ニセ科学批判に対する一般的な誤解

はてなブックマーク - 信じてはいけないホメオパシー:松浦晋也「人と技術と情報の界面を探る」
この手の現象に批判的な人まで同意的にブクマしてるのを見て、こらいかんなと思った。いかんというのは、やっぱり誤解されてるんだなという意味で。


ニセ科学批判の一般的な理解はおそらくこれだ。僕もこれに近い印象は持っていた。

しかし、それではいけないという考える人もいて、積極的に巷に流布している疑似科学を「正しく」批判しようという動きが出てきた。これは従来の疑似科学批判を反省した上での動きであり、それは大変結構なことだと思っているわけです。

科学と疑似科学の断絶 - 国家鮟鱇
ニセ科学批判の人にもこれを信じてる人がいるだろうが、それは間違い。ニセ科学批判の本音はここにはない。


天羽先生の普段の発言や、菊池先生のついていけない妙な危機意識を見ればそれは明らかで、毎度例に挙げる池内了御大のホラがダメ押しになる。つまり、一般向けの教育的な、ただのトンデモ批判を志向しているわけでは最初からない。


ところが、これをいうと大概擁護が入る。やれ、穏健な相対主義は皆承知だとか、科学教という批判は誤解だとか。


しかし、それならニセ科学批判の実態が説明できず、たとえばホメオパシーをなんでそこまで敵視するかが理解できない。ホメオパシーの場合は、やれ公衆衛生がとかこれはカルトだとかワクチンがというわりに、「本場」ではそこまで危険視されてないところを見ると、仮想敵として脅威を過大に煽っていると見ざるを得ないわけだ。口の悪い天羽先生にいたっては、ホメオパシー信者は強毒性のインフルエンザにかかって駆除されてしまえとまで吹く。なんでそこまで煽るのか、まともな理由がない。


こうなるとニセ科学批判に対する一般的な理解というのは、体よく釣られた結果そういう誤解をさせられてるだけじゃないかと考えるのが当然の理屈になる。


その典型が宗教を否定するつもりはないという例のあれで、科学としての根拠はないけど信じたいならどうぞという姿勢そのものがゴマカシだったりする。単に、そう言っておいた方が建前としてふさわしくて、より多くの人たちが釣れるというだけのことなんだから。言葉は悪いけど。


こういう姿勢、ずるいんだけどニセ科学批判ってずっとこれだし、そう見せかけることで支持者を確保してきたんだな。こんなことなら、最初からきっぱりと宗教を否定して、科学的真理はイチバンヤーと吠えておいた方がよほどすっきりしていた。支持者は減ったかもしれないけどね。


穏健な相対主義はみんな分かってるというのも疑わしくて、確かにニセ科学批判にもそういう人はいる。だけど、どれだけの人がそれを自覚してるか保証の限りではないうえ、えらい先生たちがあの有様なので説得力がない。


だからニセ科学批判を通常のトンデモ批判の一環だと考える人たちは、皮肉なことにまずニセ科学批判に主導的な人たちを切り捨てなければならなくなる。彼らがやってることはただのトンデモ批判ではなく、あきらかに一線を越えていて、下手をするとそのことに自覚がない、疑問を感じてない。菊池先生なんかはタヌキなのだろうとは思うんだけど。


意図的に煽ってるか、単に乗せられて信じ込んでいるかは別として、やってることは結局、普通の人を煽って釣ってるだけだということに、いい加減に気づいた方がいい。


ネット右翼やはてサよりニセ科学批判が怖いのは、批判そのものは正しいからなんだ。だから、一般の人も乗っかりやすい。だけど、実態がこれで、かつうまくカモフラージュされてるので、釣られてることに気がつきにくいし、それだけ過激になりやすい。というか、一見正しければ、人はこんだけあっさり煽りに乗ってしまうのかというだけで、かなり絶望ものだと思う。ネットのこんな運動だから、別に害も何にもないからいいようなものの。大体、こう言ってる自分も最初は釣られていたのだ。


だから最初は雑魚が増えて変質したんだと思ったんだが、そういう面もあるんだろうけど、それだけではないんでしょう。最初っからニセ科学批判はこういうものだったはずで、それが分かった時にとてもがっかりした。


ただ、ネットの政治運動よりましなのは、悪いのが誰かはっきりしてること。本当にニセ科学批判をただのトンデモ批判だと信じるなら、切り捨てるべき人たちは明確なんだけども、、、