アルヴィンさんは先週、彼女を安楽死させることになった。(犬の安楽死については賛否両論はあるが、アメリカでは治る見込みのない犬は安楽死させるのが一般的である。またそれがこの記事の趣旨ではないことを念頭においてほしい)
愛犬の死は、人の死と変わらない。実際に多くの愛犬家が「家族が死ぬときと同じ」と話している。
アルヴィンさんはとにかく悲しかった。その悲しみを乗り越えようと、人間と犬との関係に関するたくさんの論文や本を読み漁った。
それがアルヴィンさんなりの哀悼を捧げる方法だったという。そして、愛犬の死がすごく悲しく辛い理由がわかったという。
以下はアルヴィンさんが考察した内容である。
悲しみが止まらないので、なんでこんなに悲しいのかを調べることに
アメリカ、ニューヨークに住むアルヴィンさんは、11歳の時に念願の犬を飼うことになった。お気に入りのポケモンを選ぶのと同じように「君に決めた!」とその犬を選んだ。
この時はまだ、犬が人間にこれほど影響を与えるとは想像もしなかった。両親はその時、「犬のトイレ掃除だけは必ずやりなさい」とだけ言ったという。
レインボウと名付けたその犬は、アルヴィンさんが家を出た後も両親の家で飼われていた。ところが、レインボウが10歳になったとき、両親が海外に引っ越すことに。そこでアルヴィンさんが引き取ることになった。
この話は、レインボウが虹の橋を渡り、その喪失感でいたたまれなくなったアルヴィンさんが、様々な文献を調べ上げ、「なぜ愛犬が亡くなるとこんなに悲しいのか」を、犬と人間の関係が築かれた時代にまで遡り分析したものである。
こうして犬は人間を今日あるような姿にした
犬と人間の関係は33,000年前には始まっている。学者によれば、おそらく一緒に狩りを行い、一緒にひまをつぶしたという。狼と人間はよく似ていたからだ――どちらも社会的な動物であり、目的を遂げるために積極的に協力し合う。
こうした同盟関係は人類の生存を助けた。一方でネアンデルタール人はそうではなかったという意見もある。
人間がヨーロッパへ移住したとき、エルクやバイソンといった大型動物を大型肉食動物とネアンデルタール人と競合せねばならなかった。
この競争に勝てたのは狼と手を組んだからという説がある。狼は獲物を疲れるまで追い立てるが、危険を避けるために接近はしない。止めを刺すのは鋭利な武器を持つ人間の役目だ。
獲物は山分けである。
つまり、この同盟関係から現代の犬と人間が生まれたのである。
同盟相手から作業者……そして友人へ
320年前、イギリスのある農家がクオンという犬を飼っていた。おそらく当時のほとんどの犬がそうだったように作業犬である。年老いて働けなくなると、「殺して、焼き、5キロの油を採った」と農家の日記に残されている。
気持ちの良い話ではないが、これはペットという概念がいかに新しいものであるか示している。働かないのに面倒を見ている動物を指して”ペット”という用語が使われ始めたのは、わずか500年前のことである。それは犬を指すものではなく、どちらかというと親を失った子羊のことだった。
歴史家のキース・トーマスは、やがて動物を家に入れ、名前を付け、絶対に食べなくなったと論じている。
そしておよそ200年前に近代的なペット産業が発展し始めた。ペットショップやペット用品が爆発的に増えた。
およそ100年前、純血種の人気が高まり、ペット専門の獣医に対するレッテルがなくなったことから専門の獣医も増え始める。
そして今、アメリカ人の6割がペットを飼っている。
こうした進化は弱者(子供、老人、病人、貧しい人)に対する考え方が変化したことと関係があるかもしれない。
歴史家のキャサリン・グライアーは、「人間の性質、情感豊かな生活、個人の責任、他者に対する社会的義務に関する考え方の変化と関連がある」と述べている。
だが犬との関係は、明らかに近所の老人との関係よりもずっと深い。
ペットの種類を問わず、飼い主の半数がペットを家族とまったく同等の存在とみなしているのだ。3分の1はベッドの上で眠らせている。
犬の飼い主に対してこんな質問をした研究者がいる。「もし暴走するバスの先に人と犬がいたら、どちらを助けるか?」と。40パーセントは外国人旅行者よりも犬を選んだ。
だから犬は人間に似ている(ときには優っている!)
