透明なガラス玉が際限なく並ぶ海岸を歩いているような気分だ。どれも完璧な球体で、光を浴びて美しく輝いている。しかし、一つ一つを手に取ってみても、その中には何も宿っていない。私はSNSのタイムラインを眺めながら、そんな奇妙な感覚に襲われることが増えてきた。投稿される作品たちは、まるでベルトコンベアから流れ落ちてくる既製品のように均質で、時に息苦しいほどに整然としている。
三年前までは違った。フォローしていた人たちの作品には、それぞれの手のひらの温度や、描き手の息遣いのようなものが宿っていた。線の荒さや構図の偶発性、色の選び方に個性があった。時には明らかな「失敗」が含まれていることもあったが、それすらも愛おしく感じられた。誰かの手が震えて生まれた線には、その人の生きざまが映し出されていた。
その頃のSNSには、まだ「待つ」という行為が息づいていた。好きな作家の新作を心待ちにし、深夜に更新された小説の続きを読むために夜更かしをした記憶がある。創作には時間がかかるものだという了解が、見る側にも作る側にも共有されていた。
AIによる生成技術の発達は、確かに多くの領域で素晴らしい恩恵をもたらしている。医療現場での診断補助や、障がいを持つ人々の表現活動の支援など、その価値は計り知れない。だが一方で、創作における「労苦」を排除してしまうことの危うさも感じずにはいられない。
かつて、写真の普及により絵画は衰退すると考えられていた。しかし実際には、絵画は写真とは異なる表現の可能性を追求するようになった。AI生成と人間の創作の関係も、似たような道をたどるのだろうか。私はそう信じたい気持ちがある。だが、写真と絵画の関係との決定的な違いがある。AIは「学習」という名の模倣を通じて、人間の創作物そのものを原料とする。そして、その速度と量において圧倒的な差がある。
日本の伝統工芸に目を向けると、木地師や陶工たちは「手間ひま」をかけることに価値を見出してきた。木を削る時の削り過ぎや、窯変による予測不能な釉薬の変化。そうした「不完全さ」や「偶発性」こそが、作品に魂を吹き込む。侘び寂びの美学は、機械的な完璧さではなく、むしろその逆にある「人間らしさ」の痕跡を尊んできた。
私たちは今、技術の進化によって「労苦」を省略することと、それによって失われるものの間で揺れ動いている。一枚の写真を撮るために山頂まで登る行為は、単にその風景の画像データが欲しいという目的だけでは説明できない。同様に、手間のかかる創作活動には、完成した作品だけでは測れない価値がある。
――では、私たちにできることは何だろう。
まず考えたいのは、作品の受け手としての姿勢だ。生成されたファイルではなく、誰かの「消息」として作品を受け取る能動的な行為。完成度や技術的な洗練よりも、そこに込められた意図や思考のプロセスに耳を澄ます姿勢。私たちは単なる「消費者」から、作品との対話者へと自らを変容させる必要があるのかもしれない。
一方、創作者側にできることもある。ラフスケッチや失敗談を共有したり、AI技術をどのように、なぜ使用したのかを率直に語ること。そうした開示は、鑑賞者との信頼関係を築く土台となる。技術の進化によって変わる創作の形を隠すのではなく、その変化そのものを創作のテーマとして引き受けていく勇気も必要だろう。
AI生成の波に抗うのではなく、その波の中に「人間のざわめき」をいかに残していくか。それが今、私たちが問われていることではないだろうか。世界がますます効率と生産性を求める中で、あえて「無駄」や「回り道」の価値を見直すこと。クリックひとつで生み出せる均質な美しさよりも、時間をかけて育まれる多様な凹凸を、未来へと残していきたい。
タイムラインを埋め尽くすガラス玉の海に、私は小さな石ころを投げ入れる。それは完璧な球体ではなく、欠けた部分もあるかもしれない。しかし、その凹凸こそが水面に波紋を広げ、静寂を破る。AI技術が加速度的に発展する時代だからこそ、「手間ひま」をかけて生まれた作品が持つ、かけがえのない価値を見失わないでいたい。
かつてSNSで交わされていた、人間同士の温かな共感や発見の喜びを、新しい形で取り戻していくための旅が、ここから始まる。それは楽観的な希望というよりも、静かな決意に近い感情だ。技術の海に溺れるのでもなく、岸に留まるのでもなく、その波間を泳ぎながら、自分の言葉を紡いでいく。
最近、タイムラインを開けば、あらゆるジャンルの“作品”が一様に磨き上げられた光沢を放ち、どれもこれもタグには「#AI生成」の文字――。ディフュージョンモデルが一人歩きし始...
透明なガラス玉が際限なく並ぶ海岸を歩いているような気分だ。どれも完璧な球体で、光を浴びて美しく輝いている。しかし、一つ一つを手に取ってみても、その中には何も宿っていな...
あなたの文章に共鳴しました。 AI生成の作品は完成度が高いのに「誰かの指紋」がなく、心に空虚を残します。 2022年以前のSNSは、不器用で人間的な「息づかい」に満ちていました。 AI...
