2019/07/20
前々から不思議に思っていたことがありました。
ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)について、悪く言うフランスの友人はいるのですが、この皇帝のことを尊敬しているとか、英雄だと話す人に出会ったことがありません。
ところが、日本では違う。
日本人の一般的な受け止め方は「英雄」ではないでしょうか? 悪く言う人の方が少ないように感じています。
特に、フランスでは全く言われない美食家のようなイメージもあるようなのが不思議...。
◆ フランス人にとってのナポレオンとは?
あんなに残虐なことをしたフランス革命のことは、フランス人たちが誇りに思っているように感じます。革命記念日は盛大に祝われていますので。フランスにもたらされた「自由・平等・博愛」の理念を評価しているらしい。
ナポレオンは戦争ばかりしていたので、多くの国民を死なせて人口危機に陥らせただけではなく、農民から馬を取り上げたので農業を衰退させました。それまでヨーロッパで最も豊かだったフランスを衰退させたのです。出生率も下がり、フランスは世界で最も早く高齢化社会になっています。
でも、そんなことを言うのは学者さんたち。普通のフランス人が、そういうことでナポレオンに恨みを持っているとは思えません。
ナポレオンは大嫌いだと言う友人に、フランス人はナポレオンが好きではないのではないかと聞いてみました。
フランス人は独裁者が嫌いだから、ナポレオンが好きなどと言わないだろう、との返事。そもそも、フランス革命を実行した人たちは皇帝を頂点に据えようとは思っていなかったのだから、彼らに対する裏切り行為だと言う。
さらに友人は憎々しげに言いました。ナポレオンは軍事的戦略に優れていたけれど、彼がしたことで評価できるのは、唯一、民法を定めたことだれど(ナポレオン法典)、それだって誰かに作らせただけだ。
日本ではナポレオンの評価が高いのがなぜなのか調べているのだと言ったら、アメリカもそうだから驚くに値しないとのの返事。これも調べてみる、外国で最も有名なフランスの歴史的人物を挙げたフランスの記事が出てきたのですが、やはりナポレオンの知名度がトップになっていました。
もう一人、歴史の勉強などはまともにしなかっただろうと思われる友人にも聞いてみました。「たくさんいるわよ~♪」との返事。横からご主人が、「フランスではナポレオンが好きな人と、嫌いな人に分かれるのだ」と説明を加えてきました。それはそうだろうと思う。
個人に聞いてもフランス人全体のことが分かるはずはないので、インターネットで情報を収集することにしました。
フランスでも、昔はナポレオンが英雄扱いされていたらしい。
教科書にナポレオンが登場したのは1806年。1921年には、ナポレオンの没後100周年を国が大々的におこなったのだそう。
1960年代にも、フランス革命を完了させて近代国家を作った皇帝として、学校の教室にナポレオンの肖像画が飾られていた、という記述がありました。ナポレオンを尊敬する人はフランスにたくさんいると言った友人は、その時代に子ども時代を送っていた人でした。
フランス革命200周年(1989年)を祝った頃からナポレオンに対する評価が変わってきたようです。学校でも、余りナポレオンについては教えなくなったので、今の子どもたちはナポレオンのことをよく知らないようです。
現代のフランス人にとっては「ナポレオン=独裁者」というのが主流のようです。ヒットラーのイメージ? ドイツにはネオナチがいますから、フランスでもナポレオンを英雄扱いする若者たちがいても不思議はありませんけれど。
◆ ナポレオンを引き合いに出すカリカチュア
ナポレオンは好かれていないのだろうなと思ったのは、サルコジ大統領(任期: 2007~12年)が嫌われ始めた頃、ナポレオンの絵にサルコジの顔を入れた色々な風刺画が登場していたことでした。
例えば、こちら。右側で札束を抱えている猿誇示さんです。

☆ フランス語で「サルコジ ナポレオン」で画像検索した結果。
この二人は変に似ているのですよね。ナポレオンは、サルコジと同様に背が低かった。二人とも純粋なフランス人ではない。サルコジはナポレオンのような独裁政治をしているというわけです。
フランス人がナポレオンを誇りに思っていたら、こんな絵で茶化そうなんてしないはずですよね?
サルコジ大統領は悪かったと思っていたけれど、現在の大統領はもっと権力を一身に集中される君主になっていると言う人もいるほどのエマニュエル・マクロン(2017年に大統領就任)。マクロン政権の退陣を求める黄色いベスト運動は、いっこうに収まる気配がありません。
マクロン大統領(Emmanuel Macron)も、ナポレオンのイメージにオーバーラップされています。
Jean-Dominique Merchet著『Macron - Bonaparte』
ナポレオン自身は、自分をローマ皇帝に見立てていましたが。
ナポレオンと戦ったイギリスは、その時代からナポレオンを茶化すカリカチュアをたくさん出しています。ナポレオンを極端に小男だというイメージはイギリスが流したのだそう。実際には身長168 cmだったので、当時の体形から行けば特別に小さかったわけでもないのに。
下は、マクロン大統領の顔を表紙にしたイギリスの雑誌 ↓

ただしフランスでは、マクロン大統領の場合は、自ら自分をローマ神話の主神ユーピテル(後にギリシア神話のゼウスと同一視された。フランス語でJupiter)に例えたとして、この全能の神を引き合いに出して批判されることの方が圧倒的に多いですね。
ふと思いました。日本で首相がやりたい放題やっていると批判するとき、日本の歴史の中で引き合いに出せる独裁者はいないかもしれない。元首相はヒットラーに例えられていますね。ナポレオンの肖像画に元首相の顔を入れたって、日本人には通じないだろうな...。
◆ ナポレオンを嫌うコルシカ島の人たち
コルシカ島は、ナポレオンが生まれた島として日本では知られていると思います。フランスでは「Île de Beauté(美の島)」と呼ばれますが、旅行してみたら本当に美しい島なので気に入りました。

日本人は、コルシカの人たちは英雄ナポレオンを産んだ島だ、と誇りに思っているはずだと考えませんか?
フランス本土から車ごとフェリーで入ったアジャクシオ(Ajaccio)は、ナポレオンが生まれた町だし、コルシカ観光の拠点なので、さすがにホテルやレストランなどが「Napoléon」の文字を掲げていました。ところが、すぐにコルシカ島の住民たちはナポレオンが好きではない、というより嫌悪感さえ抱いているのが分かりました。
ナポレオンは生まれ故郷のコルシカに何もしてくれなかったのが理由だ、と言われました。でも、もっと深い意味があったらしい。
コルシカ独立戦争(1729~69年)の経緯を見ると、ナポレオン一家はコルシカにとって裏切り者の存在だったのが分かります。
コルシカはイタリアのジェノヴァから独立する運動を起こしていたのですが、ジェノヴァに加担していたフランスがコルシカの領有権を購入したことによって窮地に落ち込まれます(1768年)。
判事だったナポレオンの父親は独立闘争の指導者パスカル・パオリの副官を務めていましたが、ナポレオンが生まれる直前にフランス側に転向し、独立戦争の後には寝返りへの見返りとしてフランスから報奨を受け、実質的にはフランス貴族と同等の権利を得ていたのでした。
1770年、コルシカは正式にフランスに併合されます。ナポレオンはその前年に生まれたのでした。フランスがコルシカ島を手に入れていなかったら、ナポレオンはフランス人ではなく、当然ながらフランス皇帝にもなっていなかった...。
コルシカの人たちにとっては、 コルシカ独立戦争で活躍したパスカル・パオリ(Pascal Paoli / Pasquale de' Paoli)が英雄なのだそう。ナポレオンは裏切り者に過ぎないというところなのでしょうね。

パリに出て士官学校に入った後のナポレオンがコルシカ島に戻ったのは、2回くらいだけだったのではないかな。コルシカでは居心地が悪いので、お里帰りはしたくなかったのではないでしょうか?
◆ 日本では、幕末にナポレオンが知られ、明治維新に貢献していた
日本人がナポレオンを英雄扱いにするのは、第二次世界大戦の時にナポレオンが持ち出されたのだろう、と私は思っていました。ナポレオンがヨーロッパ諸国を開放しようとしたのと同じに、日本はアジアの諸国を開放するという口実で東南アジア諸国に侵略を行ったのではないかな?...
ところが、そうではなかった!
「1月21日に子牛の頭を食べる人たち 」を書きながら、処刑されたルイ16世のことを調べていたら、偶然、日本のナポレオン贔屓は既に幕末からあったことを知りました。
1818年、頼山陽は、長崎を訪れた時にナポレオンのロシア遠征に従軍したオランダ人からナポレオンについての話を聞き、それをもとに漢詩「仏郎王歌」を詠み(「フランス王の歌」という意味)、これが日本国内でナポレオンが広く知られるきっかけとなったのだそうです。
1854年には、ナポレオンの伝記『那波列翁一代記(佛蘭西偽帝那波列翁一代記)』が刊行されていました。「那波列翁」は「ナポレオン」と読む。
吉田松陰や西郷隆盛もナポレオンの伝記を読み、明治時代に入ってもナポレオンを称えた色々な書籍が発刊されたようです。
◆ 日本ではナポレオンを食通のように扱う
日本人はナポレオンが好きなのだろうなと思うのは、ワインや食べ物にナポレオンの名を出しているからでもあります。
ブルゴーニュ地方にいてシャンベルタンは「ナポレオンも好きだったワイン♪」なんて言う人に私は出会ったことがありませんでした。
でも、フランス情報でも、「ナポレオンはシャンベルタンを毎日飲んでいた」とか「皇帝のワイン」などと書かれていました。
ブルゴーニュでのシャンベルタンは、それだけで最高級ランクに入るワインなのが知られているので、ナポレオンを持ち出すことはないからでしょう。それに、ナポレオンがどうやって飲んでいたかはフランス人には知られているらしいからなのかもしれませんが、それについては後で書きます。
ブルゴーニュ赤ワインのシャトー・ド・ポマールも、ナポレオンが愛していたと書いてある日本の記事もありました。滞在したら、そのドメーヌのワインを出されたでしょうけれど、愛したというレベルだったのかな?...
これも聞いたことがないので調べてみたら、確かにナポレオンはポマール城に滞在したことがあったらしい。
このワインとナポレオンの関係については、自分でもブログに書いていたのに忘れていました(シャトー・ド・ポマールがアメリカ人の手に渡った)。2014年にアメリカの実業家が購入していたのでした。アメリカ人はナポレオン好きらしいので、宣伝に使うかも知れない。
ブルゴーニュでナポレオンの名をワインのPRに使っていると感じたのは、シャンベルタンの産地から3キロ程度にあるフィサン村に行った時でした。そことは「ブルゴーニュのワイン村: フィサン」で書いていました。
ナポレオンの銅像があるこの村には、AOPフィサンの1級ランクを持つ「クロ・ナポレオン(Clos Napoléon)」があり、その名を使ったレストラン(Au Clos Napoléon)もあるせいで、ナポレオンの文字が私の目に付いたのだろうと思います。
「クロ・ナポレオン」のワインボトルには、「N」の文字を強調して、フィサン村にあるナポレオンの彫像の絵が入っていますね。
「クロ・ナポレオン」と呼ぶブドウ畑の区画ができたのは、ナポレオンの親兵だったクロード・ノワゾ(Claude Noisot 1787~1861年)によると思うのですけれど...。彼は1835年にフィサンで引退生活を始め、「オー・シュゾー(Aux Cheuzeot)」という名前のブドウ畑の地域を買い集めています。フィサン村にあるナポレオン像も、このクロード・ノワゾが作らせていました(1847年)。
コニャックでも、ナポレオンでPRしているメーカーがあるのですね。
ブルゴーニュ産チーズの宣伝にも、ナポレオンが使われていました。
ナポレオンはエポワスにも行っていたので、食べたのかも知れない。
そのほか、ブルゴーニュのチーズ「ラミ・デュ・シャンベルタン(L'Ami du Chambertin)」も、日本の紹介記事では「ナポレオンの愛したチーズ」とされていたりもしています。
このチーズはの名前は「シャンベルタンの友達」という意味。シャンベルタンに合うチーズとして、1950年にブルゴーニュで作られました。
ナポレオンが食べたはずはないではないですか?!
ともかく、日本で何かをPRしようとしたら、何かしら持ち出して高い評価を得ていると言わないといけないのだろうと感じています。日本で売っているワインには、聞いたこともないコンクールで金賞を受賞したといるレッテルが付いていたり、フランス人は知らない「パーカーで何点」とかいうのが出てきますので。
日本人は自分自身では判断しないのかな?... 「優れている」と言われると、そのまま信じる善良な性格なのだろうと思う。フランス人は反対に、何か言われると「違う」と言って議論を始めるヘソ曲がり...。
◆ フランスでは、ナポレオンに美食家のイメージは全くない
フランスで、ナポレオンのワインやチーズで「ナポレオンが愛した」として宣伝して、売り上げが伸ばせるのかな?...
美食家で、食べ過ぎで命を落としたと言われるルイ14世などだったら宣伝に使えます。シャテルドンという、フランスで最も高級な飲料水がその例。「eau du Roi(王様の水)」と呼ばれます。 ルイ14世の主治医から毎日飲むように勧められた飲料水だから。レッテルも太陽王ルイ14世を象徴する図が付いています。
他にも、フランスでは美食家だと言われる過去の人たちはたくさんいますが、ナポレオンはその中に入っていません。
フランスでも、ナポレオンはブルゴーニュ赤ワインのシャンベルタンを毎日飲んでいたと言われていました。ジュブレ・シャンベルタンだったかも知れないし、もっとワインの産地を広げてボーヌのワインだったかも知れないとも言われていますが。
ナポレオンは、5年から6年もののシャンベルタンを飲んでいたという研究結果があるそうです。ワインを常温で飲むことを好み、ロシア遠征では懐にワインボトルを入れて温めていたと言われます。ワインを毎食ハーフボトルを消費していたのだそう。ワイン大好きというほどの量ではないですよね?
しかも、ナポレオンがシャンベルタンを飲む時には、ストレートで飲むことは全くなく、1対1の割合で水を入れて薄めて飲んでいたと言われています。
日本のワイン愛好家だって、上質のワインを水で薄めて飲むなんて! と憤りませんか? ブルゴーニュで食事に招待されたとき、出された取って置きのワインを水で割って飲んだら、もう絶交されてしまいますよ。それなのに、「ワイン愛好家のナポレオン」なんて言ってしまう日本!
ナポレオンは、シャンパンも嫌いではなかったらしく、こちらも同量の水で割って飲んでいて、それを彼は「limonade(レモネード)」と呼んでいたのだそう。
戦いばかりしていたナポレオンには、美味しい食べ物に現を抜かしたり、アルコール依存症にはならない配慮があったのかもしれない。でも、アルコール飲料で少し元気をもらう程度だったから戦えたのかな?
昔のフランスで安全に飲める飲料水はワインだったのではないかという気もします。60歳くらいになるブルゴーニュの友人が、高校時代の給食では赤ワインが出ていたけれど、売り物にならないような安物ワインだったので、不味くて飲めるものではないため、水で割って飲んでいたと話していましたので。
もともと、美食には無縁で幼少時代を過ごしたともフランスでは言われていました。しかも内臓の具合が悪かったので食事を楽しめなかったようです(死因は胃癌)。ナポレオンが好きだったのは野菜。特に野菜スープ、と書いている記事がありました。
ナポレオンは睡眠時間が短かったことで知られていますが、食事の時間も短かったようです。1回の食事に15分もかけなかったとのこと。家族団らんの食事でも、20分を超えることは稀だったようです。
子どもを産まないジョセフィーヌを追いやって、ナポレオンの世継ぎを産むことを期待された妻として神聖ローマ皇帝フランツ2世の娘マリア・ルイーザを迎えた結婚披露宴でさえも、膨大な費用をかけて準備し、大勢の招待客を招いたのに、ナポレオンは20分くらいで食事を終わってしまったと言われています。
皇帝が席を立てば、招待客が食事を楽しみ続けていることはできなかったはず。フランスで歴史に残る饗宴はメニューが残っているのが普通なのに、この時に出された料理の記録は何も無いのだそうです。

フランス人にとってのナポレオンのイメージは、美食家とはほど遠い人物だったと言えるでしょう。だから、フランスでは「ナポレオンが愛した〇〇」と言っても宣伝にはならないのではないかな?
とは言え、ナポレオン皇帝のお気に入りだったことで知られる「Poulet Marengo(鶏のマレンゴ風)」という料理があります。
オリーブオイルとバターで炒めた鶏肉、タマネギに、マッシュルームを加えてトマトソースと白ワインで煮込むというもの。
これは、イタリア北部で行われたマレンゴの戦い(1800年)の夜、調理人があり合わせの材料で作った料理でした。
以後、これがナポレオンが好んで食べる料理になったわけですが、ナポレオンは味が気に入ったというより、戦争に勝った思い出と結びついているからではないのかな?...
ナポレオンは130頭くらいの馬を持っていましたが、マレンゴと名付けた白馬がお気に入りだったようです。
◆ なぜナポレオンはシャンベルタンが気に入っていたのか?
これも気になったのです。
そもそも、ナポレオンの時代にシャンベルタンが今日のような高級ワインだったのかと疑ったのですが、すでに中世には名声を得ていたようでした。ナポレオンの時代には、当時で最も高価なワイン銘柄の1つだったのだそう。
クロ・ド・ベーズ(Clos de Bèze)という評判の良いワインを作っている畑の隣で、ベルタン(Bertin)という名の農民が持っていた畑(champ)だったからブドウ畑は「べルタンの畑(champ de Bertin)」で、それを縮めて「シャンベルタン(Chambertin )」と呼ばれるようになったとのこと。
二十歳前後で駆け出しの軍人だったナポレオンは、第1砲兵連隊の副隊長としてブルゴーニュのオーソンヌ(Auxonne ですが、ブルゴーニュでは「x」を発音しない)にいたときにシャンベルタンを飲んで気に入ったという記述がありました。オーソンヌとシャンベルタンの産地は近い距離にありますので、ありそうなお話し。
オーソンヌの町に行ったときには気が付かなかったのですが、ナポレオンの銅像がたっているのでした。建てられたのは、ナポレオンの死から少したった頃でしたが。

