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2018/07/07

シリーズ記事 【嫌いな国の人を何に喩えるか目次へ
その8

イギリスとフランスには千年に渡って戦いをした歴史があり、今でもお互いに好感を持っていないことを書こうとしています。そのテーマに相応しい挿絵を探したら、こんなのが見つかりました。

Caricature gillray plumpudding
James Gillray, The Plumb-pudding in danger - or - State Epicures taking un Petit Souper (1805)
”the great Globe itself and all which it inherit", is too small to satisfy such insatiable appetites.

Le plum-pudding en danger ou Les Etats épicuriens prenant un petit Souper
"Le monde entier lui-même et tout ce qu'il recèle" n'est pas assez grand pour rassasier de tels appétits.


⇒ 拡大画像は、こちら

イギリスの風刺画家ジェイムズ・ギルレイ(James Gillray 1756~1815年)が、「プラム・プディングの危機」と題して1805年に発表したたカリカチュアです。

左には、イギリス陸軍の赤い制服を着ているウィリアム・ピット首相 (小ピット)。その向かい側に座っているのは、皇帝になったばかりのナポレオンで、彼がつくった大陸軍の青い制服を着ています。

副題にはフランス語を使って「簡単な夕食」とあるけれど、彼らは大きなプラム・プディングを分け合おうとしています。

英仏の勢力圏争いを、美食を探求をする政治家二人として描かれています。

プディングは、実は地球儀。拡大してみると、地名まで読めます。ナポレオンがフォークを突き刺しているのは、ドイツのあたりでハノーファー(イギリスが統治していたハノーヴァー朝の拠点)。ピットは大西洋を付いているので西インド諸島を狙っている?

ナポレオンが奪おうとしている大陸は、ピットが取ろうとしている海よりずっと小さいよ、というわけなのかもしれません。

ピットの方は気取ったイギリス人紳士という感じなのに対して、ナポレオンの方は欲にかられた小僧という感じ。ピットは、食事用のカービングナイフとフォーク(3つ歯)を使っています。対するナポレオンは、サーベルと、突っつくためのフォーク(2つ歯)に見えます。

カービングナイフ(carving knife):
主にカービングフォークと一緒にローストビーフなどの肉の塊を切り分けるのに使われるナイフ。


ギルレイは、フランスを貶そうというわけで描いたわけでもなさそう。この風刺画の題名の下には、シェークスピアの言葉を引用しながら(『テンペスト』に出てくる?)、こんな食欲旺盛な人たちを満腹させるには地球は小さすぎる、と書かれていますので。


プディングには、湯気がたっています。

この風刺画が描かれるほんの少し前、戦争状態にあったイギリスとフランスは1802年にアミアンの和約を締結しました。でも、翌年には両国の関係は再び悪化。ナポレオンも皇帝に就任。

そして、ナポレオン戦争(1803~1815年)の時代に入ります。

この風刺画が発表されたのは、1805年2月26日。この年の10月には、トラファルガーの海戦にイギリスは勝利して、ナポレオン1世の英本土上陸の野望を粉砕しました。12月には、フランスはアウステルリッツの戦いで、陸軍ではイギリスには負けないことを示しています。でも、10年後にはナポレオンの完敗。

イギリスとフランスの仲が悪かったのは、ナポレオン時代だけではありません。両国が敵対関係であることを止めたのは、19世紀初頭になってからでした。


イギリスとフランスの敵対関係には、千年近い歴史がある

歴史に疎いので、フランスとイギリスの間にあった主な戦争を書きだしてみました。

フランスの勝利イギリスの勝利
1066年
ノルマン・コンクエスト
ノルマンディー公のイングランド征服
15世紀まで、イギリスの宮廷では仏語が使われた


1337~1453年
百年戦争
イギリス国王がフランス王位の継承権を主張したことに始める、イギリス王家とフランスの王家の戦い。イギリスはフランスに領土を広げたが、ジャンヌ・ダルクに鼓舞されたフランス軍が反撃に転じ、カレーを残してフランス国内のイギリス王領は消滅した。






1775~83年:
アメリカ独立戦争

1805年:
アウステルリッツの戦い
(ナポレオン戦争 1803~1815年)

1806年
ナポレオン1世(在位: 1804年~15年)による大陸封鎖 
⇒ 失敗






1415年
アジャンクールの戦い(百年戦争)


