◆全国マスコミ研究会は4月7日午後1時から5時まで東京都台東区上野公園の東京文化会館(公益財団法人東京都歴史文化財団)で「エマソンの名言」勉強会を開催した。第1部の講師は、阿部数利・エマソン実践協会理事長(阿部数利会計事務所代表、税理士)が演題「エマソンの思想と哲学の真髄 その1」で、第2部の講師は、板垣英憲・エマソン実践協会専務理事(板垣英憲マスコミ事務所代表)が演題「全米を感動させた名演説『アメリカ人の精神的独立宣言』(①エマソンが生きた時代と背景②エマソンに影響を日本人③モデルなき時代に生きる現代日本及び日本人が、エマソンから何を学ぶか?)で講演した。第3部は「対話と懇談」を行い、参加者が、エマソンについて、和気藹々に意見を交換した。館外では、上野公園で桜が満開、冬に逆戻りしたような気候にもかかわらず、大勢の花見客で賑わっていた。
◆エマソン(1803年5月25日~1882年4月27日)は、「南北戦争前夜に花開いたアメリカ・ルネッサンスを代表する思想家」として説教「主の晩餐」、代表作「自然」、有名な講演「アメリカの学者」「神学部講演」などを残している。
私は、これらのなかから、1837年8月31日にハーバード大学の「ファイ・ベータ・カッパ」(Phi Beta Kappa、成績優秀な学生からなる米国最古の学生友愛会のことで、この会員=非常に優秀な成績で大学卒業したという証になる)のために行われた「アメリカの知的独立宣言」(ホームズ=1809年~1894年=の評)として名高い「アメリカの学者」について、解説した。
まず、エマソンが生まれた1803年5月25日から、「アメリカの学者」を講演した1837年8月31日までの略年譜をたどり、世界史年表から、1837年前後のヨーロッパ・アメリカ、アジア・アフリカ、日本で起きた出来事を追いながら、時代背景を把握した。この年の2月19日、日本では「大塩平八郎の乱」が起きているのが、興味深い。
このうえで、「アメリカの学者」(「エマソン論文集(上)」酒本雅之訳、岩波文庫)の結論部分を朗読した。
「わたしたちはあまりにも長くヨーロッパの優雅な詩神に耳をあずけすぎました。アメリカの自由人の精神は、臆病で、模倣好きで、覇気に欠けるのではないかと、すでに疑われ始めています」
「兄弟たち、そして友人の皆さん――願わくは、わたしたちの意見はそうあってほしくありません。自分自身の足で歩きましょう。自分自身の手で仕事をしましょう。自分自身の心を語りましょう」
「人間に対する畏れ、人間に寄せる愛こそ、いっさいをとりまく防壁、喜びの花輪でなければなりません。人間寄りつどうひとつの国が初めて出現することになるでしょう。人間ひとりびとりが、万民にいのちを吹き込む『神聖な愛』によって、自分もいのちを吹き込まれていると信じるからです」
◆エマソンは欧州に渡り修行中、大英帝国(ヴィクトリア朝)のスコットランド出身の歴史家・評論家、言論人であったトーマス・カーライル(1795年12月4日~ 1881年2月5日)と知り合い、親交を結び強く影響を受けた。カーライルの代表作に、『英雄崇拝論』、『フランス革命史』、『オリバー・クロムウェル』、『衣装哲学』、『過去と現在』などがある。このうち、『英雄崇拝論』に代表されるように、「世界の歴史は英雄によって作られる」と主張した。カーライルが言う「英雄」とは歴史に影響を与えた神、預言者、詩人、僧侶、文人、帝王などを指した。エマソンは、「代表的偉人論」を書いている。エマソンとカーライルは、札幌農学校出身の内村鑑三(米国・メソジストキリスト教会M.C.ハリスから洗礼を受ける)、新渡戸稲造や、その門下生たちの矢内原忠雄、畔上賢造らに多大な影響を与え、内村鑑三は、「代表的日本人」を著しており、カーライル、エマソン、内村鑑三の思想的繋がりが、極めて深いことを示している。