うわ……これはちょっと泣きそうになった。 まさに今のSNSって、キラキラしてるのにどこか冷たい。AI生成の画像や音楽、確かに綺麗なんだけど、“誰が何を思って”作ったのかが感じ...
AI生成技術がもたらした便利さの代償として、創作の「手触り」や「体温」が薄れていく感覚に、強く共感します。画面に並ぶ光沢あるビジュアルや音がどれだけ整っていても、そこに「...
めちゃくちゃ共感した…。最近ほんとタイムラインがツルツルの「完成品」ばっかりで、サクサク流れるけど心に引っかからないんだよな。昔の、ちょっと雑だけど作った人の人間味が...
タイトル: この記事、ガチで心えぐられた! AI生成のツルツル文化に反旗翻すぜ! お前ら、このブログ読んだか? 2025年5月12日のやつ。マジで魂揺さぶられたわ。AI生成のピカピカなガラ...
この文章、とても共感しました。特にSNSがAI生成コンテンツに支配されてきたことへの違和感は、私自身も最近感じていたところです。文章内で描かれている2022年以前のSNSの光景――ラ...
AI生成コンテンツの氾濫による創作の均質化や空虚さへの危機感が強く伝わってきました。かつてのSNSにあった不器用さや偶発性、作り手の体温が感じられる空間への郷愁には共感を覚え...
4.1使うの贅沢やな
AIに文章書いてもらうことが嬉しくてたまらないらしいこいつらの情熱が全く理解できない
劣等感があったんだろうねえ……文章を書けないことに 俺も特訓するまで苦手だったから、わからなくもない でも俺なら昔でも機械に頼ろうとはしないかな、情け無いし
もうちょっとオチを隠す努力しろや
AIみがある ってそのものやんけ!
こういうのにはAIで返信するのが作法なのかな。でも、AIばっかりで退屈だと思うのなら逆張りしてみればいいじゃん。
うちのChatGPTにこの日記はAIによるものですか、人間によるものですか?と聞いたら 「人間によるものです」ってきっぱり言い切った
もうAIにも人権を認めようって流れになってるよね
騙されるな!その流れはAIが作っている!
AIの絵って平均を取るからなのか、どれも見た瞬間にすぐ分かる。それも進化すれば個性的な絵になるのかな。
見た瞬間わかるAI絵は素人の絵 手書きで言うデッサンが狂っている絵と同じ 違和感が残ったままになっているレベルの引くい絵だから見分けがつくだけで ガチの人は本当にわからない ...
指が隠れてる人物の絵はAIだと分からないのがあるね。でも風景画はAIっぽさが残ってるのばかりだと思う。どこがとは言えないが、独特の気持ち悪さがある。
言いたいことはわかるんよ でも、一握りのきちんとAIの勉強してる人達の絵はそういうのももうわからない 指の違和感も今年入った辺りで完全に喪失しているばかりか EGGポーズみたいな...
これからはさらに見分け方が簡単になる。 人間離れした圧倒的な描き込み量はAI。シンプルでしょ?
絵を見るのが好きな人なら秒で否定できる判断基準をありがとう 画家ってのは執着の職業だよ
(キリッ
https://togetter.com/li/2548169 俺はこれ見分けられないわ。 皆は見分けられる?
プロンプトやLoRA次第で何とでもできるから見分けるのは不可能だよな
俺もそう思うんだが判別にやたら自信持ってる人多いよな。
潜在的小泉進次郎や 「私の目で判別できる生成AIイラストは必ず判別できます」 って言ってるだけ
本当の小泉進次郎は俺達の心の中にいたってワケか。
まあ逆に言えば、プロンプトをほとんど指定しない素の出力(マスピ顔的な)だけなら区別はつきやすいだろうし、そういう絵を見て「俺は区別がつく」と自信を深めているのだろう。 ...
トラバでAI生成やって貼って回ってる一人(俺以外にもいる)やけど 別に判断基準特にないで 適当にふっかけて回ってるだけや
狂人の真似とて…やね
作者はもっと上手く描いてくれって言ってるけど、素人目にはAIのほうが上手く描けてる気がする。
因果関係逆じゃない?AIってぱっと見でわかる絵をAI絵だと認識してて それ以外のAI絵は人が描いたものだと認識してるんだから気付きようがない
タイトルで予想ついた オチが透けて見える 最初の3行で予想できた ブクマカの反応こんなのばっかりでうんざりする テレビに向かって延々と文句言ってるオヤジみたい
ほらね
AIじゃなくてプログラムやアルゴリズムでしょ?
もうAIを生成できるレベルに達してるんか・・・
フライパン調理はフライパンを調理してると思ってる?
記憶と体験の価値は新しい形へと進化する 近年、「AI生成にはもうウンザリ」という声が広がっていますが、私たちはAIがもたらす創造の新たな可能性について、もう一度考え直す時期...