1689~1815年
イギリス・フランス植民地戦争
(第2次英仏百年戦争)

1756~63年
七年戦争
⇒ パリ条約(1763年)


1805年
トラファルガーの海戦
(ナポレオン戦争 1803~1815年)


1815年
ワーテルローの戦い(ナポレオン戦争)
ナポレオン1世が率いるフランス軍の敗北
⇒ ナポレオンは
セントヘレナ島(イギリス領)に幽閉される


フランス側の情報ですが、イギリス人を嫌うフランス人の割合より、フランス人を嫌うイギリス人の割合の方が多いのだそうです。イギリス人がフランスに対する反感を持つ底には、ノルマンディー公のイングランド征服(11世紀)が根強いのだろうと思います。

これによって、フランス王家とイギリス王家の間に婚姻関係もできたので複雑になります。
14世紀になり、フランスでは、シャルル4世(カペー家)が跡継ぎがないまま世を去ったので、従弟のフィリップ6世(ヴァロア家)が王位を継ぎました。そこで、シャルル4世の甥にあたるイギリス国王のエドワード3世は、王位継承権は自分にあると主張して宣戦布告しました。この百年戦争を始めは有利に展開したイギリスでしたが、結局フランスを領土にすることはできませんでした。

フランスの政治家クレマンソー(Georges Clemenceau 1841~1929年)は、「イギリスは、悪い方向に向かった旧フランス植民地だ」という憎らしい言葉を残しています。

- L'Angleterre est une ancienne colonie française qui a mal tourné.

痛快な格言をたくさん残しているクレマンソーですが、これはいつ言ったのでしょうね。

第一次世界大戦が終わって開かれたパリ講和会議(1919年)は、米英仏3国によって主導され、クレマンソーはフランス代表として参加していたので、イギリス人の気持ちを逆なでするようなことを言う立場にはなかったと思うのですけれど...。


英仏海峡

ヨーロッパ大陸の地図をあらめて眺めてみました。イギリス人が一番行きやすい大陸の部分はフランスですね。英仏海峡は日本海のように波が荒くないので、泳いで渡ってしまった人もいたくらいです。



イギリスがヨーロッパ大陸に上陸したいとき、フランスのカレーは最も上陸しやすい町のようです。1994年に開通した英仏海峡トンネル(ユーロトンネル)も、カレーとイギリスのフォークストンを結んでいます。

英仏海峡トンネルの経路図


このトンネルを通る鉄道を延長せて、イギリスとヨーロッパ大陸を結ぶ電車「ユーロスター(Eurostar)」ができたのですが、少し驚くことがあります。

ロンドンのターミナル駅の名前は、2007年までウォータールー国際駅だったのでした。「ウォータールー」と聞いても何も思い浮かびませんが、英語でWaterloo。ナポレオンを失脚させたワーテルローの戦い(1815年)の「ワーテルロー」なのです。

フランス人を逆なでしたくて、イギリスとフランスを結ぶ電車の発着駅をワーテルローにした訳ではないでしょうが、イギリス側は強気だな、と笑ってしまいます。

Waterloo(ワーテルロー)はベルギーにある地域で、ロンドンとは無関係のはず。ウォータールー国際駅の前身のロンドン・ウォータールー駅ができたのは1848年。30年ほど前にあったイギリス側に勝利をもたらしたワーテルローにちなんで命名したのでしょうね。

ユーロスターのロンドンのターミナル駅は別の駅になりましたが、フランスに対する配慮でワーテルロー駅は止めたというのではありませんでした。


カレーの恨みもあった?

カレーと言っても、ライスカレーではなくて、北フランスの町、カレー(Calais)のことです。

ローストビーフはイングランド料理で、スコットランドはボイコット? 」に書いた、イギリス人の画家ウィリアム・ホガースの絵画「古きイギリスのローストビーフ(1748年)」に描かれていたのは、英仏海峡に面したカレーの町の入口にあるゲートでした。


William Hogarth, The Gate of Calais (O, the Roast Beef of Old England), 1748

カレーは、2つの世界大戦でも戦場となって破壊されました。観光しに行きたくなるような町ではないので、2回くらいしか行ったことがありません。でも、歴史的にはとても重要な町だったのですね。

