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キリスト教って、恣意的に神の善がさも人間の善の局地にあると考えられすぎではない? もっと、人間にとっての善は神の命令に従うこと、拒否権はないと考えるべきでは? 人間の善のヒューマニズムと、神の善は違うものともあまり考えられていない? 芋虫を生きたまま卵に植え付け餌ににしたり、親を食い殺すことを前提にしている昆虫とかも神が作ったのならそれは人間の常識や善とは大きくかけ離れている可能性もある。 人間で言うサイコパスでなければこの発想は生まれない。 ところが、そういう生物は以上に変化したもので神が作ったわけではない=神はサイコパスではない!という恣意的な選択が用いられる。 本来は、キリスト教でも、人間にとっての善は神の命令に従うこと、拒否権はないと考えるべきでは? カトリックもいうまでもなく、プロテスタントも。

補足

人間の価値観と神の価値観は大きく違う可能性があるってこと。 そこをイエスを代表にして、人間を愛していると思い込みすぎていないか?ということ。 猫や羊を飼育している人だって、ペット、家畜を愛していると言うけど、人間の善と、猫や羊の善は違うってこと。 そこを同一視しすぎてないか?ということ。 最悪、我が子を食らうサトゥルヌス(宗教は違うが)のように、人間が羊を食べるように、神も天然物の人間のメスはやっぱり美味しいとか言う可能性すら否定できないのでは?と。

回答(5件)

人間の選んだ善が神の定めた善を越えたのはルネッサンスに影響されたプロテスタント以降です。

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人間を救ってくれる神は、人間を支配する神でもあります。 救いの希望のために、無限に拡大してしまった神の力は、 今度は、生を支配する、絶対的支配者になってしまうわけです。 多大の権力を預ける時、その関係は、 支配者と奴隷の関係に必然的に陥るのです。 助けて下さる有りがたい教祖様は、 信者が従わなければならない支配者に必ず化けるのです。 「うちの親分は強いんだ」と外で威張ることの出きるチンピラほど、 その親分に何も言えない奴隷なのです。 …神に従わない悪者どもは https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13314402543?__ysp=5oqV44GS6L6844G%2B44KM44KL44CA54Gr44Go56Gr6buE 回答BA参照 …こうなるのです。

キリスト教徒にとってはそうです。 しかし 実際は、信じるものは救うけれど信じないものは皆殺し(十字軍)という恐ろしい邪教です(ニーチェに言わすと)

神は人間に自由意志を与えたので、人間は神の命令に従わなくても良いのです。 突然の災害によって多くの人が亡くなるという、神が定めた運命の下にある人はいつの時代にもいます。 キリスト教は、神が定めた運命に対する拒否権を得るための宗教なのです。 人間にとっての善は神の子(イエス・キリスト)の命令に従い、洗礼を受けて預言者になることなのです。 聖書の教えで、最初に神に対する拒否権を行使したのは「ノア」とその家族ということになるのだと思います。

神が善なる存在と位置付けられてるのはオカシイ? 虫や、魚の世界が、弱肉強食でも。 人間とはレベルが違うので一緒にすべきではない。