回答(5件)

日本書紀の記述は武烈天皇の印象を悪くするために漢籍の歴史書を真似て書いたと考えられています。武烈天皇が十代で崩御したため天皇家の血筋がいったん途切れかかるんですね。そこでかなり遠縁の継体天皇に後を継がせた。継体天皇は天皇に相応しい血筋なのかという批判が起こります。それを鎮めるために武烈天皇を悪く書いたのではないかと言われています。更には継体天皇がそもそも実在したのかという議論さえあります。武烈天皇を最後に天皇家の血筋は途絶えたとする説さえあるようです。

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中国の易姓革命の丸パクです。 継体天皇の王位簒奪だと思う人が多いです。 古事記では寧ろ名君のような表記です。

これは中華帝国の史書における易姓革命の際に用いられる記載です。天明を受けた統治者が得を失ったために、天命が失われ、他の王者とその一族に天命が移ると言う出来事。 史書では、倭の五王の最後と思われる雄略天皇以降、皇位が安定せず、一時は女性皇族による統治の期間があったことを思わせる記載もあり、最後に武烈天皇が悪虐な君主として描かれています。その後越の国から数代遡って皇族と繋がる継体天皇が即位するものの、相当長期にわたって大和に入れなかったと言う記載もある。 してみると、ここで王朝交代があったと考えるのが自然。所詮男系による万世一系などと言うのは、飛鳥時代後期の文化的所産でしょうから。

その事績は殷の誅王にそっくりです、実在しなかったと思います