- フランスに定着したらしいスペインの鉄板焼き「プランチャ」 2021/09/19
- フレンチトーストに対して持っていた「なぜ?」を解いてみた 2021/08/08
- イギリスは、フランス料理の発展に貢献していた 2018/06/29
- フランスの食の歴史に関する情報 2017/04/18
- フランスで言われる食卓でのマナーとは? 2017/04/17
- 19世紀、フランスの食事提供ではロシア式サービスを始める 2017/04/14
- 昔のフランスには、ダイニングルームがなかった 2017/04/12
- テーブルナプキンの歴史 2017/04/10
- 1610年5月13日、テーブルナイフの先は丸くなった 2017/04/08
- フォークを使って食べることが定着するには、百年以上もかかった 2017/04/07
- 中世の食事 (3) 食べる道具としては、ナイフとパンがあれば十分 2017/04/06
- 中世の食事 (2) 宴会でのテーブルの配置 2017/04/05
- 中世の食事 (1) パンをたくさん食べる 2017/04/04
- 昔のフランスでは、何時に食事をしていたのか? 2017/04/03
- スープの季節 (1) 日本の西洋料理を見て不思議に思ったこと 2007/12/12
「スペインにある調理法なのだ」と、もったいぶって言ったのですが、私にはどうということもありませんでした。日本では珍しくもないホットプレートを出してきたからです。おまけに、ジューっと焼くほどには温度が上がらないので、日本の家庭にある家電で焼いたほどには美味しくできないと思いました。
友人の方も性能が悪いと思ったのか、その後に少し大きめの器具を入手して料理するようになったのですが、やはり美味しいと喜ぶほどではない...。
当時のフランスでは珍しいプランチャを自慢したかったのだろうと思ったのですが、このスペイン風ホットプレートは今ではフランスで人気を集めて成功しているらしいと知りました。
◆ プランチャ紹介動画
プランチャがフランスに定着したらしいと知ったのは、YouTubeで食に関する情報を配信しているフランスのチャンネルでプランチャを紹介していたのを見たからでした。
La plancha, l'essayer, c'est l'adopter !
ここでもまた、もったいぶってプランチャを紹介しています。確かにフランス人には珍しい調理法なのでしょうね。今は脂っこくない料理が珍重されているので、健康的だと映るのかもしれない。
これはプロ用のプランチャでしょうね。やたらに大きい。食材から出る脂を入れる引き出しまであります。庭でバーベキューの代わりに使うのならともかく、こんな天井の低く狭いキッチンでやったら煙が部屋に立ち込めてしまいそう...。それに、やたらに脂ギタギタ...。
日本の家庭で鉄板焼きやすき焼きをする時には、食卓に乗せて熱々を食べるのが魅力ですよね。スペイン系の友人の家でも、部屋の中か庭のテーブルでプランチャをしていたのですが、上に入れた動画では台所で焼いた後に料理をダイニングに運んでいます。冷めてしまうではないですか? これまた私には美味しそうに見えなかった...。
プランチャで作った料理を競うコンクールまであるのだそう。アメリカで成功した日本の鉄板焼きは炎を高くあげたりするパフォーマンスがありました。目の前の鉄板で調理人がする手さばきは見事で、それも楽しみになるのに、フランスではそんなのは気にしないらしい。
ところで、プランチャを使った料理は「cuisine à la plancha(キュイジヌ・ア・ラ・プランチャ)」と呼ばれるのだそうです。ア・ラ・そうですか。
◆ フランスで売られているプランチャの器具
La folie de la plancha
そんなにプランチャが普及したのかを確かめるためにフランスの通販サイトで« plancha »を検索してみたら、たくさん出てきました。Plancha という名前の器具(電気ないしガス)がたくさん売られています。
Lagrange 219004 Plancha Pro Blanche , 2300W | Cecotec Plancha Électrique Tasty & Grill 3000 RockWate. 2600 W, Revêtement en pierre |
日本のホットプレートと同じだなと思うものの他に、家庭でこんな大がかりなものを使うの? という物まで色々...。
フランスの今は日本食ブームなのですから、こういう器具は「plancha」ではなく「teppanyaki」という名で売られても良かったと思ったのですが、プランチャの方が成功しているようです。
「teppanyaki 」という名前で売られているものは圧倒的に少ないのです。「plancha」とした商品名に「teppanyaki 」を付けている商品もありました。つまり、プランチャの方が有名なのでしょうね。
◆ 日本の鉄板焼きテクニック
考えてみると、日本では鉄板焼きのような料理の種類が豊富ですね。すき焼き、お好み焼き、たこ焼きなど。お好み焼きでは、もんじゃ焼き、広島風お好み焼きのように、地域によって作り方のバリエーションがあります。
フランス人も鉄板焼きが好きかもしれません。私がプロの鉄板焼きは見事だと感心したのは、フランスの友人が来日したときに彼が泊まっていた東京のホテルにあったレストランに招待された時でした。アワビのステーキが素晴らしく美味しかったのを覚えています。
この時、レストランでは非常に厚みがある鉄板を使っているのをマークしました。フランスのいい加減な中華料理屋に行ったときには、鉄板焼きの装置があったのですが、恐ろしく薄い鉄板。そんなので焼いても美味しくはないだろうと思って食べてみる気にはなりませんでした。
でも、調べてみると、日本の鉄板焼きレストランで出される本格的な鉄板焼きは、鉄板の厚さだけにあるのではなかったのでした。鉄板の上は場所によって温度が違い、それを使い分けて調理しているのだそうです。

ステーキを焼く鉄板の温度 - NHKそう言われれば、日本のレストランの鉄板焼きでは食材を置く場所を動かしていますね。
日本料理は細かなところまで手間をかけるのですよね。フランスの友人が料理を作るときには、それほど時間をかけないで大量に作ってしまうのですが、私が日本料理を作るとやたらに時間がかかります。
食通の友人たちを招待する時などには、前日から準備を始めます。しかも少量しか作れないので、遠慮なくものを言う友人から、「あなたの料理はとても美味しいけれど、量がたりない...」などと言われたこともありました。
でも、作りすぎて残ってしまうのはめげるので嫌いなので、美味しいと思わなかった人でも確実に食べきれる量で色々な日本料理を出します。初めて招待した友人が、料理のお皿が25枚出てきたなどと言ったこともありました。
ところで、スペイン系の家で一緒にプランチャ料理を食べた友人が日本に来た時、私の家に古いホットプレートがあったのを思い出して、肉や野菜を焼く料理を出したことがありました。プランチャが美味しいとは全く言わなかった人なのですが、私の鉄板焼きは美味しいと驚いていましたっけ。あらためて、日本で家庭用に市販されているホットプレートは良くできていると思いました。
日本で鉄板焼きのレストランには久しく行っていないので、どうだったかなと思って動画を眺めてみました。
帝国ホテルの鉄板焼の職人技 - 和牛&野菜の焼き方
アメリカで流行った(流行っている?)の鉄板焼きパフォーマンスの動画もあったのですが、ちらりと眺めただけ。見るに堪えない...。
ブログ内リンク:
★ 目次: レシピ、調理法、調理器具、テーブルウエア
【普通の家庭バーベキュー】
★ ムール貝のエクラッドという料理 2011/05/10
★ バーベキューの季節 2008/08/12
★ フランス人にあだ名を付けてしまった 2008/08/18
★ 今年最後のバーベキュー? 2005/09/26
【大規模なバーベキュー、丸焼き】
★ 森の狩猟小屋でイノシシを食べた日のこと 2012/01/22
★ ボージョレー農家のマション 2006/06/11
★ 子豚の丸焼きがメイン料理のパーティーだった 2012/10/17
情報リンク:
☆ Plancha = 鉄板 (調理器具) -Wikipedia
☆ 鉄板焼き = Teppanyaki - Wikipedia
☆ Plancha chrome ou teppanyaki : quelles différences ?
☆ 鉄板焼きとは?
☆ Pourquoi dit-on ''faire un carton'' ?
にほんブログ村
日本でもおなじみのフレンチトースト。私は朝食に食べるのが好きなので時々作ります。日本の食パンで作るより、フランスパンで作る方が適度な固さがあって美味しいと感じています。
フランスの友人の家に滞在していた時にフレンチトーストを2度作ったことがあるのですが、それを見た友人から「そんなものを作るの?」と2度とも言われてしまったのでした。
イギリスやアメリカで「フレンチトースト」なので、日本でもそう呼ぶのでしょう。でも、フランスでは「pain perdu(パン・ペルデュ)」と呼ばれます。直訳すれば「失われたパン」。変な名前ではないですか?! そんな名前が付いているから、固くなったパンの再生利用するという悪いイメージがあるからフランス人は作る価値もないと思っているのではないかな?...
焼かれたから日が立って固くなったパンは食べられるものではありません。特に酷いのは、翌日にはもう食べられないくらいに固くなるバゲット。そんなものをなぜ作るようになったのかを調べて、「バゲットは、いつ、何のために生まれたのか?」と題して記事を書いたところなのですが、再びフレンチトーストへの疑問が復活してしまいました。
そもそも、フレンチトーストはフランスで生まれた料理なのだろうか? 「フランスの」と付けると格が上がるから命名したのではないかという気もしていました。
今はインターネットで調べてみれば幾らでも情報が入っているので便利。前々から気になっていたフレンチトーストの歴史が見えてきたのでメモしておきます。
フレンチトーストなるものは、すでに古代ローマ時代にあった古代ローマ・ローマ帝国時代の調理法・料理のレシピを集めた書籍『アピシウス(De re coquinaria)』には、フレンチトーストと言えるような料理が紹介されていました。4世紀末から5世紀初頭にかけて編纂された料理本。
この中でフレンチトーストのルーツとされる料理は、「アリテル・ドゥルキア(Aliter Dulcia) 」、つまり「もう一つの甘い料理」と呼ばれているそうです。ただし、現代のフレンチトーストとは少し違う。固くなったパンを牛乳にひたしてから油で揚げ、当時は砂糖の代わりだったハチミツをかけて食べるスイーツなのだそう。
私はパンを漬ける液体に砂糖を入れると、バターで焼いた時に焦げてしまうので、焼きあがってからグラニュー糖をまぶしているのですが、この次はハチミツでやってみようかなと思いました。
マーチン・リスターが出版した『アピシウス(De re coquinaria)』の口絵(1709年):

フレンチトーストのような料理が古代ローマ時代にもあったというのは不思議ではありません。エスカルゴもフランス料理と言われていますが、古代ローマ人たちの好物で、エスカルゴの養殖まで行っていたというのを調べたことを思い出しました。
Wikipedia: アピシウス » De re coquinaria
Wikipedia: マルクス・ガビウス・アピシウス » Marcus Gavius Apicius
キリスト教徒はパンを無駄にすることに抵抗を感じる固くて食べられなくなったパンを捨ててしまうのは勿体ないと思うのは自然ですが、それ以外にキリスト教文化ではパンを捨てることに抵抗があったのでした。
なにしろ、最後の晩餐でも、イエスはパンを取って裂き「取って食べなさい。これはわたしの体である」と言って、弟子に与えたほどですから。
フレンチトーストに類似する料理は、ヨーロッパの様々な国で作られていたことが記録に残っているそうです。
フランス国王アンリ4世のお気に入りデザートだった?13世紀のフランスでは、フレンチトーストによく似た「パン・フェレ(pain ferré)」と呼ばれる料理がありました。
ちなみに、北仏のノール=パ・ド・カレー地方では、今日でもフレンチトーストのことを「パン・フェレ(pain ferré)」と呼ぶのだそう。何と訳して良いのか私には分かりません。普通に訳したら、鋲を打ったパンとなってしまいますから。
「パン・ペルデュ(pain perdu)」という呼び名が登場したのは、14世紀から15世紀にかけてだろうと言われています。ただし、古代ローマのレシピのように、パンの揚げ菓子のような料理。
今日知られているような砂糖で味付けしたフレンチトーストのレシピができたのは17世紀。
もともとは貧しい人々の食べ物だったフレンチトーストは、貴族階級でも取り上げられるまでに昇格しました。

アンリ4世(在位:1572~1610年)はフレンチトーストも大好物だったという伝説があるそうです。
彼は信仰対象としてプロテスタントとカトリックの間を行き来した国王ですが、フランスにおける宗教戦争を終結させたナントの勅令(1598年)を出しています。
フランス人が最も好きな歴史上に存在した国王の一人。
それでアンリ4世がパン・ペルデュが好きだったと取り上げられたのでしょうか?
国王ともなれば希少な食材を使った料理が食卓で並んでいたでしょうに、固くなったパンで作ったパン・ペルデュがお好きだったとは意外..。
戦後に生活が豊かになるまでのフランスでは、子どもたちはフレンチトーストを結構おやつに出されていたのではないかという気がしてしまうのです。簡単に作れるし、安上がりだし、お腹を満たすから。それで、ママとしては「アンリ4世も大好きだったのよ」などと言って子どもに食べさせていたのではないか、と想像してしまいました。
クリスマスに七面鳥料理が出るのは嫌だと言った友人が何人もいたのですが、これも貧しい時代の食べ物。大きな七面鳥のお腹に栗をたくさん詰め込んで、ともかくお腹にたまるようにというのが見え見えの料理だからイメージが悪いのだそうです。
七面鳥の話しはすでに書いていました:
★ フランスで最高のクリスマス料理: シャポン
それとフレンチトーストのイメージも同じなのではないかな?... というのは私の勝手な想像。安上がりのデザートだとか、貧しい人々のための料理だとかいう表現はされていましたが、昔に食べさせられたからフランス人は嫌うという風なことを書いている記事は1つもありませんでした。
なぜ「フレンチトースト」と呼ばれるのか?私が最も気になっていたのは、これでした。昔からヨーロッパにはあった料理だと知れば、なおさら不思議になるではないですか?
固くて食べられないパンを利用した簡単なデザートでも、それはフランス料理だと言えばイメージが上がるという命名なのかと思っていたのですが、これも私の勘違いでした。

