アルキビアデスは笛が嫌い
アルキビアデスは古代ギリシアのアテネの政治家である。
塩野七生「ギリシア人の物語」では、第2巻に登場する。それも何度も。
そのアルキビアデスをとりあげたのは、彼が笛が嫌いだったという話があるからだ。
「英雄伝」には次のように書かれている。
いろいろ理屈をつけて笛を貶めているわけだけれど、嫌いというのがまずあってそれを正当化しようとしたのだろう。
古代ギリシア人としてはピタゴラス及びその弟子も笛を嫌っていたという話がある。
ピタゴラスはピタゴラス音階の実験には弦楽器だけではなく笛も使ったというから、必ずしも笛をそれほど忌み嫌ったとも思えないのだけれど、パンフルートならいざしらず、普通の指孔がある笛の場合は、弦の場合の弦長と音高の関係のような綺麗なものばかりでなく、ハーモニクスによる音高の決定もあるから怪奇と感じたのかもしれない。
さて、アルキビアデスは笛が嫌い、と言う話をとりあげたのは、他でもないこの私も笛はあまり好きじゃなかったからである。
好きでなかった理由は、何と言っても自分の出す音があまりに貧弱だったから。そしてそれを正当化するように、フルートの音はアホっぽいとか言って、モーツァルトの協奏曲は第一がピアノ、次いでヴァイオリン、そしてクラリネットという具合で、フルート協奏曲はあまり聴いてこなかった。
そして今でも、ピアノやヴァイオリンの協奏曲のほうが好きではあるのだけれど、フルートもちゃんと練習するようになってから、フルートも悪くはないと考えるようになった。
フルートの音は、オーケストラでは最高音域を受け持つという言い方をしたり、高音が魅力的という人も、音楽の専門家の中ですらいるのだけれど、本当はフルートの魅力は低音にあると私は思う。そしてしっかり芯のある低音が出せることが私の目標である。もちろん第1オクターブの低音と、第3オクターブの高音をどちらもしっかりとした音で急速に行き来する演奏がカッコ良い。
モーツァルトの協奏曲では頻出するところである。(右:ニ長調 KV314)
これがしっかり鳴らせれば、フルートも悪くない。
アルキビアデスが「笛吹く人のゆがんだ口もとを見ると」と言っているけれど、フルートでは普通そういう姿にはならない。そうなるのはオーボエ族ではないかと思う。そういえばオーボエ奏者は演奏中、鼻の孔が丸見えになっていることが多い(とくに女性奏者)。欧米の演奏家は鼻が高いからかそこまでにはならないようだが。
ということでフルートが少しは好きになってきた私だが、フルートについて書くときはアルキビアデスの名前を借りるのもおもしろいと思う。
塩野七生「ギリシア人の物語」では、第2巻に登場する。それも何度も。
Wikipediaでも立項されているけれど、「ギリシア人の物語」ほどの分量はなく、軽い扱いになっている。
そのアルキビアデスをとりあげたのは、彼が笛が嫌いだったという話があるからだ。
この話、てっきり「ギリシア人の物語」にあったと思って、その電子書籍を何度も検索したが見つけられなかった。それもそのはず、私の記憶違いで、これはプルタルコスの「英雄伝(対比列伝)」にあった話である。
「英雄伝」には次のように書かれている。
また勉強に通う年頃になると、たいがいの先生の言うことはきちんと聞いていたが、ただ笛を吹くことだけは、くだらんし、とても自由人のやることじゃないといって練習をさけようとした。彼の言い分によると、たて琴とばちとをかきならしたところで、べつに自由人らしい見目かたちをぶちこわしたりはしないけれど、笛吹く人のゆがんだ口もとを見ると、親しいものたちにさえも顔の見分けがまるでつかなくなってしまう。おまけに、たて琴は、ひき手の言葉や歌にあわせられるが、笛は吹き手の口をとざし、ふさいで、声も言葉も出なくしてしまうからだ。さらに彼は、こうも言った、「テーベの子なら笛も吹け。あいつらはしゃべりかたを知らんのだから。だが、おいらアテナイのものには、親たちが言ってるみたいに、いや気さして笛なんぞはほうりすてた祖神アテナがいるし、笛吹きの皮をひっぱいじまった守り神アポロンもいるんだぞ」と。こんなことを、ふざけ半分、本気半分に言って笛を習うのをやめたばかりか、他の連中までも引きずりこんで、やめさせてしまった。それは、「アルキビアデスは笛を吹くのが大きらいで、そんなことを習っているものをひやかしている。えらいもんだな」という言葉がたちまち子供のあいだにひろまっていったからだ。