現在の人間と犬の関係を理解するには、他の人間との関係を理解しなければならない。
その鍵は愛着理論である。これは人間は生存するために愛着を抱く生物学的傾向があるというものだ。その最初は母親であり、徐々に友人や配偶者に対してこうした感情を抱く。
これはペット、とりわけ犬との間にも見ることができる。
2000年の研究によれば、犬は3つの方法で人間を助けている。
1. 信頼でき、持続する関係を与える
2. 世話をする対象となる
3. 交友関係の優れた源を与える
また2008年の研究は、ペットは「人間とのより複雑な関係に含まれる不確実性」の緩衝材という独特の関係をもたらしてくれると論じている。
そして、ペットに対してより強い愛着を抱くのは社会的に脆弱な人間(未婚者、離婚者、未亡人、再婚者、子供のいない人)である。また犬や猫が亡くなった子供の穴埋めをするという研究もある。
私たちが一緒に狩りをすることはもうないが、今でもお互いに助け合っているのである。
私たちは犬に借りがある
エモリー大学の研究者はMRIで犬を検査し、人間と犬の脳にある尾状核という部分が非常に似た構造と機能を有していることを明らかにした。
ここは、ベーコンや友人関係のような、楽しいことを期待する部位である。
このことから、犬は人間の子供に匹敵する感覚性を有していることが推測される。これは犬などの動物に対して法的・文化的保護を与えることを正当化する発見だ。
自分と愛犬レインボーを振り返って・・・
私の犬は犬としては丁重に扱われていただろうが、人間としてなら酷かった。周囲の人間からは、私が犬の面倒をよく見ていた、犬は恵まれた人生を送ったはずだと言われた。
だが、留守がちでレインボウを長期間放置していたこともある。犬のような社会的な動物にとっては拷問にも等しかったろう。
レインボウの隣に座っていたとき、私はとてつもない罪悪感に襲われた。
彼女が白内障を患い、目が見えなくなったとき、私は治療を受けさせなかった。老犬だったし、費用もかかるからだ。だが、彼女はそれから4年生きた。
彼女は表へ出たがらなくなったので、キッチンには大量のおしっこシートを敷き詰めた。帰宅すると糞尿にまみれた彼女の姿を何度も見た。
仕方なくシャワーで洗ったが、それが嫌いなレインボウはよく鳴いた。
だが私が「もう潮時だ」と思ったとき、彼女はしばらく調子がよくなった。私の足を引っ掻いて、なでろと催促してくる。
ここ数か月、私は何度も「いつ犬を安楽死させるべきか」と検索した。だがやがて「犬を安楽死させるのはどんな感じか」に変わった。そして彼女の体調が酷く悪化し、その時を知った。
彼女の隣に座り、痩せてしまった体に触れた。涙が出た。
それでも私の人生が危機に陥ったどんなときでも彼女はそこにいてくれた――忠実で、愛らしく、慎ましい友人として。
犬の死が人間の死と同じであるのは、犬が多くの点で私たちに似ているからだ。
彼らは私たちに愛情を注ぎ、私たちの愛情を受け入れてくれる。その命の物語は、私たちの命の物語だ。どのように別れを告げるべきか見当もつかない。
だがその瞬間、レインボウに、私の白い犬に伝えたかったことは一言だけだ
「ありがとう!」と。
via:mentalfloss/ translated hiroching / edited by parumo
先日、愛猫が虹の橋を渡りました。
訳あって一緒に暮らせませんでしたが、心の中にはいつも彼がいました。
犬も猫も素晴らしい家族だ。
後悔の思いが強すぎるとそれが引っ張って成仏できないって考えがあるそうな
だからさ「ありがとう、今まで本当にありがとう」って思って見送りましょうよ
俺が逝ったときには迎えに来てくれよ~・・・ってね
※3
それは理想だし、そうなんだとは思うけど、
どうしてもああしてあげればよかった、
こうしてあげればよかった、
もっとこうしたかった、一緒にいたかったって思うのも人情...