« French toast »という語が初めてイギリスで登場したのは17世紀。『The Accomplisht Cook(1660年)』という料理本の中でした。
ここで使われていた« french »とは、「フランスの」という意味ではなく、アイルランド語の古語で「スライスした」を意味していたのだそうです。つまり、フランスの美食とは無関係!
19世紀半ばの大飢饉(アイルランドで起こったジャガイモ飢饉のことだと私は推定)の後、多くのアイルランド人がアメリカやカナダに植民者として入り、彼らは「フレンチ」という言葉も持っていったのでした。
アメリカで「French toast」という単語が初めて登場したのは、『Encyclopedia of American Food and Drink(1871年)』の中だったそうです。
フレンチトーストは、1724年にニューヨークの Joseph French によって考案されたという説もあるようですが、それなら「French's toasts」でなければおかしいというわけで信じられていないようです。
ところで、フライドポテトはアメリカ英語で French fries あるいは French-fried potatoesと呼ばれますが、このフレンチも同じように「スライスした」という意味で使われているのだそう。
これも気になっていたのです。フライドポテトはベルギー生まれだと言う人も多く、実際フライドポテトを食べるとベルギー風に作ったものの方が遥かに美味しいのですから。
なぜ「pain perdu(パン・ペルデュ)」という名前なのか?フレンチトーストのフランスでの呼び名はこれです。直訳すれば「失われたパン」。
マルセル・プルーストによる長編小説『失われた時を求めて』の原題は『À la recherche du temps perdu』です。
それでパン・ペルデュと聞くと、私はマドレーヌを連想してしまう...。
パン・ペルデュの場合、失われるのはパンではなくて、パンの固さが失われる、という意味なのだという説明がありました。卵とミルクを混ぜた液体に固くなったパンを浸すと固さは消える、というわけ。そんなことでもしなければ、パンは固いままなので食べることは不可能。
捨てるはずだったパンを拾い出すという命名ではないのだと言われると、納得。ついでに、固くなってしまったマドレーヌも、ハーブティーに浸したら柔らかくなるだろうな、とも思ってしまう。
フレンチトーストの呼び名というわけで、フレンチトースト(French toast)は「フランス風トースト」というわけではないことになります。でも、フランス料理はグルメとしての定評があるので、この名前はマーケティングの面からは良いイメージを与えているとは言えるのでしょう。
もしもフランスの料理名をそのまま英語に訳して「Lost Bread」と呼ばれたらイメージが悪すぎたでしょうね。
フレンチトーストは、フランス国内でも「pain perdu」とは呼ばない地方があるそうです:
・ペリゴール地方: dorée
・ノール・パ・ド・カレ地方: pain crotté あるいは pain ferré
・シャラント地方: soupe-rousse
焼き上げると卵の黄色が見えるので「金色の」という命名にしている国がありました:
・カナダの仏語圏: pain doré あるいは toast doré
・スイスの仏語圏: croûte dorée
とはいえ、やはり固くなってしまったパンのリサイクル料理なので、「失われたパン」のような命名がありました:
・オランダ: gewonnen brood *儲けたパン
・ドイツ: Armer Ritter *貧しい騎士
・アメリカの別名: poor knights
フランスでは貶されるフレンチトーストですが、最近ではそれを生まれ代わらそうという傾向も出たようです。有名パティシェのレシピなどがクローズアップされたようで、「醜い蛙の子をチャーミングな王子様にするレシピ」などと紹介していました。
それを次に書きます。ここでもまた1つ新しい発見をしました。
内部リンク:
★ フレンチトーストをフランス人は嫌う?
★ バゲットは、いつ、何のために生まれたのか?
★ キリスト教にとってのパンとワイン
★ 目次: パン、パン屋、昔のパン焼き窯など
★ シリーズ記事目次: 商品にフランスのイメージを持たせた命名
★ フランスのイメージは良すぎるのでは?
情報:
☆ De l'Empire romain à nos jours, l'histoire (et la recette) du pain perdu
☆ Le pain perdu : son histoire et ses origines
☆ La symbolique du pain
☆ パンとワインが意味するもの - キリスト教の供食儀礼としての聖餐 -
☆ パン (bread) - キリスト教マメ知識
☆ Pourquoi le pain perdu se dit-il “French toast” aux Etats-Unis ?
☆ Dis pourquoi le pain perdu s'appelle perdu?
☆ Wikipedia: Pain perdu » フレンチトースト
☆ Tostées Dorées selon Taillevent (XIV°)
☆ Wikipedia: アピシウス » De re coquinaria
☆ 18 expressions anglaises avec « French » dedans
☆ Pourquoi les Américains appellent-ils les frites les « French fries »?
☆ フライドポテトは英語で?アメリカとイギリスの違いは?
☆ PAIN FERRÉ OU PAIN PERDU
☆ Wikipedia: フライドポテト » [仏] Frite » [英] French fries
☆ Wikipedia: Histoire de la gastronomie
にほんブログ村 | にほんブログ村 |
同じくイギリス生まれの料理「ビーフステーキ」でイギリス人を表す言い方もありますが、余り使われないようです。
ローストビーフがフランスに入ったとき、もしもフランス人たちが不味いと思ったのだとしたら、イギリス人を嘲弄する呼び名として成り立ちます。
なぜ、いつから、フランスでイギリス人のことを「ローストビーフ」と呼ぶようになったのかを調べていたら、興味深いことが分かりました。
シリーズ記事 【嫌いな国の人を何に喩えるか】
目次へ
その7
◆ ローストビーフがフランスでよく知られるようになったのは18世紀?
英語のローストビーフ「roast beef」をフランス語風にした「rosbif」という単語が、いつフランスに登場したのかをみてみます。
1691年: ros de bif がフランスの文献に登場し、ほどなくrosbifとなる
1774年: イギリス人を意味することが文献に現れた
前回の記事「ローストビーフはイングランド料理で、スコットランドはボイコット? 」で、イギリス人の画家ウィリアム・ホガースがローストビーフをテーマにして描いた作品を紹介しましたが、これは1748年の作品でしたす。
The Gate of Calais (O, the Roast Beef of Old England)
カレーの門(おお、古きイングランドのローストビーフ)
この北フランスにあるカレーの町には、この絵にも描かれているイギリス人が経営する料理店があり、ローストビーフを名物料理にしていました。
こうした店で働くイギリス人のことをRosbif(ローストビーフ)と呼ぶ人たちがおり、それが次第に広がって、イギリス人なら誰でもローストビーフと呼ぶようになったようです。
18世紀中ごろにローストビーフを出していた居酒屋があったのなら、それ味わったフランス人もいたでしょう。彼らは、ローストビーフを美味しいと思ったのか、不味いと思ったのかが気になります。
◆ フランスにいたイギリス人は、牛肉をイギリスから輸入していた
カレーの町にあったイギリス人経営の店でローストビーフを作るために使う肉は、イギリスから運んできた、というこだわりようだったのだそう。
そう聞くと、疑問がわきます。
当時のフランスは、ヨーロッパの中でも豊かな農産物ができる国だったはずなので、何もイギリスから牛肉を輸入する必要はなかたったのではないですか?
食べ物が豊富なら、人口は増えます。フランス革命直前のヨーロッパでは、ロシアを除けば、フランスは最も人口が多い国でした。
ナポレオン・ボナパルトがあれほど領土を拡大できたのは、フランスの人口が多かったからです。
彼は「私には年に30万人の人的収入がある」などと雑言をはいていました。つまり、使い捨てにできる兵士がたくさんいる、というわけ!

アドルフ・ノーザン『ナポレオンのモスクワからの退却』
ナポレオンは、おびただしいほどの戦争をしたために人口を著しく減少させました。さらに、軍隊で使う馬を獲得するために農民に農耕馬を提供させたので、豊かだったフランスの農業を衰退させました。
でも、前回の記事で書いた、イギリス人がローストビーフを称える歌(1731年)や絵画(1748年)が登場したのは、ナポレオン(在位: 1804~1815年)が登場する前の時代です。
なぜイギリス人は、フランスの牛肉を使わずに、イギリスから運ばせていたのだろう? 牛肉はイギリス産の方が美味しいのだ、というイギリス万歳の自信からだったのだろうか?...
◆ フランスでは、牛肉は煮て食べるものだった
彼が1768年に出した書簡の中に、こう書かれてあるのです:
消化できないとは、何を意味するの?
フランス人たちには、レアの肉を食べることに抵抗があったわけではありませんでした。特にジビエは、血が滴るような状態で食べるのが良いとされていましたから。
昔のフランスでは、牛肉は好まれていなかったのでした。
ただし、ポトフは例外。今でこそ、ポトフは田舎料理の代表のようになっていますが、当時のフランスではご馳走だったようです。

Pot-au-feu
冬の家庭料理。牛肉と野菜を長時間煮込むポトフは、日本の鍋物を思わせる消化の良い料理なので、私は大好きです。特に、牛の髄骨を入れて出汁をとると非常に美味しいのができます。
ともかく、200年くらい前に生きていたフランス人たちは、牛肉を焼いて食べたりはしていなかったのでした。牛肉を食べるなら、煮汁を出す調理法が最も美味しいのだ、という認識があったのだそうです。
◆ 18世紀のフランスでは、食肉に適した牛が飼育されていなかった
昔のフランス人が牛肉は煮て食べるのを好んだのには、はっきりとした理由がありました。
じっくりと煮込まないと食べられない牛肉しか、フランスにはなかったのです。特にローストビーフには柔らかい肉が必要ですが、フランスで生産された牛肉は、それとはほど遠いものだったようです。
当時のフランスでも牛が飼育されていましたが、食肉にするためではありませんでした。オスは農耕で働かせ、メスは搾乳してミルクからバターやチーズを作くるのが目的だったのです。
François-André Vincent, La Leçon de labourage (1793-98)
牛も働けなくなったら食べます。しかし、農耕馬として使った雄牛は肉屋に並ぶ肉にはならない。牝牛の方は、ミルクが出なくなったなどの理由で役に立たなくなれば食肉にされるのですから、これも食べて美味しい肉ではありませんでした。
当時には、未だ人工的な冷蔵装置が考案されていなかったのもネックでした。肉は一定期間貯蔵して熟成させると美味しくなるのですが、イノシシなどのジビエより体が大きな牛を、2週間も保存しておくわけにはいきませんでした。
従って、当時は牛肉は新鮮なうちに食べなければならない。そうなると、鍋で煮る料理にした方が美味しかったわけです。
◆ イギリスでは、美味しい食肉になる牛が飼育されていた
20世紀に入ってからも、ヨーロッパの農耕では家畜が使われていました。
18世紀のフランスでは牛を使うのが普通でした。イギリスでは農作業ではおも馬を使ったので、食肉にするための牛を飼育できたわけですが、しかも質が良い牛肉が生産されていました。
その背景には、イギリスは他国に先駆けて産業革命が進みましたが、同時に農業革命もおこっています。
15世紀末から、エンクロージャー(囲い込み)が行われていました。16世紀を通して、領主や富農層の地主は、農民から取り上げた畑や共有地だった野原を柵で囲い囲み、牧場に転換しました。
イギリスに残る古い囲い込みの跡