カレーの町は、古くからブリテン島を結ぶ中継地として栄えてきました。それだけに、イギリスとフランスの間で奪い合いの戦争も頻繁に起こっていたのでした。

英仏が百年戦争をしていた時代、カレーは、長期間に渡って行われたイギリス軍の包囲に破れ、1347年から翌年まで占領されました。このカレー包囲戦における降参の逸話は、ロダンの有名な彫刻『カレーの市民』の題材となっています。


Auguste Rodin, Les Bourgeois de Calais, 1895

イギリス軍に包囲されて飢餓状態になっていたカレー市。6人の人質を差し出せば市民は助ける、とイギリス王から言われ、名乗り出た勇敢な6人のカレー市民を描いています。市の門をあける鍵を手に、首に縄を巻き、裸足で市を出て行く6人の群像。

※ 「市民」と訳された「Bourgeois(ブルジョワ)」は、市民権を持つ、つまり裕福な者という、当時の都市住民の階級を表しています。


カレ-は、1453年から再びイギリスの手に渡ります。ヨーロッパ大陸に残る唯一のイギリス領となったカレーが、ようやくフランスに戻ったのは1558年。ヴェルサイユ宮殿にある「戦闘の回廊」には、その勝利の絵が掲げられています。


François-Edouard Picot, La Prise de Calais,1558


違和感を持つ外国人のメンタリティー

日本では「欧米」という範疇で捉えますが、フランスで色々な国の人たちに接すると、それぞれの国民性はかなり違うと感じます。服装やしぐさを見ただけでも、その人の国が判定できることが多いのです。

フランスにいる外国人らしき人たちを見るとき、「あれはイギリス人だ」というのは一目で見分けられると思っています。服装とか物腰が違う。さらに、話してみると、フランス人とはかなり異なったメンタリティーを持っている人たちだと感じます。

やたらに偉そうにしているイギリス人が多い。むかしフランス人たちからイギリス人は好きではないというのを聞いていたとき、私は偏見を全く持っていないと思っていました。ところが、在日フランス系企業で働くようになったら、フランス人たちが言っていることは正しいかな、と思うようになりました。

私の会社では第一言語が英語だったので、有名大学を出たイギリス人スタッフが何人かいたのですが、日本人スタッフに対する態度が半端ではないのでした。こちらを植民地の人間として扱っているのではないか、と感じました。フランス人でも大柄な人たちはいますが、あんな風にこちらの人間性を否定するような態度をされたことは一度もありませんでした。

その頃、兄がロンドンに転勤になり、一家はイギリスに移り住みました。ある時、幼い子どもたちが夏には学校で辛い思いをするのだ、と兄嫁が私に話しました。終戦記念日になると、戦時中に日本軍が酷いことをした、と毎年しつこいくらいに授業でやるのだそうです。「それなら、アヘン戦争についても詳しく学びたいです、と先生に言わせれば良いじゃない?」と、私。姉は何も言わなかっただろうとは思います。

イギリスとフランスは植民地争いをしましたが、植民地支配のやり方でフランスは劣っていたと言われます。フランスは、アレキサンダー大王のやり方を伝承しているのか、現地に溶け込もうとしました。イギリスの方は、徹底的に高圧的にやるので支配できる。植民地を持っていたら問題だと判断したら、イギリスはさっさと手を引くのに、フランスは踏ん切りがつかなくてダラダラやった。

フランスの植民地支配の歴史で、最大の汚点を残したのはアルジェリア(1962年独立)でしょうね。イギリスに強い敵対心を残した旧植民地はあるのでしょうか? 日本人よりは上手くやったのだろうという気がするのですが...。


◆ 一般の人たちの、対フランス、対イギリス感情は?