※32
私の母も同じことを言ってたなぁ…どんな結果になってもどんな過程でも、きっと後悔しない人なんて殆どいないよ。でも、それでいいんだと思う。それだけ、好きだったし大事だったし愛してるんだからさ。ちょっと忘れたり思い出したりしながら、次に逢える時まで私らはこっちで生きてればいいさ。
泣いた(´;ω;`)
正直ペットというか小さい頃からの友人なんだよな
会社で読んではいけなかった
最終的に安楽死を選んだことに、賛否両論あるだろう
でも、アルヴィンさんとレインボウの間でしか分からないことがあるんだよ
だって家族だもの
※8
ほんと、そう思う。アメリカで獣医勤務してるが、一概にこーしたらかわいそう、あーするべきではない、なんてのは客観的に外から見て言えることで、安楽死を決めた家族にはその家族なりの葛藤と思いがある。
俺は安楽死は反対よりだが、それは世話をしきれないからと選ぶ人たちに対してで会って、やっぱり病院で苦しそうに喘いでる動物を見ると、早く楽にしてあげたくなる場合いがあるよ。彼らは口を聞けないから真意は分からんが、時折、目で訴えられる瞬間がある。これはその場で勤務してないと分からんと思うが。
犬と人との関係性ってより、人間以外の哺乳類はみな純粋だから心惹かれるんだと思う。純粋に甘えてくる、懐く、こちらを信頼してくる。あの純粋な眼差しを大体の人間は『愛おしい』と思うのではないだろうか?そこが近所のじーさん(笑)との違いだと俺は思う。
この話はワンちゃんだけに限った事ではないですね。8年間一緒に暮らしていたフェレットが旅立って5年経つけど、今だに悲しいし泣く。それだけ楽しい時間を過ごしたからこそだと思う。素敵な時間をありがとうと感謝しています。
物心ついたときからずっとペットいるけど、大人になってからはペットロスの感覚はない。
飼ってた犬猫がみんな老衰で大往生だったからかもしないけど。
もう犬や猫が苦しまなくていいんだとホッとする方が大きい。
もうこのお話だけでアカンわ
犬でも猫でも他の動物でも、心が通じてるなと思ったら、それはもう家族だもんな
人間だろうが動物だろうが、愛するものを失った時の辛さは筆舌に尽くしがたい。
でもその悲しみをベースとしつつも、一緒に過ごした時間は何物にも代えがたい宝物であり、そばにいるだけで幸せを与え続けてくれた彼らへの感謝と愛は、色褪せる事などない。
この記事を読んだだけで涙が出てくるのはその証拠だ。
もう二年か。発作がくるたびに撫でてたわ。発作がこなくても撫でてたわ
少し休んでからくればいいけど、間隔が短くなってそのまま、って感じだった
犬の寿命を伸ばすことはできんのかな
※15
野生で暮らしていると5年(ついでに言えば、昔の飼い犬の寿命も5年くらい)くらいしか生きられないから、既に伸びていると言えなくもないよ。
悲しみに答えはない
理屈じゃねーんだよ
本文よんで涙
>>16よんで滂沱
本文より※16さんの話に泣く。
仏教だと愛別離苦って言うんですわ。意味する所は大体概ね本稿の指摘と変わらんのじゃないかな?
涙で最後まで読むのに苦労した
動物…特に犬の死に関する事柄はいつも辛く悲しい
同時に「虹の橋を渡った」という言葉に少し救われる
うちのフェレも介護のとき、部屋中に介護用シーツ(人間用)を敷き詰めたなぁ…
シーツは毎日2、3枚洗ってたけど全然苦じゃなかった。けど人間用の介護シーツってぞうきん絞りすると破裂するんだぜ…乾かすのはちょっと面倒だった。
トイレしそうでソワソワするときには抱っこしておなか絞ってやって、汚れたらぬるま湯につからせてやって…(拭くと荒れてしまう為、流すしかない)
一緒にいた仲間達も心配だったようでずっとそいつにくっついてて糞尿まみれになっても一緒に団子になって寝てるからそいつらも洗ってやって…
在宅仕事で良かった、最後まで見守れてよかった、けどもう少し一緒にいたかったな
辛気くさい話だって思って誰にも言えなかったから、この場所でこういう事書きこませてくれて有難う
今はもう苦しくないんだよな、お疲れさま
自分で選んだ子を置いて何年も海外に行っちゃうんだ…
糞尿にまみれた姿を見て『もう潮時だ』だと?
何が『ありがとう』だよ!
自分を悲劇のヒーローにするな!
※21
間違ってはいないかな?