大地主や資本家たちはビジネスとして農業経営を行うわけなので、利益を大きくするために、農業の生産性を高めることに専念しました。三圃(さんぽ)式輪作を始めたのもイギリスです。
肉牛を飼育することに関しても、ただの放牧ではなく、牧場にクローバーやライグラスを植えたり、堆肥を入れたりしました。近代競馬の発祥地イギリスでは、優れた競馬用の馬を外国から入れたり品種改良したりする技術が、食肉にする牛の品種選びや品種改良にも応用されました。
他のヨーロッパ諸国では未だ行われていなかった肉牛飼育のテクニックがあったので、この時代のイギリス産の牛肉は、確かに美味しかったようなのでした。
◆ イギリスは、フランスの食文化を発達させた
ところで、最近の日本では余り使われなくなったらしい「ビフテキ」という言葉は、イギリスのbeefsteakから作られたフランス語なのだそうです。私はビーフステーキを短くしてビフテキにしたのだろうと思っていました。
フランス語のbifteckも、英語のbeefsteakも、グリル用の牛肉スライス、ステーキ(英語から入った仏語でsteak)料理の2つの意味を持っています。日本語では、料理の名前としてしか使わないのではないでしょうか?
アレクサンドル・デュマ・ペールが出版した『Grand dictionnaire de cuisine(料理大辞典 1870年)』には3,000のレシピが紹介されていますが、その中にこんな記述があります。
* 1815年の戦役とは、ナポレオンの最後の戦いになったワーテルローの戦いのことだろうと思います。
** ビーフステーキには、すでにフランス語化した単語「bifteck」が使われています。
イギリス産の牛肉が簡単な調理で食べても美味しいということは、何か理由があるはずだ、とフランス人は考えました。
フランスの農民たちは、牛の育て方や品種の選別にも無頓着だったのでした。イギリスの影響を受けて生産性を上げるようになったのは、19世紀に入ってからでした。
フランス革命(1789~99年)がおきたために、イギリスに亡命した貴族たちがいたのですが、王政復興(1814年)になったので帰国しました。農業を仕事にする人たちもおり、イギリスに学んだ新しい農業のやり方を真似する人も現れたようです。
フランスは、イギリスからテクニックを学んで、飼育法や品種について改善し、優れた肉牛を生産できるようになったわけです。
◆ フランスにおけるレストランの発展
フランスにレストランが登場したのはルイ16世の時代でしたが、すぐに人気がでたそうです。
この時代に有名だったレストランとして、フランス革命のほんの少し前にアントワーヌ・ボーヴィリエ(Antoine Beauvilliers)がパリに開いて大成功した飲食店があります。
彼の店の名前は、驚いたことにLa Taverne anglaise、La Grande Taverne de Londres。「イギリスの」とか「ロンドンの」と付いた飲食店となっているのです。
※ taverneというのは、現代では「居酒屋」とか「田舎風レストラン」と訳しますが、この時代は違っていたようです。そもそも、フランス語のrestaurant(レストラン)という単語も、restaurer(修復する)からできた名詞で、昔は「滋養物」の意味としても使われていました。
こんな風にイギリス料理を連想させる店の名前にしたら、今のフランス人には受け入れられないでしょうね。ボーヴィリエのレストランは、パリに初めて登場した本格的なレストランでした。美しい内装で、サロンもエレガントで、ワインセラーも充実していたそうです。
アントワーヌ・ボーヴィリエは、コンデ公やプロヴァンス公爵(後のルイ18世)を始めとする、王家直系貴族のもとで、調理人や食料調達の責任者として活躍をしていた人でした。
彼は1814年に『Art du cuisinier(調理の技術)』を出版しています。

この料理本を、食通として名高いブリア=サヴァランは「これほど厳密にテクニックが扱われたことは、かって無かった」と絶賛しました。
牛肉に関しては、こんなことが書かれているのだそう。
イギリス人たちがビーフステーキを作る時には、我々がsous-noix(子牛の腿肉)と呼んでいる部分か、しっぽの近くにある牛の部位を使う。それを彼らはRomesteck(ランプ *)と呼んでいるのだが、イギリスのビーフはもっと限りなく柔らかいのである。彼らはフランスよりも遥かに若いうちに牛を殺すからだ。
19世紀は、フランスでレストランが大きく発展した時代でした。
パリにあるレストランの数は、フランス革命勃発の時点では100軒程度でしたが、18世紀末には500軒、19世紀の復古王政期には3,000軒にまでに増加しています。
そして、レストランで出す料理の質も各段に高くなりました。優秀な調理人がレストランで働くようになったのが大きな原因です。
フランス革命まで貴族のお抱え調理人だった人たちは、革命が起きたために城を出ていかなけばならなくなり、新しい仕事としてレストランのシェフを始めました。貴族たちが味わっていた洗練された料理を、革命に勝ったブルジョワたちがレストランで味わえるようになったのです。
フランスのシェフたちは新しい味を求め、イギリス料理も取り入れて自国の料理を進化させていったようです。19世紀のフランスでは、パリのレストランよりロンドンの方が美味しい食事ができると認めていた、という記述もありました。
◆ 牛肉を食べるのが流行したというのとは関係なかった...
ボーヴィリエが開いたイギリスを連想させる名前のレストランについて調べていたら、同じパリで、「Bœuf à la mode(ブッフ・ア・ラ・モード)」というレストランが1792年に開店したという記述が出てきました。
店の看板:
この店がオープンした1792年といえば、ローストビーフがフランスで浸透した時代ではないですか?
「à la mode」というのは「流行している」という意味で、ファッション関係ではよく使われます。それで、このレストランの名前は、「いま流行っている牛肉」という感じかなと思いました。つまり、イギリス風に作ったローストビーフやビーフステーキが美味しいので、牛肉を食べるのが今の流行ですよ、と誘っている?
ところが、「Bœuf à la mode(ブッフ・ア・ラ・モード)」という料理がフランスにはあったのでした。
どう見ても煮込み料理。つまり、牛肉を焼いて食べるというイギリス式が流行したという憶測は外れでした。料理の名前を店の名前にしたのだろうと思いました。
この料理は、牛肉とニンジンをワインで煮て、プロバンスのハーブでアクセントを付ける料理だそうです。レシピは、ブログで以前にも触れたことがある、新しい料理を色々と考案した料理人フランソワ・ピエール・ラ・ヴァレンヌ(François Pierre de La Varenne)が、1651年に発表していました。つまり、フランス人が牛肉は煮て食べるに限ると考えていた時代ですね。
「モード(mode)」という単語が入っていたので「流行り」を思い浮かべたのですが、昔は違う意味を持っていたのでした。流儀、やり方、というが相応しい訳語で、この料理の名前は、「le bœuf est préparé à la mode de la maison」という意味だと書いてありました。私のところ流に調理した牛肉、というところでしょうか?
でも、現在のフランスでは、一番ポピュラーだと感じるのは牛肉料理なのですけれど。例えば、パリのカフェ・レストランで何か簡単に食べようとしたとき、ビーフステーキとフライドポテトとサラダがのった皿を取るのが最も手っ取り早いと思っています。
イギリスとは全く関係がない話しを書いてしまいましたが、こんな料理があったと学んだので、メモとして残しておきます。
◆ フランスと逆に進んだイギリス
フランス人は、牛肉を余り加熱せずに食べるのも美味しいと思うようになり、素材をシンプルに調理することによって、本来の食材の味を出す道を開いていきました。そして、フランス料理を世界で最も優れているという評判を持つようになったのでした。
ところが、御家元のイギリスでは逆に、19世紀を通して加熱しすぎの調理をするようになっていったのです。ただし、ローストビールだけは、レアで、ヨークシャープディングと一緒に食べる、という伝統が今日まで残ったようですが。
イギリスの家畜飼育が優れていたという話しを聞いたら、イギリスからフランスに狂牛病が入って来て大騒ぎになったことを思いだしました。もう20年もたちますか? テレビでは連日、イギリスの感染した牛たちが殺されるのを見せる悍ましい映像が流れていたのでした。
牛に与えている合成飼料が病気を発生させたと言われました。狂牛病が真っ先に発生していたイギリスでは、飼料に問題があるのではないかということになって、国内での販売を禁止していました。それで、業者は困ってフランスなどの外国に売ったというわけ...。
イギリスは昔の食文化の栄光を取り戻して欲しいですね...。
続く
シリーズ記事: 嫌いな国の人を何に喩えるか
目次へ
ブログ内リンク:
★ イギリス料理を不味くしたのはヴィクトリア女王だった 2018/06/17
★ 目次: フランスの農業と農家(農業者、非農業者)
★ 目次: 肉牛(シャロレー種など)、牛肉など牛に関する話題
★ シリーズ記事: フランスの食事の歴史 / 2017年4月
★ 目次: レシピ、調理法、テーブルウエアについて書いた記事
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
【フランソワ・ピエール・ラ・ヴァレンヌに関して】
★ マロングラッセとマロンの関係。鶏が先か? 卵が先か? 2016/12/22
外部リンク:
Rosbifs ! : L'histoire des relations franco-anglaises au travers de la viande de boeuf
☆ LA FRANCE PITTORESQUE:; Viande anglaise ou « Vache folle » en 1852
☆ Wikipedia:: Élevage bovin » Histoire de l'élevage bovin français
☆ La révolution agricole
☆ 世界史の窓: 囲い込み/エンクロージャ
☆ Cuisine française: Au XVIIIe siècle » Au XIXe siècle
☆ LA CUISINE FRANÇAISE D'ANTAN: RESTAURANT , BRASSERIE , TAVERNE ET AUTRE ESTAMINET
☆ Antoine Beauvilliers (1754 - 1817)☆ cathy en cuisine: Restaurants☆ パレ=ロワイヤルの今 ―個人的な覚え書き―
☆ 辻調グループ校: 人物紹介
☆ LA CUISINE FRANÇAISE D'ANTAN: SUIVEZ LE BOEUF À LA MODE .
☆ Wikipédia: Bœuf à la mode
☆ Agriculture et démographie au XVIIIème siècle
☆ LA FRANCE PITTORESQUE:; Prix de la viande autrefois, consommation et réglementation
にほんブログ村
親しくなった人たちが食べ物の話しばかりするので、食いしんぼう病とかいう病気があるのではないかと思いました。私が初めに出会ったフランスはブルゴーニュ。後になって分かったのですが、フランスの中でも美食へのこだわりが強い地方なのでした。
ブルゴーニュほどではないにしても、本当にフランス人は食べ物に興味が強いらしい。今回のシリーズを書きながら調べていると、読み切れないほどたくさんの情報が出てきました。
書いた記事に関係する情報へのリンクは付けておきましたが、シリーズ記事の最後に全体に関係する情報リンクを書き出しておきます。
シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】
目次へ
その12
◆ 博物館の特別展
|
|
◆ テーブルアート
Les arts de la table, l'excellence française !
☆ Arts de la table : L’art de dresser la table
☆ Histoire des arts de la table
☆ L’art de la table du Moyen Age à nos jours
☆ Objets ménagers(Le couteau, La cuillère, Le service, Le couvert, La fourchette, La serviette) » Compléments
☆ La Serviette De Table : Histoire D'une Invention
☆ L'assiette : Histoire D'une Invention
☆ Boire et Manger, quelle histoire!: Les couverts
☆ Le couteau au restaurant : parcours d’un combattant: (1/2) » (2/2)
☆ Histoire, formes et usages du couteau
☆ Petite Histoire de la Coutellerie: (1) » (2)
☆ Couteaux Laguiole: Connaître l’histoire de la fourchette de table
☆ Pourquoi une fourchette a quatre dents ?
☆ Pourquoi les fourchettes à poisson n'ont-elles que trois dents ?
◆ 中世の食文化
☆ Boire et Manger, quelle histoire!/ Le Repas médiéval: 1ère partie » 2ème partie » 3ème partie
☆ Wikipedia: Cuisine médiévale » 中世料理
☆ Se nourrir au Moyen-Âge
☆ A la table du Moyen Âge
☆ Cuisine médiévale histoire de repas de menus au moyen âge
☆仏文化省サイト: La peinture médiévale dans le Midi de la France » Les repas
☆ Deroulement du banquet au Moyen Age - La Cour des Saveurs
☆ Comment dresser la table d'un repas, banquet, festin avec recettes de cuisine moyen age medieval
☆ Histoire médiévale: Banquet
◆ 16世紀~フランス革命前
☆ WODKA: À Table ! (16~19世紀の食事風景の絵画)
☆ Au XVIIe siècle - Cuisine française
☆ Cuisine française: Au XVIIe siècle
☆ Le souper aux XVIIe et XVIIIe siècles s'expose aux Arts Décoratifs de Bordeaux
☆ Château de Versailles:Les tables royales
☆ Centre de recherche du château de Versailles: Voyages du roi au château de Choisy (1753)
☆ Un festin de roi
☆ L'étiquette sous le règne du roi Louis XIV
☆ Frace pittoresque: Repas sous le règne de Louis XIV.
☆ Francetv Éducation: Le repas du roi Louis XIV
☆ Versailles Le chef Jean-François Piège ressuscite le repas royal de Louis XIV
◆ その他
☆ Une histoire des plaisirs du lit et de la table. Entretien avec Jean-Louis Flandrin
☆ Internaut: Histoire de l'Alimentation
☆ Wikipedia: Portail Cuisine française | Histoire de la cuisine française
◆ 日本語情報
☆ 幻想万象資料館:: 中世ヨーロッパの食卓 | フォーク | スプーン | ナイフ
☆ 食事作法の変遷 : 中世からルネサンスへ
☆ フランス料理の発展と「臣民意識」や「市民意識」への影響
シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次ブログ内リンク:
★ 目次:レシピ、調理法、テーブルウエアについて書いた記事
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
にほんブログ村 | にほんブログ村 |
シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】
目次へ
その11
フランスの食事の歴史を調べていたら、食卓でのマナーが出てきたので、このシリーズ記事とは関係がないけれどメモしておきます。
だいたいは何となく覚えたものでしたが、そんなことを言うのかな...、というのもありました。
| 1. | 招待した家の奥さんが場所を示す前にテーブルに座ってはいけない。 これはそうだな、と自然に覚えました。大勢のときなどは、席を決めている場合もあります。隣に座りたくない人を割り当てられたときは気に入りませんが、我慢するしかない! レストランでも同じですよね。勝手に座ってはいけない。でも、私はトイレのドアのすぐそばというのは絶対に座りたくない。ここは嫌だと言うと、たいていは別の席にしてくれますが、中には頑固に席を変えてくれないお給仕の人もいます。そういうときは、さっさと店から出てしまうことにしました。席だけの問題ではなくて、食事を楽しめない店だろうと思うので。 |
| 2. | 全員にお給仕が終わってから食べ始める。 これは大事なマナーだろうと感じています。特に、食事を作ってくれた人が席につくのを待たずに食べ始めてしまうのは、非常に礼儀知らずになる。 でも、日本の男性たちは、料理を出されると、奥さんのことなどは気にせずに食べ始める人がいると感じます。自分がそれをやられると、非常に腹がたつ.! |
| 3. | 口に食べ物がいっぱい入っている状態ではしゃべらない。 お行儀の悪い典型でしょうね。これは子どものときに厳しく躾けられているのだろうと感じます。 |
| 4. | テーブルに肘をつかない。 食事が延々と、何時間も続iいて、おしゃべりしているときは、ついやりたくなってしまいますけれど...。 手をテーブルの上に置いておかなければいけない、というのもあると思います。食事を待つ間に、お行儀よく膝の上に手を置いておくというのは避けるべきことのようなのです。なぜなのかな?... 追記: 食卓で肘をついてはいけないというのは、フランス人たちは子ども時代にしつこく教育されるのだそう。とはいえ、それをやっている大人たちもいるのですけど! 友達が言うには、肘をついていると退屈しているようで、そのうち寝てしまうのではないかと思わせ、つまり他の人たちに失礼でお行儀が悪いからだと思っていたとのこと。 でも、それが理由かなという情報がありました。 中世からの伝統という説です。 このシリーズで書いてきましたが、中世のテーブルは足組に板を乗せて設置し、そこに大勢が座りました。そういう席で肘をついていると隣の人の邪魔になる。しかも、板を乗せただけのテーブルで肘をつくと、テーブルがひっくり返ってしまいかねない、というもの。 もう1つの説も中世からの伝統で、この時代は簡単に人を殺してしまったからというもの。 肘をついて手を隠していると、テーブルの下に武器を隠していて、気に入らない相手を傷つけてしまうので、そういうことはしていないことを示す。でも、中世には各自が持ち寄った短刀をナイフにして食事していたのですよね。殺し合いをするには、手をテーブルの上にのせていたってできるではないですか?... 私は1番目の説がもっともらしく感じました。中世の伝統と言っても、「 昔のフランスには、ダイニングルームがなかった」に書いたように、テーブルとイスを置いたダイニングルームが普及したのは19世紀なのですから、つい最近まで食卓で肘をつかれるとこまる生活をしていたわけですから。 |
| 5. | 飲物が欲しい場合は、自分ではお給仕せずに、欲しいと言う。 欲しいとは言えないですよ~! でも、自分でお酌するというのはできない。人にお酌して、ついてに自分のもという手があるのですが、女性の場合はそれができないのですよね。お酒のお給仕をするのは男性の役割ですので。 食事の招待者がお酌をしてくれるのを待つわけですが、大勢で食事するときには男性の誰かが給仕係をかって出ます。だから、男性の場合には自分のグラスが空になる可能性は少ない。 ノンベイの女性友達が、グラスが空になったとき、グラスをひっくり返して、わぁ~、と声をあげ、「ああ、グラスが空で良かった!」なんて言う方法を考えついていました。 |
| 6. | 食べ終わったら、カトラリーは皿に上に置く。 日本のマナーでは、フォークとナイフを揃えておくように、というのではないでしたっけ? フランス人たちを見ていると、置き方は気にはしていない感じがします。 |
| 7. | ワインを飲む前には、グラスを汚さないためにナプキンで口を拭う。 ナプキンはそのために必要なのですか? 飲み続けていたら、飲むたびに口を拭うなんてやっていられないと思うけれど...。 |
| 8. | パンはナイフで切らずに手でちぎる。 これは自然に覚えました。パンはちぎって食べるべきなのですよね。 |
| 9. | パンで皿を拭わず、皿に残ったソースはそのままにしておく。 やってはいけないそうなのですが、それをするフランス人は多いです。私が料理を出した時には、ソースをきれいにパンで拭ってくれると、それだけ美味しいというジェスチャーなので嬉しいですけれど。それに、きれいに拭ってくれると、次の料理を出すときに皿を代えなくても良いので便利でもあります! 友達仲間で食事をするときには良いとしても、お上品に食事をするときにはすべきではない、というのは覚えておかないといけない...。 |
| 10. | フォークは口に近づけるものであって、口をフォークに近づけてはいけない。 そうか...。意識していなかったな...。 |
| 11. | 皿は動かしてはいけない。スープ皿を傾けてもいけない。 お通しで出てくる小さな皿は、傾けて汁をすくおうとすることもあるけどな....。 でも、これはフランス人には基本らしい。日本に行くことになった友達が、日本でのマナーを勉強したらしくて、日本ではお椀を持ち上げたりして良いのですってね、と聞かれました。汁ものやご飯などは、お椀を持ち上げないと食べられないですが、フランス人には珍しい作法だと感じるらしいです。 |
マナーと言っても、大したものは並んでいないと思いました。食事は、気取らずに、楽しく、味わって食べるのが一番だと思います。
続く
シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次ブログ内リンク:
★ フランスのレストランでのマナー 2008/04/12
★ フランス人から顰蹙をかうマナー違反 2009/03/05
★ フランス貴族は気取らない 2005/07/13
★ フランス貴族の見分け方 2007/09/25
★ スープの季節 (1) 日本の西洋料理を見て不思議に思ったこと 2007/12/12
★ フランス人が日本で居心地の悪さを感じた場面 2019/03/01
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
外部リンク:
☆ Pourquoi ne doit-on pas mettre les coudes sur la table
にほんブログ村 | にほんブログ村 |
シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】
目次へ
その9
18世紀には調理法も洗練されてきましたが、今日の私たちがフランス料理と考えるものは、19世紀になってから整えられたもののようです。
19世紀にフランス料理は大きく姿を変えたと言われます。ロシア式サービス(Service à la russe)というものが入ったのです。
ナポレオンが失墜してから(在位: 1804~14年、1815年)、ロシア人たちがパリに大勢入ってきた影響で、ロシアで行われていた食事のサービス方法がフランスで取り入れられたようです。ロシア大使として1808年から1812年まで パリにいたアレクサンドル・クラーキンがもたらしたという説が有力ですが、正確なところは分からないようです。
それまでの中世から続くフランスで行われていた方法は、フランス式サービス(Service à la française)と呼ばれます。
何が違うのか?
フランス式:
サービスは何回かに分けて出てくるが、食べきれないほど色々な料理を並べて、食客は好きなものを食べる。
ロシア式:
肉などは調理場で切り、食べきれる分量の料理を別々に出すので、冷めない料理を食べられる。
ロースト料理に重点をおく。
つまり、フランス式サービスは、今でいうところのセルフサービスとか、ビュッフェスタイルのような感じがあります。食べきれないほど出すので残り物がたくさん出るわけで、それは貧しい人たちや召使いに与えていた。ロシア式では、おすそ分けは残らないでしょうね。
結局のところ、ブルジョワ革命の後にはケチになったとも言えるのでは?... 革命の後は、貴族に雇われていた料理人が職を求めたのでレストランがで発展しています。ロシア式はレストランでするには便利なので気に入られたのだろうと思います。
◆ 火を使う台所は火事の危険がある
フランスで古城の見学をすると、たいてい最後に調理場の見学があります。そこで料理を振る舞ってくれるわけでもないのに、フランス人たちは嬉しそうにガイドさんについて歩いて行きます。台所では火を使うので、大切なものがある部屋からは離れているのです。
中世には、火事を恐れて、台所は別棟だったりもしたようです。