Statue du lieutenant Bonaparte à Auxonne
ところで、晩年を過ごしたフィサン村にナポレオンの銅像を建てたくらいなのでナポレオンを相当に敬愛していたと思われるクロード・ノワゾは、オーソンヌで生まれた人でした。偶然に過ぎないのかな?..
◆ ワインが人生の明暗を変える?
ナポレオンは強靭な肉体だったのだろうと思っていたのですが、そうではなかった。オーソンヌに赴いた前後には各地の保養所に行っていました。パリ士官学校にいた頃までは、ナポレオンの体調が悪かったという記録は残っていなかったのですが、その後に軍隊に入ってからは色々な症状に悩まされていた記録があります。皇帝になる前にも、高熱、疥癬(かいせん)、吐血がありました。
それが癒してくれたのはブルゴーニュワインだった?
オーソンヌに赴く前にナポレオンは、体調が悪いために長期休暇でコルシカ島に里帰りしていますが、コルシカ島を裏切り者という目で見られて居心地は良くなかったかもしれない。2度目のオーソンヌ滞在中にフランス革命が勃発して、ナポレオンは皇帝への道を駆け進むことになります。
オーソンヌで砲兵の運用を学び、敵方野戦軍主力をナポレオンの重点戦略の1つとするようになったわけです。そのときに出会ったシャンベルタンは、ナポレオンにとって縁起が良いワインにしたのではないか、というのは私の全く勝手な(!)想像です。
シャンベルタンしか飲まなかったと言われるナポレオンですが、1815年からイギリス領のセントヘレナ島に幽閉されていた時にはボルドーの赤ワインを飲んでいたのだそう。ボルドーワインとイギリスの関係は深いですから、ナポレオンがボルドーを飲んだというのには頷けます。
ブルゴーニュワインを飲めなくなったのが運の尽き、とナポレオンも思ったかな?...
セントヘレナ島にいたナポレオンを描いたスケッチ ↓

Anonyme, Fleshy (le ventripotent) dessin d'après nature de Napoléon à Longwood le 5 juin 1820.
病気が危機的な状態になっていた時期に描かれているのですが、かなりの肥満体ですね。胃癌で死亡したというのが通説ですが、死に至る1年足らず前に、こんなに太っていられるものなのですか?...
セントヘレナ島では丁重に扱われていたようですが、することがなかったナポレオン。それまでは体調不良と戦いながら粗食で健康を維持していたのに、暴飲暴食で健康を悪化させたのだろうか?...
◆ ワーテルローの戦い
ナポレオンの失墜を決定的にしたのは、ワーテルローの戦い(1815年)でした。
ワーテルローはWaterloo。Water(英語で水)と Loo(フランス語の単語で水を意味する l'eau になる)。ワインを水で割って飲んでいたナポレオンを茶化して、フランス人は「Water-l'eau(ウオーター・ロー)」と言ったりします。
他にもワイン関係の茶化しもありました。
ワーテルローでナポレオンが敗北した理由を、フランス人は「戦いの日にシャンベルタンを飲まなかったから」と言い、敵だったイギリス人は「前夜にお気に入りのワインを飲み過ぎて酔っ払い状態で戦いに臨んだため、馬から落ちた」と言うのだそう!
実際には、戦いの朝にナポレオンは、馬に乗っている人たちがよくなるイボ痔(痔核)の治療を受けていたそうです。

ところで、ナポレオンには「マレンゴ」となずけた馬がいました。有名なナポレオンの肖像画「ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト」は、その馬をモデルにして描かれたと言われています。

Bonaparte franchissant le Grand-Saint-Bernard(1801年)
こんな馬に乗って厳しいアルプスの道を駆け上るの不可能だったので、実際にはロバで山越えをしたと言われますけれど...。
ところが、ワーテルローの戦いではナポレオンは実際にマレルゴに乗っていたのですが、馬は捉えられてイギリスに連れて行かれてしまいます。馬はナポレオンより10年くらい長く生きて、骸骨がロンドンにあるサンドハースト王立陸軍士官学校に展示されているのだそう(こちら)。
皮肉ですね。ワーテルローの戦いによって、ナポレオンが縁起が良いと思っていたのかも知れないシャンベルタンとも馬とも別れたのでした。
追記(2019年8月):
調査会社ipsosが1997年に行った、フランス人が抱いているナポレオンのイメージに関するアンケート調査が出てきました。
質問: ナポレオンに関して、どちかと言えば...?
・フランス革命を長引かせた: 28%
・フランス革命を終わらせた: 45%
質問: ナポレオン戦争は、むしろ...?
・解放戦争: 19%
・圧制/暴虐の戦争: 60%
質問: 今日のフランス社会体制はナポレオンによるところが大きいか?
・非常に: 36%
・少し: 42%
・全くない: 9%
質問: ナポレオンの長所は?(複数回答可)
・軍事上のノウハウ 53%
・権威: 52%
・勇気: 27%
・組織力: 22%
・カリスマ性: 13%
質問: 総合的に言ってナポレオンは...?
・むしろフランスに貢献した: 66%
・むしろフランスに不利益をもたらした: 16%
質問: ナポレオンはフランスの何の化身と言えるか?
・フランスの資質: 44%
・フランスの欠点: 29%
こんな調査があったので調べてみたら、フランスの歴史の中で登場した人物の中で、フランス人たちが好むのは誰かというアンケート調査も見つかりました。そちらはインターネット投票なので少しいい加減だと思うのですが、ナポレオンを評価する人たちが多いようなので、そのアンケート調査結果について次回に書いてみることにしました。
続き:
★ フランス人に人気がある歴史上の人物は?
⇒ シャンベルタンやクロ・ナポレオンがある地区
ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)について、悪く言うフランスの友人はいるのですが、この皇帝のことを尊敬しているとか、英雄だと話す人に出会ったことがありません。ところが、日本では違う。
日本人の一般的な受け止め方は「英雄」ではないでしょうか? 悪く言う人の方が少ないように感じています。
特に、フランスでは全く言われない美食家のようなイメージもあるようなのが不思議...。
◆ フランス人にとってのナポレオンとは?
あんなに残虐なことをしたフランス革命のことは、フランス人たちが誇りに思っているように感じます。革命記念日は盛大に祝われていますので。フランスにもたらされた「自由・平等・博愛」の理念を評価しているらしい。
ナポレオンは戦争ばかりしていたので、多くの国民を死なせて人口危機に陥らせただけではなく、農民から馬を取り上げたので農業を衰退させました。それまでヨーロッパで最も豊かだったフランスを衰退させたのです。出生率も下がり、フランスは世界で最も早く高齢化社会になっています。
でも、そんなことを言うのは学者さんたち。普通のフランス人が、そういうことでナポレオンに恨みを持っているとは思えません。
ナポレオンは大嫌いだと言う友人に、フランス人はナポレオンが好きではないのではないかと聞いてみました。
フランス人は独裁者が嫌いだから、ナポレオンが好きなどと言わないだろう、との返事。そもそも、フランス革命を実行した人たちは皇帝を頂点に据えようとは思っていなかったのだから、彼らに対する裏切り行為だと言う。
さらに友人は憎々しげに言いました。ナポレオンは軍事的戦略に優れていたけれど、彼がしたことで評価できるのは、唯一、民法を定めたことだれど(ナポレオン法典)、それだって誰かに作らせただけだ。
日本ではナポレオンの評価が高いのがなぜなのか調べているのだと言ったら、アメリカもそうだから驚くに値しないとのの返事。これも調べてみる、外国で最も有名なフランスの歴史的人物を挙げたフランスの記事が出てきたのですが、やはりナポレオンの知名度がトップになっていました。
もう一人、歴史の勉強などはまともにしなかっただろうと思われる友人にも聞いてみました。「たくさんいるわよ~♪」との返事。横からご主人が、「フランスではナポレオンが好きな人と、嫌いな人に分かれるのだ」と説明を加えてきました。それはそうだろうと思う。
個人に聞いてもフランス人全体のことが分かるはずはないので、インターネットで情報を収集することにしました。
フランスでも、昔はナポレオンが英雄扱いされていたらしい。
教科書にナポレオンが登場したのは1806年。1921年には、ナポレオンの没後100周年を国が大々的におこなったのだそう。
1960年代にも、フランス革命を完了させて近代国家を作った皇帝として、学校の教室にナポレオンの肖像画が飾られていた、という記述がありました。ナポレオンを尊敬する人はフランスにたくさんいると言った友人は、その時代に子ども時代を送っていた人でした。
フランス革命200周年(1989年)を祝った頃からナポレオンに対する評価が変わってきたようです。学校でも、余りナポレオンについては教えなくなったので、今の子どもたちはナポレオンのことをよく知らないようです。
現代のフランス人にとっては「ナポレオン=独裁者」というのが主流のようです。ヒットラーのイメージ? ドイツにはネオナチがいますから、フランスでもナポレオンを英雄扱いする若者たちがいても不思議はありませんけれど。
◆ ナポレオンを引き合いに出すカリカチュア
ナポレオンは好かれていないのだろうなと思ったのは、サルコジ大統領(任期: 2007~12年)が嫌われ始めた頃、ナポレオンの絵にサルコジの顔を入れた色々な風刺画が登場していたことでした。
例えば、こちら。右側で札束を抱えている猿誇示さんです。

☆ フランス語で「サルコジ ナポレオン」で画像検索した結果。
この二人は変に似ているのですよね。ナポレオンは、サルコジと同様に背が低かった。二人とも純粋なフランス人ではない。サルコジはナポレオンのような独裁政治をしているというわけです。
フランス人がナポレオンを誇りに思っていたら、こんな絵で茶化そうなんてしないはずですよね?
サルコジ大統領は悪かったと思っていたけれど、現在の大統領はもっと権力を一身に集中される君主になっていると言う人もいるほどのエマニュエル・マクロン(2017年に大統領就任)。マクロン政権の退陣を求める黄色いベスト運動は、いっこうに収まる気配がありません。
マクロン大統領(Emmanuel Macron)も、ナポレオンのイメージにオーバーラップされています。
ナポレオン自身は、自分をローマ皇帝に見立てていましたが。
ナポレオンと戦ったイギリスは、その時代からナポレオンを茶化すカリカチュアをたくさん出しています。ナポレオンを極端に小男だというイメージはイギリスが流したのだそう。実際には身長168 cmだったので、当時の体形から行けば特別に小さかったわけでもないのに。
下は、マクロン大統領の顔を表紙にしたイギリスの雑誌 ↓
ただしフランスでは、マクロン大統領の場合は、自ら自分をローマ神話の主神ユーピテル(後にギリシア神話のゼウスと同一視された。フランス語でJupiter)に例えたとして、この全能の神を引き合いに出して批判されることの方が圧倒的に多いですね。
ふと思いました。日本で首相がやりたい放題やっていると批判するとき、日本の歴史の中で引き合いに出せる独裁者はいないかもしれない。元首相はヒットラーに例えられていますね。ナポレオンの肖像画に元首相の顔を入れたって、日本人には通じないだろうな...。
◆ ナポレオンを嫌うコルシカ島の人たち
コルシカ島は、ナポレオンが生まれた島として日本では知られていると思います。フランスでは「Île de Beauté(美の島)」と呼ばれますが、旅行してみたら本当に美しい島なので気に入りました。

日本人は、コルシカの人たちは英雄ナポレオンを産んだ島だ、と誇りに思っているはずだと考えませんか?
フランス本土から車ごとフェリーで入ったアジャクシオ(Ajaccio)は、ナポレオンが生まれた町だし、コルシカ観光の拠点なので、さすがにホテルやレストランなどが「Napoléon」の文字を掲げていました。ところが、すぐにコルシカ島の住民たちはナポレオンが好きではない、というより嫌悪感さえ抱いているのが分かりました。
ナポレオンは生まれ故郷のコルシカに何もしてくれなかったのが理由だ、と言われました。でも、もっと深い意味があったらしい。
コルシカ独立戦争(1729~69年)の経緯を見ると、ナポレオン一家はコルシカにとって裏切り者の存在だったのが分かります。
コルシカはイタリアのジェノヴァから独立する運動を起こしていたのですが、ジェノヴァに加担していたフランスがコルシカの領有権を購入したことによって窮地に落ち込まれます(1768年)。
判事だったナポレオンの父親は独立闘争の指導者パスカル・パオリの副官を務めていましたが、ナポレオンが生まれる直前にフランス側に転向し、独立戦争の後には寝返りへの見返りとしてフランスから報奨を受け、実質的にはフランス貴族と同等の権利を得ていたのでした。
1770年、コルシカは正式にフランスに併合されます。ナポレオンはその前年に生まれたのでした。フランスがコルシカ島を手に入れていなかったら、ナポレオンはフランス人ではなく、当然ながらフランス皇帝にもなっていなかった...。
コルシカの人たちにとっては、 コルシカ独立戦争で活躍したパスカル・パオリ(Pascal Paoli / Pasquale de' Paoli)が英雄なのだそう。ナポレオンは裏切り者に過ぎないというところなのでしょうね。
パリに出て士官学校に入った後のナポレオンがコルシカ島に戻ったのは、2回くらいだけだったのではないかな。コルシカでは居心地が悪いので、お里帰りはしたくなかったのではないでしょうか?
◆ 日本では、幕末にナポレオンが知られ、明治維新に貢献していた
日本人がナポレオンを英雄扱いにするのは、第二次世界大戦の時にナポレオンが持ち出されたのだろう、と私は思っていました。ナポレオンがヨーロッパ諸国を開放しようとしたのと同じに、日本はアジアの諸国を開放するという口実で東南アジア諸国に侵略を行ったのではないかな?...
ところが、そうではなかった!
「1月21日に子牛の頭を食べる人たち 」を書きながら、処刑されたルイ16世のことを調べていたら、偶然、日本のナポレオン贔屓は既に幕末からあったことを知りました。
1818年、頼山陽は、長崎を訪れた時にナポレオンのロシア遠征に従軍したオランダ人からナポレオンについての話を聞き、それをもとに漢詩「仏郎王歌」を詠み(「フランス王の歌」という意味)、これが日本国内でナポレオンが広く知られるきっかけとなったのだそうです。
1854年には、ナポレオンの伝記『那波列翁一代記(佛蘭西偽帝那波列翁一代記)』が刊行されていました。「那波列翁」は「ナポレオン」と読む。
吉田松陰や西郷隆盛もナポレオンの伝記を読み、明治時代に入ってもナポレオンを称えた色々な書籍が発刊されたようです。
西郷隆盛の愛した「ナポレオン伝」 (那波列翁傳) 【電子書籍】 | 江戸のナポレオン伝説 ―西洋英雄伝はどう読まれたか (中公新書) |
◆ 日本ではナポレオンを食通のように扱う
日本人はナポレオンが好きなのだろうなと思うのは、ワインや食べ物にナポレオンの名を出しているからでもあります。
ブルゴーニュ地方にいてシャンベルタンは「ナポレオンも好きだったワイン♪」なんて言う人に私は出会ったことがありませんでした。
でも、フランス情報でも、「ナポレオンはシャンベルタンを毎日飲んでいた」とか「皇帝のワイン」などと書かれていました。
ブルゴーニュでのシャンベルタンは、それだけで最高級ランクに入るワインなのが知られているので、ナポレオンを持ち出すことはないからでしょう。それに、ナポレオンがどうやって飲んでいたかはフランス人には知られているらしいからなのかもしれませんが、それについては後で書きます。
これも聞いたことがないので調べてみたら、確かにナポレオンはポマール城に滞在したことがあったらしい。
このワインとナポレオンの関係については、自分でもブログに書いていたのに忘れていました(シャトー・ド・ポマールがアメリカ人の手に渡った)。2014年にアメリカの実業家が購入していたのでした。アメリカ人はナポレオン好きらしいので、宣伝に使うかも知れない。
ブルゴーニュでナポレオンの名をワインのPRに使っていると感じたのは、シャンベルタンの産地から3キロ程度にあるフィサン村に行った時でした。そことは「ブルゴーニュのワイン村: フィサン」で書いていました。
ナポレオンの銅像があるこの村には、AOPフィサンの1級ランクを持つ「クロ・ナポレオン(Clos Napoléon)」があり、その名を使ったレストラン(Au Clos Napoléon)もあるせいで、ナポレオンの文字が私の目に付いたのだろうと思います。
「クロ・ナポレオン」のワインボトルには、「N」の文字を強調して、フィサン村にあるナポレオンの彫像の絵が入っていますね。
「クロ・ナポレオン」と呼ぶブドウ畑の区画ができたのは、ナポレオンの親兵だったクロード・ノワゾ(Claude Noisot 1787~1861年)によると思うのですけれど...。彼は1835年にフィサンで引退生活を始め、「オー・シュゾー(Aux Cheuzeot)」という名前のブドウ畑の地域を買い集めています。フィサン村にあるナポレオン像も、このクロード・ノワゾが作らせていました(1847年)。
コニャックでも、ナポレオンでPRしているメーカーがあるのですね。
ブルゴーニュ産チーズの宣伝にも、ナポレオンが使われていました。
ナポレオンはエポワスにも行っていたので、食べたのかも知れない。
このチーズはの名前は「シャンベルタンの友達」という意味。シャンベルタンに合うチーズとして、1950年にブルゴーニュで作られました。
ナポレオンが食べたはずはないではないですか?!
ともかく、日本で何かをPRしようとしたら、何かしら持ち出して高い評価を得ていると言わないといけないのだろうと感じています。日本で売っているワインには、聞いたこともないコンクールで金賞を受賞したといるレッテルが付いていたり、フランス人は知らない「パーカーで何点」とかいうのが出てきますので。
日本人は自分自身では判断しないのかな?... 「優れている」と言われると、そのまま信じる善良な性格なのだろうと思う。フランス人は反対に、何か言われると「違う」と言って議論を始めるヘソ曲がり...。
◆ フランスでは、ナポレオンに美食家のイメージは全くない
フランスで、ナポレオンのワインやチーズで「ナポレオンが愛した」として宣伝して、売り上げが伸ばせるのかな?...
美食家で、食べ過ぎで命を落としたと言われるルイ14世などだったら宣伝に使えます。シャテルドンという、フランスで最も高級な飲料水がその例。「eau du Roi(王様の水)」と呼ばれます。 ルイ14世の主治医から毎日飲むように勧められた飲料水だから。レッテルも太陽王ルイ14世を象徴する図が付いています。
他にも、フランスでは美食家だと言われる過去の人たちはたくさんいますが、ナポレオンはその中に入っていません。
フランスでも、ナポレオンはブルゴーニュ赤ワインのシャンベルタンを毎日飲んでいたと言われていました。ジュブレ・シャンベルタンだったかも知れないし、もっとワインの産地を広げてボーヌのワインだったかも知れないとも言われていますが。
ナポレオンは、5年から6年もののシャンベルタンを飲んでいたという研究結果があるそうです。ワインを常温で飲むことを好み、ロシア遠征では懐にワインボトルを入れて温めていたと言われます。ワインを毎食ハーフボトルを消費していたのだそう。ワイン大好きというほどの量ではないですよね?
しかも、ナポレオンがシャンベルタンを飲む時には、ストレートで飲むことは全くなく、1対1の割合で水を入れて薄めて飲んでいたと言われています。
日本のワイン愛好家だって、上質のワインを水で薄めて飲むなんて! と憤りませんか? ブルゴーニュで食事に招待されたとき、出された取って置きのワインを水で割って飲んだら、もう絶交されてしまいますよ。それなのに、「ワイン愛好家のナポレオン」なんて言ってしまう日本!
ナポレオンは、シャンパンも嫌いではなかったらしく、こちらも同量の水で割って飲んでいて、それを彼は「limonade(レモネード)」と呼んでいたのだそう。
戦いばかりしていたナポレオンには、美味しい食べ物に現を抜かしたり、アルコール依存症にはならない配慮があったのかもしれない。でも、アルコール飲料で少し元気をもらう程度だったから戦えたのかな?
昔のフランスで安全に飲める飲料水はワインだったのではないかという気もします。60歳くらいになるブルゴーニュの友人が、高校時代の給食では赤ワインが出ていたけれど、売り物にならないような安物ワインだったので、不味くて飲めるものではないため、水で割って飲んでいたと話していましたので。
もともと、美食には無縁で幼少時代を過ごしたともフランスでは言われていました。しかも内臓の具合が悪かったので食事を楽しめなかったようです(死因は胃癌)。ナポレオンが好きだったのは野菜。特に野菜スープ、と書いている記事がありました。
ナポレオンは睡眠時間が短かったことで知られていますが、食事の時間も短かったようです。1回の食事に15分もかけなかったとのこと。家族団らんの食事でも、20分を超えることは稀だったようです。
子どもを産まないジョセフィーヌを追いやって、ナポレオンの世継ぎを産むことを期待された妻として神聖ローマ皇帝フランツ2世の娘マリア・ルイーザを迎えた結婚披露宴でさえも、膨大な費用をかけて準備し、大勢の招待客を招いたのに、ナポレオンは20分くらいで食事を終わってしまったと言われています。
皇帝が席を立てば、招待客が食事を楽しみ続けていることはできなかったはず。フランスで歴史に残る饗宴はメニューが残っているのが普通なのに、この時に出された料理の記録は何も無いのだそうです。

