ネット○○派 part353

リフレ派の皆さんを分けて差し上げるなら、大体次のようなものになると思います。


ひとつは、純朴にリフレは効くと信じている善男善女のみなさんで、これは他のネット○○派でも同じです。ネットで○○反対運動の類に参加する人たちの多くは、だいたい素朴で素直で、善人が自分の興味の範囲でそれなりに心配してるだけだったりする。リフレ派の場合は、リフレ派の先生の本を買って素直に感心しているような人たちが結構いるはずなんで、こういう人たちにはどちらかというと僕はまだ同情的なほうにいます。


他方で、善男善女を指導する先生たちと言うのがいる。ま、どんな運動でもそれを指導する人が必要なのは当然なわけで。リフレ派の場合はあれやこれやの顔が浮かぶんだけれども、問題は、この人たちが自分の言っていることに本気でないというところにあって、本気でリフレやりたいんだとは、正直言ってとても思えない。


じゃなんなのかというと、これが僕にはよくわかんないけれども、ちょっと本が売れるとか、ちょっと有名になって原稿の依頼が来るとか、その程度の利得しかないだろうと思うんだけれど、でもそうとでも考えないとなんで本気でやるつもりのない「リフレ」を吹き続けるのか、説明がつかない。まあ、高橋洋一の場合はテレビの出演料とかも小さくないんだろうか。で、よくまあ、善男善女をたぶらかしてるなあと、この人たちには割りに批判的というか、理屈ぬきにボロクソに言いたいわけです。


その間に、インテリというか、それなりの教育も学歴もありそうな、知識人としてもいいような人たちというのがいて、まあ、リフレを理論的に理解しておられる方々も多くいらっしゃるんでしょう。本当に理解してんだかどうなんだか知りませんけど。

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で、問題は、なんでこういう集団が、安直な官僚叩き、日銀・財務省陰謀論に走るのかというと、単純だと思います。


すぐ思いつくのは、敵を想定しておくと党派徒党としてまとまりやすい。ネット○○派どれにもいえるけど、リフレ派もその点は同じなわけで、「批判的」ポジションを取っておくと何かと楽だ。


とくにリフレの場合は、今後ともリフレ実現の可能性はほとんどないので、「批判」し続けることが可能であって、、、ようするにネタが尽きるということはまず考えられない。


こういうポジション取りをリフレ派の先生たちが意図的にやってるのかどうなんだか。高橋洋一あたりは意図的にやってそうな気もするけれど、頭髪の薄い某先生あたりはそこまでも考えてない印象は受けるかな。その意味では某先生も根は善人なのは分かるんだ。そこは、以前ブログをよく読んでいたので、なおさら。


で、意図的にやってんなら、なおさら腹立たしいわけです。

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もうひとつは、これもごく単純に、嫉妬じゃないんですか。東京大学法学部卒に対する嫉妬。たかが東大卒ごときが偉そうな顔をして日本を左右している、自分だって学歴でも仕事でも負けてない、なんであいつらが、あるいはなんでこんなこともわからないんだ。そこで「バカじゃないのか」、とやると非常に分かりやすい。


「バカじゃないのか」とやってやれば、相手の言い分を聞かなくてすむ。普通はそこで相手の言い分も聞いてみるものだと思うけれども、リフレ派の場合、なぜ日本銀行なり政府なりがリフレ派の言うとおりにやらなかった(あるいはやらない)のかという点について、まるで答えが用意されていないのは、そういうことだったんだろうと今は思います。


つまり、その「答え」、それもまともな「答え」を知っちゃうと、問答が始まるはずだけれど、リフレ派サイドに問答する意図がもうすでにない。いや、当初はあったんだろうけれど、これはもう双方そうなのかもしれないが、やりすぎて問答が面倒くさくなっている。だから、「バカじゃないのか」で済まして、日銀財務省悪玉論に走る。


・・・でも、もしそのまともな「答え」を知っていて日本銀行や財務省を叩いてるなら、リフレ派の先生たちとかインテリたちってもう本当にどうしようもない連中だなぁ。本気でリフレをやりたがっているとはとても思えない。


もちろん、ありがちな官僚叩き、官僚悪玉論に煽られる善男善女の皆さんもおられるんでしょうけれどもね。

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念のために書いておくと、官僚を批判するなと言いたいわけじゃなくて、嫉妬で官僚叩きするのはアホくさいよなと、そういうことを言いたいだけでね。


