◎【創価学会の正義その㉘;「人間革命」に学ぶー『権力の魔性』その17(再掲)】いかがでしょうか? <新・人間革命> 第6巻 波浪 伸一は、初めに、こう述べたあと、講義に入り、「法を知り国を思うの志尤も賞せらる可きの処・邪法邪教の輩・讒奏讒言するの間久しく大忠を懐いて而も未だ微望を達せず」(御書一八三㌻)の御文では、次のように語った。 「仏法を会得し、国を救おうとする大聖人の志は、本来、最大に賞讃され、最高に評価されるべきです。しかし、他宗の者たちが大聖人を陥れようとして讒奏讒言を、つまり、悪意に満ちた偽りの報告をしたり、悪口を流してきた。それによって、為政者も大聖人を誤解し、敵意をもって退けようとしてきた。 ゆえに、大聖人が長い間、一国を救済しようとする大忠義をいだいていても、いまだその望みを、ほんのわずかばかりも実現することができないでいると仰せなのです。 讒言というのは、正義を陥れる常套手段であり、学会を取り巻く、今日の社会の状況も全く同じです。 私たちは、日本の国をよくし、人びとを幸福にし、世界を平和にしようと、懸命に働いてきました。これほど、純粋で、清らかな、誠実な団体は、ほかにはないではありませんか。 その誠実な人間の集いである学会を、一部のマスコミなどが、暴力宗教であるとか、政治を牛耳り、日本を支配しようとしているとか、盛んに中傷、デマを流しています。そして、社会は、それを鵜呑みにして学会を排斥しようとする。讒言による学会への攻撃です。 ゆえに、広宣流布の道とは、見方によっては、讒言との戦いであるともいえます。讒言の包囲網を破り、仏法の、また学会の真実を知らしめ、賛同と共感を勝ち取る言論の戦いであり、人間性の戦いです。 本来、学会の勝利は明らかなのです。なぜならば、いかに、嘘、偽りを重ねても、真実を覆すことは絶対にできないからです。御聖訓にも『悪は多けれども一善にかつ事なし』(御書一四六三㌻)と仰せではないですか。 しかし、どんなに荒唐無稽な嘘であっても、真実を知らなければ、その嘘がわからない。最初は、半信半疑であっても、やがて、そんなこともあるのかもしれないと、思うようになります。そして、何度も嘘を聞くうちには、多分そうなのだろうと考えるようになり、やがて、嘘が真実であるかのように、皆、思い込んでしまう。 『沈黙は金、雄弁は銀』という西洋の諺がありますが、黙っていればよいということではありません。これは、沈黙を守る方が、雄弁よりも説得力をもつ場合もあるということであって、言うべき時に、言うべきことも言わず、戦わないのは単なる臆病です。 これだけの同志がいて、もし、讒言に敗れることがあるならば、大聖人門下の恥さらしです。牧口先生、戸田先生も、さぞかしお嘆きになるでしょう。もし、みんなの心のなかに、自分が立たなくとも、誰かが戦うだろうという、他人任せの考えが少しでもあれば、その油断が、哀れな敗北を生みます。要は私たちに、悪と戦う勇気があるかどうかです。讒言を打ち破るものは、真剣さです。全精魂を傾けた生命の叫びです。 全員が一人立ち、師子となって、学会の正義と真実を語りに語り、訴えに訴え抜いていってこそ、勝利を打ち立てることができるのです」 補足 注)この内容は昭和の時代のものですが、当時のマスコミは学会を暴力宗教と書き立て、週刊誌のトップを飾り、毎日のように電車の中刷りにおいても誹謗中傷されていたのです。今は政権下なので治まっていますが。