フランス人にとってのナポレオンのイメージは、美食家とはほど遠い人物だったと言えるでしょう。だから、フランスでは「ナポレオンが愛した〇〇」と言っても宣伝にはならないのではないかな?
オリーブオイルとバターで炒めた鶏肉、タマネギに、マッシュルームを加えてトマトソースと白ワインで煮込むというもの。
これは、イタリア北部で行われたマレンゴの戦い(1800年)の夜、調理人があり合わせの材料で作った料理でした。
以後、これがナポレオンが好んで食べる料理になったわけですが、ナポレオンは味が気に入ったというより、戦争に勝った思い出と結びついているからではないのかな?...
ナポレオンは130頭くらいの馬を持っていましたが、マレンゴと名付けた白馬がお気に入りだったようです。
◆ なぜナポレオンはシャンベルタンが気に入っていたのか?
これも気になったのです。
そもそも、ナポレオンの時代にシャンベルタンが今日のような高級ワインだったのかと疑ったのですが、すでに中世には名声を得ていたようでした。ナポレオンの時代には、当時で最も高価なワイン銘柄の1つだったのだそう。
クロ・ド・ベーズ(Clos de Bèze)という評判の良いワインを作っている畑の隣で、ベルタン(Bertin)という名の農民が持っていた畑(champ)だったからブドウ畑は「べルタンの畑(champ de Bertin)」で、それを縮めて「シャンベルタン(Chambertin )」と呼ばれるようになったとのこと。
二十歳前後で駆け出しの軍人だったナポレオンは、第1砲兵連隊の副隊長としてブルゴーニュのオーソンヌ(Auxonne ですが、ブルゴーニュでは「x」を発音しない)にいたときにシャンベルタンを飲んで気に入ったという記述がありました。オーソンヌとシャンベルタンの産地は近い距離にありますので、ありそうなお話し。
オーソンヌの町に行ったときには気が付かなかったのですが、ナポレオンの銅像がたっているのでした。建てられたのは、ナポレオンの死から少したった頃でしたが。

Statue du lieutenant Bonaparte à Auxonne
ところで、晩年を過ごしたフィサン村にナポレオンの銅像を建てたくらいなのでナポレオンを相当に敬愛していたと思われるクロード・ノワゾは、オーソンヌで生まれた人でした。偶然に過ぎないのかな?..
◆ ワインが人生の明暗を変える?
ナポレオンは強靭な肉体だったのだろうと思っていたのですが、そうではなかった。オーソンヌに赴いた前後には各地の保養所に行っていました。パリ士官学校にいた頃までは、ナポレオンの体調が悪かったという記録は残っていなかったのですが、その後に軍隊に入ってからは色々な症状に悩まされていた記録があります。皇帝になる前にも、高熱、疥癬(かいせん)、吐血がありました。
それが癒してくれたのはブルゴーニュワインだった?
オーソンヌに赴く前にナポレオンは、体調が悪いために長期休暇でコルシカ島に里帰りしていますが、コルシカ島を裏切り者という目で見られて居心地は良くなかったかもしれない。2度目のオーソンヌ滞在中にフランス革命が勃発して、ナポレオンは皇帝への道を駆け進むことになります。
オーソンヌで砲兵の運用を学び、敵方野戦軍主力をナポレオンの重点戦略の1つとするようになったわけです。そのときに出会ったシャンベルタンは、ナポレオンにとって縁起が良いワインにしたのではないか、というのは私の全く勝手な(!)想像です。
シャンベルタンしか飲まなかったと言われるナポレオンですが、1815年からイギリス領のセントヘレナ島に幽閉されていた時にはボルドーの赤ワインを飲んでいたのだそう。ボルドーワインとイギリスの関係は深いですから、ナポレオンがボルドーを飲んだというのには頷けます。
ブルゴーニュワインを飲めなくなったのが運の尽き、とナポレオンも思ったかな?...
セントヘレナ島にいたナポレオンを描いたスケッチ ↓
Anonyme, Fleshy (le ventripotent) dessin d'après nature de Napoléon à Longwood le 5 juin 1820.
病気が危機的な状態になっていた時期に描かれているのですが、かなりの肥満体ですね。胃癌で死亡したというのが通説ですが、死に至る1年足らず前に、こんなに太っていられるものなのですか?...
セントヘレナ島では丁重に扱われていたようですが、することがなかったナポレオン。それまでは体調不良と戦いながら粗食で健康を維持していたのに、暴飲暴食で健康を悪化させたのだろうか?...
◆ ワーテルローの戦い
ナポレオンの失墜を決定的にしたのは、ワーテルローの戦い(1815年)でした。
ワーテルローはWaterloo。Water(英語で水)と Loo(フランス語の単語で水を意味する l'eau になる)。ワインを水で割って飲んでいたナポレオンを茶化して、フランス人は「Water-l'eau(ウオーター・ロー)」と言ったりします。
他にもワイン関係の茶化しもありました。
ワーテルローでナポレオンが敗北した理由を、フランス人は「戦いの日にシャンベルタンを飲まなかったから」と言い、敵だったイギリス人は「前夜にお気に入りのワインを飲み過ぎて酔っ払い状態で戦いに臨んだため、馬から落ちた」と言うのだそう!
実際には、戦いの朝にナポレオンは、馬に乗っている人たちがよくなるイボ痔(痔核)の治療を受けていたそうです。
ところで、ナポレオンには「マレンゴ」となずけた馬がいました。有名なナポレオンの肖像画「ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト」は、その馬をモデルにして描かれたと言われています。
Bonaparte franchissant le Grand-Saint-Bernard(1801年)
こんな馬に乗って厳しいアルプスの道を駆け上るの不可能だったので、実際にはロバで山越えをしたと言われますけれど...。
ところが、ワーテルローの戦いではナポレオンは実際にマレルゴに乗っていたのですが、馬は捉えられてイギリスに連れて行かれてしまいます。馬はナポレオンより10年くらい長く生きて、骸骨がロンドンにあるサンドハースト王立陸軍士官学校に展示されているのだそう(こちら)。
皮肉ですね。ワーテルローの戦いによって、ナポレオンが縁起が良いと思っていたのかも知れないシャンベルタンとも馬とも別れたのでした。
追記(2019年8月):
調査会社ipsosが1997年に行った、フランス人が抱いているナポレオンのイメージに関するアンケート調査が出てきました。
質問: ナポレオンに関して、どちかと言えば...?
・フランス革命を長引かせた: 28%
・フランス革命を終わらせた: 45%
質問: ナポレオン戦争は、むしろ...?
・解放戦争: 19%
・圧制/暴虐の戦争: 60%
質問: 今日のフランス社会体制はナポレオンによるところが大きいか?
・非常に: 36%
・少し: 42%
・全くない: 9%
質問: ナポレオンの長所は?(複数回答可)
・軍事上のノウハウ 53%
・権威: 52%
・勇気: 27%
・組織力: 22%
・カリスマ性: 13%
質問: 総合的に言ってナポレオンは...?
・むしろフランスに貢献した: 66%
・むしろフランスに不利益をもたらした: 16%
質問: ナポレオンはフランスの何の化身と言えるか?
・フランスの資質: 44%
・フランスの欠点: 29%
こんな調査があったので調べてみたら、フランスの歴史の中で登場した人物の中で、フランス人たちが好むのは誰かというアンケート調査も見つかりました。そちらはインターネット投票なので少しいい加減だと思うのですが、ナポレオンを評価する人たちが多いようなので、そのアンケート調査結果について次回に書いてみることにしました。
続き:
★ フランス人に人気がある歴史上の人物は?
⇒ シャンベルタンやクロ・ナポレオンがある地区ブログ内リンク:
★ 目次: 戦争、革命、テロ、デモ ⇒ 革命、ナポレオンに関して
★ シャトー・ド・ポマールがアメリカ人の手に渡った 2014/09/15
★ ブルゴーニュのワイン村: フィサン 2009/03/22
★ フランスのイメージは良すぎるのでは? 2013/08/02
★ フランスで人気のナンバープレートとは? 2014/04/12
★ 目次: ワインなどアルコール飲料に関するテーマ
★ 目次: 飲料水について書いた記事
外部リンク:
ナポレオン
☆ Le site d'histoire de la Fondation Napoléon
☆ Wikipedia: ナポレオン・ボナパルト » Napoléon Ier
☆ Wikipédia: Légende napoléonienne | Iconographie de Napoléon Ier
☆ 今も生き続ける「伝説」を残した英雄ナポレオン皇帝の歴史
☆ ナポレオン・ボナパルトの生涯|フランス皇帝ナポレオン1世と世界史
☆ Wikipedia: Corse » コルシカ島 | コルシカ独立戦争
ナポレオンのイメージ
☆ ipsos: Napoléon et les personnages historiques Français.
☆ Top 10 des personnages historiques français les plus connus à l'étranger, le hall of fame
☆ Napoléon, l’homme qu’on détestait trop 25 novembre 2010
☆ Napoléon, tyran ou génie
☆ Musée de l'Histoire Vivante: Napoléon Aigle ou Ogre
☆ Wikipédia: Légende napoléonienne
☆ «Napoléon a été le héros des classes populaires»
☆ Napoléon, C’était un tyran, mais le comparer à Hitler et Staline est une erreur
☆ 窒息しつつある民主主義~フランスの新マクロン政権
☆ Wikipédia: Statuaire publique de Napoléon Ier en France
日本とナポレオン
☆ 青羽古書店: 『那波列翁一代記(佛蘭西偽帝那波列翁一代記)』「佛郎王歌」収録
☆ 江戸で人気の那波列翁って誰?
☆ 幕末のナポレオンブーム『那波列翁伝初編』を耽読した西郷や松陰
☆ 大河ドラマの見逃し動画・感想: 西郷隆盛とナポレオンとは?本『那波列翁伝』
シャンベルタン
☆ ナポレオンが愛したワイン、シャンベルタンについて
☆ Napoléon 1er sa « limonade » champenoise et son Chambertin coupé d’eau…
☆ Histoires de Vins - Histoires et anecdotes du monde du vin
☆ Le vin de Napoléon
☆ Napoléon et Gevrey-Chambertin ; le vin, le pouvoir et la mort - Juste un verre...
☆ Wikipédia: Chambertin | Chambertin-clos-de-bèze
シャトー・ド・ポマール
☆ ナポレオンが愛したワインと19世紀から続く名門クリュを訪ねてブルゴーニュへ。
☆ ポマール ワインとは? 特徴とブドウ品種、合わせる料理
フィサン
☆ LE CLOS NAPOLÉON NAISSANCE D’UN MONOPOLE
☆ Wikipedia: Claude Noisot
ナポレオンの食事
☆ Les plats préférés de Napoléon Ier
☆ Napoléon à table et Napoléon cuisinier
☆ Royal repas (3-3) - Le dîner de noces de Napoléon Ier
☆ Le banquet du mariage de Napoléon et Marie-Louise
☆ Les plats préférés de Napoléon Ier
☆ De Carême à Escoffie
☆ Wikipédia: Poulet Marengo☆ ナポレオン、魅惑のマレンゴ料理
☆ ナポレオン、流刑地でも豪華な食生活 セントヘレナ島
ナポレオンとオーソンヌ
☆ Napoléon Bonaparte ou Prométhée déchaîné
☆ Wikipédia: Séjour de Napoléon Bonaparte à Auxonne
☆ Napoléon Bonaparte à Auxonne
☆ モルトケ作戦 (その二)
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2019/07/14
前回に書いた「ルイ16世夫妻の命取りとなったのは、本当に豚足料理だったのか?」で、実際には食べていないはずの豚足料理をルイ16世が食べたことにされたのも、豚の料理を持ち出して国王が愚かだということにしたのでしょう。
ルイ16世にまつわる料理に「Tête de Veau(テット・ド・ヴォー)」というのもあります。
◆ Tête de Veau(子牛の頭)どいう料理
この料理名は、「子牛の頭」というグロテスクなもの。子牛の頭を使った料理です。
Wikipediaによれば、ヨーロッパ(特にフランス、ベルギー、ドイツ、スイス、イタリア)でクリスマスに食べる料理となっていました。ということは、臓物なのに、ご馳走として食べる料理だということ?
私は2度か3度しか食べたことが無いように思います。

★ ゲテモノ食い?!: テット・ド・ヴォー 2007/05/16
◆ 1月21日に子牛の頭の料理食べる人たちがいる
1792年9月21日に第一共和制が成立してから4カ月後、ルイ16世は処刑されました。1月21日は、1793年にギロチンで死刑にされたルイ16世が処刑された日です。その日には、鎮魂ミサを行う教会がある一方で、子牛の頭を食べる習慣がある人もいます。
ルイ16世の切り落とされた頭を思い描きながら子牛の頭を食べて喜ぶなんて、頭が狂っているのではないかと思ってしまう...。

◆ フランス革命という資本主義革命
そもそも、フランス革命事態が残虐すぎたと思います。
経済力をつけてきたブルジョワが、貴族を死刑にして抹殺し、彼らに取って代わろうとしたのは自然なこと。でも、各地の教会や修道院を破壊したり、聖職者を修道院から追い出したのは理解に苦しみます。18世紀末の人々は現代よりも遥かに信仰心が強かったはずですから、「そんなことをしたら罰が当たる」みたいには思わなかったのだろうか?
しかも、革命が進む中で、革命家仲間をも死刑にしたりしているのですよね。
考えると、フランス人って、何をするか分からない怖い人たちだと思ってしまう...。
革命前のフランス(アンシャン・レジーム)では、3つの身分がありました。国民の8割を占めるのが平民(第3身分)。その上に聖職者(第1身分)と貴族(第2身分)が特権階級として存在しています。
聖職者の勤めは祈ること。貴族の勤めは戦争で働くこと。平民は農業や商業に携わって収入を得ることができますが、その代わりに税金を納める義務がある。
↓ アンシャンレジームを風刺した画。第三身分者が聖職者と貴族を背負っています。