無責任に置き去りにした挙句に「お前はもうし/ね」みたいな事言われたら素直に腹が立つからね。
だからと言って、その人が悪いっていう証拠にはならない。
アメリカの文化がそうならば日本人が口出しできるものではない。
それは気を付けないといけないね。
※21
それは違うんじゃないの?
彼女は表へ出たがらなくなったので、キッチンには大量のおしっこシートを敷き詰めた。帰宅すると糞尿にまみれた彼女の姿を何度も見た。
仕方なくシャワーで洗ったが、それが嫌いなレインボウはよく鳴いた。
だが私が「もう潮時だ」と思ったとき、彼女はしばらく調子がよくなった。私の足を引っ掻いて、なでろと催促してくる。
白内障と老化が原因でしょ。それまではトイレの定位置があったということ
犬を亡くした飼い主よりも
飼い主を亡くした犬の方が…
>>私の犬は犬としては丁重に扱われていただろうが、人間としてなら酷かった。
再考させられる。
記憶をなくしたいくらい悲しさや寂しさでぽっかり心に穴が開く
でもそのぽっかり開いた穴こそ大切なものがいた証なんだよね
忘れたり何も感じないよりも悲しさ残る方が全然マシなのかもしれない
また、会いたいなぁ。天国までなんて待ってられないよなんておもう時もある。
正直愛犬より愛おしいと思える人は表れないと思うわ。
理由なんか簡単でしょ
大切な家族だからじゃん
しかも可愛いときた
だって嬉しい時も悲しい時も犬はずっと寄り添ってくれるもの
前の犬は若くしてなくなってしまった
でもそのおかげで処分寸前だった今の犬がうちにやってきたから
きっと前の犬が今の犬に席を譲ったのだと思う
ただそれでも前の犬ともう少しでいいから一緒にいたかった
ありがとう、愛してるよ。
いつかまた逢える。
その時までサヨナラ。
大事な弟へ
私のせいで聞き上手で我慢強い子にさせてしまったよね。いたずらで何か壊したことなんて一回もないね。お利口さん過ぎて申し訳なかったよ。もっと好き放題したかったよね。でも最後の何年かはまぁまぁの環境だったんじゃないか、私のこと好きになってくれたんじゃないかと信じてる。私にとってお前が世界一かわいいのはずっと変わらないよ。大好きだよ。
うちのワンコが死んだ時、今迄経験したことないほど悲しくて…号泣したわ。
私を自分の見栄のための道具としか思っていない毒親の代わりに私に安らぎと無償の愛を与えてくれたのが犬だった。
初代の犬はもう亡くなったけど、確かに十分に手厚く面倒を見られたかというと自信がない。でも、私がいつかそっちに行く日まで、美味しい物たくさん食べて待っててくれるかな。
>これはペットという概念がいかに新しいものであるか示している。
それは・・・西洋限定の話ですよねえ・・・
西洋史=人類史ってわけでも・・・ないですよねえ・・・
※37
一般の人達にまでペットという概念が広まったという意味ではないかな?
古代ローマも古代エジプトも確かにペットを飼っていたけれど、身分とかも結構限られていたし、一般の人々は犬や猫にしても番犬や猟犬やネズミ退治の用途で飼ってたからペットではないということでは?(乳や肉や毛糸の為に飼っている、牛や豚や羊と一緒ということ)確かに鑑賞や愛玩目的のものもあったけど、実用的な意図で動物を側に置いてたことの方が圧倒的に多かったということだと思う
去年夏に15歳の愛犬を亡くしたけど弱って亡くなるまでの1ヶ月毎日目が無くなるんじゃないかと思うくらい泣いたわ(TT)
人と犬のDNAにお互いの存在は大切にしろと組み込まれてるんじゃないのかな、、
年老いて安らかに永眠するのがベストではあるが……。
我が家最初の愛犬死去は、悪性の病気に蝕まれ、別れを恐れて人為的に長生きさせ続けた末の苦しみの死だった。
酸素ボンベのついたケージの中に入れられ骨と皮だけになったその姿は痛ましく、死に様もとても安らかな死とは言えず、いたずらに延命してもそれはぺットにとっても飼い主にとっても苦しみにしかならないのではと思うにいたり、この一軒以来、私は「考えに考えた末の苦渋の決断」としての安楽死について肯定的になった。
私の元にいつも寄り添ってくれる老犬を見て思う
