズ生産が大手企業の大量生産で脅かされているのに、かえってアメリカではフランスの伝統的な製法でチーズを作ろうとしている、という話しをブログで書いたことがありました(フランスの伝統的なチーズを守ることを訴えたドキュメンタリー )。
イギリスでも、21世紀に入ってからは、イギリス料理の不評を奪還しようと頑張っているようです。フランスの有名シェフや美食家たちが優れたイギリス料理が出てきたと認めているくらいですので、本当らしい。まだ全体な動きではなく、ロンドンのレストランなどで見られる現象のようですが。
私が面白いと思ったのは、フランスのテレビで見たイギリス人シェフのジェイミー・オリヴァー(Jamie Oliver)。
彼のテレビ番組がフランス語の吹き替えで放映されるのですから、イギリス料理は不味いとステレオタイプの評価があるフランスなのに見ているフランス人もいるということなのでしょう。彼の書籍までフランスで出版されている!
彼のアメリカ的(?)に叩きこむ話し方は鼻につくけれど、簡単に美味しい料理が作れるのだと楽しく見せています。
JamieOliverジェイミーオリヴァー1
少し前まではハンサムな男の子だったジェイミー君なのに、最近は変に太ってきているのが気になっていました。彼について検索してみたら、たくさんレストランを持っていたのだけれど、経営不振で閉店に追い込まれていると報道されていました。大丈夫なのかな?...
知らなかったのですが、彼は日本にはかなり入り込んでいるようでした。本がたくさん出版されているだけではなくて、彼の名前がついた食品まで、ネットショップにはおびただしいほどの数が入っていたので驚きました。
名前がオリヴァ―だからオリーヴを売りたかったのかな。でも、イギリスでオリーブが生産されるはずはないでしょう? フランスで売ったら、買う人はいないと思いますけどね...。
日本人はイギリス料理を貶すと書いてきたのだけれど、そういうことでもなかったのかな?...
続き:
★ ローストビーフはイングランド料理で、スコットランドはボイコット?
シリーズ記事: 嫌いな国の人を何に喩えるか
目次へ
ブログ内リンク:
★ やっと見ることができた「バイユーのタペストリー」 2009/11/06
★ シリーズ記事: フランスの食事の歴史 / 2017年
★ シリーズ記事: フランスの専業主婦の実態 2015年
★ シリーズ記事: フランスの外食事情とホームメイド認証 2015年
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
外部リンク:
☆ Pourquoi la cuisine anglaise a mauvaise réputation ?
☆ La cuisine anglaise a une histoire
☆ 文春オンライン: イギリス料理が「まずい」原因は、産業革命だった!
☆ イギリス料理がまずくなった5つの理由
☆ イギリス料理はなぜ「まずい」のか─産業革命と二度の大戦から
☆ 世界史の窓: 囲い込み/エンクロージャ
☆ 世界史の窓: 産業革命
☆ 犬がローストビーフを作っていたって本当?
☆ Wikipedia: ローストビーフ » Rosbif
☆ Wikipedia: サンデーロースト
☆ Wikipedia: イングランド料理 / English cuisine / Cuisine anglaise
☆ ヴィクトリア朝庶民の暮らし
☆ Wikipedia: ジャガイモ飢饉
☆ やっぱり人災だったアイルランドのジャガイモ飢饉
☆ Royaume-Uni: le fish and chips, star incontestable
☆ ピクシブ百科事典: イギリス料理 (いぎりすりょうり)とは
☆ Les Français font moins la cuisine mais passent plus de temps à manger 12/10/2012
☆ INSEE: Le temps de l’alimentation en France 12/10/2012
☆ もうまずいなんて言わせない!日本国内の絶品イギリス料理店5選
☆ 「イギリス料理はマズい」はもう古い! ;英国に20年住むライターが教える「絶対おいしいイギリス料理」5選
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「いゃ~、酷かった! あんな不味い食事は滅多にない!」なんて言う。奥さんはダイエット中だからと食べなかったので、「あなたは食べなくてラッキーだった」などとまで言ったのですって!
そこまで言ってしまったら、料理をした奥さんが気の毒でしょう?!
