切に生きる -- そこで精一杯花を咲かせることが人生
仙台に福聚山 慈眼寺(じげんじ)というお寺があります(慈眼寺という名称のお寺は、日本各地に多数あります)が、ここは現住職の塩沼亮潤大阿闍梨(だいあじゃり)が開山されたお寺です。
2回連続で紹介した8年前の雑誌の「切に生きる」という特集から、もう一人紹介したいと思いますが、それがこの慈眼寺の住職である塩沼亮潤さんです。
この塩沼亮潤さん、とにかく凄い!
大峯千日回峰行とは、片道24km、往復で48kmの山道を、16時間で大峯山1720mまで登って、その日のうちに帰ってくるという行を千日間続けるんです。
そして、いったん行に入れば決して休むことや途中で止めることは許されません。後戻りのできない行なのです。
千日間なので毎日続けて3年近くやるのか、それは大変だなーって思ったら、9月下旬から大峯山頂には霜が降りて、それから雪深い厳しい冬に入っていくので、物理的に行ができるのは5月3日から9月22日までの年間百二十数日間だけだそうです。
なんと、9年近くに渡って続ける行なのです。
今日は足を捻挫したから、今日は熱があるから、今日は台風だからといって休むことは許されません。とにかく “毎日” なんです。
万が一、行けない日があったら、行が失敗したとみなされ、所持している短刀で腹をかき切るか、腰に結わえてある「死出紐」で首をくくるかの、二つに一つの厳しい掟があります。
吉野山には野生のクマがたくさんいます。一度、大型の冷蔵庫のようなクマに襲われたこともあるそうです。クマだけではなく、イノシシもマムシもいます。本当に命がけなのです。
「毎日の調子は良いか悪いかではなく、悪いか最悪かのどちらか」だったそうです。
毎日4時間半の睡眠で、10分でも少ないと、翌日10分ぶんだけの疲労を感じるようになる修行を23歳から初めて、満行したのは31歳の時。気が遠くなりそうです。
この千日回峰行の最中のある日、土砂降りの中での行で体力的にはもうボロボロの状態で、途中でうずくまっておむすびを食べると、ものすごい雨と嵐で米粒が流れていきます。
その一粒一粒をすするようにして食べていた時、涙が出てきたそうです。なんて自分は幸せなんだろうって。
ここにお米一粒を食べている私がいる。戻れば風呂もあるし、布団もあるし、屋根のついているところで寝られる。しかしこの瞬間にも地球上では食べられなくて亡くなっていく人がいる。
その星の片隅で、自分の心を磨くという尊い仕事をさせてもらっている自分は、なんて幸せなんだろうって思って、涙を流したのでした。
大峯千日回峰行満行の翌年、今度は「四無行」を満行します。
四無行とは、9日間「断食、断水、不眠、不臥」を続ける修行です。「食べず、飲まず、寝ず、横にならず」の4つが無いということで四無行と言うそうです。
四無行に臨む前には、縁のある人達に最後の別れをして行に入ります。4日で手に死斑が出て、体からは死臭が漂うような過酷な修行であり、生きて戻れる保証がないからです。
大峯千日回峰行と四無行を満行したのは、吉野山金峯山寺の1300年の長い歴史の中で塩沼さんが2人目だそうです。そして存命する唯一の存在とのこと。
塩沼さんは、小学校5年生の時、NHKで比叡山の千日回峰行を満行された酒井雄哉さんの番組を見て、直感的に「これをやりたい!」って思ったとのこと。
凄い人は、子どもの頃から凄いんですね。
海外のトレイルランナーたちは、回峰行者のことを「マラソンモンク」と呼んで、尊敬と畏怖の眼差しを向けるそうです。そんな塩沼さんもランナーなんですが、こんなことを言っています。
「歩くと不思議なんだけど、様々なことへのヒントが頭に浮かんでくるんですよね。理由は分からない。考え方とか生き方とか『こういう風にやればいいんだ』というヒントが浮かんでくる」
うーむ。大峯千日回峰行なんてのとは対極で生きている私ですが、少なくともこの点に関しては似たような体験があります。
ま、浮かんでくるヒントの中身は間違いなく天と地ほど違うんでしょうけどね。
2回連続で紹介した8年前の雑誌の「切に生きる」という特集から、もう一人紹介したいと思いますが、それがこの慈眼寺の住職である塩沼亮潤さんです。
この塩沼亮潤さん、とにかく凄い!
