ネット○○派 part198 「指図」が悪にはならないことも

同じく早川先生のTweetから。
http://twitter.com/HayakawaYukio/status/27158742105591808

批判と指図。「ニセ科学批判」という語をネットでよくみる。私は、この言葉をできるだけ使わないようにしている。批判を非難とか糾弾に言い換えて使ったことがあるが、まだ十分うまく表現できていない。私が言いたいことはこれだ。あなたたちがやっていることは批判の域を超えている。それは指図だ。

そうなると、だれも強制はしてないとか言うんだ。まあ、在特会みたいにデモって暴力沙汰にまで発展するとか、電凸やFAX攻勢で担当者をうんざりさせるとか、そういうことはニセ科学批判はまだやってないので、ましではある。


でも、批判の域を超えた指図ではありますな、たしかに。朝日はホメオパシー擁護記事を不用意に「のせてくれるな」、とか。
http://twitter.com/HayakawaYukio/status/27160122136465408

「水からの伝言」を道徳授業でやるのは、教師の自由だ。ホメオパシーに傾倒するのは自然主義者の自由だ。その自由を、指図によって奪おうと企図することは悪だ。

そこで「悪」と言っちゃうと難しい話になると思うのは、「その自由を、指図によって奪おうと企図すること」が善になる立場もありうるから。


古典的な合理主義者が合理主義をむやみに信じているとしたら、水伝も血液型性格判断もホメオパシーも、つまり科学的な裏づけがない合理性がない「ニセ科学」とされるものはすべて「悪」であるから、これを除去することは「善」である。まさに「ニセ科学は社会の病理」論。


ただし、こういう立場をとるなら、ホメオパシーも漢方薬も鍼も葬式仏教も天皇制も全部非合理的なので、これを合理的にして正すことは善である、と。海外の懐疑主義者たちが擬似科学だけではなく宗教も批判対象にしていることと相通ずることになる。


日本でそれを言うと極端になって誰もついてこられないから、消費者問題の一面を強調して「社会人として社会的害悪を正すことの何が悪い」と開き直るしかなくなってる。それが日本のニセ科学批判。似て非なるものになってる所以。