故障・事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 10:03 UTC 版)
「国鉄DD54形ディーゼル機関車」の記事における「故障・事故」の解説
本形式に搭載されたDMP86Zは、6バルブのDOHCによる吸排気を行う、精緻な設計と構造を有していた。乾燥重量 7,740 kg、出力あたり重量は4.25 kg/PSで、国産のDML61Z型の5.10 kg/PSを上回っており、出力と耐久性には問題がないなど極めて優れた設計のエンジンであった。また、液体式変速機は常時歯車噛み合わせ式で直結段を持たないなど、当時、国鉄がDD13で採用していたリスホルム・スミス型の変直式、DD51で採用していたフォイト社開発の充排油式とは異なる1つのコンバーターと機械式変速機を組み合わせた、自動車用ATに近い機構であった。全般的に西ドイツの工業製品らしい、精緻な製品であった。 もっとも、試作車のDD91形がエンジン・変速機共に西ドイツ製の純正品を搭載していたのとは異なり、本形式ではそれらをライセンス生産契約に基づき三菱重工業が製造した日本製同等品が搭載されており、1次車では、3両のうち2両で冷却水がシリンダ内に漏れるトラブルが発生した。さらにDE10形などと台車を共通設計とした結果、最終減速機や推進軸周りの設計がオリジナルのDD91形とは異なったものとなっていた。これらの問題が発生した経緯は不明であるが、製造元の三菱重工業の内部事情に起因する可能性が高い。 機関は概ね好調だったものの、後述するように、本形式の重大故障は、ライセンス生産された液体変速機や、DD91から変更された台車まわりなどに集中していた。西ドイツではMD870系列の機関はB-B(V160型)、C-C(V320型)の軸配置と組み合わせて使用されたが、本形式は軸重や横圧低減の理由で、B-1-Bの変則的な軸配置とならざるを得なかった。車体内部の1エンド側にエンジンと変速機、2エンド側に蒸気発生装置(SG)を搭載しており、車体前後にある2軸駆動の動力台車を変速機からの推進軸(プロペラシャフト)で駆動させる方式であったが、2エンド側の動力台車へは、推進軸が中間の1軸台車の上を超えて、さらに継手を介して台車に伸びるという、非対称の構造になっている。なお、DD542の事故では、1エンド側の継手が破損し、短い側の推進軸が落下した。 西ドイツ本国では、K184U変速機はマイバッハ社V12 MD655 (1,500 hp)、MD870 (1,700 hp) と組み合わせて使用されていた。K184Uの定格入力は1,660 PSであるが、DMP86Zは短時間出力は2,200 PSであり、組み合わせに無理があったと考えられる。国鉄設計事務所も把握していたと考えられ、DD544からの二次車にはタコメーターを追加して、規定以上の出力監視に配慮した。くわえて、DD91は正規品の機関変速機であったが、上述のとおり、DD54はライセンス生産品であり、マイバッハやメキドロが(三菱重への技術流出を恐れて)秘匿したであろう製作ノウハウが、正規品との差異、トラブル多発につながったことは否めない。 本形式は、変速機周りの構造が比較的単純であったDD51形などと比較して複雑で整備に非常に手間がかかるほか、故障となると配置車両基地の保守掛の手に負えず、三菱側保守担当者が常駐する鷹取工場へ回送して修繕を行う必要があった。また設計・構造についての不明点を西ドイツのメーカー本社へ問い合わせるなどの際にライセンス契約締結時に仲介を行った三菱商事の対応が悪く(三菱商事は商社であり機械工学に精通している社員が少ないため質問の趣旨が理解できない社員が多かった)、またメーカー本社の回答も遅れて修繕が進展しないといった悪循環も発生した。この結果、国鉄の本形式に対する信頼は完全に失われた。 以下で事故・故障のうち多発した症例について解説する。 [[日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#急行「おき」機関車脱線転覆事故|推進軸破損による脱線事故]] 1968年6月28日、山陰本線鳥取 - 湖山間の徳吉踏切付近(現在は廃止)で、急行「おき」を牽引中だったDD54 2の1エンドの台車側のユニバーサルジョイントが突如破損し落下。かろうじて繋がっていた推進軸も湖山駅21番分岐器に接触して落下し、線路にほぼ垂直に突き刺さって同車が脱線転覆、続く客車6両も脱線する事故(いわゆる『棒高跳び事故』)を起こした。 翌1969年11月にも山陰本線浜坂 - 久谷間の勾配力行中などのDD54 11 ・ DD54 14が推進軸が落下、床下から出火するなどエンジンの高出力に耐え切れなくなった推進軸に起因する故障が多発した。 頻発する事故について、新聞紙面では「DD54型 また事故」とする見出しで報道されるようになった。 直接の原因は三菱側の強度計算の誤りによる設計ミスであり、対策として推進軸の強化や脱落防止が施工され解決し、1970年以降推進軸のトラブルによる重大事故は発生していない。ただし経年変化も影響して、今度は変速機にトラブルが多発するようになった。 液体変速機の故障 本形式搭載のDW5液体変速機は原形となったK184Uの設計を踏襲し、シフトアップ・ダウン時にエンジンの回転数とトルクコンバータの回転数を同調させて接続する凝った構造のため爪クラッチをギヤ回転のまま接続させた時のショック緩和用に衝撃緩和装置まで装備するなど従来の国産機にはみられない非常に複雑精緻かつ巧妙な構造・機構を採用していた。本形式の運用においては日本国鉄の保守能力を超えた装置全体でのギヤ欠け・コンバータ故障・クラッチ損傷が多発したという意見がある。しかし、国鉄は製品としての液体変速機を三菱重工業から購入したのであり、DW5で頻発した歯車の欠けやクラッチなどの不具合は、もはや製品とは呼べない代物であった。製造元である三菱重工業の製品・品質管理に問題があったといえる。 冷却ファンの故障 DD54の冷却ファンは、温度感知部のワックス の膨張度合いで回転数を制御する静圧ファンを採用していた。この部品の一部はDD51用と共通設計であった。1973年(昭和48)に山陰本線下北条 - 由良間で下り急行「だいせん」を牽引中にファンが停止。油温の異常上昇による機関停止ならびに再起動不可能となった事例が発生した。
※この「故障・事故」の解説は、「国鉄DD54形ディーゼル機関車」の解説の一部です。
「故障・事故」を含む「国鉄DD54形ディーゼル機関車」の記事については、「国鉄DD54形ディーゼル機関車」の概要を参照ください。
- 故障・事故のページへのリンク