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古代エジプトの宮殿から切断された人間の右手を複数発見。儀式として埋められた可能性

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 エジプトの古代都市「アバリス」にある王宮で、切断された人間の右手が発見されたそうだ。最低でも12人分の手が穴に埋められていたという。

 紀元前17世紀から紀元前16世紀頃のエジプトで、手を切断するという習慣があったらしいことは、図像や文献資料などから知られていた。だが、実際にその物的証拠が発見されたのは初めてであるそうだ。

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 この恐ろしくも興味深い古代のミステリーについて、ドイツ考古学研究所のユリア・グレスキー氏らは『Scientific Reports』(2023年3月31日付)に掲載された研究で考察している。

エジプトの古代都市の王宮で発見された複数の人間の右手

 紀元前1640~1530年頃のものとされる切断された右手は、エジプト北東部にある古代都市「アバリス」にあるヒクソスの王宮で発掘された。

 ヒクソスは、古代エジプトの第2中間期にエジプトに侵入したシリア・パレスチナ地方の西アジアに起源をもつ異民族だと考えられている。

 彼らはエジプトの第15、16王朝を築き、約100年間エジプトを支配した。ヒクソスという名前は「異国の支配者たち」を意味するエジプト語から来ている。(ただし、ヒクソス族は、実は外国人ではなく、エジプト国内から起こった勢力であるとする説もある)

 切断された右手は、王座の間のすぐ正面にある、宮殿のエントランスコートにある穴で見つかった。

 エントランスコートとは、宮殿や建物の入り口にある広い空間や中庭のことで、豪華な飾りや彫刻などで飾られ、しばしば王の権威を象徴するよう演出されていた。

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王座の間の前にあるエントランスコートの穴(矢印) / image credit: Scientific Reports (2023). DOI: 10.1038/s41598-023-32165-8

 そのようなところに手を置いたからには、その恐ろしい光景を人に見せることが目的だったのだろうと考えられている。

 王に謁見しようとする者たちは、どのような用事であれ、否応なくバラバラにされた手を目にしなければならなかったのだ。

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黄色は甲が下、赤は掌が下になって置かれているもの。発見された12本の手はほとんどが男性のものと考えられている。ただし1本は女性のものである可能性が高い / image credit: Scientific Reports (2023). DOI: 10.1038/s41598-023-32165-8

最低でも12人分の手が埋められていた

 エントランスコートに開けられた3つの穴で発見された手は、それなりに損傷が進んでおり、まとめて葬られてもいた。

 そこで混合墓地の遺骨を調査するために使われる方法で、手の数を数えてみたところ、最低でも12人分(最大で18人分)はあることがわかったそうだ。

 ただし骨盤や頭蓋骨と違って、手の骨には年齢や性別を示す特徴が少ない。そのため、手の本来の持ち主について詳しいことはわからない。

 それでも手の骨が完成するのが思春期以降である点と、発掘された骨に老化による変化の跡がないことから、手のもともとの持ち主は14~21歳から60歳までの人物だったろうと推測されている。

 また骨が頑丈さや、男性の薬指が人差し指より長い傾向にあるといった特徴から、11本は男性のものだと考えられている。

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11本の右手 / image credit: Scientific Reports (2023). DOI: 10.1038/s41598-023-32165-8

 さらに、はっきり性別が判断できない手も1本あったという。

 だが当時、女性だからといって戦争で見逃してもらえたわけではなかったことも考慮すると、その手は女性のものである可能性が高いようだ。

手は生きながらにして切断されたのか?

