他者の不幸や失敗、悲しみを見聞したときに感じる喜びや嬉しさなどの感情を、ドイツ語で「シャーデンフロイデ」(恥知らずの喜び、の意)という。日本人なら、「人の不幸は蜜の味」という慣用句やネットスラングの「メシウマ」のほうがピンとくるかもしれない。
このシャーデンフロイデは、2歳児でも持ち合わせていることが、イスラエルのハイファ大学の研究によって明らかになった。
すでに2013年にも、ドイツの研究者らが4歳から8歳までの子どもを対象に人形劇を使って行った実験の結果、4歳にもなればシャーデンフロイデを感じることがわかっている。また、犬や猿(オマキザル)でもシャーデンフロイデを経験するという。
今回、ハイファ大学心理学科のシモーヌ・シャメイ=ツォーリ教授は、母親とその2歳から3歳までの子ども、そしてその子どもの友だちという3名から構成される35組を集めて実験を行った。その際、被験者の母親は、用意されたふたつのシナリオのどちらかを演じるよう指導された。
ひとつのシナリオは「平等」を表すもので、母親はまず子どもたち同士で遊ばせ、それを2分間放置したのち、さらに2分間黙ってひとりで読書する。もうひとつのシナリオは「不平等」の状況を表し、母親は自分の子どもの友だちのほうだけを膝に乗せたうえで、その友だちに対して読み聞かせるように本を読む。どちらのシナリオでも、母親は最後に本の上に誤ってコップに入った水をこぼして、そのときの子ども(実子)の反応を検証した。
実験の結果、「不平等」な状況に置かれた実子は、水がこぼれたときに、飛び上がったり手を叩いたりしてそれを喜んだという。しかし、「平等」な状況ではそのような喜びのリアクションは見られなかった。つまり、シャーデンフロイデは「不平等」「不公平」に対する人間の自然な反応であり、2歳児にも見られることからわかる通り、社会や文化の影響を受ける後天的な感情ではないとシャメイ=ツォーリ教授は指摘する。
同教授はまた、2歳児が人の不幸を喜ぶと考えるとイヤな気分になる人もいるかもしれないが、実際はシャーデンフロイデは年齢とともに軽減するもので、「成長のごく正常で健康な過程」であり、心配することはないと話している。
公園のベンチに座ってガムが尻に付いて
ワーワー慌てている時に3才の甥っ子は爆笑してたな
認知症の祖母が、人が失敗したり足ぶつけて痛がったりしてると、とても嬉しそうにするんだけど
人間の本能だったのね…
シャーデンフロイデとは、要するに「ざまあみろ」のことなのかな?
根源は「嫉妬」だよね。で、嫉妬とは自分より他人が優先されることへの焦りだったりする。自分がいらないんじゃないかという不安感、群れから見捨てられるんじゃないかという恐怖。
そこへ、相手が自分より下だと思える出来事が発生する。自分の地位が回復される。本能的に喜ぶのはそういう構造かも。
>>4
私の認知症の母は 心配でオロオロしながら半泣きになって「大丈夫?大丈夫?」って聞いてくるよ。
足をタンスにぶつけたぐらいなら大笑いでいいんだけどね。
兄弟の一人が叱られてる時の、もう一人の反応と来たら、まさにこんな感じ。
幼い頃子供向けの絵本でキャラクターが痛い目に合っているところを見てざまぁwwって思ったりしてたけど、今はそういうの見ると可哀想としか思わなくなってる。
犬や猿にもあるあたり社会的動物には必要な反応なのかな
カラスにもあるのか確かめてみて欲しい
不幸な人ほど他人の不幸を喜ぶということか
勧善懲悪が最後にスカッとするのはこれのせいなのか。
二十歳過ぎてシャーデンフロイデが残ってる奴は、精神的な成長が遅いと考えてよろしいか。
競争社会というか、いつ淘汰されるかわからんという状況では必要な作用
子供のころ兄弟と一緒に『トムとジェリー』を観て笑い転げてた
トムがピアノに指を挟まれたり尻尾をヤケドしたりして悲鳴をあげてるだけなのに、何故か面白かった
だけど大人になって同じモノ観ると全然笑えなくなってた
大人の方が自身の経験から分別がつく分、人の失敗や苦労や不幸に同情して笑えなくなるのかもしれない
二枚目の写真の子供の顔が最高にゲスい
コントやバラエティにあるツッコミとか肉体的苦痛を与える罰ゲームを見て笑うのもこの感情なのか?
