公明党が自公連立政権から離脱した理由の1つとして「政治とカネ」のクリーンさを自民党に求めたのに、自民党が対応してくれなかった…みたいなことを斉藤鉄夫公明党代表は理由として挙げていました。 さて、公明党の支持母体である宗教法人創価学会は、少々古いですが、平成元年(1989年)に横浜捨て金庫事件と言うのを起こしたと言うか、関与を認めましたが、これは創価学会の中ではどのように処理されて、消化されているのですか? 別質問では、これは日蓮正宗が仕組んだことだ…みたいな回答もありましたが、日蓮正宗が創価学会を破門して、永遠に関係を絶ったのは、1993年だったと思いますけれど…。 当時は既に、福沢諭吉の1万円札が流通してから5年くらい経過していましたが、聖徳太子の旧1万円札ばかりだったらしいですね…。 この頃から、創価学会と日蓮正宗の間には、既に関係が破綻していたと言うか、関係性が悪化していたんですかね? >横浜捨て金庫事件とは、1989年 (平成元年) 6月30日、神奈川県横浜市旭区の産業廃棄物処理場内に現金約1億7000万円の入った金庫が捨てられていた事件である。一般的に通用している呼び方はなく「捨て金庫事件」や「中西金庫事件」を使う例もある。この事件が1つのきっかけになって、創価学会は東京国税局によって本格的な税務調査を受けた。 >1989年 (平成元年) 6月30日午前9時過ぎ、横浜市旭区のゴミ処分場で、産業廃棄物の処理作業中、大量の現金が入った古い金庫が捨てられているのが発見されるという奇妙な事件が起こった。持ち込まれていた古金庫の解体のため重機で1mほど吊り上げたところ、扉が開いて2つの紙袋と共に大量の1万円紙幣が落ちて来た。拾い集めたところ、総額は約1億7,000万円、全て聖徳太子像が印刷された旧紙幣(C号券)で、半分は真新しい状態であり、「1000万円」と白抜きで印字された紫色の太い帯封で束ねられたものや、一度も市中に出回っていない新札も含まれていた。 >一部の札には大きな特徴があった。帯封は1971年 (昭和46年) 前後のものと「大蔵省印刷局封緘」と印字された帯封があり、後者は「官封券」と呼ばれる一度も市中に出回ったことがない札束だった。一般に「官封券」は、各銀行が特別な顧客向けにまとめて渡される特殊な紙幣で、需要が高かったと言う。「官封券」の存在は、大企業などの団体か、もしく相当の資産を持つ個人の顧客による蓄財であることを疑わせるものだった。 >警察が調べたところ、翌7月1日になって、この金庫を捨てたのが日本図書輸送という会社だったことが明らかになった 。「日本図書輸送」は、創価学会の関連企業 (当時、本社は東京都文京区に所在) で、創価学会の外郭企業としては有力企業の1つである。主として、創価学会や公明党の印刷物の輸送を担っていたが、その他の業務として、池田大作名誉会長の出張の際、その大量の私物を輸送したり、創価学会関連の不要品の処分も担当していた。 >捜査の中で、事件について創価学会内部から情報提供する者がいたらしく、早くも7月1日の段階で警察は、中西治雄創価学会総務 (当時) が事件に関わっていることを掴んだ。同時に、警察が事件を正確に掴んでいることや、創価学会内部からタレコミがあったことも、秋谷栄之助創価学会会長は把握していた。同日中には、日本図書輸送が金庫を捨てたことを神奈川県警や旭署が把握していることが新聞報道された。 >この金庫は、戸田城聖第2代会長が設立した「大蔵商事」(後の日章) 時代から使われていた古いもので、聖教新聞本社の倉庫に保管されていたところ、日本図書輸送が誤って廃棄処分してしまった様である。金庫を管理していたのは中西治雄だったが、世評では、中に入っていた金は中西治雄の蓄財によるものではなく、池田大作若しくは創価学会のものと見られた。 >内部事情が完全に把握されていることを知った創価学会上層部は、警察への工作を控え、中西治雄に全ての責任を負わせることで責任が池田大作に及ぶことを押し留めると同時に、事件が終息した後で、中西治雄を処分し、最終的に除名する方針を取った。当初は、中西治雄の関与を全否定する方策を考える上層部の人間もいたようだが、警察にほぼ全容が掴まれていることから、中西治雄に全ての責任を押し付ける方向を選んだらしい。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E6%8D%A8%E3%81%A6%E9%87%91%E5%BA%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6