互いにどんな悪口を言っているのか、典型的なのはこんなのだ、とフランスの雑誌に書いてありました。

イギリス人は... (こういう時はローストビーフと呼ぶ)
偽善家で、みっともない服装をしていて、ビールを飲み過ぎで、どんな料理にもミントソースで味付けをする。

フランス人は...(蛙と呼ぶ)
横柄で、薄汚く、不誠実で、無作法で、四六時中ストをしている。

フランス人が、どういう理由でイギリス人を偽善家だと感じるかという例に、お育ちの良いイギリス人は絶対にNOとは言わない、というのがありました。これは日本人の方がもっと上を行っていますね。日本に少し滞在したフランス人が、基本的な言葉として「はい」と「いいえ」を覚えたのだけれど、滞在した1カ月半の間に「いいえ」というのは一度も耳にしなかった、と言っていました。

思っていること、欲していることをはっきり言わないのは日本人の美徳だ、とフランスの友達に話したとき、そういうのは偽善的な行為だ、と言い切られて、腹がたったことがありました。イギリス人にも、同じように不快感を持ちますか...。日本では、イギリス人は礼儀正しいと思っていますが、フランスでは、彼らには遠慮がないと言われることが多いように感じます。

日本人は、同じ島国の国イギリス人に似ているのかもしれない。「どんな料理も醤油ソースで味付けをする」と言えるでしょうから!

政治的なことに関しては、フランス人たちのイギリス批判はもっと厳しいはずです。

イギリスがEUからの脱退を決定したときに行ったアンケート調査では、Brexitを好ましいことだと答えたフランス人は41%もいたそうです。ドイツ人は13%、スペイン人とポーランド人は7%しかいなかったそうです。




フランスのサイトに見られる人種偏見を分析した調査(OECD 2004年)では、反イギリス感情は第4位にランクされていました。フランス人の15%がイギリス人に警戒心を持っている、と分析した学者もいました。

長い憎しみ合いの歴史があるイギリスとフランス。言葉の上でも喧嘩しているように見えるものがあるので面白いです。

英仏海峡は、イギリスではEnglish Channelと呼んで、イギリスのものだと見せていますが、フランス語では la Mancheと呼ぶだけ。でも、日本も勝手に「日本海」と呼んでいるので、イギリスの呼び名が不自然だは思いません。

さすがに、英仏海峡トンネルの呼び方は、イギリス側はChannel Tunnelとしていました。フランスではTunnel sous la Manche。

面白いのは、パーティーなどで、ご挨拶もせずにいつの間にか帰ってしまうことを何と言うかです。イギリスが先にtake French leaveと呼んだようですが、これはフランスも負けずにfiler à l’anglaise(イギリス式に立ち去る)と言います。


一概には言えないと思う...

割合からすると、イギリスは嫌いだと思うフランス人より、フランスは嫌いだと思うイギリス人の方が多いのだそうです。

私の個人的な経験からすると、そうかな?... と疑問符を付けます。フランスでは「イギリス人は好きではない」と言うのよく聞くのに、私はフランス人に反感を持っている発言をするイギリス人に出会ったことがないからです。本音を言うほど親しいイギリス人がいないからだろうとも思いますけれど。

イギリスに語学留学したとき、私は言葉が楽に通じるフランス人のクラスメートと一緒に、学校の近くにあるレストランで食事していたのですが(田舎だったせいか、料理が不味いとは全く感じなかった)、私もフランス人だと思っていたレストランのマダムは、「フランス語を学んだことがある」と嬉しそうな顔で私に言ったのです。

その話しをフランスの友人にしたら、イギリスではフランス語を話せることはステータスだからだ、と言われました。11世紀のノルマン・コンクエストの後、イギリスの宮廷では15世紀までフランス語が使われたし、今でもイギリス皇室の方々は流暢にフランス語をお話しになるそうです。それで、フランス語を話すのは上流階級だというという意識がイギリスにはあるようです。


イギリス人がフランス人を好かないとしても、フランス人に親近感を持っているイギリス人は9%いる、という数値もありました。フランスに住んでいるイギリス人が多いので、そのくらいはいるだろうな、と思います。

2004年の情報ですが、60万人のイギリス人がフランスに別荘を持っていて、13.5万人が永住するつもりで住んでいるとありました。

この統計は、フランスに家を買うイギリス人が急増しているので、不動産価格を釣り上げてしまうためにフランス人が困っていると問題にされた始めた時期だったと思います。

辺鄙な田舎でもイギリス人が異常に多くなった、と私も感じ始めていました。2008年に書いた私のブログでは、ここ10年足らずの間に、フランスに住みついたイギリス人の数は7倍になり、今ではフランス在住のイギリス人は50万人いる、とメモしていました。


Au secours, les Anglais nous envahissent ! (2006年)