でも、招待していた家の夫妻には急用ができたために、料理をする時間がなかったので、近所にあるパン屋さんで買って食事にしたのだそうなのです。
パン屋さんで買ったのは、キッシュと、デザートのケーキ。
それが非常にまずかったとのこと。
それに、奥さんが作ったサラダ、チーズだけの簡単なメニューだったので、全体として不味い食事だという印象ができてしまったようです。
フランス人の食べ物に対する恨みは強い。それほど親しくはない人には遠慮して気を遣います。でも、親しい人を相手にしたら、かなりはっきりと「不味い」と言います。お金を取るレストランだったら、もっとシビアだろうな...。
◆ フランス人は、世界一美味しいのはフランス料理だと思っている?
美味しくないと思われている国の料理を出すレストランを、私はフランスで見かけたことがありません。中華料理店やケバブの店はたくさんありますが、あれは安いことを売り物にしているから客が来るのだろうと思っています。
中華料理は世界に誇れるレベルがあると思う。でも、高級な中華料理屋はフランスにはほぼ存在しないので、フランス人たちは驚くほど美味しい中華料理が存在するとは知らないようです。
そもそも、フランス人たちは自国の料理が世界で最も優れていると思っているので、他国の料理を出す飲食店が発達できないのではないかという気もします。例えば、イタリアはお隣の国で、移民も多いために馴染みもあるので、ピザ屋やイタリアン・レストランはフランスに数多く存在するのですが、イタリアで食べるときのように感激するイタリア料理店は非常に少ないです。
フランス人に、どこの国の料理が美味しいと思うかと聞くより、どこの国の料理は不味いと思うかと聞いた方が、返事は簡単に出てくると思います。食べたこともないくせに、あの国の料理はひどいと思っているのも面白い。
いつだったか、フランス人の友人たちとキャンプしながら移動する旅行をしていたとき、オランダ人が経営しているキャンプ場で泊まることにした時がありました。レストランもあるので好都合。ところが、夕食をとろうとして行ったら、出す料理がないと断られたのでした。
周りはオランダ人ばかりでしたが、みんな食べているのだから、何も出せないはずはない。近くにはレストランがなかったし、疲れていたので、何でも良いから食べさせて欲しいと頼みこみました。
すると、オランダ人のご主人は、「ここの料理は不味いですけれど、それでも良いのですか?」とおっしゃる! 仰天しました。そんなこと、普通は言わないではないですか?!
彼は、フランス人に何度も「不味い」と言われたので、もうフランス人客には食べさせないことにしたのだろうと思いました。
このとき出てきたのは、オランダの旧植民地関係で以前に住んでいたらしいベトナムの料理でした。エキゾチックで珍しい料理だったし、不味くはないので、誰も文句は言いませんでした。
フランス人の皆さん、不味くても黙っていないと、相手が料理しくなくなる、ということも考えないといけないですよ~!
日本人は、料理を出した人には「おいしい」としか言わないように感じています。その場の雰囲気が楽しめたり、作った人に好感を持っていたら、不味いとは感じないのではないかな...。
ところが、なぜか、日本人からも「不味い」という定評を与えられている国があるのですよね。フランス人が書いているブログでも、この国の料理は世界で最も不味いとしている人が多くありました。
シリーズ記事 【嫌いな国の人を何に喩えるか】
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その4
◆ イギリス料理
Wikipediaの「イギリス料理」の記事には、ご丁寧に「「不味い」というイメージ」という項目まで設けられていました。
日本人が口をそろえて「イギリス料理は不味い」と言うのは、なぜなのか気になります。「イギリス料理 まずい」をキーワードにして検索すると、たくさんの記事がヒットします。
不味いのは確かだけれど、なぜ日本人がそんなにイギリス料理だけを取り上げて貶すのかが不思議。オランダ、北欧、ドイツ、ロシアなども料理は美味しくない、と私は感じているのですけど...。
そういえば、日本でイギリス料理のレストランには行ったことがありません。フランスでは見かけたことがないドイツ料理店やロシア料理店は、東京などにはたくさんあるのに。でも、調べてみたら、やはり日本にはイギリス料理店もありますね。
