ニセ科学批判は情緒的でないのか

ああ、これは面白い。
ニセ科学批判に多様性・自由性は存在しない。 : 社会学玄論

Commented by 自分のことはよく見えない at 2010-02-12 00:36 x
単にニセ科学批判批判が、多くのニセ科学と同様に情緒的に過ぎてくだらないからでしょう。
自分の敵を勝手に妄想して、それと戦って、でもその敵の姿は実はあなた自身の内心を写したものというオチ・・・典型的なニセ科学の挙動ですね。

ニセ科学批判が情緒的でないかのように言ってるけども、菊池先生たちのほうがよほど情緒的だ。
柘植明さんのコメントへの返信: 技術系サラリーマンの交差点

(略)
 ニセ科学の蔓延の元にある社会病理とはなにかを別に自然科学者に限らず多くの有識者で考えてみて欲しいわけです。

Posted by: 柘植 | 2007.08.22 at 06:02 PM

柘植明さんのコメントへの返信: 技術系サラリーマンの交差点

「ニセ科学」というカテゴリーの必要性について言うと、「ニセ科学」を社会の病理だと考えるからです。(略)

Posted by: きくち | 2007.08.22 at 12:39 PM

変でしょ。ニセ科学の個別対処も大事だけど、目標は本丸の根本治療だというわけ。過激な思想でしょ。単純すぎて過激。社会の病理って表現、すごいよ。上のエントリに絡めて言うと、社会病理の解消を目指してるんだから、自分たちが間違ってるはずがないんだ。ネトウヨが憂国してるのと何が違うのか、違いを見つけるほうが難しいね。


だいたい、ここのコメント欄をずーっと読んでると分かるけど、なんで菊池先生が他人のブログのコメント欄でここまで書くのか、感情的でないとしたら理解できないよ。
「ニセ科学」関連・本当の最終記事: 技術系サラリーマンの交差点

(略)
危機感を共有できないのは結構。しかし、それならなぜ沈黙を守らないのか。
「そんなことは大事ではない」とことさらに言うことが、いったいどのような意味を持つか、考えられるとよいのではないでしょうか。
Posted by: きくち | 2007.09.06 at 01:23 AM


結局、建前として言ってることと、ポロっと出てくる本音がずれてくるんだ。だから、こう書くのももっともでしょうよ。
「ニセ科学」関連・本当の最終記事: 技術系サラリーマンの交差点

(略)
一段上のメタレベルに議論を持ち込んではぐらかすくらいなら、いっそ言及そのものをやめたほうがいい。僕たちは、上のメタレベルでの議論には辟易しています。それはただ単に不毛だからです。

Posted by: きくち | 2007.09.04 at 01:45 PM

そりゃ不毛だわ。個別論に持っていかないと、支持が得にくいんだもの。個別論なら、これは間違ってる、科学的でないと言いやすいからね。


でもさ、根本がおかしいのに個別論でしのいだって仕方がなくて、ニセ科学批判がネトウヨ化する理由もたぶんここにあるんだ。ま、外国の疑似科学批判トンデモ批判団体も似たような感じみたいだけど、団体を作って主体がはっきりしてるだけまだましだ。