この後、イギリス・ポンドのユーロ換算率が下がったので、フランスに大挙してやって来るイギリス人の波は下火になった感じがしています。

以前からイギリス人が多く住んでいる地域はありました。例えば、昔にはイギリス領だったアキテーヌ地方(中心部は、ワインで名高いボルドー)。旅行していたら、当然のことのように英語で交通標識が出ているので驚きました。

それから、スキー場があることで有名なシャモニーの町。そこに住んでいる友人が、フランス人お断りのような態度をする飲食店があるのだと話していたのですが、この町もイギリス人に気に入られているようです。この町に年間を通して住んでいる住民は1万人強なのですが、そのうち千人はイギリス人なのだそう。


フランス人の方でも、イギリス(特にロンドン)に住んでいる人はたくさんいます(2004年で25万人)。若者が英語を学ぶためにイギリスに行くのは普通になっています。

私の知人の中にも、イギリスに住んでいる家族がいる人が何人もいます。食べ物が美味しくないという不満を除けば、イギリスをしっている人がこの国を悪くいう話しは聞いたことがありません。ビジネスなどは、フランスよりやりやすいなど、褒める話しもよく聞きます。

実際に付き合ってみれば、偏見は消えるのでしょうね。イギリス人は大嫌いという私の友達も、近くに引っ越してきたイギリス人は、初対面のときから良い人だと好感を持ってしまっていました。


ところで、イギリスとフランスが仲が悪いと言っても、妙にフランスがイギリスを頼りにした歴史もあります。

フランス革命が勃発したとき、断頭台の露にならないために、イギリスに亡命した貴族たちがいました。

Flag of Free France (1940-1944)第二次世界大戦中には、ドイツ軍によってパリが陥落したとき、後に大統領となるド・ゴール将軍は、ロンドンに亡命しています。

彼は「自由フランス」をロンドンに結成し、イギリスの公共放送BBCを通じて、国内外のフランス人に、対独抗戦の継続と、ドイツの傀儡となったフランスのヴィシー政権への抵抗を呼びかけました。

フランス国内の政権にイギリスが反感を持つから、協力してもらえるのかもしれない。でも、例えば、日本の安倍政権に反対する人たちが、海を挟んでお隣りの韓国と協力して、現政権を倒す運動を起こすことは考えつきもしないですよね?

続き:
イギリス人がフランスについて書くと...

シリーズ記事: 嫌いな国の人を何に喩えるか 目次へ



ブログ内リンク:
やっと見ることができた「バイユーのタペストリー」 2009/11/06 (ノルマン・コンクエスト)
海辺のレストランで食事 2012/06/03 (イギリスとの歴史的関係があった町)
海の向こうにある国に憧れるものなのか? 2006/10/12
助けて、イギリス人たちに侵略される! 2008/03/20
フランスへの民族大移動が始まったのか?  2006/10/12
フランスの歴代大統領の身長 2017/06/26 (ナポレオンの身長は1.68 m)
フォークを使って食べることが定着するには、百年以上もかかった 2017/04/07
★ 目次: 戦争、革命、テロ、デモ

外部リンク:
L'Express: Nos meilleurs ennemis  2004
Ça m'intéresse: Les Anglais détestent-ils les Français 
Angleterre: du rosbif en tranche
Les rosbifs, nos amis britanniques !
Libération: Chamonix vend (très cher) son âme aux Anglais 2004
Le Parisien: Brexit  les Anglais, nos meilleurs ennemis 2016
イギリス文化論 - 英国大衆文化から見るフランスへのまなざし
イギリス人はフランス人をどう思っているのか?15項目でわかったこと
仲の悪い隣国・イギリスとフランスは、これぐらい悪い。
趣味の歴史: 百年戦争
英仏植民地戦争/第2次百年戦争
Napoléon à travers les caricatures 1799-1806:  (1)   (2)
Wikipedia: James Gillray
ジェイムズ・ギルレイのナポレオン
Syphilis, Christophe Colomb n'y est pour rien



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コメント
この記事へのコメント
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2018/07/11 | | -  [ 編集 ]
Re:
私が疑問に思っていたことを教えてくださったので、喜んでお返事しようとしたら、非公開コメントになっていました。残念! 「編集」で公開にしていただけないとしたら、コピーして貼り付けたいのですけれど、いかがでしょうか?
2018/07/11 | URL | Otium  [ 編集 ]
ご連絡、ありがとうございます!
Plumb の意味は、調べてわかったのですけれど。。
では、よろしくお願いいたします。
嬉しいな〜〜!(笑)