フランスでよく行く町に「ビック・ベン」と名付けたレストランができたとき、一緒にいた友人が「そんな名前をつけたら誰も来ないのに」と言っていました。予測は当たって、その店は1年もたたないうちに店じまいしていました。
何でも「おいしい」と言う日本人なのに、なぜイギリス料理だけ貶すの? 日本で誰か権威のある人が「イギリス料理は不味い」と言ったので、他の人たちが平気で同じことを言うようになったのかな?... イギリス料理が不味いと日本人に思いこませたって、儲かる人はいないでしょうから、何かの策略だったとは思えません。
私がイギリス料理と言って思い浮かべるのは、フィッシュ・アンド・チップス(Fish and chips)でしょうか。

見るからに美味しそうではないので、何度もイギリスに行きましたが、食べたことはなかったかもしれない。
日本では余り言わないかもしれないけれど、ベルギーの代表的な料理はイギリスと少し似ていて、ムール貝とフライドポテトです。日本人の私にはムール貝は珍しいので、こちらは大好き。でも、フランス人に食べたいと言うと、なんとなく軽蔑されているのを感じます。
◆ ロンドンで食べたローストビーフ
むかし、ロンドンに駐在していた兄に初めて会いに行ったとき、有名なレストランに連れていってあげるからと言って、シンプソンズ(Simpson's in the Strand)というレストランに行ってくれました。ローストビーフが有名な店なのだそう。
食べ終わってから、兄はサインを入れたメニューを私のために調達してくれました。日本から来るVIPの接待のために、兄はよくこのレストランを利用していたのだろうと思います。
Simpson's in the Strand
せっかくご馳走してくれたけれど、ほとんど喜びませんでした。フランスでもっと美味しいローストビーフを食べていたし、高級料理という感じはしない盛り付けだったし、なにしろ気取った雰囲気なのが鼻についてしまったし...。
◆ ローストビーフも、ビーフステーキも、イギリス生まれの料理
日本でもローストビーフと英語で言うし、フランスでもroast beefをフランス語風にしたrosbifが料理の名前なので、英語圏の料理だろうとは想像つきます。
でも、ローストビーフはイギリス料理だというのは、ほとんど意識されないのではないでしょうか?
ロンドンにいた兄がレストランに連れていってくれたとき、なぜイギリスでローストビーフ? と私が思ったのを覚えています。
でも、ローストビーフはイギリスで生まれた料理なのでした。この時の兄は、ローストビーフはイギリス発祥の料理で、それを誇りにするから、こういう高級料理店があるのだ、と私に説明しただろうと思います。
でも、その後もずっと、私は意識していませんでした。フランス人がイギリス人のことを「ローストビーフ」と呼ぶのを不思議に思ったほどでしたから。
昔のイギリスでは、日曜日に食べるご馳走として「サンデーロースト(Sunday Roast)」と呼ばれる料理があり、ローストとしては牛肉が多い。それでローストビーフということのようでした。
ビーフステーキも、イギリス発祥の料理なのだそうです。フランス語ではbifteckなので、英語のbeef steakから来たのだろうと想像はできますけれど、これもイギリスから入った料理だとは思ってもいませんでした。
ビーフステーキに関する情報を探しながら分かったのですが、不味いと定評のあるイギリス料理も、昔は優れた料理だったらしいので驚きました。それを次回から書いていきます:
イギリス料理を不味くしたのはヴィクトリア女王だったシリーズ記事: 嫌いな国の人を何に喩えるか
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ブログ内リンク:
★ 日本のテレビ番組で気になっていることに関するアンケートのお願い 2014/01/04
★ イギリス人がフランスで売っていたフライドポテト 2008/07/15
★ ベルギー料理といったら「ムール・フリット」! 2009/05/21
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
外部リンク:
☆ Wikipedia: イングランド料理 / English cuisine / Cuisine anglaise
☆ Pourquoi la cuisine anglaise a-t-elle mauvaise réputation ?