1909年秋、第一高等学校の校長・新渡戸稲造の下で読書会グループを形成していた学生たちが、新渡戸の推薦状をもって、内村鑑三の弟子に入門した。内村鑑三は、この一団を柏会と命名した。1909年10月29日、第一回会合を行い、岩永祐吉、金井清、川西実三、黒崎幸吉、沢田廉三、膳桂之助、高木八尺、田中耕太郎、田島道治、塚本虎二、鶴見祐輔、前田多聞、三谷隆正、森戸辰男、藤井武らがメンバーとして参加した。その2年後の1911年秋、『聖書之研究』で、読者であればだれでも聖書研究会に出席しても良いと広告され、10月1日に矢内原忠雄と坂田祐らが出席した。矢内原忠雄は柏会に入し、坂田祐は南原繁と別の会を作り、1912年1月30日、「白雨会」として発足している。
大東亜戦争敗戦後、これらの人々のなかから、日本の文教政策に深く関わった人物は、少なくない。広島大学長を務めた森戸辰男が上げられる。「期待される人間像」作成に携っている。
しかし、宗教的・思想的系譜から見て、現代日本の教育は、エマソンが提唱した「自己信頼」(自分自身を全面的に信頼する)の思想に立脚して、自律的に生きていくことのできる人間を養成する力が、減退しており、「他人との比較」に偏重する「偏差値教育」が過度の弊害を生んでいる。「他人志向型」の人材を多数輩出していて、教育を荒廃させている。大阪市の橋下徹市長が、教育委員会全廃など教育改革を提唱しているのが、こうした現象の表れの1つであるとも言える。私は、もう一度、エマソン思想を振り返ってみるべきではないかという思いを強くしている。
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鳩山由紀夫元首相がイランへ飛んだのは、信念の持論「友愛外交」推進・展開の一環であり、外交無関心の野田佳彦首相が、いまさら慌ててもムダだ
◆〔特別情報①]
鳩山由紀夫元首相が、風雲急を告げるイランへ、勝手に飛んだことに対して、野田佳彦首相はじめ、外務当局は困惑している。というよりは、むしろ迷惑顔だ。しかし、国会議員が、積極的に「議員外交」に力を入れても、決しておかしくはない。問題の根は、野田佳彦首相が、外交に余り熱意を持ってこなかったことが、日本外交を混乱させている。
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『黄金の国ジパング、日本の実力と進路』
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◆エマソン(1803年5月25日~1882年4月27日)は、「南北戦争前夜に花開いたアメリカ・ルネッサンスを代表する思想家」として説教「主の晩餐」、代表作「自然」、有名な講演「アメリカの学者」「神学部講演」などを残している。
私は、これらのなかから、1837年8月31日にハーバード大学の「ファイ・ベータ・カッパ」(Phi Beta Kappa、成績優秀な学生からなる米国最古の学生友愛会のことで、この会員=非常に優秀な成績で大学卒業したという証になる)のために行われた「アメリカの知的独立宣言」(ホームズ=1809年~1894年=の評)として名高い「アメリカの学者」について、解説した。
まず、エマソンが生まれた1803年5月25日から、「アメリカの学者」を講演した1837年8月31日までの略年譜をたどり、世界史年表から、1837年前後のヨーロッパ・アメリカ、アジア・アフリカ、日本で起きた出来事を追いながら、時代背景を把握した。この年の2月19日、日本では「大塩平八郎の乱」が起きているのが、興味深い。
このうえで、「アメリカの学者」(「エマソン論文集(上)」酒本雅之訳、岩波文庫)の結論部分を朗読した。
「わたしたちはあまりにも長くヨーロッパの優雅な詩神に耳をあずけすぎました。アメリカの自由人の精神は、臆病で、模倣好きで、覇気に欠けるのではないかと、すでに疑われ始めています」