Histoire de Renaud de Montauban
これでは料理が冷めてしまいますよね。雨が降っていたらどうするのだろう?
近世になれば、建物の中で台所から移動して料理を運べるのが普通になります。それでも遠いので、食事をする部屋には料理を温めなおしたりする装置もありました。もちろん、ワインやグラスを氷で冷やすということもしていました。
中世の宴会では、3回から5回に分けて料理が出ることが多かったようです。そのたびに料理を1品出すのではなく、複数の料理が出されました。これがフランス式サービス。
始めには、果物や季節の食べ物。次はポタージュと呼ぶ液体状のソース。次は「rôt」と呼ばれるメインディッシュで、ジビエ、家禽類、魚などのロースト。料理と料理の間にはentremet(アントルメ)も出されましたが、これは見せるための派手なものが多かったようで、これが出るときには音楽や曲芸などのアトラクションがありました。その後は、甘い菓子やケーキや果物などのデザート。
この後に、長引く宴会では酒が振る舞われたそうです。さらに親しい人たちは、宴会を開いた主のプライベートの部屋に入って、食後の消化をよくするためにワインやドライフルーツなど振る舞われることもありました。これを「boute-hors」と呼んだそうです。
中世には、宗教上の拘束もあり(肉を食べない日があったり、美食や酒にうつつを抜かしてはいけないなど)、食事は楽しむというよりも体力を養うために食べると考えられていたようです。ルネサンス期になると、食事を楽しもうとする傾向が現れてきました。
◆ 16世紀の祝宴
ルネサンス期のご馳走をテーマにした展示会があり、そのときの館長さんが展示物を見せながら16世紀の食事について語っています。
Les festins à la Renaissance : luxe, ordre et volupté
◆ 17世紀の祝宴
フランス式サービスというのは、テーブルが埋まってしまうほど料理を並べるのですね。

これは、ルイ13世が1633年にフォンテーヌブロー城で開いた祝宴の版画(こちら)を絵画にしたもので、描かれているのはルイ14世のように見えるものの、食卓は同じです。
宴会は盛大だったはずなのに、1列に14人しか座っていないので、絵のためにテーブルの長さをカットしてしまったようです。
お皿がこんなに並んでしまうと、現在にイメージするような気取ったフランス料理には見えませんね...。
中央にいる棒を持った人は、滞りがなくサービスが出来ているかを監督している給仕長でしょうね。
給仕長として歴史に名を残している人に、フランソワ・ヴァテル(François Vatel 1631~71年)がいます。シャンティイー城でルイ14世を招待した大切な宴会を指揮していたのですが、届いた魚介類の量が少ないのを苦にして自殺してしまったという人。皮肉なことに、彼が死んだあとに魚介類がたくさん届いたのですけれど、電話もない時代だと、そうなってしまうのだろうな...。
ヴァテルが働いた城を見せる番組がYouTubeに入っていたので入れます。フランスの城の台所がいかに立派であるかが見えるので。日本で城の見学をするときには、台所の見学はハイライトになっていないように思うのですが...。
Vatel, l'excellence à la vie à la mort - Reportage - Visites privées
◆ 18世紀の食事のメニュー
18世紀には、斬新的なレシピも生まれ、フランスの美食文化は高いレベルに達しました。
ルイ15世の夕食のメニューです(1751年)。

クリックすると、大きな画像を入れているサイトが開きます。
ずらりと料理の名前が並んでいます。この中から好きなものを選ぶというレストランではないのですから、全部が食卓に出てきたのだろうと思います。大きく5回のサービスに分かれていますが、これだけたくさんの料理を各自の前に並べることは無理でしょうから、離れたところに気に入った料理があったら歩いていったのでしょうか?
1750年にルイ15世のために開かれた宴会では、午前9時に始まって、午後8時に終わったと書いてありました。これは、ブルゴーニュにいると驚きはしません。朝からは食べ始めないですが、昼ごはんに招待されて、真夜中過ぎまでテーブルについたままだったということは珍しくありませんので。
でも、その時に出されたのは、各自11皿を並べるサービスが6回あったとのこと。ということは66種類の料理が出たということ? 日本料理は一口しかのっていない皿をたくさん出しますから、皿の数では驚かないけれど、そんなのではないでしょうから、やはりスゴイ!
◆ ロシア式サービスの到来
L'avènement du service à la russe - Visites privées
始めのところで、フランス式サービスだと全員に料理が出されるまで食べられないので、料理が冷たくなってしまうと言っていました。
でも、中世の宴会でもそうだったのですが、肉を切る係りの給仕が高い地位にあります。でも、肉を目の前で儀式のように切るのは主賓格のためだけで、その他の食客たちには既に調理場で切った肉が出て来たのだ、と専門家の方がおっしゃっていたのですけれど...。
◆ 現在のメニュー
フランスの3つ星レストランで食事をしたときに出されたものを並べてみます。