2018/07/11 | URL | フォルナリーナ  [ 編集 ]
非公開コメントをいただいたのですが、公開して良いようなので、コメントをここに貼り付けさせていただきます。

**************************

こんにちは。
風刺画の下に、『・・ The Plumb-pudding in danger - or・・』と書いてあります。
Plumではなく、Plumbと、bが付いてますが、これはどういう意味でしょうか?
気になって調べたのですが、よくわかりませんでした。言葉遊び?
Otiumさん、よろしくお願いいたします。

ついでですが、イギリス在住の方の記事にこういうのがあります。
「・・そして、食後に出る甘いもの。日本ではデザートと言っていますね。
英語ではDessertですが、実はこれは、下層の言葉です。

上流は、たとえそれがチーズケーキであろうと、アップルパイやプリン、シャーベットであろうと、『何であれ Pudding』といいます。
これも、かなり階級差がわかるキーワードです。
アイスクリームのことも、上流の人は、Ice-cream と呼ばずに、ただ、Iceとだけ言います。」
単語で階級がわかるイギリスですが、上辺だけ覚えてもバレちゃいますね。

18/07/11  フォルナリーナ
2018/07/11 | URL | Otium  [ 編集 ]
Re:
v-22 フォルナリーナさんへ

>Plumではなく、Plumb

始めはタイプミスではないかと思ってのですが、これで正しい題名のよう。英語で書かれた説明を読むと、説明もなく、plum-puddingと受けている。

例えば、British Museumのサイトの説明:

http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details.aspx?objectId=1478873&partId=1&museumno=1851,0901.1164&page=1

英語圏の人には、plumb-puddingはplum-puddingのことだと分かるのでしょうね。言葉遊びではないのかな?... 辞書をひいたら、俗語で「大間違い、大失策」という訳語が入っていました。

意味がお分かりになりましたか。教えてくださいね~。

>『何であれ Pudding』といいます。

そうなのですか。それで納得しました。今回のシリーズ記事を書きながら調べていると、やたらに「プディング」が出てくるので奇妙だったのです。私はプリンを思い浮かべてしまうのですが、プラム・プディングの画像を見たら、ほとんどケーキじゃないか、と思ったのでした。

しかも、甘いデザートでなくてもpuddingと呼んでいる。ローストビーフの付け合わせとして典型的なYorkshire puddingもそうですね。

>単語で階級がわかるイギリス

イギリスは、使う言葉と容姿でも階級が分かる国みたいですね。上流階級の人は背が高いのですって。そういうの、嫌だな...。

単語でお育ちが出るのは、11世紀にフランスがイギリスを征服したとき、支配階級はフランス語を話し、下層階級は英語を話していたから、と聞きました。英語は、フランスの影響を受けた単語があるので、同じものなのに2つの単語があったりする。pig(英語)とporc(仏語)、beef(仏語)とcow(英語)など。なぜ2つあるかというと、肉を食べるのは上流階級で、家畜を育てるのは下層階級だかららしい。

ところで、Plumb-puddingはPlum-puddingだとすると、これはChristmas puddingとも呼ばれると出てきたので、気になりました。この風刺画が描かれたのは2月末なので、クリスマスにひかけているわけではないと思ったのですが、どうなのかな?...
2018/07/11 | URL | Otium  [ 編集 ]
ご丁寧に、ありがとうございます!!
Plumb、翻訳では注意書きがないのでわかりませんでした。

貴族の方は、背が高いらしいですね。金髪・碧眼も・・。(汗)  

階級により、ボキャブラリーが違うのは日本でも同じかもしれませんが、単語(品物の名前など)が違うのは、なかなか知りようがないですね。

数年前の人気番組「ダウントンアビー」では、アッパークラスの方は、マナーの間違いやボキャブラリーの違いを探すのを、楽しみに?していらしたようで、たまに違っていて、話題になっていたそうですよ。

NHKのTV番組「猫のしっぽかえるの手」で有名な、日本在住のベニシア・スタンリー・スミスさん(生家・ケドルストンホール)は、貴族の暮らしが苦手で日本で暮らしてあります。この方のブログも、興味深く読んでいましたが、見つかりませんでした。