いくら優秀有能でも官僚だって間違えるのは太平洋戦争を持ち出さなくても自明だし、日本銀行が絶対に正しいとかそんなわけはまったくないわけで。


ただ、本気でリフレをやりたいなら、今みたいな姿にリフレ派はなってないはずなんで、ネットで徒党化した人たちの言説を全否定することはないにしても(何度でも書きたいけれど、ネット右翼だって、もっともなことの一つや二つ言ってるだろうと思う)、そら信用なくすよな、と。


で、もっと怖いのは、今の日本の状況で、俗っぽい官僚悪玉論官僚叩きの延長線で「日本銀行が悪いんだ」ということで燃え上がってしまうことであって、、、


、、、もし、そういうことをリフレ派の先生たちが狙ってるなら、もういい加減にしてくれ、と言いたくもなるわけです。


(追記)
リフレ派で驚いたことのひとつはやっぱり、原発問題に対するスタンスについて、少なくとも一致しないという厳然たる事実かな。


あの人たち、日本の経済を心配しているはずじゃなかったのか。だったら、原発再稼動には積極的なスタンスで一致しているはずのものを、一致しないという時点で、もうなんかいろいろ間違っている。


つまり、これは他のネット○○派も同じなんだろうけれども、リフレ派の「リフレ」というのは、ネット上のある党派を成立させるために必要なワードでしかなくなってしまっていて、「リフレ」という言葉の中身や実質をすでに失ってしまっているんじゃないだろうか。


(追記2)
これを書いてやっぱり思い出すのは、「ホメオパシー」という単語の扱われ方で、ホメオパシーサイドをいささかでも擁護するともうダメというか、今だと「トンデモ」の代名詞として「ホメオパシー」が使われたりする。


党派性がそこまで昂進してた。


ニセ科学批判だってそうで、批判対象のはずの「真っ黒な『ニセ科学』」ってなにかという問題に対するまともな答えはおそらくないと思う。ただ、ニセ科学批判が批判すると決めたら「ニセ科学」認定されるわけで、つまり「ニセ科学」という言葉の中身がなくて、単に「ニセ科学を批判する人」とか「ニセ科学信者」とか色分けのツールにしかなってない。



つまり、単純に言うと、ただのレッテル、なんだろうな。

(追記3)
英米は経済学の本場だけあって、The Economist や Financial Times の論調がまともな財政金融政策を求めるようになった一方で、ドイツは、、、みたいな話を見たんだけど、たぶんそういうふうに考えちゃうところがもうだめなんだと思う。対話がない。


僕はドイツのスタンスを支持するものではないけれども、一つはユーロを救うにしてもただでやるわけにはいかないという強い意志は最低限の理解はできるものであって、まだがんばるメルケルを見ていると、逆の意味で感心します。というか、ドイツのこの姿勢はユーロ以前からもうずっとこれだから、急に変わるわけがない。


もちろん、世論の問題もあるわけで、俗っぽい新聞をみると自分たちのほうがユーロから出て行ってやろうじゃないかという論調もみうけられます。で、これも経済学を知らない庶民の「反知性主義」だとバカにしていればいい問題ではないんだと思う。ついこないだまで苦境でもがき苦しんでいたドイツ人が労働市場改革などを大きな議論の後に受け入れて、それで今の好況があるんで、「俺たちだって苦しいところをがんばったんだ」「そうやすやすと南欧の怠け者たちの尻拭いなんかやってられるか」というドイツの庶民の気持ちは、それはそれでもっともな部分もあるように、僕は思います。


そこで、そういうドイツやドイツ人の強情やわがままを、経済学の本場でないドイツは、、、みたいなところに落とし込むのはおそらく間違いで、経済学を知っているかいないかの問題ではなく、そういう現実のなかでよりよい方向に、それこそ経済学の知見が正しく指し示す方向に進むにはどうすればいいんだろうかと考えて行動すること、まさに政治の問題なんでしょうと。


そこで、経済学の本場の英米はさすがだけども、みたいな話にもっていってしまうところが、なんというか、官僚叩き日銀財務省悪玉論と根は同じなんじゃないでしょうか。