存在不安がある人の「時間の構造化」の仕方
親から自分を受け止めてもらえないままに大人になった人は、無意識に存在不安を抱えています。その存在不安を感じたくないから、自分と向き合うことを徹底的に避けて生きています。というよりもむしろ、不安を感じないように生きるためにはどうすればいいのか、逃げる手立を講じ続けることこそが人生のすべてと言ってもいいでしょう。
その不安を感じることがどれだけ怖いかというと、たとえばバリバリ活動していた人が足の骨折などで入院して、あっという間に呆けてしまうということがあります。「足の骨折なのに、なぜ?!」と驚かれたりするのですが、感情というのはゆったりとした時間の中で出てくるもので、不安感情も同じ。身動きできないベッドの上では、嫌でも自分の内側と向き合うことになります。この時に存在不安を感じるよりは、呆けた方がマシなのでしょう。
それほど怖いので、年をとって体が動かなくなってくると呆ける人も、強い存在不安を持っているのではないかと思います。もっとも、現在では存在不安を持っていない人の方が少ないでしょう。ただ、そこから逃げ続けていると、年を経るに従って不安は強くなっていくのです。
この自分の内側にある不安を見ないようにするには、意識を感情ではなく思考に向けるか、自分の外側に向け続けなければなりません。24時間、生きている全ての時間を感情を味わうこと以外に使い続ける―無意識ですが、そのためだけの人生となっていくのです。
★時間の構造化
人はストローク(相手を認める働きかけ)を与えたり、受けたり、避けたりするために次の6つのやり方で時間を使っています。この時間の使い方を交流分析では「時間の構造化」と呼んでいます。
1,引きこもり
2,儀礼
3,社交
4,活動
5,ゲーム
6,親交
ここでは、存在不安を持つ人が、どのように時間を構造化して生きているのかを見てみましょう。
【引きこもり】------------------------------------------
「引きこもり」とは、他者とのストローク交換を避けることです。
避け方(避ける理由)は、やむを得ず避ける場合と積極的に避ける場合があります。前者は、「心のコップ」が一杯になってストローク交換ができなくなった場合など。後者は、自分自身にストロークを向けたい場合など。
「心のコップ」が一杯になったときは引きこもるだけではなく、もうこれ以上、感覚・感情の情報を入れたくないために、感情鈍磨や感覚遮断、思考依存になったりします。
自分自身にストロークを向ける時は一人で孤独にみえますが、実はIC(インナーチャイルド)と二人になる時で、自分の背骨を作るとても大切な時間です。
心の成長発達の過程において、「引きこもる」ことはとても大切なことです。それは、幼虫が成虫に変態する前のさなぎの時期―それまでの自分を解体して再構築する時期なのです。特に青年期のアイデンティティ構築の時期と、中年期の価値転換期における引きこもりは重要です。
この時期は、外から見ると停滞しているように見えますが、内部では自分の深掘りが行われており、根が深くしっかりと張られると大きく成長していきます。
さて、この他に社会的に言われている「引きこもり」というのがありますが、私が出逢った引きこもっている方々は、性別年齢問わず、すべて親を背負っている方々でした。親は自分がおんぶされていることも分からず、無意識に彼らからエネルギーを吸い取っていることも分かりません。
親は存在不安を持っていますので、ここで述べるような時間の構造化をして生きていくわけですが、冒頭のように体が動かなくなったとしても意識を外に向ける方法があります。
それは、「心配する人(対象)」を持つ(手にいれる)ことです。その対象が心配のネタを提供してくれる限り“食いっぱぐれ”がありません。その対象が遠くに離れていても、「心配だ、心配だ」とそちらに意識を飛ばすことで、自分の内側に意識を向けないでいることができるからです。
その対象として、結婚相手に苦労する配偶者や一族を選んだり、子どものうちの誰かもしくはすべてを手のかかる子(何にもできない子、病弱な子、ダメな子、心配な子etcetc)にしてしまえばいいのです。
あるいは、「人とつながるな」「成長するな」という禁止令で、閉じ込めていくこともできます。
子は親の願いを基に人生脚本を作っていきますから、親の望み通り、あるいは、親が見捨てている親のチャイルドを勝手に背負って、引きこもっていくことになります。