☆ La cuisine britannique est-elle si mauvaise
☆ D'où vient la mauvaise réputation de la cuisine anglaise
☆ Wikipedia: Simpson's-in-the-Strand
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大きなイベントだと、車を利用した店はあります。クレープ屋さんとか、アイスクリーム屋さんとか・・・。
でも、味気ない店構えです。日本のように簡単な屋台はないのは、フランスでは衛生基準がうるさくて不可能なのではないかな?・・・
◆噂に聞いていた屋台があった♪
前回の日記(革命記念日の花火大会)に書いた、小さな村の花火大会の後のことです。
花火大会のあとにパーティ会場に行ってみると、サンドイッチやフライドポテトを売る店がでていました。こんな小さな村のイベントで、そういうのが出るのは珍しいのです。
あれ、あれ・・・。これは噂のイギリス人夫妻の店ではないか?!・・・
ほとんど車が通らないような道のパーキングエリアに小型トラックを止めて、軽食を出しているイギリス人たちがいる、と聞いていたのです。
このフランスの僻地とも言える村に住んでいるイギリス人夫婦らしい。そんなところで店構えしていたって、通りかかる車すら少ないのですから、変だ・・・ と、みんなが思っていました。
地元の人たちの中には、試した人がいたようです。近くにレストランはないので必要に迫られたのか? あるいは興味本位で行ってみたのか?・・・
「恐ろしく、まずい!」と言う人と、「けっこう、おいしい♪」と言う人に分かれていました。どうなのだろう?・・・ と、私は興味を持っていたのでした。
よくできた屋台でした。イギリス製なのかな?・・・
写真をとっておけば良かった・・・。簡単な調理ができるコーナーがあって、カウンターがあって、車の外装は木目に見えるようになっています。なかなか良くできた車でした。
「フライドポテトの小屋」という名前になっていました。
でも、その「フライドポテト」という単語が単数になっている。「フライドポテトは1個しかないのだろうか?」なんてケチを付ける人がいました。英語にだって単数と複数の違いがあるのですから、そういう間違いをしたことを不思議に思ってしまいました・・・。
◆イギリス人がフランスで食べ物屋を経営するのは不可解?
シャンパンを飲みだした私たちは、イギリス人がフランスで軽食の屋台を開くなんて信じられないよな~、なんて話しになりました。
第1に、イギリス人は料理が下手だと思っているので、イギリス人がフランス人に食べ物を作ったって売れるはずがない、という心配。
第2に、フランスに来て家を買うイギリス人はお金持ちのはずなのに、なんで屋台なんかやるんだ? という不思議。
でも、田舎の人たちというのは、ご近所でおこることを一部始終把握しています。屋台のそばにも、彼らの四輪起動車が止まっている。つまり、彼らは屋台なんかやっているけれど、裕福な人たちなのだ、と言う人がありました。
どうだって良いではないですか。イギリス人夫妻は幸せそうに見えました。
◆イギリス人夫妻の屋台
夫婦二人はキビキビと働いていました。このキビキビ感が、とても新鮮です! フランス人は働くのが嫌いなので、つまらない仕事をしていると、ムーっとしているからです。お客商売なのに、無愛想なのが多いのです。
フランスに住んで幸せ♪ という二人の様子が伝わってくるので好感を持ちました。
しかも、男性は、なかなかハンサム! かなりハンサム! しかも笑顔が絶えません!
フランス人の屋台で、こんなに愛想が良いことがあるのかな?・・・ 全く記憶にありません。
「こういう笑顔、いいな~」と言うと、「イギリス人は偽善家なんだ」なんて言う人がいる。フランス人って、イギリス人に反感を持っている人が多いのです。
嫌われるのは、イギリス人は偉ぶっているというのが原因。でも、屋台の彼らは気さくで、感じ良く見ました。フライドポテトでも買ってみたい気になったのですが、子どもたちが行列を作っているので、しばらく待つことにしました。
一緒にシャンパンを飲んでいた一人の女性が、「彼、イギリスの首相、トニー・ブレアに似ているわ」、と言います。
私もそう思ったのですけれど、彼女の連れの男性は、「ラファラン(醜いことで有名だったフランスの首相)よりはブレアに似ているけど・・・」なんて言って、不満げ。
◆イギリス人たちが作るフライドポテト
彼がハンサムだからなのか、イギリス人が何を食べさせるのかに興味があったのか、ブレアに似ていると言った女性は、屋台に目が釘付けの様子になったようです。
こちらがおしゃべりしているのに、「ハハハ」と笑ったり、「フライドポテトの作り方、彼女は知らないわよ」なんて言ったりする!