現在のフランス料理のコース料理といったら、次のようになるのではないかと思います。
- お通し(何品か)
- 前菜
- メイン料理: 肉か魚、あるいは両方。魚の後にお口直しのアルコール飲料入りシャーベットなどが出てから肉料理になることがよくあります。
- チーズ(普通は食べ放題なので、ここまででまだお腹がすいていたらチーズをたくさん食べる)
- デザート
- コーヒーとお菓子
もちろん、もっと皿の数が多いコース料理もありますが、18世紀までの料理のメニューを眺めた後では、大したことがなかったな... と思ってしまう。これがロシア式サービスなわけでした。
続く
シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次ブログ内リンク:
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
★ ホイップクリームは、フランス語ではクレーム・シャンティイ 2012/06/06
外部リンク:
☆ 紀元前から現代までのメニュー色々: Menus d'hier
☆ L'histoire des menus
中世:
☆ Exemple type de menu repas médiéval avec recettes et boissons de cuisine médiévale du moyen age
☆ Banquet
16~19世紀の食事風景の絵画:
☆ WODKA. À Table !
17世紀:
☆ Cuisine française: Au XVIIe siècle
☆ Le Festin des chevaliers du Saint-Esprit, 1633-1634
17~18世紀:
☆ Le souper aux XVIIe et XVIIIe siècles s'expose aux Arts Décoratifs de Bordeaux
☆ Interdisciplin'art: Menu d'un livre de cuisine au XVIIIe siècle
☆ La gastronomie, un nouvel art de vivre du XVIIIème siècle en Lorraine
19世紀:
☆ Le Service à la russe
ヴェルサイユ宮殿:
☆ Château de Versailles: Les tables royales
☆ Francetv Éducation: Le repas du roi Louis XIV
☆ Versailles Le chef Jean-François Piège ressuscite le repas royal de Louis XIV
☆ France pittoresque: Repas sous le règne de Louis XIV
☆ Wikipedia: Étiquette à la cour de France: L'étiquette sous le règne du roi Louis XIV
☆ Voyages du roi au château de Choisy (1753)
☆ Un festin de roi
☆ Wikipédia: Service (cuisine) / Service à la française / Service à la russe
☆ メートル・ド・セルヴィスの会: サービスの歴史と給仕方法
☆ 日本エスコフィエ協会: 料理が語る歴史のひとこま
にほんブログ村 | にほんブログ村 |
茶の間にしている畳の部屋で食事をして、それを片づけて、夜は彼女の布団を敷いて寝てもらいました。フランスでは来客用のベッドルームがあることが普通なのに、私のアパートは狭いので申し訳ないと謝ったら、とても合理的な部屋の使い方だと褒めてくれたのでした。まんざらお世辞で言っているわけでもないらしくて、部屋をダイニングと寝室に使ってしまうということに感心していたようなのです。
ずっと後になって、フランスだって、昔は、寝室で食事をすることが多かったのだ、と知りました。
ただし、何事も文句を言うのがフランス人。私のアパートの茶の間は6畳間と狭いし、天井は低いのが問題だったようです。泊めた彼女は、布団に入ったときに食べ物の臭いがこもっているのは難点だ、と文句はつけていたのです。
その後に自分で実験してみたら、鍋物などをした後の部屋は耐え難いほど臭いのでした。私たち日本人は意識しない傾向にあるのでしょうが、醤油や魚を使った日本料理は、たまらなく嫌な臭いがするのです。これについては、いつか書きたいと思っています。
シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】
目次へ
その8
フランスの家庭で、ダイニングルームがあるのが普通になったのは19世紀になってからだそうです。庶民はもちろん、貴族や裕福な階層が住む広い城や館でも、寝室や居間のような部屋に食卓が整えられて食事をしていました。
◆ テーブルは食事の度に設える
昔のフランスには、ダイニングルームというものが存在していませんでした。
食事の時には、組み立て式のテーブルを設えました。足組をセットして、そこに板を乗せてテーブルにし、その上にテーブルクロスをかけて食卓にしていたわけです。
中世についてはすでに書いています:
★ 中世の食事 (2) 宴会でのテーブルの配置
いかにも設えたテーブルだと分かる絵があったので入れます。15世紀後半の作品です。

Syphax recevant Scipion l'Africain et Hasdrubal à sa table, vers 1485-1490
宴会のときには、人数に合わせて大きな部屋に場所を設えますので便利ではあります。
現代のフランスでも、田舎に住む人が100人も招待するようなホームパーティーを開くときには、公民館からテーブルを借りてくるのですが、足組を立てて、そこに板をのせてテーブルにするという形式があります。

◆ 寝室で食事する
普段は、寝室で食事することも多かったようです。暖炉があって、広間のようには大きくないので、寝室は暖かいから、ということも大きな理由だったでしょう。
17世紀、18世紀になっても、城主様の寝室が食堂になることも多かったようです。城を見学すると、ガイドさんがよく「dresser la table(食卓を整える)」というのは、そこから来ている表現なのだと説明します。
今では食卓に食器などを並べて食事の支度をすることを意味する表現なのですが、もともとは本当にテーブルを設置したわけなのです。城の見学をするのが趣味の私は何度も聞いているので珍しくもないのですが、フランス人たちは「なるほど...」と感心して聞いています。
◆ ルイ14世(在位: 1643~1715年)の場合
ヴェルサイユ宮殿で暮らしたルイ14世は、規則正しい生活をして、それを儀式のように公開していました。食事に関しては、朝食は寝室でとり、昼食と夕食は別々の部屋を使う、という具合。
下の絵画は、ルイ14世がモリエールを朝食の席に招いたという逸話(1670年)を題材にしたものです。

Louis XIV et Molière déjeunant à Versailles, par Ingres. Esquisse pour le tableau le Déjeuner de Molière, qui fut détruit en 1871 au palais des Tuileries. (Bibliothèque-musée de la Comédie-Française, Paris.)
右側に、緑色の天蓋があるベッドが見えます。
新古典主義の画家ドミニク・アングルが1857年に描いた作品なので、当時の様子を伝えているだけですが、寝室での食事はこんな感じだったはずです。
城の寝室は、私が友人を寝かせた6畳間の何倍もの広さがありますし、天井も高いですから、寝ていて食べ物の臭いがするということはなかっただろうと思います。
ルイ14世が1人でする食事は「Petit Couvert(プティ・クーベール)」。公開して見せる食事は「Grand Couvert(グラン・クーベール)」と呼ばれ、妻や子どもたちと共に食事をしました。
大勢の人がいるグラン・クーベールの様子を描いた絵があります(1710年):
☆ Le souper au Grand Couvert.
午後10時、Grand Couvertで行われるsouperと呼ばれるヴェルサイユ宮殿での夕食は、時代によって、国王か王妃の控えの間(antichambre)をダイニングルームとしていました。部屋は決めていたわけですが、食事の時にはテーブルを設置していたのでした。国王は立派な椅子に座りますが、その他の人は折り畳み式の椅子に座り、通りかかった人たちは立ったままで見学します。
ヴェルサイユ宮殿にある王妃の控えの間の様子を見せる動画があったので入れます。始めに出てくる棒は、長さが1メートル30センチある給仕長の指揮棒です。
Versailles, l'autre visite : #02 - LE SCEPTRE DU GOÛT
フランス革命で断頭台の露と消えたルイ16世は、ルイ14世のように儀式張って派手なことをするのは嫌う人でした。「Grand Couvert」で食事するのは、祭日と日曜日だけとされていたそうです。
◆ ダイニングルームが初めて作られたのは18世紀
このシリーズでも何回も画像を使いましたが、ヴェルサイユ宮殿につくるダイニングルームの壁に飾るために描かれた絵があります。
![]() Le Déjeuner d'huîtres, Jean-François de Troy (1735) | ![]() Le Déjeuner de jambon(1735年), Nicolas Lancret |
18世紀前半に描かれた絵画です。部屋が幾つあるのか分からないほど広いヴェルサイユ宮殿。食事をするためにしか使わないテーブルとイスを設置した部屋を作っても良いのに、この時代まで食事のためにテーブルを設えていたというのは不思議な気がします。
◆ 卓袱台(ちゃぶだい)の発想?
食事のときにテーブルを作る「dresser la table」という言い方は、日本で言う「膳立て」と同じ感じでしょうか?
日本にも、ちゃぶ台がありました。
映画『めし』(昭和26年)
折り畳み式ですよね? とすると、便利。
ちゃぶ台が庶民の家庭で使われていたのは、いつまでだったのか?
1887年(明治20年)ごろより使用されるようになり、1920年代後半に全国的な普及したが、1960年(昭和35年)ごろより椅子式のダイニングテーブルが普及し始めて、ちゃぶ台を使う家庭は減少していった、という記述がありました。
ちゃぶ台というのは、こんなに小さくて、きゃしゃなものでしたっけ? だから、「ちゃぶ台をひっくり返す」などという言い方ができたのでしょうけれど。
ちゃぶ台に似ていると思わせる絵画がありました。オランダの画家が18世紀半ばに描いた作品です。

Couple dînant devant la cheminée, 1650, Quiringh van Brekelenkam
寒いから暖炉の前で食事している庶民の生活を描いているようです。
文化の違いというのはあるけれど、共通した発想に行きあたると面白いと思います。
◆ テーブルとイスが必要な食事の文化は不便
現代のフランスでは、食事をする場所が少なくとも2カ所ある家庭が普通だと感じます。家族だけの簡単に食事ができるテーブルは台所にあります。それから、家族でもちゃんと食事するとき、来客があったときに食事するための大きなテーブルがあるダイニングルーム。
フランスの家庭を見ていると、大勢で食事をするときには、大きなテーブルと人数分の椅子が必要なのは不便だと思います。
日本だと、座布団をたくさん持っていて、テーブルが小さければ座布団をぎっちり並べたりできますが、テーブルだと、足が邪魔で椅子をぎっちり並べることができなかったりもするのです。
10人以上が座って食事できる大きなテーブルを置いておけば良いわけですが、夫婦二人だけで住んでいると、いつもはその隅っこで食べるというのも楽しくありません。
フランスの家庭の多くは、必要なときには引き延ばすことができるテーブルを使っていることが多いと感じます。
下は、朝市で売っていた伸縮性のテーブルです。真ん中にある2本の足は、広げたときに下せるようになっています。

★ 伸長式ダイニングテーブル 2013/01/02
続く
シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次ブログ内リンク:
★ 目次: レシピ、調理法、テーブルウエアについて書いた記事
★ 目次: ホームパーティー いろいろ
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
外部リンク:
☆ Comment dresser la table d'un repas, banquet, festin avec recettes de cuisine moyen age medieval
☆ Wikipedia: Renaud de Montauban » ルノー・ド・モントーバン
☆ Château de Versailles: Les tables royales
☆ Versailles - Extraits - Extrait la cérémonie du grand couvert
☆ Petite histoire de la table à manger
☆ Wikipedia: Salle à manger » 食堂
☆ Wikipedia: ちゃぶ台
にほんブログ村 | にほんブログ村 |
人を招待したときにはナプキンを出して恰好をつけるというのではなくて、家庭での食事でもナプキンはなければならないものになっているのです。手で食べる料理には必要ですが、そうでなかったらいらないのではないか、と私は思ってしまうのですけど...。
シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】
目次へ
その7
◆ 古代ローマのナプキン
古代ローマ時代でも、mappa と呼ぶナプキンが使われていたのだそうです。ただし、テーブルに置かれるのではなくて、各人が自前のものを持って行くものでした。白い布というシンブルなもので、時には金糸で縁取りがある程度。顔を拭いたりもしていたらしい。
としたら、日本人の感覚ではハンカチみたいなものではないですか?
フランス人にとってのハンカチは、ちょっと違うので、食事の席で出してきて使うわけにはいきません。
フランス語でハンカチはmouchoirで、命名からして鼻をかむときに使うのが大きな目的のようなのです。後は涙を拭く? 私はハンカチで鼻をかんだりすることがないので、ハンカチは清潔なものだと思っているのですけれど、フランス人に貸してあげるなどとは言わないようにしています。
ともかく、西洋ではナプキンとハンカチは別ものらしい!
古代ローマ時代には使われていた小さなナプキンは、中世には消えました。
◆ 中世
テーブルには大きなテーブルクロスがかけられるので、その端で手や口を拭い、ナイフも同様に拭っていたそうです。
当時のテーブルは、食事の時に脚台に板を乗せて作られ、2つ折りにしたテーブルクロス(doublierと呼ぶ)をかけました。このダブルクロス(doublier)は、そのうちテーブルの淵に長い布を置くことによってとって変えられます(longuièreと呼ぶ)。
La Dernière Cène, de Dirk Bouts, panneau appartenant au retable du Saint Sacrement (1468)
ディルク・ボウツ『最後の晩餐』
13世紀には、中世のテーブルナプキンと呼べるものが登場します(touailleと呼ぶ)。これは4メートルの長さがあるものを2つ折りにして縫い合わせたものを棒に付けたもので、壁に布巾(torchon)のようにかけておいて使いました。
それって、トイレにある手拭きにあるシステム? 当時の食卓にはフォークはなく、手づかみで食べていたので、手拭きは必要でした。touailleという言葉は、ナプキンというか手ぬぐいという感じで17世紀くらいまで使われたとのこと。貧しい家庭では、そういうものを手ぬぐいとして使っていたのでしょうね。
もっとも、宴会では「中世の食事 (3) 食べる道具としては、ナイフとパンがあれば十分」に書いたように、手を洗わせてくれるサービスもありました。