« caricature des trois ordres : un paysan, un noble et un membre du clergé », caricature anonyme, 1789
フランス革命という資本主義革命を起こした人たちは、社会はこういう風になっていると平民を煽ったわけですね。
7月14日日は革命記念日として、各地で花火大会やダンスパーティーなどがある祭りが開催されますが、フランスにとって革命で失われたものは大きかったと思います。
特に宗教建築物の破壊が行われたことは、観光国フランスにとって痛手でした。そんな革命はなかったイタリアに行くと、芸術や建築物の宝庫であることを痛感します。
ブルゴーニュにあるクリュニー修道院(Abbaye de Cluny)は、ローマにサン・ピエトロ大聖堂が設立されるまではヨーロッパで最大の宗教建築物だったのですが、フランス革命で破壊されて石材供給源になってしまったため、聖堂南側の翼廊の一部だけが当時の姿を残しているだけという哀れな姿になっています。
◆ ルイ16世に付けられたあだ名は「ブタ」だった
マリー・アントワネットを国民の敵にするのは容易だっただろうと思います。派手だし、外国から嫁いで来た女性ですから。
温厚なルイ16世を中傷するのは大変だったかも知れない。
フランス革命が勃発してから3年間、ルイ16世は王権を失っていませんでしたが、「Roi Cochon(ブタ王)」というあだ名を付けられてしまいました。小太りだったから? いずれにしても、日本と同様にフランスでも「豚」は悪いことに対する意味で使われます。
豚を意味する単語には porc もありますが、cochonは特に食肉用に去勢した雄豚を意味します。cochonという方が侮辱度が強いでしょうね。
「ルイ16世夫妻の命取りとなったのは、本当に豚足料理だったのか?」で触れた1791年の国外脱出に失敗してパリに連れ戻されたことについては、風刺画が多く出されたようです。

Ah ! le maudit animal ! Il m’a tant péné [sic] pour s’engraisser. Il est si gros et gras qu’il en est ladre. Je reviens du marché, je ne sais plus qu’en faire

ルイ16世の処刑を祝って、なぜ豚ではなく子牛の頭を食べるのかが気になったので調べてみました。
◆ なぜ、子牛の頭(Tête de Veau)なのか?
初めのうちは、豚の頭を食べていたのでした。
風刺文の書き手が、ルイ16世の処刑の翌年(1794年1月21日)に絶対王政の終焉を祝う共和主義者の饗宴を開くことを提案したのが始まりだと言われます。そのことが書かれた小冊子は「La Tête et l’Oreille(頭と耳)」と題されていて、メインディッシュとして豚の耳と頭を提案していたそうです。
その風習は19世紀半まで毎年行われて、出される料理は「tête de cochon farci(詰め物をした豚の頭)」だったそうです。ところが、第二共和政が始まった1848年頃から、1月21日に開かれる饗宴では、豚の頭ではなくて、子牛の頭を食べるようになったtのこと。
ギュスターヴ・フローベールの長編小説『感情教育(1869年)』では、イギリスの風習がルーツだと記述されています。
1948年の革命(二月革命)に参加した登場人物に、イギリスではイングランド王のチャールズ1世が処刑された日を祝ってRoundheads(円頂党)が1月30日に行っていたセレモニーのパロディー化したと語らせています。
イギリス版は子牛の頭蓋骨をワイングラス代わりにするというもので、饗宴では並々と赤ワインがつがれ、乾杯を繰り返していたのだそう。イギリス人も残酷ですね~。
◆ 何が良くて、何が悪いかの判断は下せない

結局のところ、革命を起こしたって権力者が入れ替わるだけだと思う。中国は共産主義と言うけれど、貧富の差は大きいのですから、キリスト教的なユートピアを築こうとカール・マルクが考えた共産主義とは無関係だと言いたい。
日本は残酷な革命などはせずに大政奉還(1867年)を行ったのは誇らしいことだと思う。
ルイ16世は、どことなく徳川幕府最後の将軍となった徳川慶喜に似ているような気がします。
静岡で余生を送ることになった慶喜は、政治的野心は全く持たず、潤沢な隠居手当を元手に、写真・狩猟・投網・囲碁・謡曲などの趣味に没頭する生活を送ったと言われます。
ルイ16世も、錠前づくりや狩猟が趣味でした。隠居生活をするように配慮してもらえたら、穏やかに暮らしたのではないかな。むしろ、王様をやっているより幸せな人生だったかも知れない。もともと彼は国王になる順番は3番目だったのに、上の二人が亡くなってしまったので国王にされてしまった人ですから。
フランス革命期に関した書籍で、気に入ったのは翻訳で読んだ次の著作でした:
フランスの友人にシュテファン・ツヴァイクが書いたマリー・アントワネットの心理描写が感動的だと話したら、この作家の著作『チェスの話』も見事な作品だと言われました。いつか読みたいと思いました。
『フランス革命の代償』の方は、フランス革命200年を祝った年に出版された本でした。フランス人たちはフランス革命によって近代国家がつくられたと自負しているようなので、これによってフランスは斜陽の国になったとする主張なので挑発的な作品だろうと思いました。
続き:
★ ナポレオン1世のイメージに対する、日本とフランスの違い
ルイ16世にまつわる料理に「Tête de Veau(テット・ド・ヴォー)」というのもあります。
◆ Tête de Veau(子牛の頭)どいう料理
この料理名は、「子牛の頭」というグロテスクなもの。子牛の頭を使った料理です。
Wikipediaによれば、ヨーロッパ(特にフランス、ベルギー、ドイツ、スイス、イタリア)でクリスマスに食べる料理となっていました。ということは、臓物なのに、ご馳走として食べる料理だということ?
私は2度か3度しか食べたことが無いように思います。

★ ゲテモノ食い?!: テット・ド・ヴォー 2007/05/16
◆ 1月21日に子牛の頭の料理食べる人たちがいる
1792年9月21日に第一共和制が成立してから4カ月後、ルイ16世は処刑されました。1月21日は、1793年にギロチンで死刑にされたルイ16世が処刑された日です。その日には、鎮魂ミサを行う教会がある一方で、子牛の頭を食べる習慣がある人もいます。
ルイ16世の切り落とされた頭を思い描きながら子牛の頭を食べて喜ぶなんて、頭が狂っているのではないかと思ってしまう...。
◆ フランス革命という資本主義革命
そもそも、フランス革命事態が残虐すぎたと思います。
経済力をつけてきたブルジョワが、貴族を死刑にして抹殺し、彼らに取って代わろうとしたのは自然なこと。でも、各地の教会や修道院を破壊したり、聖職者を修道院から追い出したのは理解に苦しみます。18世紀末の人々は現代よりも遥かに信仰心が強かったはずですから、「そんなことをしたら罰が当たる」みたいには思わなかったのだろうか?
しかも、革命が進む中で、革命家仲間をも死刑にしたりしているのですよね。
考えると、フランス人って、何をするか分からない怖い人たちだと思ってしまう...。
革命前のフランス(アンシャン・レジーム)では、3つの身分がありました。国民の8割を占めるのが平民(第3身分)。その上に聖職者(第1身分)と貴族(第2身分)が特権階級として存在しています。
聖職者の勤めは祈ること。貴族の勤めは戦争で働くこと。平民は農業や商業に携わって収入を得ることができますが、その代わりに税金を納める義務がある。
↓ アンシャンレジームを風刺した画。第三身分者が聖職者と貴族を背負っています。

« caricature des trois ordres : un paysan, un noble et un membre du clergé », caricature anonyme, 1789
フランス革命という資本主義革命を起こした人たちは、社会はこういう風になっていると平民を煽ったわけですね。
7月14日日は革命記念日として、各地で花火大会やダンスパーティーなどがある祭りが開催されますが、フランスにとって革命で失われたものは大きかったと思います。
特に宗教建築物の破壊が行われたことは、観光国フランスにとって痛手でした。そんな革命はなかったイタリアに行くと、芸術や建築物の宝庫であることを痛感します。
ブルゴーニュにあるクリュニー修道院(Abbaye de Cluny)は、ローマにサン・ピエトロ大聖堂が設立されるまではヨーロッパで最大の宗教建築物だったのですが、フランス革命で破壊されて石材供給源になってしまったため、聖堂南側の翼廊の一部だけが当時の姿を残しているだけという哀れな姿になっています。
◆ ルイ16世に付けられたあだ名は「ブタ」だった
マリー・アントワネットを国民の敵にするのは容易だっただろうと思います。派手だし、外国から嫁いで来た女性ですから。
温厚なルイ16世を中傷するのは大変だったかも知れない。
フランス革命が勃発してから3年間、ルイ16世は王権を失っていませんでしたが、「Roi Cochon(ブタ王)」というあだ名を付けられてしまいました。小太りだったから? いずれにしても、日本と同様にフランスでも「豚」は悪いことに対する意味で使われます。
豚を意味する単語には porc もありますが、cochonは特に食肉用に去勢した雄豚を意味します。cochonという方が侮辱度が強いでしょうね。
「ルイ16世夫妻の命取りとなったのは、本当に豚足料理だったのか?」で触れた1791年の国外脱出に失敗してパリに連れ戻されたことについては、風刺画が多く出されたようです。

Ah ! le maudit animal ! Il m’a tant péné [sic] pour s’engraisser. Il est si gros et gras qu’il en est ladre. Je reviens du marché, je ne sais plus qu’en faire

ルイ16世の処刑を祝って、なぜ豚ではなく子牛の頭を食べるのかが気になったので調べてみました。
◆ なぜ、子牛の頭(Tête de Veau)なのか?
初めのうちは、豚の頭を食べていたのでした。
風刺文の書き手が、ルイ16世の処刑の翌年(1794年1月21日)に絶対王政の終焉を祝う共和主義者の饗宴を開くことを提案したのが始まりだと言われます。そのことが書かれた小冊子は「La Tête et l’Oreille(頭と耳)」と題されていて、メインディッシュとして豚の耳と頭を提案していたそうです。
その風習は19世紀半まで毎年行われて、出される料理は「tête de cochon farci(詰め物をした豚の頭)」だったそうです。ところが、第二共和政が始まった1848年頃から、1月21日に開かれる饗宴では、豚の頭ではなくて、子牛の頭を食べるようになったtのこと。
ギュスターヴ・フローベールの長編小説『感情教育(1869年)』では、イギリスの風習がルーツだと記述されています。
1948年の革命(二月革命)に参加した登場人物に、イギリスではイングランド王のチャールズ1世が処刑された日を祝ってRoundheads(円頂党)が1月30日に行っていたセレモニーのパロディー化したと語らせています。
イギリス版は子牛の頭蓋骨をワイングラス代わりにするというもので、饗宴では並々と赤ワインがつがれ、乾杯を繰り返していたのだそう。イギリス人も残酷ですね~。
◆ 何が良くて、何が悪いかの判断は下せない
クリュニーIII
結局のところ、革命を起こしたって権力者が入れ替わるだけだと思う。中国は共産主義と言うけれど、貧富の差は大きいのですから、キリスト教的なユートピアを築こうとカール・マルクが考えた共産主義とは無関係だと言いたい。
日本は残酷な革命などはせずに大政奉還(1867年)を行ったのは誇らしいことだと思う。
ルイ16世は、どことなく徳川幕府最後の将軍となった徳川慶喜に似ているような気がします。
静岡で余生を送ることになった慶喜は、政治的野心は全く持たず、潤沢な隠居手当を元手に、写真・狩猟・投網・囲碁・謡曲などの趣味に没頭する生活を送ったと言われます。
ルイ16世も、錠前づくりや狩猟が趣味でした。隠居生活をするように配慮してもらえたら、穏やかに暮らしたのではないかな。むしろ、王様をやっているより幸せな人生だったかも知れない。もともと彼は国王になる順番は3番目だったのに、上の二人が亡くなってしまったので国王にされてしまった人ですから。
フランス革命期に関した書籍で、気に入ったのは翻訳で読んだ次の著作でした:
シュテファン ツヴァイク 『マリー・アントワネット』 | ルネ セディヨ 『フランス革命の代償』 |
フランスの友人にシュテファン・ツヴァイクが書いたマリー・アントワネットの心理描写が感動的だと話したら、この作家の著作『チェスの話』も見事な作品だと言われました。いつか読みたいと思いました。
『フランス革命の代償』の方は、フランス革命200年を祝った年に出版された本でした。フランス人たちはフランス革命によって近代国家がつくられたと自負しているようなので、これによってフランスは斜陽の国になったとする主張なので挑発的な作品だろうと思いました。
続き:
★ ナポレオン1世のイメージに対する、日本とフランスの違い
ブログ内リンク:
★ ゲテモノ食い?!: テット・ド・ヴォー 2007/05/16
★ 目次: 内臓肉を使った料理
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
★ クイズ: この枯れた花には何の意味があるのでしょう? 2007/02/22
★ ルイ16世夫妻の命取りとなったのは、本当に豚足料理だったのか? 2019/07/09
★ ジャガイモの花 2008/08/05
★ 目次: 戦争、革命、テロ、デモ ⇒ フランス革命
★ 目次: 宗教建築物に関する記事 ⇒ 破壊された宗教建築物
★ ブルボン朝最後の国王シャルル10世の墓はスロヴェニアにあった 2012/01/13
外部リンク:
☆ Wikipedia: Révolution française » フランス革命
☆ Wikipedia: ルイ16世 (フランス王) » Louis XVI
☆ Wikipédia: Exécution de Louis XVI
☆ Il y a 220 ans, la France guillotinait Louis XVI...
☆ 【今日の歴史】1793年1月21日の事【国王として、人として】
☆ フランス革命と産業: フランス革命と産業: 18世紀から19世紀
☆ フランス革命 その14 ルイ16世の人となり
☆ Du "Roi-père" au "Roi-cochon"
☆ Cairn.info: Ah le maudit animal !
☆ Le porc dans la caricature politique (1870-1914); une polysémie contradictoire ?
☆ Pourquoi mange-t-on de la tête de veau pour l’anniversaire de la mort de Louis XVI, le 21 janvier ?
☆ La tête de veau du 21 janvier, une tradition républicaine
☆ Gastronomie dominicale La tête de veau en l'honneur de Louis
☆ 21 janvier c'est tête de veau . Au fait, pourquoi
☆ Greta Garbure: Manger de la tête de veau le 21 janvier : tradition barbare ou patriotique ?
☆ テット・ドゥ・ヴォー(子牛の頭)
☆ 武将ジャパン: ルイ16世って素敵な人じゃん!無実の罪で処刑されてなお平和を願った王だった | 人類史で2番目に多くの首を斬り落としたアンリ・サンソン 処刑人の苦悩
☆ ルネ・セディヨ 『フランス革命の代償』
☆ 徳川幕府最後の将軍が、意外と余生をエンジョイしていた【教科書に載ってない】
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2019/07/09
もうすぐ7月14日。日本では映画の題名とされたのが理由で「パリ祭」などと呼ばれてイベントがあったりもしますが、フランスでは単に7月14日を意味する「14 Juillet」と呼ばれる国家の日です。
フランス革命は、当時は火薬庫だったバスティーユ襲撃で勃発したとされています。それが1789年7月14日だったので、7月14日を記念する祭日となっています。

パリでは盛大なイベントがも催されますが、田舎でも村役場が祭りを行います。私の村でも、有志たちが13日と14日に、花火大会、食事&ダンスパーティー、コンクールなど、色々なイベントを計画しています。私もイベントお知らせポスター作りを手伝いました。
それで思い出した。
ここのところ内臓肉について書いていたのですが、フランス国王ルイ16世の名を持ち出す臓物を使った料理が2つあるのです。

豚足料理と、子牛の頭の料理。後者の方はブログで軽く書いていたのですが、豚足料理について書いていなかった。ここで書いておきたいと思います。
ルイ16世(Louis XVI 1754~93年)は、在位中にフランス革命が勃発し、断頭台の露と消えたブルボン家の国王。妻は、オーストリアのハプスブルク家から迎えたマリー・アントワネット。
ルイ16世は、お人好し過ぎる国王だったと感じます。王家は護衛の軍隊を持っているのですから、ルイ14世だったら、鍬などを持った農民たちがヴェルサイユ宮殿に押し寄せた時などには簡単に弾圧してしまったと思う。
◆ ルイ16世の命取りとなったと言われる豚足料理
シャンパーニュ地方マルヌ県にあるサント=ムヌー町(Sainte-Menehould)は、豚足(pied de porc あるいは pieds de cochon)の料理が名物ということで知られています。
それで近くを通ったときに町に立ち寄ってみました。もう8年も前のことなので、見学した教会についてなどはうろ覚えですが、豚足料理のことだけははっきり覚えています。
もう二度と行くことはない町だと思うので、ここのところ臓物料理について書いてきた続きとして、ブログに書き留めておきたいと思いました。
サント=ムヌー町に入ったら、豚足が名物であることが目立ちました。
「ここで本物のサント=ムヌー風豚足料理を売っています」という宣伝 ↓

ツーリスト・オフィスにも豚足の同業者組合の衣裳が飾られていました ↓

下は愉快な宣伝。
「サント=ムヌーに来たら、足に気を付けてね」ですって! 切られて料理にされちゃうよ、というところでしょう。

フランス革命が勃発して、ルイ16世は家族とともにパリのテュイルリー宮殿にほぼ幽閉状態におかれていましたが、王妃マリー・アントワネットの実家があるオーストリアへの亡命が計画されました。
その逃避行の中で、ルイ16世はサント=ムヌーに立ち寄って名物の豚足料理を食べたために時間がかかってしまい、それから馬車を進めたけれど、少し先のヴァレンヌで捕まってしまった、というのが語られているお話しです。
名物料理ということなので、私も肉屋で保存ができる瓶詰の豚足を買い、店で何処のレストランが一番美味しいか教えてもらって昼食で食べました。
町の人たちにルイ16世の話しをすると、それは伝説と言う感じで、ほとんど話しに乗ってこなかったのを記憶しています。自慢していたのは、ここの豚足料理は格別に美味しいということ。
◆ サント・ムヌー風豚足料理とは?
レストランで出された豚足料理です ↓

庶民料理ですが、サント・ムヌー風は普通の豚足料理とはどこか違って美味しいので、とても気に入りました。
パン粉をまぶした豚足は、焼けば良い状態に下ごしらえして普通の肉屋で売っているのですが、サント・ムヌー風の特徴は長時間煮るので骨が食べられるくらい柔らかいのが特徴です。
食べかけた時の写真 ↓