私は屋台に背を向けていたのですが、振り返って観察してしまいました。
目撃しました。冷凍と思われるポテトが入った袋を揚げるザルに入れたら、ほんの1分か2分で、もう油から引き上げているのでした。
ポテトは白い状態。
フライドポテトの魅力は、黄金色になって、カリカリなことにあると思うのですが、あれだと美味しいはずがない・・・。試しに買ってみるのは止める気になりました。
実は、去年の夏、フランスに住むドイツ人の家でタルトをご馳走になったら、タルトの皮がほとんど白い状態だったので、恐ろしく不味かったという苦い経験があるのです・・・。
待たせてはいけない! という気遣いからだったのではないでしょうか? でも、フランス人に不味いものを食べさせたら、その仕返しが怖いですよ~!・・・
◆なぜ「フランスのフライ」と呼ばれるのか?
特に共通の話題がない人たちとテーブルを囲んでシャンパンを飲んだのですが、イギリス人夫婦のおかげで話題ができてしまいました。
「英語ではfrites(フライドポテト)のことをfrench friesと言うんだって」と言う人がいて、なぜ「フランスのフライ」になるのだろうか?・・・ という疑問が投げかけられました。
その疑問に答えられる人はいませんでした。この日記を書きながら気になったので、Wikipediaで調べてみました。
仏語のページ( Frite): フライドポテトは、ベルギーで生まれたからとするのと、パリで生まれたからとする説があるのだと紹介されていました。フライドポテトが誕生したのは、いずれも18世紀後半となっています。現代的な食べ物だと思っていたのですが、けっこう古いのですね・・・。
日本語のページ(フライドポテト): フランス起源説よりベルギー起源説の方が広く普及している、とあります。
英語のページ( French fries): フライドポテトに関心が深いのか、記述は一番詳しくて、ベルギー、フランス、スペイン説が紹介されています。 フライドポテトは今ではファーストフードの代表メニューになっていますから、フランス人たちもフライドポテトは「自分たちが発明した料理だ!」とは頑張らないのではないでしょうか?・・・
・・・こう書いていたら、フランスのジャガイモの話しを書きたくなりました。けっこう奥が深いのです。それと、私はフランスのジャガイモが大好きなのです♪ そのうち書きます。
最近のフランス、めっきり国際的になりました。都会に移民が多いのは普通だったのですが、田舎でも最近やって来たヨーロッパ諸国の人たちが目立つようになったのです。
★過去の日記: 助けて、イギリス人たちに侵略される! (2008/03/20)
ブログ内リンク:
★ ベルギー料理といったら「ムール・フリット」! 2009/05/21
★ 目次: 商品にフランスのイメージを持たせた命名
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
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Au secours, les Anglais nous envahissent !
ここ10年足らずの間に、フランスに住みついたイギリス人の数は7倍になったそうです。今日のイギリス人フランス在住者は50万人。
イギリス人たちは自分たち流を押し付けてくるので、フランス人が反発するらしい。この本は読んでいませんが、そんな内容のようです。
日本人の場合は、「パリ症候群」などというものになってしまったりして、自分が異国に溶け込めなくてはみ出してしまうのとは対照的!
日本もそうですが、島国に住んでいると海の向こうに住みたくなるものなのでしょうか? イギリス人の2割もが国外に住んでいるのだそうです(2003年)。
フランスには、イギリス人所有の別荘が7万軒くらいあるそうです。彼らは、まず別荘を買って、そのうち定着する、というのが多いのだそうです。
どんなところに住むかというと、圧倒的に田舎。
もともと、フランスに住みつくイギリス人は多かったのです。10年くらい前に、フランス西部のペリゴール地方を旅行したときにはイギリス人の多さに驚きました。
イギリス人しか住んでいない村があると聞いて、へえ、その点ブルゴーニュは侵略されていないな、と思ったのですが、最近は事情が変わってきました。
こんな売家の看板が出ていることがあります。
「A VENDRE」とは「売家」のこと。
宣伝したくもないので、サイトアドレスの部分は緑色で消してしまいました。
だって、ショッキングな不動産屋の名前なのですもの!
「4U」とは「for you」でしょう?
「あなたのためのブルゴーニュ」?!
