オタク文化やサブカル界隈では、腐女子がフェミニスト的な主張をすると、「それってダブスタじゃね?」という反応がよく出る。典型的には「女性を性的に描くのはダメなのに、BLで男を性的に描くのはセーフなのか?」という指摘だ。
この批判がかみ合わないのは、「フェミニズム=男女平等」という誤解が広がっているから。実際のフェミニズムは「不利な立場に置かれてきた女性を優遇することで是正する」という政治的運動であり、対称性を前提としていない。だから「女性が男性をいじる表現はOK、逆はNG」という非対称性も意図的に正当化される。
ここで必ず出るのが「フェミは異常で、普通の女は違う」という反論。しかし現実を見ると、女性優遇を拒否できる女はほとんどいない。女性専用車両、レディースデー、離婚時の親権、痴漢冤罪が成立しやすい環境…。こうした制度や文化を疑問視せず利用している時点で、フェミ的な思考から逃れられていない。
「私、フェミ嫌いなんです」と言う女もいるが、状況が不利になるとすぐにフェミ的態度に戻る。職場で叱られれば「女だから強く言われた」とにおわせ、恋愛では「女なのにこの扱いはひどい」と持ち出す。こうした反応は文化的に刷り込まれた無意識の甘えから来ており、本人が意識していなくても表れる。
もし本当に平等主義を貫くなら、女性優遇制度を拒否するはずだ。だが現実には、平等を口にしながら優遇はしっかり享受する女性ばかり。「私は違う!」と反論すること自体も、自己防衛としてのフェミ的リアクションであり、説得力を欠く。
重要なのは、こうした女性優遇は嫌われるどころかむしろ歓迎されているという点。アンチフェミを自称する男性ですら、結局は女性を保護し「女だから仕方ない」と受け入れてしまう。この構造が、女性優遇を強固に支えている。
結局、「BLは性的消費でありフェミはダブスタ」という批判が響かないのは当然だ。フェミニズムは平等の実現を目的にしておらず、「女性がより有利になる社会」を目指す戦略だから。BLと男性向け表現を対称的に扱う発想そのものが、彼女たちにとって無意味なのだ。