骨がたくさんあります。少し食べてみましたが、本当に少しコリコリという感じで食べられてしまうのでした。たくさん骨があるし、やはり味があって美味しいというものではないので、骨は少しだけ食べてみた程度です。
ここの名物料理の豚足は、調理見習いの人が煮込む鍋の火を消すのを忘れてしまったことから生まれたと言われています。
この料理は、1730年頃にアルゴンヌ地方(森と池が広がる地域で、ルイ16世が逮捕された舞台)にあったAuberge du Soleil d'orという名のレストランの女主人が考え出したレシピだという言い伝えがありますが、全く確かではありません。15世紀には既に存在していて、フランス国王シャルル7世が町を訪れた時に供されたとも言われます。
ともかく、ルイ16世の時代には存在していたわけですから、王様も噂を聞いていて、いつか食べたいと思っていたかもしれない。
◆ サント・ムヌー風豚足料理の作り方
サント・ムヌーにあるレストラン「Le Cheval Rouge」が名物料理の作り方を見せています。私が昼食をとったのも、このレストランだったはずです。
Sainte-Ménehould, Petite Cité de Caractère - le pied de cochon
もう1つ、町の紹介もしている動画も入れます。私が買い物をした肉屋さんも登場しています。
Ici et pas ailleurs à Sainte-Ménéhould
同じレストランのルポルタージュなのですが、2番目の動画は私が行ったのとほぼ同じ時期に録画されたようです。1番目に入れた動画ではもっと最近で、数年後の録画のようです。シェフも代わっているし、少し現代化した作り方をしているように見えました。
サント・ムヌー風豚足料理は、36時間も煮るから骨まで食べられるほど柔らかいのだ、と町に行ったときに聞いていました。2番目の動画では鍋に入れてから36時間と言っています。でも、1番目の動画では、圧力鍋を使って調理時間を短くしていますね。
でも、両方とも、豚足は肉づきの良い前脚しか使わないと強調していますね。
ネット上にあったレシピ:
注:
フランス語のレシピに出て来る「ruban de fil(直訳すれば、紐のリボン)が何のことか分かりませんでした。ruban à tabliers(エプロンのリボン?)と呼ばれるものだとか、かつら製造業者が後ろに束ねる髪と同じという説明がありました。
一番目の動画で使っていたネットのこと? 日本では、デリネット、ミートネット、スコットネットなどと呼ばれるものがそれなのではないかと推定したのですが、18世紀に既に存在したかは疑わしい。
☆ 「デリネット ミートネット スコットネット」をキーワードにして楽天市場で検索


作り方を見せる動画を2つ入れたのですが、同じレストランです。2番目に入れた動画の方が古いので、こちらのやり方が伝統的な方法なのだろうと思いました。つまり、リボン状のテープというか、包帯のような布で肉を巻いてしばっています。こちらのブログに入っている写真も、同じですね。
◆ ルイ16世は、本当に サント・ムヌーで豚足料理を食べたのか?
サント・ムヌーの旅籠で休憩をとったルイ16世たちは、そこで豚足料理をのんびり食べていたから予定が遅れ、フランス脱出の目的地を目の前にしながら少し先のヴァレンヌ(Varennes-en-Argonne)で捕らえられてしまったと言われます。
用意周到に脱出の準備をして、膨大な資金援助も得ての逃避行でした。夜中に国王一家は出発できましたが、朝が明ければ国王がいないことが分かって兵隊に追いかけられるのは目に見えています。そんなフランス脱出旅行の途中で、サント・ムヌーで呑気に食事をしている時間があったのだろうか? 気になったので、行程を追ってみました。
最も難しかったであろう幽閉先となっていたパリのテュイルリー宮殿を無事に脱出に成功してから、フランスの国境を超えるのが目前だったヴァレンヌで逮捕されるまでの旅行は23時間。
パリから逮捕されたまでの地図

今の時代なら車を走らせて2時半半で行ってしまうのですが、荷物を積んだ馬車はノロノロ走ったらしいし、途中で馬を替える時間のロスもある。Googleマップで自転車での時間を出させたら、13時間の行程でした。
自転車と比べてロス時間は10時間? 馬車って、そんなに遅いのですか?
調べてみたら、駅馬車は平均時速 6~11 Kmで、1日に112~192 kmほどを走っていたのだそう。自転車のスピードは平均時速18~30Km。馬車の方がずっと遅いのですね。
ルイ16世の馬車は全く休まなかったとしても、全行程を時速10キロで馬車が走ったこととなります。馬を替えるのは必須でしょうから、呑気に食事なんかをしている時間はなかったではないですか?
たった1日だった逃避旅行を時間で追ってみます。
1791年6月21日
午前零時10分:
ルイ16世は家族とともに逃亡計画を実行すべく、テュイルリー宮殿を脱出。
午前2時30分:
始めの中継地ボンディ(Bondy)で、脱走を手伝ってきたハンス・アクセル・フォン・フェルセン(マリー・アントワネットの愛人だったともいわれるスウェーデン人の貴族)はルイ16世たちと別れます。
午後7時55分:
シャンパーニュ地方マルヌ県にあるサント=ムヌー町(Sainte-Menehould)にあるrelais de poste(馬を替える宿駅)に到着。
宿駅の主だったジャン=バプティスト・ドルーエ(Jean-Baptiste Drouet )は王様だと分かったのに、何も行動はしませんでした。
午後8時10分:
ルイ16世1行の2台の馬車は、宿駅を出てClermont-en-Argonneの方向に向かいます。
サント=ムヌー町では国王が逃げているという噂が広がり、市当局の要請により、ドルーエは国王一家を逮捕するための追跡することになります。宿駅の主人だったから選ばれたというわけではなく、彼は乗馬の達人で、7年の軍隊経験もあり、周辺の地理に精通していたからでした。
熱狂した村人たちはドルーエと一緒に出掛けたがりましたが、馬が1頭しか残っていない。そこで、手綱さばきが見事なLa Hureと呼ぶ男と共に、王に遅れること1時間で出発します。
午後10時55分:
道を知っているドルーエたちは王の一行より1時間遅れて出発していましたが、森の中を突っ切って東部国境に近いヴァレンヌ(Varennes-en-Argonne)に到着し、村の入り口である高台で王が乗っている馬車を発見。町が国王逮捕に協力する体制を整えます。
ヴァレンヌの教会は警鐘を鳴らして兵を結集させ、深夜に国王一家の身柄は拘束されます。

Tour de l'Horloge (Varennes-en-Argonne)

L’arrestation du roi et de sa famille à Varennes. Toile de Thomas Falcon Marshall (1854)
翌朝、拉致されたルイ16世の家族はパリに送り返され、6月25日の夕方にパリに到着します。 1792年に王権が停止され、翌年1月にルイ16世は処刑されました。マリー・アントワネットが処刑されたのは1793年10月。
彼らには途中でのんびりするなどはできず、必死で馬車を走らせていたのだろうと私は想像します。
馬車に揺られて乗っているのは、かなりきついのだと聞いたこともあります。恐らくヘトヘトでヴァレンヌに到着して、宿で休みたいと思ったときに逮捕されてしまったわけですね。その夜には、ごく簡単な食事を出してもらったようですが。
ともかく、ルイ16世の家族がサント=ムヌーにいたのは僅か15分。たとえ馬を替えるために立ち寄った宿駅が旅籠のようにレストランもやっていたとしても、豚足料理を賞味している時間などはなかったですよ~! 町にあるレストランで食事したとしたら、宿駅の主人ドルーエはヴァレンヌまで行くまでもなく国王一家に追いついていたでしょう。
◆ 革命期のフェイク・ニュース
『モンテ・クリスト伯(巌窟王)』や『三銃士』で知られる作家アレクサンドル デュマ(Alexandre Dumas)は、美食家でした。
彼の『大料理辞典(1870年執筆)』の中には「Pieds de cochon à la Sainte-Menehould(サント=ムヌー風豚足)」の項目があり、レシピを紹介する前書きとして、この町でルイ16世が豚足料理を食べたために逃亡が遅れたというのはデマだと書いていました。
1791年にルイ16世が逮捕されたとき、逮捕の原因に関して10ほどのパンフレット(新聞の一種?)が発刊されたのだそう。
そのうちの1つを書いた革命派ジャーナリストのカミーユ・デムーラン(Camille Desmoulins 1760~94年)は、ルイ16世はサント=ムヌーで豚足料理を食べたい欲求に勝てなかったとほのめかしていました。これは嘘で、大変な誹謗だった、とデュマは書ています。
デムーランはバスティーユ襲撃の際にパレ・ロワイヤルで群衆を扇動したことで知られていますが 、革命勢力の分裂によって1794年に断頭台で死刑にされています。
デムーランの記事と関係があるのかは分かりませんが、ルイ16世がサント・ムヌーで豚足を食べている姿を描いた版画(1791年 パリ発行)がありました ↓

Roi mangeant des pieds à la Sainte Menehould le maitre du poste confronte un assignatet reconnait le roi
いくらルイ16世がサント・ムヌー名物だった豚足料理を食べたかったとしても、一緒に逃亡している妻と2人の子どもを馬車の中で待たせておいて、王様一人がご満悦の顔で食事をしているというのは不自然な図ではないですか?
ルイ16世とは、こんなはしたない人間だ、という革命期に出回ったプロパガンダ以外にあり得ないでしょう。
今の時代だってデマを流すのは簡単なのですから、フランス革命当時は幾らでもデマを流せたはず。そして、単細胞の国民は疑問も持たずに信じさせていまう。
ルイ16世が、バスティーユ襲撃があった1789年7月14日の日記に「Rien(何もなし)」と書いたのは政治に対する無頓着さを現していると言われますが、これは彼の狩猟日記の記述であって、この日には何も獲物がなかったというだけのことでした。
マリー・アントワネットも濡れ衣を着せられましたね。貧乏人がパンを食べられないならブリオッシュを食べれば良い、と言ったとか。
貴族たちは庶民生活からかけ離れていると思われていたわけですから、いかにもありそうに思えてしまうお話し...。
日本情報では、『ベルサイユのばら』がある影響もあってか(私は読んだことがない)、マリー・アントワネットやルイ16世には格別に関心があるらしく、お話しはフランスには無いほどに膨らんでいました。
◆ サント・ムヌーとルイ16世の関係は深かった
ルイ16世がサント・ムヌー町で豚足を食べなかったとしても、この町は国王逮捕劇のクライマックスだったことを、逃亡の1日のスケジュールを追ってみて発見しました。
サント・ムヌーの宿駅の主人だったジャン=バプティスト・ドルーエ(Jean-Baptiste Drouet 1763~1824年)の存在です。
サント=ムヌー町に行ったとき、この宿駅を見学したかったのですが、現在は警察署になっていて中に入ることはできませんでした。この建物がある通りの名前は、ドルーエ通りとなっています。
☆ Ancien relais de poste (gendarmerie actuelle) à Sainte-Ménehould
当時、馬を替えるための宿宿3,000くらいあったそうですが、そのうちの1つの主人だったドルーエは、どうということもない生活をしていた人。ところが、ヴァレンヌでの国王を逮捕したということで有名人になりました。国王をパリに連れ戻したときには英雄として、市民から熱狂に迎え入れられたのだそう。
ドルーエがルイ16世を最後に見たのは、1793年1月17日。彼が議会でルイ16世の死刑に賛成投票をした時でした。
一夜で英雄になったとこを彼は利用しました。国王逮捕の翌年には、彼は地方議員になっています。1807年にはレジオンドヌール勲章が与えられた時、ナポレオンは「ムッシュー・ドルーエ、あなたは世界の様相を変えた」と祝福したのだそう。
それでも政局は変わる!
ナポレオンの死後に復古王政になると、彼の立場は逆転。牢獄に入れられたりされます。
フランスから亡命するのは望まなかったドルーエは、偽名を使ってマコン(ブルゴーニュ地方 ソーヌ・エ・ロワール県の県庁所在地)に伴侶と共に身を潜め、蒸留酒製造と機械工を職業として暮らしました。こういう人がブルゴーニュと関係して欲しくなかったけれど...。
ルイ16世にまつわる臓物料理には、もう1つあるので続きを書きました:
★ 1月21日に子牛の頭を食べる人たち

フランス革命は、当時は火薬庫だったバスティーユ襲撃で勃発したとされています。それが1789年7月14日だったので、7月14日を記念する祭日となっています。
パリでは盛大なイベントがも催されますが、田舎でも村役場が祭りを行います。私の村でも、有志たちが13日と14日に、花火大会、食事&ダンスパーティー、コンクールなど、色々なイベントを計画しています。私もイベントお知らせポスター作りを手伝いました。
それで思い出した。
ここのところ内臓肉について書いていたのですが、フランス国王ルイ16世の名を持ち出す臓物を使った料理が2つあるのです。
豚足料理と、子牛の頭の料理。後者の方はブログで軽く書いていたのですが、豚足料理について書いていなかった。ここで書いておきたいと思います。
ルイ16世(Louis XVI 1754~93年)は、在位中にフランス革命が勃発し、断頭台の露と消えたブルボン家の国王。妻は、オーストリアのハプスブルク家から迎えたマリー・アントワネット。
ルイ16世は、お人好し過ぎる国王だったと感じます。王家は護衛の軍隊を持っているのですから、ルイ14世だったら、鍬などを持った農民たちがヴェルサイユ宮殿に押し寄せた時などには簡単に弾圧してしまったと思う。
◆ ルイ16世の命取りとなったと言われる豚足料理
シャンパーニュ地方マルヌ県にあるサント=ムヌー町(Sainte-Menehould)は、豚足(pied de porc あるいは pieds de cochon)の料理が名物ということで知られています。
それで近くを通ったときに町に立ち寄ってみました。もう8年も前のことなので、見学した教会についてなどはうろ覚えですが、豚足料理のことだけははっきり覚えています。
もう二度と行くことはない町だと思うので、ここのところ臓物料理について書いてきた続きとして、ブログに書き留めておきたいと思いました。
サント=ムヌー町に入ったら、豚足が名物であることが目立ちました。
「ここで本物のサント=ムヌー風豚足料理を売っています」という宣伝 ↓

ツーリスト・オフィスにも豚足の同業者組合の衣裳が飾られていました ↓

下は愉快な宣伝。
「サント=ムヌーに来たら、足に気を付けてね」ですって! 切られて料理にされちゃうよ、というところでしょう。

フランス革命が勃発して、ルイ16世は家族とともにパリのテュイルリー宮殿にほぼ幽閉状態におかれていましたが、王妃マリー・アントワネットの実家があるオーストリアへの亡命が計画されました。
その逃避行の中で、ルイ16世はサント=ムヌーに立ち寄って名物の豚足料理を食べたために時間がかかってしまい、それから馬車を進めたけれど、少し先のヴァレンヌで捕まってしまった、というのが語られているお話しです。
名物料理ということなので、私も肉屋で保存ができる瓶詰の豚足を買い、店で何処のレストランが一番美味しいか教えてもらって昼食で食べました。
町の人たちにルイ16世の話しをすると、それは伝説と言う感じで、ほとんど話しに乗ってこなかったのを記憶しています。自慢していたのは、ここの豚足料理は格別に美味しいということ。
◆ サント・ムヌー風豚足料理とは?
レストランで出された豚足料理です ↓

庶民料理ですが、サント・ムヌー風は普通の豚足料理とはどこか違って美味しいので、とても気に入りました。
パン粉をまぶした豚足は、焼けば良い状態に下ごしらえして普通の肉屋で売っているのですが、サント・ムヌー風の特徴は長時間煮るので骨が食べられるくらい柔らかいのが特徴です。
食べかけた時の写真 ↓

骨がたくさんあります。少し食べてみましたが、本当に少しコリコリという感じで食べられてしまうのでした。たくさん骨があるし、やはり味があって美味しいというものではないので、骨は少しだけ食べてみた程度です。
ここの名物料理の豚足は、調理見習いの人が煮込む鍋の火を消すのを忘れてしまったことから生まれたと言われています。
この料理は、1730年頃にアルゴンヌ地方(森と池が広がる地域で、ルイ16世が逮捕された舞台)にあったAuberge du Soleil d'orという名のレストランの女主人が考え出したレシピだという言い伝えがありますが、全く確かではありません。15世紀には既に存在していて、フランス国王シャルル7世が町を訪れた時に供されたとも言われます。
ともかく、ルイ16世の時代には存在していたわけですから、王様も噂を聞いていて、いつか食べたいと思っていたかもしれない。
◆ サント・ムヌー風豚足料理の作り方
サント・ムヌーにあるレストラン「Le Cheval Rouge」が名物料理の作り方を見せています。私が昼食をとったのも、このレストランだったはずです。
Sainte-Ménehould, Petite Cité de Caractère - le pied de cochon
もう1つ、町の紹介もしている動画も入れます。私が買い物をした肉屋さんも登場しています。
Ici et pas ailleurs à Sainte-Ménéhould
同じレストランのルポルタージュなのですが、2番目の動画は私が行ったのとほぼ同じ時期に録画されたようです。1番目に入れた動画ではもっと最近で、数年後の録画のようです。シェフも代わっているし、少し現代化した作り方をしているように見えました。
サント・ムヌー風豚足料理は、36時間も煮るから骨まで食べられるほど柔らかいのだ、と町に行ったときに聞いていました。2番目の動画では鍋に入れてから36時間と言っています。でも、1番目の動画では、圧力鍋を使って調理時間を短くしていますね。
でも、両方とも、豚足は肉づきの良い前脚しか使わないと強調していますね。
ネット上にあったレシピ:
材料(4~6人分):
つくり方:
|
注:
フランス語のレシピに出て来る「ruban de fil(直訳すれば、紐のリボン)が何のことか分かりませんでした。ruban à tabliers(エプロンのリボン?)と呼ばれるものだとか、かつら製造業者が後ろに束ねる髪と同じという説明がありました。
一番目の動画で使っていたネットのこと? 日本では、デリネット、ミートネット、スコットネットなどと呼ばれるものがそれなのではないかと推定したのですが、18世紀に既に存在したかは疑わしい。
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作り方を見せる動画を2つ入れたのですが、同じレストランです。2番目に入れた動画の方が古いので、こちらのやり方が伝統的な方法なのだろうと思いました。つまり、リボン状のテープというか、包帯のような布で肉を巻いてしばっています。こちらのブログに入っている写真も、同じですね。
◆ ルイ16世は、本当に サント・ムヌーで豚足料理を食べたのか?
サント・ムヌーの旅籠で休憩をとったルイ16世たちは、そこで豚足料理をのんびり食べていたから予定が遅れ、フランス脱出の目的地を目の前にしながら少し先のヴァレンヌ(Varennes-en-Argonne)で捕らえられてしまったと言われます。
用意周到に脱出の準備をして、膨大な資金援助も得ての逃避行でした。夜中に国王一家は出発できましたが、朝が明ければ国王がいないことが分かって兵隊に追いかけられるのは目に見えています。そんなフランス脱出旅行の途中で、サント・ムヌーで呑気に食事をしている時間があったのだろうか? 気になったので、行程を追ってみました。
最も難しかったであろう幽閉先となっていたパリのテュイルリー宮殿を無事に脱出に成功してから、フランスの国境を超えるのが目前だったヴァレンヌで逮捕されるまでの旅行は23時間。
パリから逮捕されたまでの地図

