階段の昇り方
自分に、こういうところはあの人から学んだ、こういう部分は彼/彼女から学んだ、と言える部分があるというのは、実に嬉しい事だなあと思う。
その人と知り合ったのは良い事だった、と信じることができるこの喜びというのは、つまるところ、自分の人生におけるその人と接した時間は後悔の無い価値のあるものだったぞ、という、自分が選択した過去に対する安心感と満足感を少しでも得るための材料なのかも知れないなぁ。
僕の、プレス業者にギリギリの納入期限を図々しく要求する姿勢は、しまさんとたいしょさんから学んだものです。
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日常を戦う理由は、アイデンティティの確保のためであることにずっと変わりが無い。
けれど、
日常で戦う対象は、いつからか年を取るにつれ、「理想と自己実現」から「過去を無駄に過ごしてきたのではないかという恐怖感」になりつつあるような、気がする。
もしその故に! 作品に悩み、作品に喜び、
人への感謝を深くし、人間的成長を求め、
過去があっての自分を愛し、その自覚によって精神的足場を確保し、
自分に勝った気でいる、
そうやって優しく丸くなっていくのだとしたら、
嘘もいいところだ。
気を付けねばならない。
気を付けねばならない。
リアルに心胆震え上がるほどの、醜悪さである!