 怖いもの見たさから1つ気になるのは、そもそもこの手が切断されたとき、その人は生きていたのかどうか? ということだ。

 これについては少々謎があるが、研究チームによれば、穴に入れられたとき、その手は柔らかく、柔軟だったはずなのだという。

 ここから導かれる一番可能性が高いシナリオは、手は切断されてから24~48時間後に穴に入れられたというものだ。つまり切られてから少なくとも丸1日は経過していたことになる。

 奇妙なのは、手に根元の部分、すなわち前腕の跡がまったくないことだ。つまりは手を丁寧に処理して、余計なものを取り除いただろうことがうかがえるのだ。

 だが、はたしてまず大雑把に手を切ってから処理したのか、それとも最初から丹念に切断したのかどうかはわからない。

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を大きく広げ、掌を上にした右手 / image credit:Scientific Reports (2023). DOI: 10.1038/s41598-023-32165-8/span>

切断の習慣はエジプトの外から伝えられた可能性

 なお、今回より前の時代になると、手の切断が行われていたことが伺い知れる証拠はほとんど見つかっていない。

 それとは反対に50~80年後の図像などにはこの習慣が記されている。

 このことから研究チームは、この手を切断する習慣はこの時代にエジプトを支配していた異民族「ヒクソス」の指導者の出身地で始まったものではないかと推測している。

 こうした行為は最初、宮殿の儀式として行われていたのかもしれない。

 だが、のちの時代では、敵から手を奪うことが戦争の伝統になっていたらしいことが、図像に記されている内容から読み取れるのだそうだ。

 今回の発見は、そうした習慣が本当にあったことを示す初めての物的証拠であるとのことだ。

References:Severed Hands Reveal Gruesome Trophy-Taking Practices in Ancient Egypt | Ancient Origins / Palace pits with severed hands studied in ancient Egyptian site / written by hiroching / edited by / parumo

追記(202/04/08)男性の指の記述を変更して再送します。

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この記事へのコメント、15件

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  1. マドハンド戦のさなかに息絶えし
    イシスの戦士ここにねむる。

  2. 太古のエジプトにすでに吉良吉影みたいな奴がいたということ…?

  3. 今でもイスラム世界ではそういう刑罰があるんじゃなかったっけ

  4. あの絵…画集で見た時ですね あの「モナリザ」がヒザのところで組んでいる「手」… あれ……初めて見た時…… なんていうか……その…下品なんですが…フフ……下品なのでやっぱりやめておきます………

  5. 日本の花魁には、自分の指先を切り落として愛しい相手に送りつけるという求愛の方法があったらしいが
    自分の指だと痛いし取り返しつかんので、墓から死人の指を頂戴する仕事があったと何かで読んだ
    発掘された手はどんな理由でそこにあったのかロマンあるね

  6. ピラミッド建造さぼって
    センズリしてたら斬られたでござるよ。

  7. アレレ、薬指の長さを決めるのは、母親の胎内にいるときに浴びた性ホルモンのテストステロンとエストロゲンの量の影響が大きく、男性ホルモンであるテストステロンの量が多く、女性ホルモンのエストロゲンの量が少ないと、「人差し指と比べて、薬指が長くなる」という説が有力。
    だから男性は、一般的に「薬指が人差し指よりも長い人が多く」、逆に、「女性は人差し指が薬指より長い人の割合が多い」とナショジオや他の論文でも見かけるが、ここではその反対の事をいってるね。
    最近の研究からいくと「人差し指の方が長いのならほとんどが女の手」ってことになるけど、だとしたらコレは重大な違いだと思うけど、そこんとこどうなの?

    1. >>9
      ソースの報道記事が間違ってて、ここの記事も間違ってる
      論文には「第4の指が第2の指より長い」と書いてある

  8. むか〜し、手っちゃんていう漫画があったなぁ
    もしかして手っちゃんの化石…?

  9. エジプトの伝記物とかで捕虜の手首を切り落とすという描写を何度か見たが、物的証拠が見つかっていなかったとは知らんなんだ。

    昔のイスラム諸国では泥棒の手を切り落とす刑罰もあったしね。
    殺すのではなく、生き残ったとしても行動を封じる・戦力として復帰できないようにしたのが始まりだろうね。

  10. 「おうごんのつめ」を墓から持ち出すと襲いかかってくるんだ

  11. 「栄光の手」って手首で作るオカルトアイテムがあるけど、その同類の失敗作とか?

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