もともと裕福なイギリス人は、老後にコートダジュールやペリゴール地方で暮らす人が多かったようです。裕福でもないイギリス人たちもフランスに住むようになった、というのが最近の傾向だそう。
ガイドブックも何冊も発行されていて、どうやって福祉国家フランスの制度を享受するかなどまで教えているのだそうです。
イギリス人はフランスに住みつく筆頭の国なのですが、そのほかにも外国人たちが多くなったな、と感じます。
EU圏内の行き来は自由になったのですから当然かも知れません。100年もたったら、ヨーロッパ諸国の間のカラーは薄れてくるのでしょうか?
ヨーロッパの人たちは田舎に住みたがるので、ブルゴーニュの田舎でも、不動産は大変な値上がりになっています。10年前に比べたら、2倍や3倍にはなっているはず。
他のヨーロッパ諸国に比べると安いので、外国人は高くても買ってしまうらしい。
この傾向が続いたら、フランスの貧しい若い人たちは家を買えなくなるだろう、と心配してしまいます...。
ブログ内リンク:
★ フランスへの民族大移動が始まったのか? 2006/10/12
⇒ 海の向こうにある国に憧れるものなのか? 2006/10/12
★ イギリス人がフランスで売っていたフライドポテト 2008/07/15
★ 目次: フランス人の古民家を修復する情熱、建築技術
外部リンク:
☆ フランスニュースダイジェスト: フランスで不動産を買う
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かってなかったほど、イギリス人たちはフランスに憧れているのだそうです。
ピーター・メイルが『南仏プロヴァンスの12か月』というベストセラーを発行したのは1993年。その後も次々と本を出してはいますが
◆10月9日に発表されたアンケート調査結果より
アンケート調査では、イギリス人の22%が「フランスで生まれたかった」と答えていました。
イギリスには、「こんな美しい国にフランス人はふさわしくない」というジョークがあるのだそうです!
フランスに住んでいるイギリス人は10万人。年間6週間以上フランスに滞在しているイギリス人は50万人。
どうりで、あちこちでイギリス人を見かけるわけです!
イギリスで働き、老後もそこで暮らしたいと思うイギリス人は37%。家族や友人も一緒に移り住めるなら別の国で暮らしたいと思う人は32%。
どの国が良いかとなると、フランスがトップで(22%)、その次にスペインとイタリアが続く(ともに19%)。
このニュースをテレビで聞いたときには、フランスがダントツだったのかと思ったのですが、それほどの差はないですね。フランスが一番だったから騒いだのでしょう。フランス人は、何でも一位になるのが好きですから!
フランスが良いとする理由は、特にハード面。
気候が良い。物価が安い。ストレスが少ない。不動産がリーズナブル・プライス。交通や医療などの公共サービスが良い。食事の質が高く、ワインもおいしい。などでした。
イギリスの医療費がべらぼうに高いというのは最近の話題になっていますが、フランスの交通を良しとしているのが不思議に思いました(電車もバスも貧弱ですから)。でもイギリス人が評価するのは、道路がすいているとか、電車が混んでいないという点のようです。
イギリス人には愛国心があると見られていたのですが、そうでもない結果に驚きます。
50歳未満の人々の答えを見ると、自分で選択できるものならイギリスは選ばないという人が半数近くいました。イギリスは理想的な生活ができる国だとするのは23%、老後生活をそこでしたいという人が30%しかいなかったそうです。
◆海の向こう側に夢の国はあると考えるものなのか?...
島国に住んでいると、海の向こうに行ってみたくなるものなのでしょうかね?...
過去5年間にイギリス人がフランスにある家屋を買った数は51,000軒にもなっているそうです。
フランスの人口は日本の半分ですから、この数字は倍にしてくださると感覚が出ると思います。すごいと思われませんか?
「老後はフランスで暮らしたいのだけれど」と、日本人から相談されることがあります。でも日本人は、イギリス人のように簡単にはお隣の国に家を持ったりはできないですよね? 英語を話せると何とかなってしまう、という利点もあるのでしょうか?...
ところで、フランス人はこういうアンケートがあったらどういう結果がでるのかな、と思いました。
たぶん、圧倒的にフランスを出たいとは思わない人が多いと思います。
あえて考えると、「モロッコに住みたい」という人が何人かいたことを思い出します。マラケシュには、かなりのフランス人が住んでいると聞きました。
モロッコなら、フランス語が通じるし、物価が安いし、いつも太陽があるというのが理由。
結局、夢見るのは海の向こうの国となるのでしょうか?