◆ 16世紀(ルネサンス期)
今日のテーブルナプキンが登場する。四角か長方形で、かなり大きいナプキンでした(長さ1メートルのものもあった)。
大きなナプキンが必要だったのは、当時に流行したコルレット(Collerette)と呼ぶギャザーがついたレースなどの飾り襟を保護するためでした。形が似ていることから果物のイチゴを意味するfraise(フレーズ)とも呼ばれた襟です。
マルグリット・ド・ヴァロワ | ![]() | |
![]() マルグリット・ド・ヴァロワ | ![]() アンリ3世 (フランス王) | ![]() フランソワ・ダランソン |
こういう突拍子もない(と、私には思える!)襟が、ルネサンス期、16世紀半ばから17世紀前半に王侯貴族や富裕な市民の間で流行しました。
日本にポルトガル人たちが来たときも、これが流行していた時期でしたね。学校の教科書でにあった南蛮貿易の挿絵を見て、不釣り合いに大きな襟に目が行ってしまったのを思い出します。
この時代には、裕福さを誇示するために大きな襟を付けることを競い合っていました。取り外しはできるのに、食事のときも付けたまま。
この服装がフランスでフォークを使うことを定着したさせたのですが、フォークで食べ物を口に持っていくだけでは、手間をかけてつくるレースの貴重品であるご自慢の襟を汚してしまうこともあります。
そこで、大きなナプキン(風呂敷のような感じでしょうか?)を首の回りに巻くようになりました。つまり、それまでは、赤ちゃんのよだれかけのようにナプキンを首の回りに巻くなどということはしていなかったのです。それ以前は、ナプキンは肩にかけるか、左腕に付けていたのだそう。
もちろん、こんな襟をカバーできるように上手くナプキンを撒くのは一人ではできないので、隣に座った人同士が首の後ろでナプキンを結ぶのを手伝うという礼儀作法までできたのでした。
そこから、今日でも使われている「joindre les deux bouts」という表現ができたのだそう。文字通りにいえば「両端を結ぶ」という意味なのですが、「帳じりを合わせる」とか「なんとかやり繰りする」という意味で使われるのです。たいていは否定文で使われて、今月はお金のやりくりがつかない、などという時に使われます。
つまり、こんな大きな襟をしているから、ナプキンでうまく隠して、それが落ちてこないようにしっかり結ぶのは大変だった、ということでしょうか。
ともかく、フランス人たちが嫌っていたフォークを使い、ナプキンもして、お上品に食べるようになったのは、こんな不便なファッションのおかげだったようです。
コルレットの流行は1630年代で下火になり、それ以降は控えめな襟になりました。
この時代、ダマスク風麻布のナプキンも普及しました。行儀作法として、グラスに口を付ける前にはナプキンで口や手を拭います。
ナプキンにはバラの香りを付けたり、鳥、動物、果物などの形に折ってテーブルに置くことも行われるようになりました。
◆ ルイ14世の時代
ルイ14世(在位 在位: 1643~1715年)の食卓では、一人ひとりにフォークやスプーンが置かれるようになりました。とはいえ、王様は彼はフォークを使いたがらず、相変わらず手で食べていたそうです。
料理の間には濡れたナプキンが出されたと書いてあったのですが、それがどんなものだったのかは突き止めることができませんでした。
◆ 18世紀
ナプキンで覆わなければならないような大きな襟はなくなっていますが、18世紀に描かれた食事の絵画を眺めると、相変わらず大きなナプキンを使っていたのではないかと思わせます。大きな風呂敷のサイズくらい?
18世紀半ばの作品で、狩猟のときに野外で食事をとっている風景です。

Le Déjeuner de jambon(1735年), Nicolas Lancret, Musée Condé
今でも、フランスの奥深くの田舎に行ったら、首にナプキンを挟んで食事するお爺さんがいそうな気がしますけど...。
18世紀、食卓は豪華になり、食器も凝ったものになってきます。カトラリーも現在と同じようになり、ナプキンは、食事の最初から最後まで使われるようになりました。
ナプキンはテーブルアートで重要な位置を占めるようになり、刺繍を施したり姓名の頭文字を入れたりする豪華なナプキンや、奇をてらった折り方も登場します。
◆ 19世紀
ナプキンは小さくなり、ナプキンリングも登場しました。
◆ 20世紀以降
ナプキンは、どんどん小さくなります。
花嫁道具として、テーブルクロスやナプキンに姓名の頭文字を刺繍したりもする風習ができました。
今日では、大勢で集まるホームパーティーでは使い捨ての紙ナプキンを使うことも多いですね。
続き:
★ 昔のフランスには、ダイニングルームがなかった
シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次ブログ内リンク:
★ 目次: レシピ、調理法、テーブルウエアについて書いた記事
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
外部リンク:
☆ La Serviette De Table : Histoire D'une Invention
☆ Wikipedia: ナプキン » 仏語 Serviette de table » 伊語 Tovagliolo
☆ Etiquette and Napkin History
☆ ナプキン(napkin)
☆ Histoire de l’art de la table la serviette de l’Antiquité à aujourd’hui
☆ Si vous mangez avec une fourchette et que vous n’arrivez pas à « joindre les deux bouts », c’est parce qu’il y a eu la Saint-Barthélémy !
☆ L’origine de ces fameuses expressions : « Joindre les deux bouts »
☆ Wikipedia: Collerette (costume) | Fraise (costume) » 襞襟(ひだえり)
☆ Wikipedia: おしぼり
☆ Wikipedia: ハンカチ » Mouchoir
にほんブログ村 | にほんブログ村 |
あれ、あれ。ナイフの先は尖っていなかったでしたっけ?...
フランス製のナイフを並べてみたのですが、右端のは折り畳み式のアウトドア用ナイフ。確かに、それに比べると、テーブルナイフの先は丸くなっていますね。
納得したところで続きを読みました。
シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】
目次へ
その6
◆ テーブルナイフの先を丸くしたのはリシュリュー枢機卿
フランスでナイフの先が丸くなったのは、1610年の5月13日だった、なんていうことまで書いてあるのでした。
ルイ13世の宰相を務めたリシュリュー枢機卿(1585~1642年)が、食卓で使うナイフの先を丸くすることを思いついたのだそう。

Cardinal de Richelieu
なぜ、そんなことを考えたのか、想像がつきますか?
シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】
目次へ
その5
★ 中世の食事 (3) 食べる道具としては、ナイフとパンがあれば十分 2017/04/06
フォークがなくて手づかみで食べていたというのは食卓でのことで、調理場で使うフォークのようなものは古代から存在していました。
現代のフランス家庭では必ずあるだろうと思われるのは、こういう肉を刺すフォーク。
下はスーサ(現在はイラン)で発見されて、ルーブル美術館の所蔵となっているブロンズのフォークです。8世紀から9世紀のものと見られています。
Fourchettes retrouvées à Suse, bronze moulé, VIIIe-IXe siècles, musée du Louvre
ただし、何に使っていたのかははっきりしていません。祭祀用だったのかもしれません。
◆ フォークはイタリアからフランスに伝わった
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)では食事の時に使うフォークが存在していて、この国のお姫様がヴェネツィアのドージュと結婚したために、フォークは11世紀にイタリアに伝わりました。
フランスでも、14世紀後半、シャルル5世の財産目録には宝石が付いた金のフォークが何本か入っていたのだそうですが、チーズを焼くとか何か特別な料理に使っていたのかなどと想像されるものの、何に使っていたのかは分かっていないようです。
一般的には、フランスにフォークを持ち込んだのはカトリーヌ・ド・メディシス(1519~1589年)だと言われています。彼女がアンリ・ド・ヴァロワ(後のアンリ2世)と結婚するために、1533年にイタリアからフランスに来たとき、嫁入り道具の中にフォークがあったからです。
もっとも、彼女が特にフォークを使うのが好きだったというわけでもなく、フォークを使ったのは加熱した西洋梨を食べるためだけだったと言われていました。
「火を通したナシ」と書いてあるので、ナシを煮たのか、焼いたのか分かりません。でも、デザートだったのでしょうね。
私が食べたナシのデザートの写真を入れてみます。カシスのソースがあるのですが、確かに、こういうツルンツルンとした梨だったら、手づかみでは食べたくない...。

◆ 始めに登場したフォークの先は2つだった
16世紀のフランスで使われたという旅行用のセットの写真がありました。
French travelling set of cutlery, 1550–1600, Victoria and Albert Museum
この当時のフォークの歯は、イタリアでもフランスでも2本だったようです。ほとんど突っつく食べ方しかできないように見えますから、フォークを使って食べるのは便利だと歓迎されはしなかったのは理解できますね。
◆ コルレットがフォークを普及させた?
フォークが実用的にフランスで使われるようになったきっかけは、カトリーヌ・ド・メディシスの息子のアンリ3世が1574年にヴェネツィアを旅行したときのことでした。
イタリアでは、フォークが入ったのが早かったせいと、パスタを食べるのには便利だったか、かなりフォークが普及していたようなのです。
そこでアンリ3世は、フォークを使って食べると便利だし、何よりもエレガントだと気がついたのでした。
当時は、コルレット(collerette)というギャザーのついたレースなどの飾り襟が流行していました。フォークを使えば、襟にシミを付けないで食べられるというのは大きなメリットでした。
アンリ3世 (1570年頃) ![]() | ルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモン |
確かに、こんな服を着ていたら、フォークで食べ物を口に持って行くのが便利かもしれない...。
とはいえ、フォークを使いたがらない人も多かったようです。右手にナイフを持って、左手にフォークを持つというのは使いにくい。まして、フォークの歯が2つだと、現在の私たちが使うフォークとは違って、食べ物を乗せたりはできないので、突っつくくらいしかできません。
フォークを使って食べるのは女性がすることだ、とも見做されていたようです。それに、何となくフォークを嫌うという背景もあったのでした。
◆ フォークの語源
フォークは、フランス語ではfourchetteと呼びます。これは、fourche(ピッチフォーク)から来ています。
昔のfourcheは形が違ったのかもしれませんが、Wikipediaにはこんな写真が入っていました。つまり、土を掘ったり、干し草をかいたりする道具ですね。それの小さいのがfourchetteでフォークというわけです。
もともとは、木の枝で作った道具で、ミズキ属の樹木で作ったものが最高とされていたとのことです。
fourcheという道具では、歯の数は決まっていないようです(こちら)。
◆ フォークには悪魔のイメージがある?
キリスト教文化では、こういう形を見ると悪魔を連想するようです。fourche du Malin(悪魔のピッチフォーク)あるいは悪魔のqueue fourchue(先が2つに分かれた尻尾)に似すぎたからだと書いてありました。
悪魔が鍬のようなものを持っているのは思い浮かびます。しっぽが分かれていましたっけ? 現代では仮装するときのために、こんなのが売られていました。
尻尾は矢印に見えるのですけれど...。
ちゃんとした絵を見ないと悪魔らしさがないですね。地獄にいる悪魔たちです。

やはり、悪魔には尻尾があって、棒を持っているのですね。
少し前のことですが、「悪魔のフォーク」と呼ばれる雑草があるのを見つけました。
正式の名前はGéranium Herbe à Robert (ヒメフウロ)。私の庭にはいくらでも生えてくる草で、ドクダミのような匂いがします。薬草なのでした。
この草には、マリア様の針、マリア様のピンなどと色々な名前が付いていたのですが、その中に「悪魔のフォーク(fourchette du diable)」というのもあったのです。
なぜそう呼ばれるのかは、花が咲いた後にできる実にありました。
2つが対になって、2股のフォークのような形になるわけです。2股のフォークが嫌われたのは、同じような発想からなのかもしれません。
◆ 現在のようなカテラリーがそろったのは18世紀
カトリーヌ・ド・メディシスがイタリアからフォークを持ち込んだのは16世紀半ば。フランスで本格的にフォークを使うようになったのは17世紀末から。
その間に、フォークの歯は2つから4つになって、使いやすくなってきました。歯が2本でなくなったのは悪魔のイメージから遠ざかるためだったという説もあるそうですが、歴史家は否定しているそうです。
もっとも、太陽王と呼ばれたルイ14世(在位 1643~1715年)の時代の食卓にはフォークが出ていましたが、誰も使わなかったようです。
王様が手づかみで食べるのを好んだので、一緒に食事する人たちは... 最近の流行りの言葉でいうなら忖度(そんたく)して、王様の真似をしてフォークを使わなかったのでした。
フォークが完全に定着したのは18世紀になってからのようです。スプーンの方も、18世紀には金銀細工師たちが色々な形のを作るようになりました。デザート用、コーヒー用、紅茶用、アイスクリーム用、そしてスープ用。赤ん坊のためにフルーツジュース用のスプーンなどまでできたのだそう(先がつまっていて、穴が開いている)。
18世紀には、少なくとも裕福な階層の食卓には、色々な種類のナイフが登場しています。チーズ用、魚用、バター用など。
色々な陶器が登場するようになったので、それに合わせてカテラリーが作られました。
金持ちは銀のナイフを作らせ、その下の階層では銀メッキ、貧しければ鉄製という具合。貧しい親にはナイフは結婚祝いでした。ナイフは縁を切るという縁起の悪いものともされたのも、この時期だったようです。ナイフの生産者は、凝っていたり、斬新だったりするナイフを作って成功を収めます。
でも、当時は、フォークとナイフは片方に置いたそうです。

