朝倉教景(宗滴)は朝倉氏の名将といわれる人物としてあまりに有名で 老将というイメージが強そうだけど 理由は80歳くらいまで生き その年になっても朝倉氏の軍勢を率いて八面六臂の活躍をし続けていたので、ですか。 ただし、目立つ活躍があるのは老年期だけではなく むしろ青年期から壮年期に入ろうとしているくらいから、ですか。 教景の存在が一躍有名になったのは 当主が朝倉貞景の時代において 義兄の朝倉景豊と実兄の朝倉元景による謀反の密告というものですか。 密告により謀反は無事に鎮圧され 朝倉氏による越前支配完遂に向けての契機になったものだけど、 ここからが教景が名将としての歩みの始まりというものですか。 越前支配完遂後には加賀からの一戸一揆軍を九頭竜川で撃破しましたが、 この戦績だけでも教景が名将といわれるゆえんというものですか。 もっとも、このころは老将ならぬ壮年武将というもので、 武将人生で脂がのりかかりだったのでは、ですか。