こうして、笛は、自由人の身につけるべき芸事からばったりと影を消し、まるっきり相手にされなくなってしまった。
こうして、笛は、自由人の身につけるべき芸事からばったりと影を消し、まるっきり相手にされなくなってしまった。
村川堅太郎編「プルタルコス英雄伝」(ちくま文庫) 安藤弘訳『アルキビアデス』
※アテナは笛(アウロス)を発明したが、彼女が笛を吹くと、顔が歪んでしまうことに気づき笛を捨てる。
その笛を拾ったのがサテュロスのマルシュアス。ただしこの笛はフルートではなくオーボエ族らしい。
※アポローンとマルシュアースの音楽合戦
※対比列伝でアルキビアデスに対するローマ人は、マルキウス・コリオラヌース
いろいろ理屈をつけて笛を貶めているわけだけれど、嫌いというのがまずあってそれを正当化しようとしたのだろう。
古代ギリシア人としてはピタゴラス及びその弟子も笛を嫌っていたという話がある。
ピタゴラスはピタゴラス音階の実験には弦楽器だけではなく笛も使ったというから、必ずしも笛をそれほど忌み嫌ったとも思えないのだけれど、パンフルートならいざしらず、普通の指孔がある笛の場合は、弦の場合の弦長と音高の関係のような綺麗なものばかりでなく、ハーモニクスによる音高の決定もあるから怪奇と感じたのかもしれない。
さて、アルキビアデスは笛が嫌い、と言う話をとりあげたのは、他でもないこの私も笛はあまり好きじゃなかったからである。
ただしギリシア神話でマルシアスが吹く笛はアウロスと呼ばれるもので、どうやらオーボエ族(ダブルリード)で、フルート族ではないようだ。アウロスというリコーダーメーカーもあるけれど。
好きでなかった理由は、何と言っても自分の出す音があまりに貧弱だったから。そしてそれを正当化するように、フルートの音はアホっぽいとか言って、モーツァルトの協奏曲は第一がピアノ、次いでヴァイオリン、そしてクラリネットという具合で、フルート協奏曲はあまり聴いてこなかった。
そして今でも、ピアノやヴァイオリンの協奏曲のほうが好きではあるのだけれど、フルートもちゃんと練習するようになってから、フルートも悪くはないと考えるようになった。
フルートの音は、オーケストラでは最高音域を受け持つという言い方をしたり、高音が魅力的という人も、音楽の専門家の中ですらいるのだけれど、本当はフルートの魅力は低音にあると私は思う。そしてしっかり芯のある低音が出せることが私の目標である。もちろん第1オクターブの低音と、第3オクターブの高音をどちらもしっかりとした音で急速に行き来する演奏がカッコ良い。
モーツァルトの協奏曲では頻出するところである。(右:ニ長調 KV314)
これがしっかり鳴らせれば、フルートも悪くない。
アルキビアデスが「笛吹く人のゆがんだ口もとを見ると」と言っているけれど、フルートでは普通そういう姿にはならない。そうなるのはオーボエ族ではないかと思う。そういえばオーボエ奏者は演奏中、鼻の孔が丸見えになっていることが多い(とくに女性奏者)。欧米の演奏家は鼻が高いからかそこまでにはならないようだが。
ということでフルートが少しは好きになってきた私だが、フルートについて書くときはアルキビアデスの名前を借りるのもおもしろいと思う。
アルキビアデスは絶世の美男子だったそうだから、そこは私とは違うのだけれど。