◆ フォークいろいろ
気にしていなかったのですが、現代のフォークは歯の数が4つなのが普通。そして、魚料理を食べるときのフォークは3つが普通。エスカルゴを食べるときは歯が2つでないとダメ。
フォンデュで使う串のようなものもフォークと呼ぶのでしたね。
続き:
その6 1610年5月13日、テーブルナイフの先は丸くなった
シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次ブログ内リンク:
★ 目次: レシピ、調理法、テーブルウエアについて書いた記事
★ 目次: フランスで感じるキリスト教文化
★ フランス人から包丁をプレゼントされたら、お金を払う 2014/07/25
外部リンク:
☆ Wikipédia: Fourche » ピッチフォーク
☆ Le costume historique: Collerette (pour femme) | Collerette (pour homme)
☆ Wikipédia: Collerette (costume)
☆ Pourquoi une fourchette a quatre dents ?
☆ Pourquoi les fourchettes à poisson n'ont-elles que trois dents ?
☆ Les Images du Diable (1000 - 1500) » Les Images du Diable (1500-2000)
☆ Alimentarium : La fourchette
☆ Musée Gourmandise: Fourchette (ベルギーのサイト)
☆ CATHERINE DE MEDICIS De la fourchette aux lames sanglantes
☆ イタリアのパスタがフォークの歯を4本にさせた
フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論
にほんブログ村 | にほんブログ村 |
これだけ並べられたら圧倒されてしまいます。ナイフとフォークとスプーンは、外側から使っていけば良いようになれべられているそうですけど。
中世の食卓では、もっとシンプルでした!
シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】
目次へ
その4
◆ カテラリーの中で、ナイフだけは無ければならぬ!
下は、フランス王シャルル5世(青い服)が、カール4世(王様の左)と息子のヴェンツェルのために開いた饗宴の絵。料理が運ばれ、それを告げるトランペットが吹かれています。

テーブルの上に置かれているのは、それぞれがナイフ2本、四角い塩入れ、ナプキン、パン、皿、と説明されていました。
この時代には、今のようにグラスを各人の前に置いていませんでした。飲みたかったら、飲み物係りを呼ぶことになります。
カテラリーとしてあるのは、ナイフだけです。
中世の食事で使われたナイフは、今のテーブルナイフのような「安全な」ものではなく、武器にもなるエッジの鋭い短刀でした。
普通は、自前のナイフを取り出して使ったようです。
フォークがないので、ナイフで突き刺して食べるか、手づかみで食べていたことになります。
中世にもスプーンは使われていましたが、スープは日本式にボールを持って飲むことが多かったようです。現代のフランスでは、スープはスプーンを使うので「食べる」と言い、「スープを飲む」とは言わないのですけれど。
この時代にはフォークがないので、スープを飲んで底に残ったものはナイフで突っついて食べたようです。
15世紀に作られた装飾写本『ベリー公のいとも豪華なる時祷書(Les Très Riches Heures du duc de Berry)』の1月の暦に、当時の宴会風景が描かれています。私がブログのプロフィール写真として使わせていただいている絵なのですが、改めて、どんな食卓なのか眺めてみました。
Très riches Heures - Janvier
左奥で青い服を着ているのがベリー公ジャン1世。この装飾写本の分析者によると、これは1414年の公現祭(1月6日)、あるいは1415年の新年の祝いとして、パリの館で開かれた食事風景だとのこと。百年戦争がようやく終わりになろうとしている時期ですね。
中世の食事場面では、犬がよく描かれています。この絵では、グレーハウンド犬が床にいますが、テーブルの上にさえ子犬の姿が見えます。狩猟が大切だったので、犬にも愛着があったのか? 散らばってしまった食べ物をお掃除してくれるから重宝だったのか? あるいは、犬は忠誠のシンボルなので、いることを好んだのか...。
中世も末期になると、テーブルマナーも形づくられてきたし、衛生面も気にするようになったので、食事をするときには、そこらへんにいる犬や猫を撫でた手で食べないとか、犬のよだれを手に付けないようにするとかになったそうです。
上に入れたのはWikipediaに入っている画像なので、クリックすれば大きな画像が開くようにリンクを入れていますが、食卓の部分を切り出してみます。

ナイフを持ってお給仕している男性が2人いますが、これは前回の「中世の食事 (2) 宴会でのテーブルの配置」に書いたécuyer tranchantと呼ばれる、切るサービスをすることが役割の若い騎士です。
この豪勢な宴会では、切ってくれる役割の人がいるので、各人は自分でナイフを持つ必要がないのでしょうか? 各人の前にはナイフが見えません。
下は別の装飾写本(1430年頃)で、女性が1人で食事しています。

Livre d'heures de Marguerite d'Orléans, vers 1430, BnF
やはり大きなナイフが目立っていますね。
左に見えるのは、塩を入れた壺。食卓には塩が欠かせないものだったようです。中世の料理ではハーブもたくさん使っていたので、その後に続く時代よりも味付けが濃かったのではないかという気がします。
◆ パンは皿の代わりになる
各人が使う皿は「tranchoir」と呼ばれていました。trancher(切る)から出来ている言葉で、今日「トランシュワール」と言われたら、まな板のことだと思ってしまうのですけれど。
このトランシュワールという皿は、スライスしたパンか、木の板か、スズで作られた皿でした。薄く切ったパンに料理を乗せ、ソースをパンに吸い取らせてしまうという食べ方はよくしたようです。皿があっても、その上にパンのスライスを置いたりもしていました。
裕福な階層では、皿にするのは堅くなってきたパンで、食べるためのパンは別にあったのだそう。皿として使ったパンは、貧しい人々やペットや家畜に与えられていました。
ともかく、中世の食事では、カテラリーや食器には余りこだわりがなかったようです。皿も、グラスも、2人以上で使う場合が多かったという記述がありました。
◆ 手で食べるとなったら、手を洗う必要がある
フォークがフランスで使われるようになったのは、17世紀になってからでした。ナイフの先に突き刺して食べるので、フォークがないのは不便ではなかったようです。それに、手で食べれば良いわけなので。
手で食べるといっても、貴族たちはお上品に(?)3本の指(親指、人差し指、中指)を使っていたそうです。
ともかく、手は清潔にしておかねばならない。食卓につく前には必ず手を洗う風習になっていました。

Chroniques de Jean Froissart, XVe siècle
水差し、受け皿、手ぬぐいを持った係りの人がいて、手を洗わせてくれます。
食事の最中でも、手を洗いたければ係りの人を呼ぶことができたようです。もちろん、食事の後にも手を洗うサービスがありました。
フォークは17世紀から使われるようになりましたが、ルイ14世は手づかみで食べるのを好んだそうです。それで、彼のためには濡れたナプキンがあったという記述がありました。
つまり、おしぼり? その方が手を拭いながら食事するには便利ですよね?
今日のフランス料理では、カエルのもも肉料理や、丸ごと茹でたアーティチョークのように、手を使ってでないと食べられないものがあります。私は日本で買ったオシボリを出すことにしています。フランスでは、小さなタオルといったら、高級レストランのトイレに置いてある白くて小さな四角いタオルくらいくらいしか売っていないので味気ないので。すると、みな、とても便利だと言うのです。
どうしてフランスではオシボリが発達しなかったのか分からない。日本では、すでに『古事記』にオシボリは登場しているし、オシボリを出すサービスは室町時代か、江戸時代には定着したようなのですが。
手づかみで食べるとなると、拭うものが必要です。テーブルナプキンの歴史も面白いので、それはまた別に書くことにします。
続き:
その5 フォークを使って食べることが定着するには、百年以上もかかった
シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次ブログ内リンク:
★ 目次: レシピ、調理法、テーブルウエアについて書いた記事
外部リンク:
☆ Définition d'un tranchoir
☆ Wikipédia: Les Très Riches Heures du duc de Berry » ベリー公のいとも豪華なる時祷書
にほんブログ村 | にほんブログ村 |
シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】
目次へ
その3
◆ 宴会の席では食卓の片方に座る
中世も終わりの頃になると、料理も凝ってきたし、儀式としての形式も整い、かなりのご馳走が宴会で出されたようです。

Vœux du paon(14世紀前半)
テーブルの片側だけに座るのが中世の食事だと知らなかったら、絵に描きやすいようにしたように見えてしまう。でも、お給仕をする人たちにはやりやすいでしょうね。
下は、15世紀の装飾写本に描かれた結婚披露宴の様子です。

Histoire d'Olivier de Castille et d'Artus d'Algarbe
中央には主催者と大切な招待客が座ることになっています。この絵では、中央が花嫁で、その左手に花婿がいます。その座席に近い席は身分の高い者が座り、遠ざかるにしたがって身分が下がって行く。こういう設定は、今日でも時々はすることがありますね。全員の顔が見えるので便利。
お給仕をする人たちは、貴族出身の人々で、それぞれに役割が定まっていました。
主賓席の左手にいる青い服を着た人は最も高い地位の役割。今日でいう給仕長のmaître d'hôtel(メートル・ドテル)というところでしょうか。給仕が滞りなく行われているかを見張り、最も偉い人の横に待機して、何をお望みかに気を配ります。
この係りは、宴会の間中ずっと動かずにいなければならないのだそう。彼の手前にある舟形の容器はnef de tableと呼ばれ、最も大切なオブジェなので、これの見張りをしているということにもなります。
主賓席の前に立っているのは、écuyer tranchantと呼び、肉やパンを切り分ける係りの侍臣。écuyerというのは、貴族に叙せられる以前の貴族の子弟、chevalierの下に位置する爵位を持たない平貴族。tranchantというのはtrancher(切る)から来た言葉。
Écuyer tranchantのオーナメントは、これ。
Ornements extérieurs de l'écu du Grand écuyer tranchant
左に描かれている給仕の人たちの中で、先頭に入って来ているのはpanetierと呼ぶパンを運ぶ係りです。
ワイン担当、つまり今日のソムリエ役はéchanson。
fruitierという果物担当もいます。
ブルゴーニュ公国の宮廷では、給仕係りは50人は下らなかったとのこと。
ところで、今日の宴会やレストランでは、ワインを飲むグラスがテーブルに置かれていて、それがなくなるとお給仕の人がつぎ足してくれますが、中世にはテーブルにグラスが置かれることはなかったのでした。欲しいときには給仕係りに声をかけたそうです。この絵画では、右側の床の上にワインを入れた壺が見えます。
中世の宴会では、ただ食べることを楽しむだけではなく、音楽などのアトラクションもありました。
食事が始まる合図はホルン、料理が入れ替わるときにはトランペットで知らせました。上に入れた絵では、右上で3人のménestrelと呼ばれるミュージシャンがトランペットを吹いています。
◆ ベンチに座るからバンケット
祝宴のように大勢が集まるときは、テーブルはU字型に設置されることが多かったそうです。

この時代、ちゃんとした椅子に座るのは主催者が大切な招待客と共に座るテーブルだけで、その他の人たちはベンチに腰掛けていました。
ベンチはフランス語でban(バン)。そこから、個人的な食事とは違う「宴会」を意味するbanquet(バンケ)という言葉ができたそうです。英語でも綴りは同じで、発音はバンケット。
でも、ベンチだと座り心地が悪そう。近世になると、全員がちゃんとした椅子に座るようになりました。
中世の食事の特徴はまだ他にもありますので、続けます。次に書こうとしていることは、ここに入れた3枚の絵でも証明されているのですが、今日にフランス料理が出てくるときには欠かせないものが無いことに気づかれたでしょうか?
続く
シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次外部リンク:
【Wikipédia】
☆ Échanson
☆ Écuyer (gentilhomme) » エスクワイア
☆ Nef de table
☆ Grand panetier
☆ Grand office de la maison du roi de France
☆ Ménestrel » ミンストレル
☆ Banquet
にほんブログ村 | にほんブログ村 |

ヨーロッパの中世は、どこに線を引くかには議論があるものの、西ローマ帝国滅亡(476年)から東ローマ帝国滅亡(1453年)まで、あるいはコロンブスのアメリカ大陸発見(1492年)までとするのが一般的のようです。
上に入れたのはフランスの歴史家が区切った時代の4区分で、フランスではこれが一般的らしく、中世の終わりは1492年の方にしてありました。
ブルゴーニュ公国が4人のブルゴーニュ公(ヴァロワ家)によって栄えた時期が、14世紀半ばから1477年までなので、私の頭の中にあるフランスの中世は14~15世紀なのですけれど、5世紀に中世が始まっていると捉えるとすると長い期間ですね。
中世の後に続くのは、フランス革命が勃発する1789年までが「近代」。その中で、ルイ14世の時代(在位 1643~1715年)はフランス絶対王政の全盛期。
フランス革命の後はかなりの変化があって、それが今日まで続いている「現代」。
図で眺めてみると、青の「古代」の部分が長いし、中世も意外に長いので、近世から現代はやたらに短く見えました。
ここのところフランスの食文化の変化を眺めているのですが、今日の姿になったのは、長い歴史の中では本当にごく最近なのだと感じます。
シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】
目次へ
その2
中世の装飾写本(フランス語でEnluminure)が大好きです。手で描かれた美しいカラーの絵が入っているからです。食事の風景も多く描かれているので色々と眺めながら、中世の食事の仕方の特徴を眺めてみました。中世の食事については幾つかの記事とする予定なので、そこに入れていきます。
◆ パンが大事なカロリー源