「兄弟たち、そして友人の皆さん――願わくは、わたしたちの意見はそうあってほしくありません。自分自身の足で歩きましょう。自分自身の手で仕事をしましょう。自分自身の心を語りましょう」
「人間に対する畏れ、人間に寄せる愛こそ、いっさいをとりまく防壁、喜びの花輪でなければなりません。人間寄りつどうひとつの国が初めて出現することになるでしょう。人間ひとりびとりが、万民にいのちを吹き込む『神聖な愛』によって、自分もいのちを吹き込まれていると信じるからです」
◆エマソンは欧州に渡り修行中、大英帝国(ヴィクトリア朝)のスコットランド出身の歴史家・評論家、言論人であったトーマス・カーライル(1795年12月4日~ 1881年2月5日)と知り合い、親交を結び強く影響を受けた。カーライルの代表作に、『英雄崇拝論』、『フランス革命史』、『オリバー・クロムウェル』、『衣装哲学』、『過去と現在』などがある。このうち、『英雄崇拝論』に代表されるように、「世界の歴史は英雄によって作られる」と主張した。カーライルが言う「英雄」とは歴史に影響を与えた神、預言者、詩人、僧侶、文人、帝王などを指した。エマソンは、「代表的偉人論」を書いている。エマソンとカーライルは、札幌農学校出身の内村鑑三(米国・メソジストキリスト教会M.C.ハリスから洗礼を受ける)、新渡戸稲造や、その門下生たちの矢内原忠雄、畔上賢造らに多大な影響を与え、内村鑑三は、「代表的日本人」を著しており、カーライル、エマソン、内村鑑三の思想的繋がりが、極めて深いことを示している。
1909年秋、第一高等学校の校長・新渡戸稲造の下で読書会グループを形成していた学生たちが、新渡戸の推薦状をもって、内村鑑三の弟子に入門した。内村鑑三は、この一団を柏会と命名した。1909年10月29日、第一回会合を行い、岩永祐吉、金井清、川西実三、黒崎幸吉、沢田廉三、膳桂之助、高木八尺、田中耕太郎、田島道治、塚本虎二、鶴見祐輔、前田多聞、三谷隆正、森戸辰男、藤井武らがメンバーとして参加した。その2年後の1911年秋、『聖書之研究』で、読者であればだれでも聖書研究会に出席しても良いと広告され、10月1日に矢内原忠雄と坂田祐らが出席した。矢内原忠雄は柏会に入し、坂田祐は南原繁と別の会を作り、1912年1月30日、「白雨会」として発足している。
大東亜戦争敗戦後、これらの人々のなかから、日本の文教政策に深く関わった人物は、少なくない。広島大学長を務めた森戸辰男が上げられる。「期待される人間像」作成に携っている。
しかし、宗教的・思想的系譜から見て、現代日本の教育は、エマソンが提唱した「自己信頼」(自分自身を全面的に信頼する)の思想に立脚して、自律的に生きていくことのできる人間を養成する力が、減退しており、「他人との比較」に偏重する「偏差値教育」が過度の弊害を生んでいる。「他人志向型」の人材を多数輩出していて、教育を荒廃させている。大阪市の橋下徹市長が、教育委員会全廃など教育改革を提唱しているのが、こうした現象の表れの1つであるとも言える。私は、もう一度、エマソン思想を振り返ってみるべきではないかという思いを強くしている。
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鳩山由紀夫元首相がイランへ飛んだのは、信念の持論「友愛外交」推進・展開の一環であり、外交無関心の野田佳彦首相が、いまさら慌ててもムダだ
◆〔特別情報①]
鳩山由紀夫元首相が、風雲急を告げるイランへ、勝手に飛んだことに対して、野田佳彦首相はじめ、外務当局は困惑している。というよりは、むしろ迷惑顔だ。しかし、国会議員が、積極的に「議員外交」に力を入れても、決しておかしくはない。問題の根は、野田佳彦首相が、外交に余り熱意を持ってこなかったことが、日本外交を混乱させている。
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