今の時代なら車を走らせて2時半半で行ってしまうのですが、荷物を積んだ馬車はノロノロ走ったらしいし、途中で馬を替える時間のロスもある。Googleマップで自転車での時間を出させたら、13時間の行程でした。
自転車と比べてロス時間は10時間? 馬車って、そんなに遅いのですか?
調べてみたら、駅馬車は平均時速 6~11 Kmで、1日に112~192 kmほどを走っていたのだそう。自転車のスピードは平均時速18~30Km。馬車の方がずっと遅いのですね。
ルイ16世の馬車は全く休まなかったとしても、全行程を時速10キロで馬車が走ったこととなります。馬を替えるのは必須でしょうから、呑気に食事なんかをしている時間はなかったではないですか?
たった1日だった逃避旅行を時間で追ってみます。
1791年6月21日
午前零時10分:
ルイ16世は家族とともに逃亡計画を実行すべく、テュイルリー宮殿を脱出。
午前2時30分:
始めの中継地ボンディ(Bondy)で、脱走を手伝ってきたハンス・アクセル・フォン・フェルセン(マリー・アントワネットの愛人だったともいわれるスウェーデン人の貴族)はルイ16世たちと別れます。
午後7時55分:
シャンパーニュ地方マルヌ県にあるサント=ムヌー町(Sainte-Menehould)にあるrelais de poste(馬を替える宿駅)に到着。
宿駅の主だったジャン=バプティスト・ドルーエ(Jean-Baptiste Drouet )は王様だと分かったのに、何も行動はしませんでした。
午後8時10分:
ルイ16世1行の2台の馬車は、宿駅を出てClermont-en-Argonneの方向に向かいます。
サント=ムヌー町では国王が逃げているという噂が広がり、市当局の要請により、ドルーエは国王一家を逮捕するための追跡することになります。宿駅の主人だったから選ばれたというわけではなく、彼は乗馬の達人で、7年の軍隊経験もあり、周辺の地理に精通していたからでした。
熱狂した村人たちはドルーエと一緒に出掛けたがりましたが、馬が1頭しか残っていない。そこで、手綱さばきが見事なLa Hureと呼ぶ男と共に、王に遅れること1時間で出発します。
午後10時55分:
道を知っているドルーエたちは王の一行より1時間遅れて出発していましたが、森の中を突っ切って東部国境に近いヴァレンヌ(Varennes-en-Argonne)に到着し、村の入り口である高台で王が乗っている馬車を発見。町が国王逮捕に協力する体制を整えます。
ヴァレンヌの教会は警鐘を鳴らして兵を結集させ、深夜に国王一家の身柄は拘束されます。
Tour de l'Horloge (Varennes-en-Argonne)

L’arrestation du roi et de sa famille à Varennes. Toile de Thomas Falcon Marshall (1854)
翌朝、拉致されたルイ16世の家族はパリに送り返され、6月25日の夕方にパリに到着します。 1792年に王権が停止され、翌年1月にルイ16世は処刑されました。マリー・アントワネットが処刑されたのは1793年10月。
彼らには途中でのんびりするなどはできず、必死で馬車を走らせていたのだろうと私は想像します。
馬車に揺られて乗っているのは、かなりきついのだと聞いたこともあります。恐らくヘトヘトでヴァレンヌに到着して、宿で休みたいと思ったときに逮捕されてしまったわけですね。その夜には、ごく簡単な食事を出してもらったようですが。
ともかく、ルイ16世の家族がサント=ムヌーにいたのは僅か15分。たとえ馬を替えるために立ち寄った宿駅が旅籠のようにレストランもやっていたとしても、豚足料理を賞味している時間などはなかったですよ~! 町にあるレストランで食事したとしたら、宿駅の主人ドルーエはヴァレンヌまで行くまでもなく国王一家に追いついていたでしょう。
◆ 革命期のフェイク・ニュース
『モンテ・クリスト伯(巌窟王)』や『三銃士』で知られる作家アレクサンドル デュマ(Alexandre Dumas)は、美食家でした。
彼の『大料理辞典(1870年執筆)』の中には「Pieds de cochon à la Sainte-Menehould(サント=ムヌー風豚足)」の項目があり、レシピを紹介する前書きとして、この町でルイ16世が豚足料理を食べたために逃亡が遅れたというのはデマだと書いていました。
| フランス語版 | 日本語版 |
| Grand Dictionnaire de cuisine | デュマの大料理事典 特装版 |
1791年にルイ16世が逮捕されたとき、逮捕の原因に関して10ほどのパンフレット(新聞の一種?)が発刊されたのだそう。
そのうちの1つを書いた革命派ジャーナリストのカミーユ・デムーラン(Camille Desmoulins 1760~94年)は、ルイ16世はサント=ムヌーで豚足料理を食べたい欲求に勝てなかったとほのめかしていました。これは嘘で、大変な誹謗だった、とデュマは書ています。デムーランはバスティーユ襲撃の際にパレ・ロワイヤルで群衆を扇動したことで知られていますが 、革命勢力の分裂によって1794年に断頭台で死刑にされています。
デムーランの記事と関係があるのかは分かりませんが、ルイ16世がサント・ムヌーで豚足を食べている姿を描いた版画(1791年 パリ発行)がありました ↓

Roi mangeant des pieds à la Sainte Menehould le maitre du poste confronte un assignatet reconnait le roi
いくらルイ16世がサント・ムヌー名物だった豚足料理を食べたかったとしても、一緒に逃亡している妻と2人の子どもを馬車の中で待たせておいて、王様一人がご満悦の顔で食事をしているというのは不自然な図ではないですか?
ルイ16世とは、こんなはしたない人間だ、という革命期に出回ったプロパガンダ以外にあり得ないでしょう。
今の時代だってデマを流すのは簡単なのですから、フランス革命当時は幾らでもデマを流せたはず。そして、単細胞の国民は疑問も持たずに信じさせていまう。
ルイ16世が、バスティーユ襲撃があった1789年7月14日の日記に「Rien(何もなし)」と書いたのは政治に対する無頓着さを現していると言われますが、これは彼の狩猟日記の記述であって、この日には何も獲物がなかったというだけのことでした。
マリー・アントワネットも濡れ衣を着せられましたね。貧乏人がパンを食べられないならブリオッシュを食べれば良い、と言ったとか。
貴族たちは庶民生活からかけ離れていると思われていたわけですから、いかにもありそうに思えてしまうお話し...。
日本情報では、『ベルサイユのばら』がある影響もあってか(私は読んだことがない)、マリー・アントワネットやルイ16世には格別に関心があるらしく、お話しはフランスには無いほどに膨らんでいました。
◆ サント・ムヌーとルイ16世の関係は深かった
ルイ16世がサント・ムヌー町で豚足を食べなかったとしても、この町は国王逮捕劇のクライマックスだったことを、逃亡の1日のスケジュールを追ってみて発見しました。
サント・ムヌーの宿駅の主人だったジャン=バプティスト・ドルーエ(Jean-Baptiste Drouet 1763~1824年)の存在です。サント=ムヌー町に行ったとき、この宿駅を見学したかったのですが、現在は警察署になっていて中に入ることはできませんでした。この建物がある通りの名前は、ドルーエ通りとなっています。
☆ Ancien relais de poste (gendarmerie actuelle) à Sainte-Ménehould
当時、馬を替えるための宿宿3,000くらいあったそうですが、そのうちの1つの主人だったドルーエは、どうということもない生活をしていた人。ところが、ヴァレンヌでの国王を逮捕したということで有名人になりました。国王をパリに連れ戻したときには英雄として、市民から熱狂に迎え入れられたのだそう。
ドルーエがルイ16世を最後に見たのは、1793年1月17日。彼が議会でルイ16世の死刑に賛成投票をした時でした。
一夜で英雄になったとこを彼は利用しました。国王逮捕の翌年には、彼は地方議員になっています。1807年にはレジオンドヌール勲章が与えられた時、ナポレオンは「ムッシュー・ドルーエ、あなたは世界の様相を変えた」と祝福したのだそう。
それでも政局は変わる!
ナポレオンの死後に復古王政になると、彼の立場は逆転。牢獄に入れられたりされます。
フランスから亡命するのは望まなかったドルーエは、偽名を使ってマコン(ブルゴーニュ地方 ソーヌ・エ・ロワール県の県庁所在地)に伴侶と共に身を潜め、蒸留酒製造と機械工を職業として暮らしました。こういう人がブルゴーニュと関係して欲しくなかったけれど...。
ルイ16世にまつわる臓物料理には、もう1つあるので続きを書きました:
★ 1月21日に子牛の頭を食べる人たち
ブログ内リンク:
★ 目次: 内臓肉を使った料理
★ 目次: ハム・ソーセージ類、豚について
★ 目次: フランスで食べる郷土料理、地方特産食品、外国料理
★ 目次: レシピ、調理法、テーブルウエアについて書いた記事
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
★ シリーズ記事: フランスの食事の歴史 2017/04/02
★ 目次: 戦争、革命、テロ、デモ
外部リンク:
☆ Wikipêdia: Pied de porc à la Sainte-Menehould
☆ Cuisine rebelle !: Pieds de porc à la Sainte-Menehould
☆ Sainte-Menehould entra dans ma mémoire grâce à Louis XVI et son goût pour les pieds de cochon.
☆ Sainte-Menehould, Louis XVI et le pied de cochon fatal
☆ Gastronomie: Le coup de coeur - Le pied!
☆ Les différentes queues
☆ Le Parisien: Révolution française; l’échec au roi du citoyen Jean-Baptiste Drouet
☆ Wikipedia: ヴァレンヌ事件 » Fuite de Varennes
☆ Le Forum de Marie-Antoinette: Varennes Jean-Baptiste Drouet a-t-il reconnu Louis XVI grâce au profil du roi gravé sur une pièce de monnaie
☆ Mâcon ; La rue où a vécu Drouet, l’homme qui a arrêté Louis XVI
☆ Tombes sépultures dans les cimetières et autres lieux: DROUET Jean-Baptiste
☆ 王様が好きなトン足料理
☆ Wikipedia: ルイ16世 (フランス王) » Louis XVI
☆ 朝日新聞: バレンヌ事件: マリー・アントワネットとフェルゼン
☆ Révolution française : l’échec au roi du citoyen Jean-Baptiste Drouet
☆ 「パンがなければお菓子を…」とは言っていない王妃の真実
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2019/07/05
「tripes(トリップ)」とフランスで呼ばれる内臓肉について書いたのですが(反芻動物の胃袋: トリップ、トライプ、トリッパ )、私の疑問は残っています。

疑問1:
abats(内臓肉、臓物)だけを扱う肉屋をtriperie(トリプリー)と呼び、そこで働く人はtripier(トリピエ)と呼ぶのだが、内臓肉の中で、反芻動物の胃腸(tripes)が最も珍重されるからではないだろうか?
疑問2:
鶏のレバーや砂肝、高級食材のフォアグラはabats(アバ)とは呼ばないような気がするのだが、どうなのだろう?
いつものことながら、何か分からないことがあって調べると、次々と疑問が湧き出てきて収拾がつかなくなります。でも、今回も色々と学んだのでメモしておきます。
◆ フランス語の「tripe(トリップ)」には2つの意味がある
仏和辞典でひいても、簡単に出てくるウェブ情報を見ても、tripeは反芻動物の胃腸を意味するか、それを使った料理だとしか出てきません。
ところが、仏仏辞典の記述では少し違うのでした。
フランス語の「tripes(トリップ)」は、料理の名称とその材料としては胃腸の部分を指すけれど、食材として使われる用語としては意味がもっと広くて、boyau(腸)、entrailles(内臓,腹わた,臓物)に対する呼び名でもあるとされています。
友人に聞いたら、辞書に書いてあったことと同じ返事をしました。この人は料理の専門家ではないのですが、フランス語に拘りがある人なので知っていたのかもしれない。もしかしたら、トリップには2つの意味があることはフランス人にとって常識?
tripesが内臓肉全体を指すのなら、内臓肉専門の肉屋をtriperie(トリプリー)と呼ぶのは自然です。
でも...。
triperieという単語が文献に初めて登場したのは14世紀始め。tripesとabatsを扱う店と定義されています。tripierはtripesとabatsの販売業者とされています。
家畜の胃の部位であるトリップは、今でこそ庶民的な料理ですが、中世では珍重された部位だったそうです。当時は肉は焼かずに、煮込むのが主体だったこともあった。煮汁が出るのでプロテインを吸収できるので好まれた。