2018/07/12 | URL | フォルナリーナ  [ 編集 ]
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2018/07/12 | | -  [ 編集 ]
Re:
v-22 フォルナリーナさんへ

秘密情報もくださり、ありがとうございます。イギリスとフランスはずいぶん違うのだな、と改めて思いました。

日本のテレビで、ベニシアさんがイギリスの親族の城に帰ったときの番組を見たことがあります。かしこまっていて、陰気で、楽しそうではないので、彼女が嫌っていたというのは分かる気がしました。

古い建物が好きなために城のB&B民宿によく宿泊するので、経営者の貴族の方々にたくさん出会っているのですが、気取っていると感じた人には出会っていません。フランスでアッパークラスだという自負が見えるのは、経済的にのし上がったブルジョワ階級です。婚姻関係で貴族の家に入った人たちには、ブルジョワ階級のメンタリティーの特徴が見えるので、生まれながらの貴族ではないのだと、すぐに分かります。

>「ダウントンアビー」では、アッパークラスの方は、マナーの間違いやボキャブラリーの違いを探すのを、楽しみに?していらしたようで

フランスの貴族だったら、そういうアラ探しをして楽しんだりしないと思うのですけどね…。

在仏の日本人女性が、伯爵夫人の義母からマナーの特訓を受けているというブログがあって、面白いので読んだりしていたのですが、なんだか変。フランスのブルジョワ階級のマダムなら「ざあます」調で言うかな、というようなエピソードばかりなのです。久しぶりに開いたら「100%フィクションです」と書いてあったので、やっぱりね、と思いました。

それでも、貴族の家では独特の教育があるらしくて、私たちと話すときは普通の人と全く変わらない話し方をしているのに、電話で親と話すときには全く違う言葉で話すのは目撃しています。発音も、使う単語も、表現も、惚れ惚れするような美しいフランス語なのです! どうして、いつもそういう話し方をして私に正しいフランス語を教えてくれないんだ! と思ってしまいました。

その話しを友達にしたら、そのくらいにランクが上の貴族の御曹司なら、コメディー・フランセーズの俳優を家庭教師にして、正統派のフランス語を学んでいたのではないかと言われ、彼も驚いたことがあると話しました。貴族の家系だとは知っていたけれど、大学でふざけたことばかりしている友達の家(城)に行ったら、「お父様、私の友人たちをご紹介させてください」と直立不動で言ったのですって。父親にはPapaと言うのが普通ですが、「Père !」と呼びかけていたとのこと。

学者さんも同じだと感じています。本当にレベルの高い人は、こちらを蔑んだりしないで、何も分かっていない人でも理解できるように説明してくれます。威張っているのは、そのレベルに達していない学者さんたち。上流階級でも、自分たちは上なのだという態度をしないのが本来の姿なのだ、と私は思う。

日本の友達の家に養女として迎えられた女の子を、小さいときから可愛がっていたのですが、彼女が3回目に結婚した家に行ったことがありました。ご主人は、俗世間の常識などは超越しているような穏やかさがあるので、良い人と結婚したと喜びました。彼は初婚で、相手は子連れのバツ2なのに、そんなことは全く気にしないで、彼女の連れっ子を我が子のように可愛がっていました。

3歳の時から知っている女の子は、底抜けなくらいに明るいのですが、幼い時に両親から捨てられたのが心の傷になっているのだろうと思います。麻薬中毒とか、問題がある男の子に惹かれて結婚して、失敗していたのです。そんな彼女を大きく包んでくれるような人と結婚できて良かったと思ったのですが、それにしても、雲の上にいるように見えた旦那さんは印象的でした。

ずっと後になって、彼女の母親から、彼は皇族の家系だと教えられて納得。皇族の人たちは、それぞれが何らかの役割を与えられるのだそうですが、父親は羨ましくなるような職務についていました。旦那さんと話したときには、言葉が違っているとか、特にお上品とかいう感じはなかったのですけど。

本当のゆかしさというのは、そういうものだろうと思う。つまり、彼らには背伸びしないでも良い余裕がある。でも、イギリスは違うのかな?…
2018/07/12 | URL | Otium  [ 編集 ]
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