大峯千日回峰行を9年間かけて満行
二十歳の時に吉野の金峰山寺で出家し、23歳で「大峯千日回峰行」に入ります。大峯千日回峰行とは、片道24km、往復で48kmの山道を、16時間で大峯山1720mまで登って、その日のうちに帰ってくるという行を千日間続けるんです。
そして、いったん行に入れば決して休むことや途中で止めることは許されません。後戻りのできない行なのです。
千日間なので毎日続けて3年近くやるのか、それは大変だなーって思ったら、9月下旬から大峯山頂には霜が降りて、それから雪深い厳しい冬に入っていくので、物理的に行ができるのは5月3日から9月22日までの年間百二十数日間だけだそうです。
なんと、9年近くに渡って続ける行なのです。
今日は足を捻挫したから、今日は熱があるから、今日は台風だからといって休むことは許されません。とにかく “毎日” なんです。
万が一、行けない日があったら、行が失敗したとみなされ、所持している短刀で腹をかき切るか、腰に結わえてある「死出紐」で首をくくるかの、二つに一つの厳しい掟があります。
吉野山には野生のクマがたくさんいます。一度、大型の冷蔵庫のようなクマに襲われたこともあるそうです。クマだけではなく、イノシシもマムシもいます。本当に命がけなのです。
4日で手に死斑が出て、体からは死臭が漂う
千日回峰行の1日は深夜11時30分に起床した瞬間から始まります。まず起きてすぐに滝行を行うのですが、体が思うように動かない日もあるわけです。「毎日の調子は良いか悪いかではなく、悪いか最悪かのどちらか」だったそうです。
毎日4時間半の睡眠で、10分でも少ないと、翌日10分ぶんだけの疲労を感じるようになる修行を23歳から初めて、満行したのは31歳の時。気が遠くなりそうです。
この千日回峰行の最中のある日、土砂降りの中での行で体力的にはもうボロボロの状態で、途中でうずくまっておむすびを食べると、ものすごい雨と嵐で米粒が流れていきます。
その一粒一粒をすするようにして食べていた時、涙が出てきたそうです。なんて自分は幸せなんだろうって。
ここにお米一粒を食べている私がいる。戻れば風呂もあるし、布団もあるし、屋根のついているところで寝られる。しかしこの瞬間にも地球上では食べられなくて亡くなっていく人がいる。
その星の片隅で、自分の心を磨くという尊い仕事をさせてもらっている自分は、なんて幸せなんだろうって思って、涙を流したのでした。
大峯千日回峰行満行の翌年、今度は「四無行」を満行します。
四無行とは、9日間「断食、断水、不眠、不臥」を続ける修行です。「食べず、飲まず、寝ず、横にならず」の4つが無いということで四無行と言うそうです。
四無行に臨む前には、縁のある人達に最後の別れをして行に入ります。4日で手に死斑が出て、体からは死臭が漂うような過酷な修行であり、生きて戻れる保証がないからです。
大峯千日回峰行と四無行を満行したのは、吉野山金峯山寺の1300年の長い歴史の中で塩沼さんが2人目だそうです。そして存命する唯一の存在とのこと。
いまいる場所がどんな環境であっても、そこで精一杯花を咲かせること
そんな塩沼さんが言います。「若いときには人間はなんて不平等なんだと思ったこともありました。幸せな人もいれば、不幸せな人もいる。そういう悩みを抱きながら山を歩いていた時、目の前でタンポポの穂種が突風に吹かれて飛んでいったのです。ああ、そうか! 山に落ちる種もあれば、アスファルトに落ちる種もあります。人間もそうだ、タンポポと同じなんだなと思いました。
自分の生まれたところがどんな場所であっても、いまいる場所がどんな環境であっても、そこで精一杯花を咲かせることが人生なのですね。そして朝『きょうもよろしくお願いします』と手を合わせ、一日何事もなかったら『ありがとうございました』と感謝して生きることが大事だと感じました」
自分の生まれたところがどんな場所であっても、いまいる場所がどんな環境であっても、そこで精一杯花を咲かせることが人生なのですね。そして朝『きょうもよろしくお願いします』と手を合わせ、一日何事もなかったら『ありがとうございました』と感謝して生きることが大事だと感じました」
塩沼さんは、小学校5年生の時、NHKで比叡山の千日回峰行を満行された酒井雄哉さんの番組を見て、直感的に「これをやりたい!」って思ったとのこと。
凄い人は、子どもの頃から凄いんですね。
海外のトレイルランナーたちは、回峰行者のことを「マラソンモンク」と呼んで、尊敬と畏怖の眼差しを向けるそうです。そんな塩沼さんもランナーなんですが、こんなことを言っています。
「歩くと不思議なんだけど、様々なことへのヒントが頭に浮かんでくるんですよね。理由は分からない。考え方とか生き方とか『こういう風にやればいいんだ』というヒントが浮かんでくる」
うーむ。大峯千日回峰行なんてのとは対極で生きている私ですが、少なくともこの点に関しては似たような体験があります。
ま、浮かんでくるヒントの中身は間違いなく天と地ほど違うんでしょうけどね。
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