トリップ料理を作っている中世の絵
(Planche 17 du Tacuinum Sanitatis、14世紀の『Tacuinum sanitatis(健康全書)』)
中世の騎士たちにとって、反芻動物の胃であるトリップはご馳走だったそうで、イングランドを征服したノルマンディー公(ウィリアム1世 )も林檎ジュースと共に食していたとのこと。
この時代、ヨーロッパ中でトリップの消費量は多かったために、取引は厳しくコントロールされていたとのこと。パリの税帳簿にある記録によると、トリップを売ることを許可されていたのは tripier(トリピエ)の同業組合(corporation。ギルドのようなもの)だけで、彼らは夜にトリップを煮て、彼らの妻たちが昼間に売ったとのこと。18世紀末、フランス革命の後に同業組合が解体されて近代的な職業組織になった(Décret d'Allarde)。
とすると、今ではご馳走とは言えないtripes(トリップ)だけれど、中世には代表的な臓物だったから、内臓肉専門の肉屋をtriperie(トリプリー)と呼んだのかもしれない。
こちらの方が本当そうな気がしますが、分からない...。フランス人に聞いたら、なぜ「triperie(トリプリー)」と呼ぶのか気にするなんて無意味だと言われてしまいました。
◆ 内臓肉だけを扱う肉屋
19世紀末になると、ヨーロッパではトリップの消費は減少したそうです。それでも、フランスは肉食の国なので、販売されている食肉にしても、それを使った料理にしても、日本よりは豊富だと感じます。
ただし、内臓肉を美味しく食べるためには手間がかかる。高度成長期以降のフランス人は時間をかけて家庭料理を作らなくなったので、肉屋さんが内臓肉を色々と作って売っているのですが、安い部位だと手間をかけても高くは売れないので身を引くようです。
というわけで、内臓肉だけを扱う肉屋の数は激減しました。消滅の危機にあると言う人もいます。私自身、ブルゴーニュ地方の中では朝市に入っている1軒だけしか存在を知りません。
さすが人口が多いパリでは、内臓肉専門の肉屋トリプリーは健在らしく、どんな臓物が売られているかを見せる動画があったので入れておきます。
Les amoureux des produits tripiers - Météo à la carte
改めて売られている臓物を見ると、こんなものをどうやって食べるのかと驚きます。でも、閉鎖されてしまった築地の魚河岸に行った時も、見たこともない海産物を見て、同じ思いをした私でした...。
◆Abatは、臓物、内臓肉とは訳せない
臓物ないし内臓肉は、フランス語ではAbat(アバ)と訳せば良いと思っていたのですが、そうではないことに気が付きました。
上に入れた動画の臓物屋に並んでいる商品も、フランスのネットショップで売っているabatsも、Wikipediaに入っているAbatの項目を見ても、鶏肉のレバーや砂肝はないのです。
フランスには肉を扱う店には専門店の名称があって、abatsを扱う店は上の動画で紹介していたtriperieと呼ぶ肉屋であるのは明白。でも、普通の肉屋でも臓物は扱っています。
フランスにおける肉屋の名称
日本での「内臓肉」には鳥も入るし、「臓物」には鳥や魚も入るので、フランスの分類とは異なるのでした。
内臓肉の日本での定義:
牛や豚、鶏などの精肉以外の可食部分全般を総称して、副生物(ふくせいぶつ)。レバーをはじめとした内臓類のほか、舌や筋、耳、足なども、この副生物に含まれる。
臓物の日本での定義:
内臓。特に、牛・豚・鳥・魚などのきもや、はらわた。もつ。 脊椎動物の内臓の諸器官。
和仏辞典にある「臓物」の訳語は、内蔵は entrailles、牛などの胃・腸は tripes、鳥・魚の臓物は vidure、となっていました。
つまり、フランスでは鳥と魚の臓物は別格に扱って、「vidure」という別の単語が使われるのです。でも、和仏辞典を見る限りではabatの訳語は曖昧でした。
● Abats:
仏和辞典の訳:(食用獣の)臓物,もつ、足、頭
☆ Wikipedia: Abat
abattre(取り壊す、打ち殺す)から来ている単語
abattage: 動物を殺すこと、(特に)畜殺
● vidure:
仏和辞典の訳:(魚・鳥の)はらわた,臓物
※Wikipediaには項目がない
vider(空にする、臓物を抜く)から来ている単語
ただし、vidureは専門用語なのかも知れません。第1番目の胃(ミノ)をフランス語で何と呼んだかを思いだしたフランス人も、鳥の臓物はabatとは言わないで別の単語があると言ったものの、何だったか浮かんでこないのでした。
abatには鳥の臓物は含めないというのは、一般の人は意識しないのかも知れません。フランス語でレシピを紹介しているサイトでも、材料にしている鶏肉のレバーをabatの分類にしている人もいました。
ただし、高級食材のフォアグラをアバと呼ぶフランス人はいないと思います。
フォアグラは肥大させた肝臓ですから内臓肉には違いはないのですが、ガチョウやカモの肝臓ですから、アバではない!
◆ abats(アバ)の定義
abatについて調べ始めたときには気にしなかったのですが、abatが何であるかを説明しているフランス語の文章は少し奇妙に見えました。
胃の部分の臓物「トリップ」の説明では反芻動物の胃だと書いてあるのに、abat(アバ)はどんな動物の臓物であるかが書いてないのです。
アバとは、「quatre quartiers(4つのブロック)」に対比して「cinquième quartier(5番目のブロック)」に相当する可食部分だ、という説明がよく出てきていたのですが、何のことか分からない。
でも、よく読み直してみて意味がとれました。
quartier(カルエィエ)という単語では、パリのカルティエ・ラタンなど、行政上の区画を思い浮かべてしまうのですが、「4分の1」という意味もあるのでした。
仏和大辞典には、食肉に関する用語としてabatで使われていた用語が入っていました:
こういうことのようです:
肉屋が扱う家畜の精肉には、2つの肩肉と2つの腿肉を成す4つのブロックがある、と捉える。それに対して、アバは食用にできる5番目のブロックに相当する部位である、というわけですか。
5番目の部位などとは言わずに、4つのブロックに分かれる精肉を取り出した後に食べられる残りの部分だと言ってくれれば分かりやすいのに...。
またまたフランス人に「cinquième quartier」という言葉を知っているか、と聞いてみました。色々な意味があり得ると言うので、abatsに関係している言葉だと説明したら、知らないと言う。4つのquartierに分けるというのさえ聞いたことがないと言われました。
つまり、業界用語なのでしょうね。私が知らなくても、どうでも良いのでした。日本と比較してしまうから混乱しただけのこと。
ともかく、アバは、4分体に切り出す家畜ということなのでしょうね。つまり、鳥や魚は4等分はしないので、abatsの中には入らないということ?
abatsを訳すなら、四足動物の臓物(内臓肉)などとすれば正確になるかと思ったのですが、鳥類は前肢は翼に変化として四足動物に入ってしまうのでダメなのだした。
仕方がないので、以降、アバと呼ぶことにします。
◆ Abat(アバ)は赤と白に分ける
abats rouges(赤い内臓肉)の方が貴重な部位と言われ、レバー(肝臓)、腎臓、胸腺などがその中に入ります。胃腸のトリップは、脳、耳などと共にabats blancs(白い内臓肉)のカテゴリーに入っていました。
並べてみると、色の違いがわかります。
でも、フランスで内臓肉を赤と白に分類するのは、食材の色で分類しているわけではないのでした。白い肉でも「赤」に分類されている部位があるのです。
好き嫌いはありますが、フランスでは高級食材として扱われるリー・ド・ヴォー(子牛の胸腺)。「赤い内臓肉」とされていましたが、どう見たって白いです!
臓物を赤と白に分けているのは、珍重される部位(赤)と、安い臓物とされる部位(白)で分けているのかな、と思ったのですが、これも間違いでした。
市場に出す前に処理が必要な部位であれば白、そうでないなら赤、という風に分類しているようです。
※ 出所:Abat:Les différents morceaux(Wikipédia)、Les produits tripiers ou abats(La-viande.fr)
日本でも、内臓には「赤もつ」と「白もつ」の分類がありました。
フランスのabat(アバ)の一覧表には、gros intestin(大腸)とか intestin grêle(小腸)という部位は入っていませんでした。これらの単語に「レシピ」の文字を入れて検索しても、何もヒットしません。
でも、日本では大腸も小腸も、欲しいとなれば手に簡単に手に入るようです。
フランスでは、腸の部位はソーセージなど色々な加工食品に使って肉屋で売るので、大腸とか小腸のままでは出回らないのかもしれません。
例えば、アンドゥイエットという、加熱して食べるソーセージ ↓
豚の消化器系の部位などを材料にして作って作られます。
アンドゥイエットには仔牛の腸間膜(fraise de veau)を使うのですが、この食材は珍重されるようで、abatの分類に入っているし、そのままで売っているし、レシピも色々ありました。フランスでは、部位を細分して食材にされるのかも知れません。
2回に渡って内臓肉について調べながら書きましたが、私は食品業界で仕事をしているわけではないので、得た知識は何の役にも立たないはず。でも、疑問に思っていたことが少しは晴れるのは気持ちが良いものではあります。

疑問1:
abats(内臓肉、臓物)だけを扱う肉屋をtriperie(トリプリー)と呼び、そこで働く人はtripier(トリピエ)と呼ぶのだが、内臓肉の中で、反芻動物の胃腸(tripes)が最も珍重されるからではないだろうか?
疑問2:
鶏のレバーや砂肝、高級食材のフォアグラはabats(アバ)とは呼ばないような気がするのだが、どうなのだろう?
いつものことながら、何か分からないことがあって調べると、次々と疑問が湧き出てきて収拾がつかなくなります。でも、今回も色々と学んだのでメモしておきます。
◆ フランス語の「tripe(トリップ)」には2つの意味がある
仏和辞典でひいても、簡単に出てくるウェブ情報を見ても、tripeは反芻動物の胃腸を意味するか、それを使った料理だとしか出てきません。
ところが、仏仏辞典の記述では少し違うのでした。
フランス語の「tripes(トリップ)」は、料理の名称とその材料としては胃腸の部分を指すけれど、食材として使われる用語としては意味がもっと広くて、boyau(腸)、entrailles(内臓,腹わた,臓物)に対する呼び名でもあるとされています。
友人に聞いたら、辞書に書いてあったことと同じ返事をしました。この人は料理の専門家ではないのですが、フランス語に拘りがある人なので知っていたのかもしれない。もしかしたら、トリップには2つの意味があることはフランス人にとって常識?
tripesが内臓肉全体を指すのなら、内臓肉専門の肉屋をtriperie(トリプリー)と呼ぶのは自然です。
でも...。
triperieという単語が文献に初めて登場したのは14世紀始め。tripesとabatsを扱う店と定義されています。tripierはtripesとabatsの販売業者とされています。
家畜の胃の部位であるトリップは、今でこそ庶民的な料理ですが、中世では珍重された部位だったそうです。当時は肉は焼かずに、煮込むのが主体だったこともあった。煮汁が出るのでプロテインを吸収できるので好まれた。

トリップ料理を作っている中世の絵
(Planche 17 du Tacuinum Sanitatis、14世紀の『Tacuinum sanitatis(健康全書)』)
中世の騎士たちにとって、反芻動物の胃であるトリップはご馳走だったそうで、イングランドを征服したノルマンディー公(ウィリアム1世 )も林檎ジュースと共に食していたとのこと。
この時代、ヨーロッパ中でトリップの消費量は多かったために、取引は厳しくコントロールされていたとのこと。パリの税帳簿にある記録によると、トリップを売ることを許可されていたのは tripier(トリピエ)の同業組合(corporation。ギルドのようなもの)だけで、彼らは夜にトリップを煮て、彼らの妻たちが昼間に売ったとのこと。18世紀末、フランス革命の後に同業組合が解体されて近代的な職業組織になった(Décret d'Allarde)。
とすると、今ではご馳走とは言えないtripes(トリップ)だけれど、中世には代表的な臓物だったから、内臓肉専門の肉屋をtriperie(トリプリー)と呼んだのかもしれない。
こちらの方が本当そうな気がしますが、分からない...。フランス人に聞いたら、なぜ「triperie(トリプリー)」と呼ぶのか気にするなんて無意味だと言われてしまいました。
◆ 内臓肉だけを扱う肉屋
19世紀末になると、ヨーロッパではトリップの消費は減少したそうです。それでも、フランスは肉食の国なので、販売されている食肉にしても、それを使った料理にしても、日本よりは豊富だと感じます。
ただし、内臓肉を美味しく食べるためには手間がかかる。高度成長期以降のフランス人は時間をかけて家庭料理を作らなくなったので、肉屋さんが内臓肉を色々と作って売っているのですが、安い部位だと手間をかけても高くは売れないので身を引くようです。
というわけで、内臓肉だけを扱う肉屋の数は激減しました。消滅の危機にあると言う人もいます。私自身、ブルゴーニュ地方の中では朝市に入っている1軒だけしか存在を知りません。
さすが人口が多いパリでは、内臓肉専門の肉屋トリプリーは健在らしく、どんな臓物が売られているかを見せる動画があったので入れておきます。
Les amoureux des produits tripiers - Météo à la carte
改めて売られている臓物を見ると、こんなものをどうやって食べるのかと驚きます。でも、閉鎖されてしまった築地の魚河岸に行った時も、見たこともない海産物を見て、同じ思いをした私でした...。
◆Abatは、臓物、内臓肉とは訳せない
臓物ないし内臓肉は、フランス語ではAbat(アバ)と訳せば良いと思っていたのですが、そうではないことに気が付きました。
上に入れた動画の臓物屋に並んでいる商品も、フランスのネットショップで売っているabatsも、Wikipediaに入っているAbatの項目を見ても、鶏肉のレバーや砂肝はないのです。
フランスには肉を扱う店には専門店の名称があって、abatsを扱う店は上の動画で紹介していたtriperieと呼ぶ肉屋であるのは明白。でも、普通の肉屋でも臓物は扱っています。
フランスにおける肉屋の名称
日本での「内臓肉」には鳥も入るし、「臓物」には鳥や魚も入るので、フランスの分類とは異なるのでした。
内臓肉の日本での定義:
牛や豚、鶏などの精肉以外の可食部分全般を総称して、副生物(ふくせいぶつ)。レバーをはじめとした内臓類のほか、舌や筋、耳、足なども、この副生物に含まれる。
臓物の日本での定義:
内臓。特に、牛・豚・鳥・魚などのきもや、はらわた。もつ。 脊椎動物の内臓の諸器官。
和仏辞典にある「臓物」の訳語は、内蔵は entrailles、牛などの胃・腸は tripes、鳥・魚の臓物は vidure、となっていました。
つまり、フランスでは鳥と魚の臓物は別格に扱って、「vidure」という別の単語が使われるのです。でも、和仏辞典を見る限りではabatの訳語は曖昧でした。
● Abats:
仏和辞典の訳:(食用獣の)臓物,もつ、足、頭
☆ Wikipedia: Abat
abattre(取り壊す、打ち殺す)から来ている単語
abattage: 動物を殺すこと、(特に)畜殺
● vidure:
仏和辞典の訳:(魚・鳥の)はらわた,臓物
※Wikipediaには項目がない
vider(空にする、臓物を抜く)から来ている単語
ただし、vidureは専門用語なのかも知れません。第1番目の胃(ミノ)をフランス語で何と呼んだかを思いだしたフランス人も、鳥の臓物はabatとは言わないで別の単語があると言ったものの、何だったか浮かんでこないのでした。
abatには鳥の臓物は含めないというのは、一般の人は意識しないのかも知れません。フランス語でレシピを紹介しているサイトでも、材料にしている鶏肉のレバーをabatの分類にしている人もいました。
ただし、高級食材のフォアグラをアバと呼ぶフランス人はいないと思います。
フォアグラは肥大させた肝臓ですから内臓肉には違いはないのですが、ガチョウやカモの肝臓ですから、アバではない!
◆ abats(アバ)の定義
abatについて調べ始めたときには気にしなかったのですが、abatが何であるかを説明しているフランス語の文章は少し奇妙に見えました。
胃の部分の臓物「トリップ」の説明では反芻動物の胃だと書いてあるのに、abat(アバ)はどんな動物の臓物であるかが書いてないのです。
アバとは、「quatre quartiers(4つのブロック)」に対比して「cinquième quartier(5番目のブロック)」に相当する可食部分だ、という説明がよく出てきていたのですが、何のことか分からない。
でも、よく読み直してみて意味がとれました。
quartier(カルエィエ)という単語では、パリのカルティエ・ラタンなど、行政上の区画を思い浮かべてしまうのですが、「4分の1」という意味もあるのでした。
仏和大辞典には、食肉に関する用語としてabatで使われていた用語が入っていました:
- quatre quartiers: クォータース:食肉用に解体した枝肉の4分体
- cinquième quartier: 副産物:肉以外の骨、皮、内臓など
こういうことのようです:
肉屋が扱う家畜の精肉には、2つの肩肉と2つの腿肉を成す4つのブロックがある、と捉える。それに対して、アバは食用にできる5番目のブロックに相当する部位である、というわけですか。
5番目の部位などとは言わずに、4つのブロックに分かれる精肉を取り出した後に食べられる残りの部分だと言ってくれれば分かりやすいのに...。
またまたフランス人に「cinquième quartier」という言葉を知っているか、と聞いてみました。色々な意味があり得ると言うので、abatsに関係している言葉だと説明したら、知らないと言う。4つのquartierに分けるというのさえ聞いたことがないと言われました。
つまり、業界用語なのでしょうね。私が知らなくても、どうでも良いのでした。日本と比較してしまうから混乱しただけのこと。
ともかく、アバは、4分体に切り出す家畜ということなのでしょうね。つまり、鳥や魚は4等分はしないので、abatsの中には入らないということ?
abatsを訳すなら、四足動物の臓物(内臓肉)などとすれば正確になるかと思ったのですが、鳥類は前肢は翼に変化として四足動物に入ってしまうのでダメなのだした。
仕方がないので、以降、アバと呼ぶことにします。
◆ Abat(アバ)は赤と白に分ける
abats rouges(赤い内臓肉)の方が貴重な部位と言われ、レバー(肝臓)、腎臓、胸腺などがその中に入ります。胃腸のトリップは、脳、耳などと共にabats blancs(白い内臓肉)のカテゴリーに入っていました。
並べてみると、色の違いがわかります。
| abats rouges(赤い内臓) | abats blancs(白い内臓) |
でも、フランスで内臓肉を赤と白に分類するのは、食材の色で分類しているわけではないのでした。白い肉でも「赤」に分類されている部位があるのです。
好き嫌いはありますが、フランスでは高級食材として扱われるリー・ド・ヴォー(子牛の胸腺)。「赤い内臓肉」とされていましたが、どう見たって白いです!
臓物を赤と白に分けているのは、珍重される部位(赤)と、安い臓物とされる部位(白)で分けているのかな、と思ったのですが、これも間違いでした。
市場に出す前に処理が必要な部位であれば白、そうでないなら赤、という風に分類しているようです。
● Abats blancs(白い内臓):
屠畜場で臓器を摘出してから、ただちに下ごしらえの処理(洗浄、こそぎ落としなど)をする部位
● Abats rouges(赤い内臓):
屠畜場で特別な処理はしない部位
屠畜場で臓器を摘出してから、ただちに下ごしらえの処理(洗浄、こそぎ落としなど)をする部位
● Abats rouges(赤い内臓):
屠畜場で特別な処理はしない部位
| Abats rouges(赤い内臓) | Abats blancs(白い内臓) |
| 肝臓(Foie) 心臓(Cœur) 肺(Mou) 脾臓(Rate) 腎臓(Rognon) 精巣(Animelles ないし rognons blancs) 頬(Joue) 胸腺(Ris) 舌(Langue) 口蓋(Palais) 鼻(Museau) 尾(Queue)牛の脂肪(Mamelle) 骨髄(Moelle) アンプ(hampe) ※ 牛の腹と腱(けん)の間にあるステーキ用の肉 スカート(onglet)※ 牛の横隔膜の筋肉部 | 頭(Tête) 腸角膜(Fraise) 足(Pied) 耳(Oreille) 脳(Cervelle) 脊髄(Amourettes) トライプ/胃腸(Tripes) 牛の脂肪(tétines) |
日本でも、内臓には「赤もつ」と「白もつ」の分類がありました。
- 赤もつ: 循環器系(肝臓、心臓など)
- 白もつ: 消化器系(胃、大腸、小腸など)
フランスのabat(アバ)の一覧表には、gros intestin(大腸)とか intestin grêle(小腸)という部位は入っていませんでした。これらの単語に「レシピ」の文字を入れて検索しても、何もヒットしません。
でも、日本では大腸も小腸も、欲しいとなれば手に簡単に手に入るようです。
フランスでは、腸の部位はソーセージなど色々な加工食品に使って肉屋で売るので、大腸とか小腸のままでは出回らないのかもしれません。
例えば、アンドゥイエットという、加熱して食べるソーセージ ↓
豚の消化器系の部位などを材料にして作って作られます。
アンドゥイエットには仔牛の腸間膜(fraise de veau)を使うのですが、この食材は珍重されるようで、abatの分類に入っているし、そのままで売っているし、レシピも色々ありました。フランスでは、部位を細分して食材にされるのかも知れません。
2回に渡って内臓肉について調べながら書きましたが、私は食品業界で仕事をしているわけではないので、得た知識は何の役にも立たないはず。でも、疑問に思っていたことが少しは晴れるのは気持ちが良いものではあります。
シリーズ記事目次 【オーヴェルニュ駆け足旅行 】
目次へ
ブログ内リンク:
★ 目次: 内臓肉を使った料理
★ シリーズ記事: フランスの食事の歴史 2017/04/02
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
外部リンク:
☆ Wikipedia: Abat » もつ
☆ Wikipedia: Tripes » トライプ
☆ Larousse: Définitions tripe
☆ Les produits tripiers ou abats
☆ Cnrtl: Etymologie de TRIPERIE
☆ フランス革命の反結社法研究
☆ Wikipédia: Tripes à la provençale
☆ Bouchers et boucheries à travers les siècles
☆ Morceaux du boucher, le cinquième quartier !
☆ コトバンク: 臓物(ゾウモツ)とは | 内臓肉(ないぞうにく)とは | 畜産(ちくさん)とは
☆ モツに紅白の違いあり
☆ 牛・豚の基礎知識 - 畜産副産物
☆ Les vérités de Jean-Pierre Coffe - Adieu tripiers !
☆ Les abats oubliés
☆ Wikipedia: ホルモン焼き
☆ ホルモン焼きについてこれだけは知っておきたい【部位と肉質の基礎知識】
☆ 「牛ホルモン」全19種、美味しさと食感を比べてみた
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2019/07/01
前回の記事「オーヴェルニュ料理についての知識が少し増えた」で「トリプー(tripou)」という料理について書きながら、この部位が気になりました。
オーヴェルニュ料理の「トリプー」は、地元の言葉で「小さなトリップ(tripe)」という意味だと判明。反芻動物の胃腸の部分を使った料理「トリップ(tripes)」と呼ばれる料理があるのですが、滞在先の地域では羊の胃腸を使うのが特徴となっている郷土料理でした。
トリップ(日本語でトライプ)と呼ばれるのは、こういう内臓肉 ↓