ブログ内リンク:
★ 助けて、イギリス人たちに侵略される! 2008/03/20
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セーヌ河に沿って走る道路を閉鎖して造られたパリ・ビーチ
撤去作業が始まったばかりのときの写真です
パリの新市長が2001年から始めて大人気を集めたパリ・ビーチ(Paris Plage)は、パリのど真ん中に浜辺を作ってしまうというもの。それも、この日曜日に終わりました。
今日は快晴。清々しいけれど、肌寒い陽気です。今年は暑い日がいくらもなかったのに、もう夏が終わってしまった気分になっています。
テレビのニュースも、新学年が始まるという話題をさかんに報道しています。
この夏、私は、ひとなみにヴァカンス旅行をしていなかったことを思い出しました。
ヴァカンス旅行というのは、フランスの統計上では4泊以上の旅行を指すのですが、普通は2~3週間くらいの旅行にでないと、「ヴァカンスに行きました」と言うわけにはいきません。まあ、遠くまで旅行するなら1週間でも言えるかも知れませんが。
今頃の私はスコットランドを旅行しているはずでした。そういう計画が、春先、友人仲間で持ち上がって、すっかり行く気になっていたのです。
ところが、夏が近づくにつれて、計画はだんだん薄れて、ついに消えてしまいました。
◆ なぜスコットランドに行かなくなったか?
理由は次の3つ:
(1) 宿泊料金がやたらに高い
なんとなく地の果ての方に行くので、フランスより安いのではないかと思っていました。ところが、めちゃめちゃに高い。ホテルにしても、B&Bにしても、めちゃめちゃに高い。
どうしてこんなに高いのでしょう? フランスの宿泊施設が安すぎるからでしょうか?...
こんなところなら高くても価値があると思えるような、お城とか、歴史的に価値がある建造物の宿がない。
インターネットで散々探すと、あるにはありました。でもフランスに比べると大したことがない城ばかり。それなのに法外な料金なのが気に入らない。
フランスならすごいお城に泊まれてしまうような料金で、つまらない宿にしか泊まれない...。
田舎のB&Bを探すと、泊まりたくないような建物の写真が出てくる。しかも、いっぱしの料金ではないですか...。
(2) 天気が悪そう...
フランスでテレビの天気予報を見ていると、低気圧はみんなイギリスの方から流れてきます。
ガイドブックを調べると、やっぱりスコットランドの天気は悪いとある。インターネットでスコットランドに行った人の旅行記を見ると、どんより曇った空の写真ばかり。
旅行中に雨が降ってばかりいるのって、気が重くなるのですよね...。
しかも、石の建物が黒っぽくて、それでなくても陰気そう...。
(3) 食べ物が不味そう...
フランスを旅行するときのテクニックとして、天気が悪い日のアクティビティーはご馳走を食べるというのがあります。これで陰鬱な気持ちもふっとぶ!
ところが、スコットランドの料理は気分を明るくしてくれるかは疑問。フランスなら、どんなところに行っても、感激できるレストランが見つかります。スコットランドでは、そうはいかないでしょうね...。
となると、どんよりとした空のもと、食事がまずいという不満も加わることになる。最悪...。
私は我慢強いので良いのです。でも一緒に行くフランス人たちのご機嫌が悪くなるのは耐え難い。全く、この人たちは、おいしいものが食べられないと最高にご機嫌が悪くなるのですから!
旅は楽しくないと意味がない。だんだん気が重くなっていきました。
行こうと言っていた仲間たちも、それぞれに調べて私と同じプロセスを歩んでいたらしいのが分かってきました。「行くのをやめよう!」と誰かが言い出してくれるのを待っていたような感じ...。
それで一人が「なんとなく行く気が薄れた...」と言い出したら、話しは簡単に決着してしまいました。
スコットランド行きは中止。
なんとなくスコットランド民謡が好きだったので、いつか行ってみたいとは思っていたのですが、次の機会があるかな?・・・ でも、調べた限り、全く魅力を感じなくなってしまいました。
そのあと、アルプスに行こうという話しが別の方から持ち上がったのですが、これは私の都合が合わなくてだめ。
そんなわけで、今年はヴァカンスをしないで夏が終わってしまいました。
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