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国会議員の介助の費用は、れいわが持つべきじゃないかな | 弁護士早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

介助を要する重度障碍者の方が職に就いて収入を得るようになると、国費をもって介助者を付けるという措置が停止になるということは知らなかったので、これを何とかしてもらいたい、というのは一つの重大な問題提起ではある。

「知らなかった」というわけではないはずだと思う。普通、こういう障害者の受給資格の認定はそれなりにやるはずで(税金を使うんだから当然だ)、条件を知らなかった訳がない。

最初から分かっていることなので、極めて杓子定規に考えれば、では最初の申請はなんだったんですかという話になりかねない。

もちろんこれは極論で、今回の場合はうまい工夫をするんだろうが、普通の人が同じことをやったら、世間もどういう反応になったやら。

こういうのが社会の前進だとは、私には思えない。いいことだとも思わない。

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私の身の回りのことを考えても、障害のある人本人というより、周りの人のやり方に辟易することがある。私はそれがいいやり方だとはまったく思えないし、それで世の中が良くなるとも思わない。というのも、辟易させられて観念した人が結局、いろんな苦労を背負いこまされるだけで、他の人は知らんふり、という結果が目に見えているからで、それは社会の前進とは言わない。

できないものはできないという時も、かなりはっきり言葉や態度で示さないといけなくなることもある。好き好んでそうやっているわけではない。

このところ医療の世界を垣間見ていることもあるけれど、子供の時から私はこういうことにかなりうんざりしており、子供ながらに世間の無責任ぶりに呆れたものだ。知らないうちにいい経験をしたと今は考えているが、たぶん、そういう経験を持たない、幸せな人が世間には多いのだろう。