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どうも生きづらい貴方と僕と音楽と

2024-12

精神的凝り性=集中する=肩が凝る=体質的凝り性

 
 レコ3日目である昨日は、終わったあとに、プロデューサーのタカハシさん、デザイナーの諏訪間さん、作詞のinterfaceさんも加わって、みんなでステーキ食いに行きました。


 今日は、前夜が久しぶりの酒だったので、耳の調子も宜しくないということで、別件のリミックスにちょっと手をつけたりなんかしつつ、この所あんまり眠れていなかったので、ちょっとまったり休養入れてました。ディーラーから来た音楽アプリの新製品案内を読みながら物欲と戯れたり。

 最近のソフトは、なんていうかもう、簡単にそれっぽい音が出るものばかりになってきて、逆に「それっぽい」音楽なんて一昔前は個人で作るのはちょっと大変だったけど、今じゃ本当に簡単になっちゃって、作る時に払った労力が必ずしも受け手からの有り難がられ方に比例しないっていう状況は、音楽に限らずいろんな意味で正しいはずだなぁと感じる。




 なんだけど、そうすると、良いとされるものを作るにあたって、そんなに労力が必要無いっていうんじゃ、張り合いが無いのは確かだなぁ。僕みたく凝り性の人間にとって、今までは凝った分だけ分かりやすい完成度が得られて満足感も比例したはずが、今となっては簡単にソフトがそれなりの完成度を出しちゃうものだから、それでも結局なにかに凝らないと自分の作品になった気がしなくて、結果的に、良いとされる部分とあんまり関係ないであろう自己満足な部分を凝り続けることになっちゃって、

 凝ること、凝る内容自体が間違っているとは思わないけど、自分の作品にしたくて凝った結果が「作品のわかりやすい完成度」を阻害したかもしれないと思ったりなんかすると、なんだか不毛な気分になる。だって、もし凝らない方が客観的にいい結果が出るんだとしたら、それでも自分のために凝らざるを得ない側としては、なんだか宿命的にダメ出しされている気分になっちゃう。

 要するに凝っている時間が必要なんだな。その過程を経ないと自分の出した結果を客観的に信用出来ないっていうのが、凝り性の人間に多い精神構造なのかもしんない。




 なかなか気楽になれないという面倒くさい性格に辟易………する間もなく人生を過ごさなきゃならないっていうのが、時の流れの残酷さだなぁ、なんて思いもしつつ、今日という日も、もう終わりなのだなあ。


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