ラジウム【radium】
ラジウム
英語表記:radium
キュリー夫妻が発見(1898年)した天然放射性核種。記号はRaと記す。原子番号88、原子量226.0254の天然に存在する代表的な元素である。
ラジウムには質量226のウラン系列核種、223のアクチニウム系列核種、224,228のトリウム系列核種の3系列があり、α崩壊するものが多い。単体は白色の金属で、融点約700℃、沸点約1140℃、比重5~6、化学的性質はアルカリ土類金属に似ている。
Ra-226は半減期1622年と長く、医療用や放射線の標準として用いられる。天然ラジウムは従来放射線源や発光塗料(夜光時計等)などに使われてきたが、特に発光塗料では、α線による被ばくが影響が問題となるので近年はほとんど使用されていない。
ラジウム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/26 17:46 UTC 版)
ラジウム(独: Radium [ˈraːdi̯ʊm]、英: radium [ˈreɪdiəm])は、原子番号88の元素。元素記号は Ra。アルカリ土類金属の一つ。安定同位体は存在しない。天然には4種類の同位体が存在する。白色の金属で、比重はおよそ5–6、融点は700 °C、沸点は1140 °C。常温、常圧での安定な結晶構造は体心立方構造 (BCC)。反応性は強く、水と激しく反応し、酸に易溶。空気中で簡単に酸化され暗所で青白く光る。原子価は2価。化学的性質などはバリウムに似る。炎色反応は洋紅色。
- 1 ラジウムとは
- 2 ラジウムの概要
ラジウム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:12 UTC 版)
ポロニウムは化学的性質がビスマスに近く、鉱石の中でビスマス様物質を探すことで比較的簡単にたどりついた。しかしラジウムの発見は一筋縄ではいかなかった。化学的性質が近い元素にバリウムがあるが、鉱石にはバリウムとラジウムの両方が含まれていた。1898年の時点で夫妻はラジウムの痕跡を掴んではいたが、純粋な状態で充分な量を確保するには至らなかった。 劣悪な環境と過酷な作業、逼迫した家計を賄うための教職の多忙は夫妻の健康状態にも悪影響を及ぼし、ピエールは精製作業を一時中断すべきとも考えた。しかしマリは少しずつ着々と進む作業に希望を見出していた。1トンのピッチブレンドから分離精製できたラジウム塩化物は0.1グラムにしかならなかったが、放射性元素は着々と濃縮され、やがて試験管や蒸発皿から発光が見られるようになっていった。マリはこれを「妖精のような光」と形容した。1902年3月には濃縮に効果的な試薬を発見し、これを用いて精製した試料のスペクトルがラジウム固有のものであることを突き止め、夫妻は純粋ラジウム塩の青い光に感動を覚えた。夫妻は、有意な純粋ラジウム塩を得るまでに11トンのピッチブレンドを処理した。 しかしこの頃、度重なる不幸が夫妻を襲う。1902年5月、マリの父ブワディスカ危篤の知らせが届き、帰郷の最中に訃報を受けた。彼女は親不孝な自分を責めたが、晩年のブワディスカは届くマリの論文を楽しみに読み、特に3月のラジウム精製成功の手紙には大いに喜び、娘を誇りに思っていた。一方のピエールに友人たちはアドバイスを送りアカデミー会員になるよう薦めたが、7月の選挙で落選する。しかしこのような活動も栄誉ではなく研究のためのものであった。レジオンドヌール勲章の候補となった際には研究活動に寄与しないと断っている。夫妻は研究に戻るが体に変調をきたし、ピエールはリウマチを悪化させて度々発作に苦しみ、マリは神経を衰えさせ睡眠時遊行症を起こすようになった。翌1903年には待望の第二子を流産してしまい、マリは悲しみにくれた。 このような苦境の中で進められた研究結果を夫妻は逐一学会に知らしめ、1899年から1904年にかけて32の研究発表を行った。それらは他の学者たちに放射能や放射性元素に対する認識に刷新を迫り、研究に向かわせた。放射性元素の追究はいくつかの同位体発見につながり、さらにウィリアム・ラムゼーとフレデリック・ソディのラジウム崩壊によるヘリウム発生の確認、アーネスト・ラザフォードとソディの元素変換説などがもたらされた。これらは、当時の概念であった「元素は不変」という考え方に変革を迫り、原子物理学に一足飛びの進歩をもたらした。 さらに、1900年にドイツの医学者ヴァルクホッフ(ドイツ語版)とギーゼル(英語版)が、放射線が生物組織に影響を与えるという報告がなされた。早速ピエールはラジウムを腕に貼り付け、火傷のような損傷を確認した。医学教授らとの協同研究の結果、細胞を破壊する効果が確認され、皮膚疾患や悪性腫瘍を治療する可能性が示唆された。これは後にキュリー療法と呼ばれる。こうしてラジウムは「妙薬」として知られるようになった。第一次世界大戦後、科学者の間で放射線被曝(照射線量)による人体影響への危険が徐々にではあるが認知されるようになった。当時の放射性物質を取り扱う科学者らは、鉛を用いて放射線を遮蔽し、白衣は使い捨てるなどの対策を採っており、マリも研究所員らに手袋を用いるように厳しく指導していたが、当の本人は放射性物質を素手で扱うことが多く、防護対策を殆ど行わなかった。そのためマリの手はラジウム火傷の痕だらけで、干しスモモのような皺が残っていたという。 新元素ラジウムは、学問対象にとどまらず、産業分野でも有用性が次々と明らかになった。キュリー夫妻は、ラジウム精製法に対する特許を取得せず公開した。これは珍しいことだが、そのために他の科学者たちは何の妨げもなくラジウムを精製使用することができた。フランスの実業家アルメ・ド・リール(英語版、フランス語版)(Emile Armet de Lisle)はラジウムの工業的生産に乗り出し、夫妻の協力を仰ぎ、医療分野への提供を始めた。ラジウムは世界で最も高価な物質となった。ラジウム精製法の特許を取得しなかった理由として、マリは「人生最大の報酬とは、知的活動そのものである」と答えている。
※この「ラジウム」の解説は、「マリ・キュリー」の解説の一部です。
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ラジウム
「ラジウム」の例文・使い方・用例・文例
- 誰によってラジウムは発見されましたか。
- 誰がラジウムを発見しましたか。
- ラジウムを発見したのはマリー・キュリーであった。
- キュリー夫妻によるラジウムの発見.
- ラジウムは素人が扱うと危険です.
- ラジウム鉱泉
- ラジウム治療
- 放射線治療におけるラジウムの使用
- パラジウムの閉塞された水素の多い量
- 英国の化学者、物理学者で、パラジウムとロジウムを発見し、静電気と電流が同じものであることを示した(1766年−1828年)
- ラジウムの崩壊で形成された放射性ガスの要素
- 通常、プラチナ、ニッケルまたはパラジウムの入った、淡い色の金合金
- 酸化ウラン、微量のラジウム、トリウム、ポロニウム、鉛、およびヘリウムから成る鉱物
- パラジウムという金属元素
- ラジウムという放射性元素
- カラジウムという植物
- パラジウムを触媒とするクロスカップリングを開発したことが彼らの受賞理由だった。
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