こうまでしてくれるこの犬に、今までどれだけ返せただろうかと
ペットの死による悲しみは体験済みだから、もう自分からは一生飼うことはない。
コメントされている方皆さんの動物を愛する気持ちが痛いほど感じられました。
私はワンちゃんの想いでで忘れることのできないことがありました。
当時そのワンちゃんは野良ちゃんで、たまにご飯を食べにくる子でした。
そのワンちゃんが久しぶりに、ある朝訪ねてきました。
みると、もう最期かなと思うくらいの状態でした。
水を飲ませてあげると駄目だったのでしょうね、そのまま逝きました。
そのワンちゃんと暮らしたわけではないですが、
自分の亡きがらを頼むよと言わんばかりで訪ねてきたように思えて、
私は初めての経験に涙が止まりませんでした。
そんなこと思い出しまた涙しています。
自宅には猫がいますが、病気で二にゃんを亡くしたこともあり、
どのような形にしても最期ほど辛いものははありません。
わたしはできうることなら、今すぐにでも亡き愛にゃんに
会いたいと思っています。
うわああああああああああもうやめてくれええ(´;ω;`)ウゥゥ
亡くしたその日も死ぬほど悲しいけど、頭が整理できてない状態で、
翌朝起きて、ワンワンの服やベッドやお皿やリードを見たとき、
これ全部もう永遠に必要なくなったんだ・・・・
もうあの子は二度と戻ってこないんだ・・・・って思うと耐えられなかった。
でも、その気持ちが年月が経つにつれ癒されていってしまうことが、
もっと悲しいように思う。
死んだら先祖の列に加わるんだと思うと安心できるよ。先に逝ったじいちゃんもばあちゃんもそこで待ってる。いつもどっかから見守ってくれてる。愛犬も愛猫もきっとそうだと思ってる。俺が逝くときみんな迎えに来てな。
飼い犬以上に無償の愛を与えてくれる親しい人間なんて存在しないし
悲しくなって当然
ペットが死ぬのを何度か経験したせいか、親しい人が死んでも何も思わない
人の死などと比較にならないぐらい、ペットロスは辛い
ペットに対してより強い愛着を抱くのは社会的に脆弱な人間 という部分だけど
うちの家族で社会的に自立して地位のある親父はペットに対して無関心というか単なる犬としか見て無かった気がする。自分もリア充だった時代はペットの事あまり考えてなかったな。ニートになって人が離れてペットが大切な存在になった。社会的に成功を収めてる人がペット飼って可愛がってる印象が全く無いのは、この定義の通り事実だろうね。
動物しか自分を癒やしてくれないんだろうなーパルモとか。同情するよ
> このことから、犬は人間の子供に匹敵する感覚性を有していることが推測される。
>これは犬などの動物に対して法的・文化的保護を与えることを正当化する発見だ。
そんなことで正当化できるのなら、ほかの動物にもチャンスやればいい。
同じくらい調査してあげれば?
マイナスを押す奴はちゃんと反論を書き込め
むしろアメリカ人の六割は自分ちの犬より外国人旅行者を助けるのだという事実が驚きなんだが
俺は迷わず犬を助けるわ
まだ亡くなって2週間だけど、
後追いしたいくらい悲しいね
虹の橋なんか渡らないで帰ってきてよ、
私の寿命あげるから、痛みも苦しみも全部代わるから
目が見えなくなったうちのワンが、
階段よじ登って、一生懸命部屋に来て
今でもドアをあけとく習慣が直らない
朝起きて、ああもういないんだと気づくと
涙止まらない
病院通いも点滴も自己満足だったのかと
答えがわからない
苦しいのをのばしてるだけだったのかなって
良い飼い主だったかもわからない
ラブくんへ
今は楽になったかな?空でお友達と遊んで、いっぱいご飯食べてるかな?
私が7歳の時から22歳になるまで 学生時代 色々あって辛い時はラブくんが支えだったよ。
ラブくんがいたから生きようって思ったよ。
最後まで これでよかったのかって思うことはあるし ラブくんがどう思ってるか知ることはできないけど、振り返ったら 本当にラブくんに救われて生きてきたな。私はラブと出会えて幸せだったよ。感謝してるよ。 空でゆっくり過ごしてね。会いたくなって泣いてしまう時があるけど 気にしないでね。