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キリスト教って、恣意的に神の善がさも人間の善の局地にあると考えられすぎではない? もっと、人間にとっての善は神の命令に従うこと、拒否権はないと考えるべきでは? 人間の善のヒューマニズムと、神の善は違うものともあまり考えられていない? 芋虫を生きたまま卵に植え付け餌ににしたり、親を食い殺すことを前提にしている昆虫とかも神が作ったのならそれは人間の常識や善とは大きくかけ離れている可能性もある。 人間で言うサイコパスでなければこの発想は生まれない。 ところが、そういう生物は以上に変化したもので神が作ったわけではない=神はサイコパスではない!という恣意的な選択が用いられる。 本来は、キリスト教でも、人間にとっての善は神の命令に従うこと、拒否権はないと考えるべきでは? カトリックもいうまでもなく、プロテスタントも。
人間の価値観と神の価値観は大きく違う可能性があるってこと。 そこをイエスを代表にして、人間を愛していると思い込みすぎていないか?ということ。 猫や羊を飼育している人だって、ペット、家畜を愛していると言うけど、人間の善と、猫や羊の善は違うってこと。 そこを同一視しすぎてないか?ということ。 最悪、我が子を食らうサトゥルヌス(宗教は違うが)のように、人間が羊を食べるように、神も天然物の人間のメスはやっぱり美味しいとか言う可能性すら否定できないのでは?と。