Livre du roi Modus et de la reine Ratio, XIVe siècle
この絵画に描かれているのは旅人で、食事はパンとワインだけ、という説明がWikipediaではなされていました。でも、これを所蔵しているフランス国立図書館では「Le casse-croûte paysan(農民の軽食)」としています。畑仕事の合間にする腹ごしらえとして受け取っているようです。
ところで、中世でも巡礼者や商人たちのために、Auberge(オーベルジュ)、taverne(タベルヌ)と呼ばれる旅館がありましたが、そこで出す料理によって評判の良しあしがあったようです。ただし、タベルヌの方は、アルコール飲料の飲み過ぎやギャンブルなどが付きものなために悪名高いところもあったようす。
中世のフランス人たちは、1人あたり、1日にパンを500gから1Kg食べていた、とみられているのだそう。
肉、魚、野菜、果物、油脂、チーズも食べられたけれど、パンに添えられる食べ物であって、つまり、現代の食べ方と逆転した立場だった、という説明でした。
バゲットを食べるようになったのは比較的最近なので、フランスから輸入して販売している昔風のパンを右に入れてみました。
パン・ド・カンパーニュを2等分したものですが、直径約30cm X 高さ約10cm。重さは約900gとあります。
つまり、これを一人で1日に食べてしまうとは驚き...。
何を食べていたかは、社会の上層部と下層部ではかなり異なっていました。
肉体労働をする農民や職人は、食べることによって得る力の7割はパンに頼っていたのに対して、貴族たちの宴会では1日で1人当たり1キロの肉を用意していた、という記述がありました。
◆ 宗教上の拘束
信仰心があつかった中世には、キリスト教の定める戒律に厳格に従っていました。動物から得られる食材(食肉の他に、バターやチーズ、脂、卵も)は、1年のうち150日も禁止されて(毎週水・金・土曜日、祭日の前日、四旬節の40日間)、魚か野菜か果物しか食べられませんでした。
中世には何度も飢饉に見舞われています。こういう決まりがある時期には非常に困るわけで、王様はニシンを貧しい人々に配ったそうです。
裕福な階層では魚も色々な種類を食べていたのですが、貧しい人たちにとっての魚とはニシンだったようです。そういえば、未だにフランスではサーモンはご馳走というイメージがありますね。
断食の終わったらご馳走を食べるわけで、今日ある季節ごとの食べ物も、言われてみれば禁止されているものを食べる、というパターンなのでした。クリスマスのご馳走、復活祭の卵、揚げ菓子、クレープ、公現祭のケーキなど...。
◆ 中世のブルゴーニュ
中世フランスの中で、ブルゴーニュ公国の食文化は高いレベルにあったと言われます。盛大な宴会も開かれるので、調理を担当するスタッフは総勢515人いたとのこと。
Vœu du faisan
公国の首都だったディジョン市には、14世紀から15世紀にかけて建築されたブルゴーニュ公国時代の宮殿Palais des ducs de Bourgogneが残っているのですが(市役所と美術館として使われている)、15世紀につくられた台所の部分もあるのですが、薪をくべて調理に使う巨大な6つの暖炉があり、実に見事です。

◆ 中世のガストロノミー
中世のガストロノミーに関するテレビ番組があったので入れておきます。
Moyen Age ~~ histoire de la gastronomie
再現して見せてくれるのは分かりやすくて良いのですが、何となくその通りだったのか疑ってしまう...。
パリにあるフランス国立図書館(Bnf)が開いた中世の美食をテーマにした展示会は充実したものだったようです。それをバーチャル・ヴィジットができる素晴らしいサイトが出来ていました。中世の絵画をふんだんに見せながら説明をしてくれます:
☆ BnF:Gastronomie médiévale - Expositions virtuelles
中世の食事は今日とはかなり異なる興味深い特徴が幾つかあるので、それについて続きで書きます。
続き:
その3 中世の食事 (2) 宴会でのテーブルの配置
ブログ内リンク:
★ 目次: パン、パン屋、昔のパン焼き窯など
★ フランスの内臓肉について調べてみた 2019/07/05
★ 目次: フランスの祭日・年中行事について書いた日記
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
外部リンク:
☆ BnF: Gastronomie médiévale - Expositions virtuelles
☆ Bibliothèque municipale de Dijon: Les cuisines du palais ducal
☆ Encyclopédie Larousse: Moyen Âge
にほんブログ村 | にほんブログ村 |
シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】
目次へ
その1
フランスも、1日の食事は3回:
朝食が Petit-déjeuner、
昼食が Déjeuner、
夕食が Dîner。
それから、夜にコンサートなどを見た後にする夜食のことをSouperと言う人もいるようです。
フランスでは夕食の時間は日本より遅めということくらいで(レストランで予約するなら午後7時以降でないと無理)、後は日本と変わりがありません。
dejéunerというのは、絶食(jeûne)を破るということから来ている言葉なので、朝起きてから始めて食べる食事を指す言葉でした。今日では昼食を意味する言葉なのですけれど、昔は朝食が「déjéuner(デジュネ)」だったわけです。
そこでずれるわけで、今日の夕食のdînerが昔は昼食で、夜の食事はsouperでした。
小さなデジュネとして「プチ」を付けて朝食を意味する「petit-déjeuner(プチ・デジュネ)」という言葉が使われるようになったのは、20世紀初頭からなのだそうです。
昔のフランスで、贅をつくした食事をしていたとして有名なのはルイ14世です。ヴェルサイユ宮殿での生活は時間刻みで儀式のように全て時間で決めていて、家族の食事も招待されていない人々が見学できるようにしていました。
農民や職人のように朝から働く人たちは、昔から今日のような3回の食事をしていたそうなのですが、昔の貴族たちは1日に2回の食事にしているケースが多かったようです。王様によって、好みで決めるのか、食事の時間は違ったようです。
フランスの時代別に何時に食事をしていたかを示した情報があったので、メモしてみます。
日本の食事の歴史をみたら、フランスとかなり似ていました。つまり、肉体労働する人たちは今日のように1日3回の食事をしていたようですが、平安時代の貴族たちは1日に2回だったのだそう。
フランスの貴族は戦争で戦うことが仕事なわけだっただし(商売などをしたら貴族権をはく奪された)、ハンティングをすることを多かったので、そんな時は肉体労働をしているのと同じだったはず。ですから、朝から腹ごしらえしなければならなかったのではないかと思うのですが、そういうときの朝ごはんは、食事という感じでは受け取らなかったのかな?...
フランス革命前の貴族たちは、dîner、souperの2回の食事をするのが一般的だったようなのですが、「フランス革命まで」のところに入れた絵画のようにdéjeunerの様子も登場しています。といっても、朝食というのは本格的すぎる食事に見えます。
下も18世紀に描かれた狩猟での食事風景ですが、déjeunerという言葉が付いています。
Le déjeuner de chasse (1737), Jean-François de Troy, Musée du Louvre
厳格なスケジュールで生活していたルイ14世のような王様でない限り、食事の時間はかなりフレキシブルだったし、朝食だろうと何だろうと、食べたいものを食べていたのではないかという気もしました。もちろん、信仰心が強かった昔には、肉は食べない時期など、宗教上で定められている食べ物に対する規制には忠実に従っていたのでしょうけれど。
ともかく、誰もが、ほとんど同じ時間に、1日3回の食事をするようになったのは、19世紀も末になったからということのようです。
続き:
その2 中世の食事 (1) パンをたくさん食べる
シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次ブログ内リンク:
★クイズにした絵の背景: 18世紀の貴族たちの食事 2010/02/10
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
外部リンク:
☆ Quand déjeuner, c’est dîner
☆ Fondation Nestlé France: Kit pédagogique - Passez à table
☆ 日本における食事の回数の歴史!意外な事実とは?
にほんブログ村 | にほんブログ村 |
シリーズ記事目次 【フランスで「スープ」と呼ばれる料理、土鍋】
目次へ
その1
なぜだろう? と思ったことは、2つあります。
両方とも、明治時代に作られた風習ではないでしょうか? その経緯を調べあげた方があるだろうとは思うものの、まだ回答を見つけていません。
不思議その1: フォークの背にライスを乗せて食べるという作法は、
誰が考えたのだろう?
今の若い方はそんな風にしろとは教えられないのかも知れませんが、私はそう習いました。
余りにも不自然なマナーだと思っていました。それで、フランス人と食事をする機会を持ち始めた時期には、彼らがお米をどうやって食べるのかと観察してしまいました。
そんな食べ方をするフランス人はいません。普通にスプーンのようにフォークを使って食べています。
明治時代に、それがマナーだ、と決めた日本人がいたのでしょうか?
あるいは、アドバイザー役のイギリスがいて、日本人のために考え出したのかも知れない・・・。イギリス人はマナーが好きらしいので。
フランスの映画の中に、イギリス人を茶化すためだったと思いますが、こんなシーンがありました。
イギリス人二人が差し向かいでレストランに座っていたのですが、丸ごとの西洋アザミを出されて戸惑います。やがて、おもむろに二人はナイフとフォークで食べだしたのでした。
ご存知ない方のために説明しておきます。フランス料理には、手づかみでないと食べられないものがあるのです!
それと同じで、いくらマナーにうるさいイギリス人だって、ヨーロッパのパラパラ米をフォークの背に乗せて食べるのは無理だと思うのですが・・・。
フォークの背にライスをのせて食べるというのは、日本で初めてオープンしたフランス料理店でのマナーだったとか、そんな経緯がありそうな気がします。
不思議その2: なぜスープ、ステーキというメニューを定番にしたのだろう?
もう10年も前のことだったと思います。フランス料理コースが1万円とあって、料理がショーウインドーに入っていたので、それを写真にとってフランス人に見せたいと思ったことがありました。
彼らが面白がるだろうと思ったからです。
1万円のコースは、スープ、ビーフステーキ、グリーンサラダ、デザート、というものだったのです。
かなりのお値段のコースにそれだけ?! と、フランス人がびっくりするのは目に見えていました。
そもそもスープというのは、フランスでは家庭料理ですから、レストランで出されても嬉しくもありません。
さらにビーフステーキ。これは、カフェで食べる安いランチの定番です。
一番ひっかかるのは、こういう日本の定番の西洋料理では、スープを前菜にしている点です。
食事のときに、まずスープから、とする風習がある国が、どこかヨーロッパにあるのでしょうか?・・・
汁物がなくてはならない日本人の食事にはスープが必要だ、ということからできた風習なのではないかという気がしているのですが、どうなのでしょう?
◆フランスのレストランでは、スープがメニューに入っていることは少ない
優秀なシェフも多くなった今の日本では、フランスで食べるフランス料理と変わらないのがフランス料理店として認められていると思います。
でも、未だに、前菜はスープを定番とするフランス料理店も存在するのではないでしょうか?
フランスのレストランで食事をするとき、前菜がスープというのは非常に稀です。
スープというのは家庭で食べるものだし、スープは冬の料理なので、レストランでスープを出すにはかなりの工夫が必要だからです。
家庭料理を出すのが特徴の大衆的なレストランだったら、スープがメニューに並んでいてもおかしくはないと思いますが、見かけた記憶は乏しいです。
昔は、固くなったパンをスープでふやかして食べていたせいもあるでしょう。フランス人にとっての「スープ(soupe)」のイメージは、かなり悪いらしいと感じています。
食料事情が悪かった戦後しばらくの頃、経済的に豊かでない家庭で育ったという人が、「冬の夜は毎日スープでうんざりした」などと言っていました。
いくらおいしいスープを作っても、ご馳走にはならないらしいのです。ですから、よほど料理に凝ったレストランでないとスープをメニューに加えていないような気さえします。
そして、そんなレストランでスープを出すときには、「スープ(soupe)」という単語は使っていません。
日本語で「スープ」という言葉を使える料理に対して、フランス語はやたらに語彙があるのです。
soupe (スープ)
potage (ポタージュ)
consommé (コンソメ)
velouté (ヴルーテ)
crème (クレーム)
coulis (クーリ)...
魚介類のスープだと、
bisque (ビスク)
bouillabaisse (ブイヤベース)...
ブルゴーニュ南部にもブイヤベースのようなスープの郷土料理があるのですが(ただし川魚を使う)、それはpochouse(ポシューズ)と呼ばれています。
フランス人は「スープ」とは呼ばない「スープ」は、もっともっとあるはずです。
似たようなものに potée(ポテ)とか ragoût(ラグー)もありますが、「シチュー」と見るべきなのかな?・・・
私がレストランでスープと呼べるものを選んだときには、veloutéとかcrèmeという名前で呼ばれていたと思います。
スープ類を前菜のメニューに入れているレストランは珍しいのですが、お通しの一品として出てくることはよくあります。
例えば、こんな感じで、少量が出てきます。

この料理も、veloutéかcrèmeと呼んでいたと思います。
スープの季節になったので、その話しを書こうとしたのに、イントロが長くなってしまいました。続きは次回にします。
にほんブログ村


中世のガストロノミー
ルネサンス期の饗宴をテーマにした展示会