子供の頃は喜んでいたが、大人になったらそういうのを見ても全く笑えなくなったし
不幸自体を楽しむというより、慌ててるリアクションを面白いと感じるんじゃないかな
トムとジェリーとかドナルド虐待シリーズ(仮名)もだけど、もしキャラクターが本気で苦しんでたり、痛みでうずくまってたりしてるなら笑いは出てこないと思う
反面オーバーリアクションであるほど面白く感じるし、割と元気そうなので安心して見れる
(だがハピツリ、おめーはだめだ。)
この実験でこの結論に至るのには疑問があるなぁ。
「平等」と「不平等」では水をこぼす瞬間の母への注目度が全然違うと思う。
子供でも悲しい童話を聞かせた時には主人公に感情移入すると思うし。
でも素のリアクションは好きだよね。生後半年の子でも大人が痛がったり猫が吐いてるのを見て爆笑したりするよ。
痛みを知らないから、共感できないんじゃないかな?
嫉妬とか他人の不幸で飯が美味いとか人間社会で生きていく上でデメリットになる感情を人間の本能として組み込むあたり神は無能
画像の、顔が 邪悪すぎふ
そりゃ子供は自分の欲望にただただ素直だからな
純粋に邪悪なんだ
けど社会作って生活する人間って種はそれをそのまま垂れ流してたら大量の同士討ちが発生してしまう
良心刷り込んで矯正して法を守る事で自らから我が身を守る術を見出した訳だ
心配は無用だが躾はしてくれよなと思う
子供の頃の過ごし方によってシャーデンフロイデが残ったり残らなかったりするんだろうか。
子供ってやつは残酷だね。
しかしドイツ語に相当する言葉があったことに軽く驚いた。
あちらでは人は生まれながらに原罪持っている感覚だからね。
自覚して退けるということなんだと思う。
うちの5歳の甥っ子は現実でもフィクションでも
他人の不幸を見ると泣き出すんだよね。
友達が転ぶと先に泣き出したり、兄弟が怒られてるのを見て泣いたり。
将来どんな子になるんだろう。
その幼子にとってもう一人の幼子は「競争相手」だからそういう本能が備わっているじゃないかな?
食べ物に始まり自尊心、おもちゃ、仕事の評価、金、大切な人の関心とか…を確保する上で他の似たような存在というのは邪魔に感じてしまうだろうな
子供は無垢なんじゃ無く残酷なだけだよ。
「どうだ!これが人間の本質だよ!ミャーオ」
『猫?』
「パンサーだよ!」
よく公園でスポーツをしてるけど、公園に来ていたガキは俺が失敗するたびによく笑う。
子ども時代の不幸・悩み・葛藤の経験の有無で、その人が成人になってもシャーデンフロイデなのか決まるような気がする。
自分がそういう経験をしてると他人の不幸は笑えなくなる。
明日は我が身というのもあるがね。
子供は経験が無いから人の痛みが解らんのだろうね。子供が残酷っていうのはそういう事なんじゃないかな。
兄弟が怒られると、自分が誉められてるような?何か安心する感情は覚えてる。これも生物の生き残りを掛けた本能だと思う
※32
エンパスかな?共感性が強すぎる子のこと。ほかに、繊細すぎる人をHSPと呼ぶよ
私は共感性は強くないけど繊細な子供で、お笑い番組もトムジェリも可哀想で見てられないことが多かったなー
つまり『メシウマ』とか言っちゃう人は、精神的には幼児のままで、適切な社会性を身に着ける機会に恵まれなかったということかな。
本能だとして、どうして必要なのかな?
考えてみると面白い。
んな大げさなもんじゃないだろ。
転んだ奴みて「だっせ~!」って笑うあれじゃん。
リアクション系のお笑い芸なんか正に。
人の不幸が嬉しいんじゃあない
自分が不幸じゃない事が確認できたのが嬉しいんだ
↑3千年前のギリシャ人が言ってた(誰かは忘れた)
確かに子供は残酷だよね
俺や周りも昔はトンボ捕まえて羽
千切って喜んでたわ 今思うと恐ろしいな
※37
ネコが可哀想で仕方なかった
最近見る機会があったけどやはり同じだ
「ポチ!」「タマちゃん!」「シャーデンフロイデ!」
予防接種で泣いてる乳幼児みてニコニコニヤニヤしてた3ヶ月児もいるからもっと以前からありそう。