存在不安を持つ親が引きこもりを作り、その子もまた存在不安を持つという連鎖が続いていくことになります。
【儀礼】------------------------------------------------
「儀礼」とは、定型的なコミュニケーションパターンによってストロークを与え合う方法です。
今では失われたところも多いですが、伝統や習慣などの中に個人の発達課題が社会的・文化的に埋め込まれていますので、親族や地域社会の中で承認を得ていく上で大切なものです。
しかし、儀礼・儀式が形骸化していくと、人と密接に関わらずにすみますので、「心のコップ」が一杯でも、感情をやりとりすることなくストロークを得ることができるというメリット(?)があります。
また、存在不安の強い方の中には、挨拶、行儀作法、立ち居振る舞い、マナー、しきたり、モノのやりとり、言葉遣い、上下関係、親族関係等々にとてもうるさい人がいます。
それは、これらの型に自分をはめ込むことで安心を得、自分に関わる人をその型にはめ込むことで安心を強化しようとするからです。
自分と密接に関わる人の中に、この型にはまることに抵抗する人がいた場合、その人の存在自体が脅威となるので、徹底して攻撃し同化していこうとします。もしできなければ、不安要因をそばに置くことは苦痛ですので、はじき出します。
なお、秋葉原事件を起こした加藤被告は、ビデオショップの店員との儀礼的なやりとりでさえ「甘露」と言っていましたね。ストローク飢餓の深い人は、最も親密度の低い儀礼的会話でさえも心を潤すものになることが分かります。
【社交】------------------------------------------------
「社交」とは、雑談など非定型的なコミュニケーションによってストロークを与え合う方法です。
儀礼が、親族や地域社会、所属集団に認めてもらうために必要なコミュニケーションであるとすれば、社交は自らの趣味・嗜好や性格・価値観にあった関係を築いていくきっかけとなる大切なものです。
存在不安&ストローク飢餓の強い人は、「私はこんなに人から必要とされている」「私の元にはこんなに人が集まってくる」「私は人に囲まれて楽しく幸せ」と“自己洗脳”するために社交を利用します。
人当たりがよく、明朗活発で世話好き、幹事役やリーダー役を買って出たり、会社や地域でたくさんの役を引き受けたりします。
自分の時間を費やしてまでと一見人からも感謝されますが、自分の時間は極力つぶしたいのです。そして、自分の意識を常に外に向けつつ(不安を見ないようにしつつ)、かつストロークを得たいというのが原動力なのです。
時には、趣味のグループなど集団を組織していく人もいます。その場合は、その集団がその人の“子宮”となるわけですね。このように存在不安が強い人は、社交場、仕事場などいろいろな場で、自分の子宮作りをする場合があります。
【活動】------------------------------------------------
「活動」とは、社会的に認知されているコミュニケーションによってストロークを与え合う方法です。
社会的に認められている(と思われる)ことを行うわけですから、活動を通じてストロークを得ようとする人は多いです。
しかし、存在不安がある人は自分がゆったりする時間を作りたくないこと、自分を認めてほしいという承認欲求が強いことから、バランスを崩して仕事やボランティアなどの活動にのめり込んでいきます。
例えば、家業ほか家で働く親であれば、朝から晩まで体を動かし続ける、手を動かしていないときがない、座っている姿を見たことがない、常に何かをしている、いつも寝室ではない場所で倒れたように寝ている、寝ているところを見たことがない・・等々。
例えば、地域で働く人であれば、その地域では理想的な保母や先生、「○○の母」と呼ばれるまでになったり、ボランティアなどの活動で表彰を受けたりするまでになる(けれど、子ども達は心身の問題を抱えている)・・等々。
例えば、会社で働く人であれば、職場が居場所というくらいに長時間いる、土日までも出勤する、仕事をブラックボックスにして必ず自分を通るようにする、何らかの形で、その仕事(職場、会社、業界、専門分野等)でのナンバー1になる。
このナンバー1になるというのは、どういうことでしょうか。