◆ トリップはB級グルメ?
トリップは安い食材なので、田舎料理とか家庭料理とかいうジャンル。ブルゴーニュ地方では、お客様を招待した食事会などでは全く出さないように思います。
ただし、今では余り食べなくなったので、かえって珍しがられたりするようです。
トリップ料理で思い出があるのは、B&B民宿を経営していた農家の人の話し。ある時、夜も更けて到着したお客さんが、レストランは閉まっているだろうから何か食べさせてくれないかと言われたのだそうです。それで、家族で前日に食べたトリップがあるから、それで良かったら出せると言ったのだそう。
温め直して出してあげたら、パリから来た一家は、美味しい、絶品だ、と大喜びして食べたのだそう。農家のご主人は、トリップ料理を絶賛するなんて呆れた、と笑っていました。
トリップは、フランスの中世では珍重された部位だったそうです。当時は肉は焼かずに、煮込むのが主体だったこともあった。煮汁が出るのでプロテインを吸収できるので好まれた。
◆ カーン風牛胃袋煮込み(Tripes à la mode de Caen)
私が食べたことがあるトリップ料理もそうなので、こんな感じの料理を農家では出したのだろうと思います。

スープみたいな煮込み料理ですから、旅行で疲れていた夜に出されたら嬉しかっただろうと思いますね。これは冬に作る料理で、体も温まるし、コラーゲンが多いから元気になります。私だって、同じ立場にいたら大喜びしたと思う。
画像を拝借したのは「Tripes à la mode de Caen」と呼ぶ北仏ノルマンディーの郷土料理で、カン(Caen)という町のレシピだそうです。こういうのが最も有名なトリップ料理のようでした。
ノルマンディー料理なので、リンゴで作ったアルコール飲料のシードルかカルバドスで煮込むとのこと。ブルゴーニュで食べるなら、白ワインで煮込んでいたでしょうね。
カン風トリップ料理は、こういう風にして作るのだそう:
Recette : les tripes à la mode de Caen - Météo à la carte
2017年に公開された動画ですが、材料費は1人あたり4ユーロ(約500円)と言っています。
レシピの材料として牛の図が出て、① panse、② bonnet、③ caillette、④ feuilletという部位が示されていたので、どの部位のことなのか調べました。
◆ 反芻動物(牛、羊、山羊)が持つ4つの胃袋の呼び名
日本でホルモン焼きの店に連れて行ってもらっても、部位の名前が私にはちっともわかりません。胃の部分の呼び名をメモしておきます。
※ リンクはWikipedia
フランス人にトリップについて調べてブログに書いていると話し、牛の4つの胃袋の名称を知っているかと得意げに聞いてみたら、知らないとの返事。でも、少ししたら、「第1胃は panse(パンス)ではないか」と言われました。penseではなくて、panseだと、綴りまで知っていた。
第2胃から第4胃まで名称は思い浮かばないとのこと。フランスでは第1胃が最も有名な部位なのかもしれないですね。第1胃は、小柄な人なら入ってしまえるほど大きいのだそうなので、よく使われるのでしょう。
◆ 牛の胃袋がチーズに関係していたとは意外な発見!♪
4つの胃の呼び名を調べながら、興味深いことを発見しました!
第4胃(仏語でcaillette。カイエットと発音)では、レンネット(仏語でprésure)と呼ばれる凝乳酵素が分泌されており、チーズ作りではこれを利用してカードを生成するのだそう。年をとった反芻動物のではなく、若い動物の第4胃が適しているそうです。
フランスでチーズ工房を見学すると、チーズ作りで使われる単語を覚えます。caillé(カイエと発音)はカードのことで、ミルクが凝固した状態のことにも使われます。caillage(カイヤージュと発音)は乳の凝固のこと。cailleと入っているからには、関係する第4胃の呼び名から来ているのだろうと思いました。
ヤギ乳のcaillé(凝固した状態)

カードには植物性のものなどもあるそうですが、フランスで作られる高品質のチーズ(AOPやレベル・ルージュの品質保証を持つ)では動物性のカードを使うことが必須のようです。
フランスでは家庭でチーズを作る人も多いらしく、カードは色々な種類が売られていました。
◆ 豚の胃袋はどうするの?
豚は1つの胃袋しかなく、日本のホルモン焼きで出てくる時には「ガツ」と呼ばれるのだそう。ただし、砂肝、砂嚢。砂ズリと呼ぶ地方もあるとのこと。
Wikipediaの「abat」の項目に、家畜の種類によって、食べられる内臓の部位と、食べない部位を示した表が入っていました。豚の胃袋には食べないという印が入っている。でも、「豚の胃袋(estomac de porc)のレシピ」を検索したら、幾つも出て来ました。日本で食べるのだから、フランスで食べないというのは間違っているとも思うのです。
インターネットで情報を検索すると幾らでも出て来て、何も知らないと「なるほど~!」と感心するのですが、それが正しいかどうかは別問題なのですよね...。
◆ トリップは日本語で何と言う?
フランス語のtripeというのは、ラテン語のtrippaから来ているようです。英語でもtripeでした。
WikipediaのTripesから日本語へのリンクは「トライプ」。でも、日本ではトライプとは余り言わないで、イタリア語で「トリッパ」と呼ぶ方が多いのではないかと感じました。
フランス語のtripeをイタリア語にすればtrippa。イタリア旅行をしていて、フランス語の語尾をイタリア語風に発音して言ってみると、ちゃんと通じてしまうという例です。
ところが、日本で「トリッパ」と言うと、第2胃のハチノスを指すようなのでした。イタリア語情報だと、フランスの呼び名と似た単語でイタリアにも4つの胃の名称があって、全体としてTrippaとなっているのですけれど。
和仏辞典では、料理用語の訳は「トリップ」、動物用語では「胃腸」となっているのですが、インターネットではフランス料理について書いている人が「トリップ」と呼んでいるだけ。
ネットショップで「トリップ」を検索してみても、何も出てきません。日本で臓物の胃腸を手に入れたい人が何と呼ぶのかを知るために、ネットショップの「精肉・肉加工品」のジャンルで検索してみました。
☆「トライプ」で検索
検索結果の中で該当は1件だけ
☆「トリッパ」で検索
17件ヒット
☆ 「胃」で検索
540件ヒット(無関係のアイテムが多い)
☆ 第1胃「ミノ」に限定して検索
72件ヒット☆ 第3胃「センマイ」で検索
650件ヒット(無関係のアイテムも含む)
日本では個々の胃の呼び名を使うことが多いのではないかと思いました。
もう1つ気が付いたのは、トライプは安い肉のはずなのに、国産牛のものだとかなり高価なこと。
ミノ、アカセン、白センマイ、白ハチノスが200gずつで、このお値段とは驚き! ふるさと納税というのは利用したことがありませんが、普通より高い値段が付くのかな?... でも、日本では牛肉は高いですものね...。
もう1つ気が付いたのは、ミノ、ハチノス、センマイは牛について使われることが多い。豚の胃を探すなら「ガツ」で検索すべきようです。そして、ヒツジやヤギの胃腸が欲しいなどと思っても、手に入らないのではないかと感じました。
トリップについて調べていて、さらに内臓肉全体に興味が出てきました。レバーや砂肝以外には、私は買って調理することはないので馴染みが薄いのです。
レストランで食事するときは家では食べないものを選ぶ傾向があるので、内臓肉の料理はかなり食べているかもしれません。それから、肉屋が作っているシャルキュトリは豊富で、色々な内臓が使われています。知らないで美味しいと思いながら食べていて、その内臓がどの部分かを知るとギョッとすることもある!
続き:
★ フランスの内臓肉について調べてみた


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オーヴェルニュ料理の「トリプー」は、地元の言葉で「小さなトリップ(tripe)」という意味だと判明。反芻動物の胃腸の部分を使った料理「トリップ(tripes)」と呼ばれる料理があるのですが、滞在先の地域では羊の胃腸を使うのが特徴となっている郷土料理でした。
トリップ(日本語でトライプ)と呼ばれるのは、こういう内臓肉 ↓
◆ トリップはB級グルメ?
トリップは安い食材なので、田舎料理とか家庭料理とかいうジャンル。ブルゴーニュ地方では、お客様を招待した食事会などでは全く出さないように思います。
ただし、今では余り食べなくなったので、かえって珍しがられたりするようです。
トリップ料理で思い出があるのは、B&B民宿を経営していた農家の人の話し。ある時、夜も更けて到着したお客さんが、レストランは閉まっているだろうから何か食べさせてくれないかと言われたのだそうです。それで、家族で前日に食べたトリップがあるから、それで良かったら出せると言ったのだそう。
温め直して出してあげたら、パリから来た一家は、美味しい、絶品だ、と大喜びして食べたのだそう。農家のご主人は、トリップ料理を絶賛するなんて呆れた、と笑っていました。
トリップは、フランスの中世では珍重された部位だったそうです。当時は肉は焼かずに、煮込むのが主体だったこともあった。煮汁が出るのでプロテインを吸収できるので好まれた。
◆ カーン風牛胃袋煮込み(Tripes à la mode de Caen)
私が食べたことがあるトリップ料理もそうなので、こんな感じの料理を農家では出したのだろうと思います。
スープみたいな煮込み料理ですから、旅行で疲れていた夜に出されたら嬉しかっただろうと思いますね。これは冬に作る料理で、体も温まるし、コラーゲンが多いから元気になります。私だって、同じ立場にいたら大喜びしたと思う。
画像を拝借したのは「Tripes à la mode de Caen」と呼ぶ北仏ノルマンディーの郷土料理で、カン(Caen)という町のレシピだそうです。こういうのが最も有名なトリップ料理のようでした。
ノルマンディー料理なので、リンゴで作ったアルコール飲料のシードルかカルバドスで煮込むとのこと。ブルゴーニュで食べるなら、白ワインで煮込んでいたでしょうね。
カン風トリップ料理は、こういう風にして作るのだそう:
Recette : les tripes à la mode de Caen - Météo à la carte
2017年に公開された動画ですが、材料費は1人あたり4ユーロ(約500円)と言っています。
レシピの材料として牛の図が出て、① panse、② bonnet、③ caillette、④ feuilletという部位が示されていたので、どの部位のことなのか調べました。
◆ 反芻動物(牛、羊、山羊)が持つ4つの胃袋の呼び名
日本でホルモン焼きの店に連れて行ってもらっても、部位の名前が私にはちっともわかりません。胃の部分の呼び名をメモしておきます。
| 牛の4つの胃袋、その役割 | 日本での呼び名 (牛) | フランスでの呼び名 (反芻動物) | |
| 第1胃(ルーメン) 発酵タンク | ![]() | ミノ | panse、 rumen、 gras-double |
| 第2胃 反芻のためのポンプ | ![]() | ハチノス | bonnet reseau、 reticulum |
| 第3胃 水分を吸収 | ![]() | センマイ | feuillet、 omasum |
| 第4胃 食べ物を消化 | ![]() | ギアラ 赤センマイ | caillette、 abomasum |
| ハチノスとセンマイの繋ぎ目 | ヤン | ||
| ウシの消化器官 Système digestif d'un ruminant (vache) | |
![]() | m: 食道(œsophage) v: 第1胃(rumen、panse) n: 第2胃(réticulum、réseau) b: 第3胃(omasum、feuillet) l: 第4胃(abomasum、caillette) t: 腸(début des intestins) |
フランス人にトリップについて調べてブログに書いていると話し、牛の4つの胃袋の名称を知っているかと得意げに聞いてみたら、知らないとの返事。でも、少ししたら、「第1胃は panse(パンス)ではないか」と言われました。penseではなくて、panseだと、綴りまで知っていた。
第2胃から第4胃まで名称は思い浮かばないとのこと。フランスでは第1胃が最も有名な部位なのかもしれないですね。第1胃は、小柄な人なら入ってしまえるほど大きいのだそうなので、よく使われるのでしょう。
◆ 牛の胃袋がチーズに関係していたとは意外な発見!♪
4つの胃の呼び名を調べながら、興味深いことを発見しました!
第4胃(仏語でcaillette。カイエットと発音)では、レンネット(仏語でprésure)と呼ばれる凝乳酵素が分泌されており、チーズ作りではこれを利用してカードを生成するのだそう。年をとった反芻動物のではなく、若い動物の第4胃が適しているそうです。
フランスでチーズ工房を見学すると、チーズ作りで使われる単語を覚えます。caillé(カイエと発音)はカードのことで、ミルクが凝固した状態のことにも使われます。caillage(カイヤージュと発音)は乳の凝固のこと。cailleと入っているからには、関係する第4胃の呼び名から来ているのだろうと思いました。
ヤギ乳のcaillé(凝固した状態)
カードには植物性のものなどもあるそうですが、フランスで作られる高品質のチーズ(AOPやレベル・ルージュの品質保証を持つ)では動物性のカードを使うことが必須のようです。
フランスでは家庭でチーズを作る人も多いらしく、カードは色々な種類が売られていました。
◆ 豚の胃袋はどうするの?
豚は1つの胃袋しかなく、日本のホルモン焼きで出てくる時には「ガツ」と呼ばれるのだそう。ただし、砂肝、砂嚢。砂ズリと呼ぶ地方もあるとのこと。
Wikipediaの「abat」の項目に、家畜の種類によって、食べられる内臓の部位と、食べない部位を示した表が入っていました。豚の胃袋には食べないという印が入っている。でも、「豚の胃袋(estomac de porc)のレシピ」を検索したら、幾つも出て来ました。日本で食べるのだから、フランスで食べないというのは間違っているとも思うのです。
インターネットで情報を検索すると幾らでも出て来て、何も知らないと「なるほど~!」と感心するのですが、それが正しいかどうかは別問題なのですよね...。
◆ トリップは日本語で何と言う?
フランス語のtripeというのは、ラテン語のtrippaから来ているようです。英語でもtripeでした。
WikipediaのTripesから日本語へのリンクは「トライプ」。でも、日本ではトライプとは余り言わないで、イタリア語で「トリッパ」と呼ぶ方が多いのではないかと感じました。
フランス語のtripeをイタリア語にすればtrippa。イタリア旅行をしていて、フランス語の語尾をイタリア語風に発音して言ってみると、ちゃんと通じてしまうという例です。
ところが、日本で「トリッパ」と言うと、第2胃のハチノスを指すようなのでした。イタリア語情報だと、フランスの呼び名と似た単語でイタリアにも4つの胃の名称があって、全体としてTrippaとなっているのですけれど。
和仏辞典では、料理用語の訳は「トリップ」、動物用語では「胃腸」となっているのですが、インターネットではフランス料理について書いている人が「トリップ」と呼んでいるだけ。
ネットショップで「トリップ」を検索してみても、何も出てきません。日本で臓物の胃腸を手に入れたい人が何と呼ぶのかを知るために、ネットショップの「精肉・肉加工品」のジャンルで検索してみました。
☆「トライプ」で検索
検索結果の中で該当は1件だけ☆「トリッパ」で検索
17件ヒット☆ 「胃」で検索
540件ヒット(無関係のアイテムが多い)☆ 第1胃「ミノ」に限定して検索
72件ヒット☆ 第3胃「センマイ」で検索
650件ヒット(無関係のアイテムも含む)日本では個々の胃の呼び名を使うことが多いのではないかと思いました。
もう1つ気が付いたのは、トライプは安い肉のはずなのに、国産牛のものだとかなり高価なこと。
ミノ、アカセン、白センマイ、白ハチノスが200gずつで、このお値段とは驚き! ふるさと納税というのは利用したことがありませんが、普通より高い値段が付くのかな?... でも、日本では牛肉は高いですものね...。
もう1つ気が付いたのは、ミノ、ハチノス、センマイは牛について使われることが多い。豚の胃を探すなら「ガツ」で検索すべきようです。そして、ヒツジやヤギの胃腸が欲しいなどと思っても、手に入らないのではないかと感じました。
トリップについて調べていて、さらに内臓肉全体に興味が出てきました。レバーや砂肝以外には、私は買って調理することはないので馴染みが薄いのです。
レストランで食事するときは家では食べないものを選ぶ傾向があるので、内臓肉の料理はかなり食べているかもしれません。それから、肉屋が作っているシャルキュトリは豊富で、色々な内臓が使われています。知らないで美味しいと思いながら食べていて、その内臓がどの部分かを知るとギョッとすることもある!
続き:
★ フランスの内臓肉について調べてみた
シリーズ記事目次 【オーヴェルニュ駆け足旅行 】
目次へ
ブログ内リンク:
★ 目次: 内臓肉を使った料理
★ 目次: フランスで食べる郷土料理、地方特産食品、外国料理
★ シリーズ記事: フランスの食事の歴史 2017/04/02
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
外部リンク:
☆ Wikipedia: Tripes » トライプ
☆ web動物図鑑: ウシの反芻と4つの胃
☆ カンのもつ料理 Tripes a la mode de Caen
☆ 牛の持つ4つの胃「ミノ・ハチノス・センマイ・ギアラ」部位によって違うおすすめの食べ方
☆ ヒツジの不思議(4つの胃のしくみ)
☆ 内臓系料理の美味しさを知っていますか?☆ Qu'est-ce que la présure et comment l'utiliser
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