子宮の中に通例赤ちゃんは一人ですね。自分が赤ちゃんとなって安心を得たいから子宮を作るわけで、そこに自分以外の赤ちゃんがいては困るのです。
ナンバー2以下は「子宮の壁」としての存在ですので、存在不安の強い人は、どんな形であれ何かの1番を目指します。たとえば、仕事で1番になる。できなければ、誰よりも長く職場にいる。あるいは、担当の仕事を自分にしか分からないブラックボックスにする。専門分野をフィールドにした人の中には、超人的努力をして偉大な成果を上げたりする人もいます。
【ゲーム】----------------------------------------------
「ゲーム」とは、ストロークを得るために仕掛ける罠のことです。意図的に、あるいは無意識に行われますが、次のような形態があります。
1,存在不安から逃げるために、時間つぶしで仕掛けるもの。
2,ストローク飢餓にある人が、ストロークを求めて仕掛けるもの。
3,親の謎解きをするために仕掛けるもの。
4,「心のコップ」にたまっている感情を吐き出すために仕掛けるもの。
5,共依存関係にあるものが、関係を維持するために仕掛けるもの。
上記のすべてが自分と親との関係により生まれてきたものですから、仕掛ける対象は「代理親」です。それが、友人や親族であれ、職場の同僚や後輩や上司であれ、恋人や配偶者であれ、養子縁者や義家族であれ、我が子であれ、不倫相手や行きずりの他人であれ―ゲームを仕掛ける相手は「代理親」です。
というよりも、上記の仕掛けを行う要因(インナーチャイルドたち)が解消されない限り、「代理親」を求めてハラスメント界を彷徨い歩き、ゲームを仕掛け続ける人生(虚構)を歩くのです。
そして、上記の定義1を見るとわかりますが、存在不安のある方にとっては、ここまで述べてきた「時間の構造化」の仕方のすべてがゲームであることが分かると思います。
5番は、迫害者、犠牲者、救援者の3者が揃うことで始まる「カープマンの三角形ドラマ」がよく知られていますね。
たとえば、母親という監獄の中で絶対零度の孤独に追い込まれた少年Aは、警察(代理父親)に自分を認知させようと殺人ゲームに走りました。→<迫害者(自分)-犠牲者-救援者(警察)>
その他、ご参考までに↓。
・「カープマンの三角形のドラマ」と「母子カプセル」
・土浦両親・姉殺害事件
・「たけしの日本教育白書2007」~(3)大人を信用していない子どもたち
【親交】----------------------------------------------
「親交」とは、お互いのあるがままを認め合うことです。
自律した人は、人を自分の道具にしようとしません。それは、上記に見られるとおり、それがどれほど無駄なエネルギーを浪費するのかを知っているからです。さらに、莫大なエネルギーを浪費しても虚構の人生を歩むことしかないのを知っているからです。
一方で、共依存の人は自律した人を相手にはしません。内なる不安から逃げ続けている人々にとって、道具にならない相手にかまっている暇はないのです。
そのため、人がハラスメント界から自律界へと向かうにつれて、それまでの人間関係がどんどん失われていき、一見孤独になるように見えますが、そこを抜けると自律した人々との出逢いが生まれていきます。
そこに到達された方々は、皆さん、「こんな人間関係があるなんて知らなかった」「こんなにラクで楽しいなんて」と驚かれます。なぜなら、自分の気持ちを自由に言うことができて、そのまま受け止め合うことができるからです。
それができるのは、お互いの存在(Be)をお互いが認め合っているから。
なぜ、その余裕があるのか。それは、まず自分が自分を認めているから。
=自身が自分にストロークを与えているからです。
つまり、人からストロークをもらわなくても、揺らぐことなく自分の足で立っていられるのです。
心に飢えがないため奪い合うことがありません。
残るのは、与え合い、分かち合うことだけです。
そういう自律した人々同士のストローク交換は、何をしなくとも満ち足りたもの=親交になるのです。
「自分を大切にできる人が、他人を大切にできる」とは、このことですね。みなさま、自分が考えている以上に頑張っていらっしゃいます。
もう、十分です。
自分を許し、労ってあげて下さい。
誰よりかわいそうなのは、あなた自身です。
ご自愛下さい。
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