「ギリシア人の物語」(その2)
塩野七生「ギリシア人の物語」の2回目。
今日は、本書で私が最も注目し、そして嘆きたい気持ちになった、アテネの民主政とその凋落の様子から、思いを巡らせたことについて。
私は今は民主政が危機にあると考えている。(というか既に終焉したのかもしれない)
先日の安倍元首相銃撃事件を民主政の否定だと言う、薄っぺらい人たちがいるが、私はそれが民主政の否定と直結しているとは考えない。それはただの個人的恨みによる犯行にすぎないと思う。
それよりも、安倍政治が長期間続いたことのほうが民主政の危機というにふさわしいのではないか。
そして、その提案に歓呼して賛同するのは、党紀制約で縛られた与党議員であり、首相の弁論によって動かされた人たちというわけではない。はじめから勝敗はついているのである。
そして「ギリシア人の物語」である。
ペリクレスは党派を組んで市民の多数を押さえたわけではない。もちろん有力者との協力関係はあり、多数を握る自信は持っていたに違いないのだが、ペリクレスへの反対者が多い中、それでも最後は賛成に変えるのは、弁論の力であった。
塩野氏は民主政を絶対的に信奉しているわけではなさそうである。であるけれど、民主政が機能するためには、リーダーに恵まれることが条件であるとの見解は間違っていないと思う。であれば、英明な君主に恵まれた場合の王政でも同じではないかということになりそうだが、実はそうではない。優れたリーダーの提案に対して、責任をもって賛意を示し、外敵に対して立ち向かい、結果として挙国一致という強い国力を生み出すのは、民主政だからなのだという。挙国一致は全体主義が実現するわけではない。民主政が実現するものなのだ。
そういえば、旧日本軍は、民主国家の米国は国内世論が統一できないから弱いと考えたという話があるが、本当ならあまりに無知な人たちだったということになる。
そしてその力でアテネを中心とするギリシアが、強大なペルシアを斥けることにも成功し、アテネがギリシア世界の覇権を握ったのだ。
もちろん軍事技術という面ではスパルタも勝利に寄与したのだが、勝利者としてギリシア世界に君臨したのは民主国家アテネであった。
民主国家に価値をおくのは、こうした国家運営を可能とする唯一の政体だと信ずるからなのだ。
だが西欧民主主義者が理想とした古代ギリシアの民主政は、わずかな期間で終焉してしまう。
もっとも民主政の盛期とは、ペリクレス時代であって、「外観は民主政だが、内実はただ一人(ペリクレス)が支配する国」といわれた時代である。だが、この評価は、たしかにそのとおりだと思うけれど、ペリクレスに率いられた市民は愚民ではなかった。だから民主政が機能し、強大なペルシアを斥けることができた。
藤井達夫「代表制民主主義はなぜ失敗したのか」では、そもそも民主政の起源は、専制の排除であるという。
その意味では、アテネとスパルタというおよそ体制としては真逆に見える2つの国だが、どちらも専制の排除を行う体制のようだ。
専制排除ということでは、むしろスパルタのほうが徹底しているように見える。アテネは「外観は民主政だが、内実はただ一人(ペリクレス)が支配する国」だが、スパルタは徹底した全体主義的な印象があるが、国王は軍事指揮権はあるが、交戦権は持たないのである。戦争をするかどうかは、市民集会で決まるわけだが、さらに国王が「正しく」戦争をしているかは、毎年市民集会で選出されるエフォロスが常に監視する。エフォロスは1年任期で再任はないとのことで、軍事の素人である。もちろんスパルタ人だから、戦士としては鍛え上げられているかもしれないが、指揮官としての力量は高いとは限らず、そのため軍を率いる王は、思うような采配を振るうことができないということが起こるという。著者はそのことを何度も書いて嘆いている。
アテネとスパルタの違いの最大は、開放的か閉鎖的ということだろう。アテネもアテネ人の子供でなければアテネ人として認めない(市民権を与えない)点は同じにしても、国内で他国人が活動することなどは自由だったそうだ。
対してスパルタは、市民はごく限られていて、奴隷たちとは隔絶した世界だったようだ。
そしてスパルタの男が一人前になるための通過儀礼では、その奴隷(ヘロット)の首を持ってくることが決まりだったいう。これでは支配者(市民階級)へのシンパシーなど生まれようがないだろう。驚きの社会だ。
スパルタも最終決定権は市民が持つという点では、民主政と言えるのかもしれない。王は通常2人いて、軍事指揮権を持つが、政治決定には力がない。外交交渉もエフォロスが行うというから、和平条約もエフォロスが結ぶのだろう。そして戦争の機微をわきまえない決定がなされることになる。
ところがペロポネソス戦争で最終的に勝利したのはスパルタなのだから話がややこしい。このとき既にアテネは民主政が衆愚政に変質していたことが一因だというのが、本書の診立てである。
民主政をきちんと機能させるための知恵と、失敗させる愚行の両方が、ギリシアにはある。
今日は、本書で私が最も注目し、そして嘆きたい気持ちになった、アテネの民主政とその凋落の様子から、思いを巡らせたことについて。
私は今は民主政が危機にあると考えている。(というか既に終焉したのかもしれない)
先日の安倍元首相銃撃事件を民主政の否定だと言う、薄っぺらい人たちがいるが、私はそれが民主政の否定と直結しているとは考えない。それはただの個人的恨みによる犯行にすぎないと思う。
それよりも、安倍政治が長期間続いたことのほうが民主政の危機というにふさわしいのではないか。
安倍晋三氏がペリクレスに匹敵するならともかくだが。
そして、その提案に歓呼して賛同するのは、党紀制約で縛られた与党議員であり、首相の弁論によって動かされた人たちというわけではない。はじめから勝敗はついているのである。
Ⅰ 民主政のはじまり |
読者への手紙 | |
第一章 ギリシア人て、誰? | |
オリンピック /神々の世界 /海外雄飛 | |
第二章 それぞれの国づくり | |
スパルターリクルゴス「憲法」 /アテネーソロンの改革 /アテネーペイシストラトスの時代 /クーデター /アテネークレイステネスの改革 /陶片追放 /「棄権」は? そして「少数意見の尊重」は? | |
第三章 侵略者ペルシアに抗して | |
ペルシア帝国 /第一次ペルシア戦役 /マラトン /第一次と第二次の間の十年間 /政敵排除 /戦争前夜 /テルモピュレー /強制疎開 /サラミスへ /海戦サラミス /陸戦プラタイア /エーゲ海、再びギリシア人の海に | |
第四章 ペルシア戦役以降 | |
アテネ・ピレウス一体化 /スパルタの若き将軍 /デロス同盟 /英雄たちのその後 | |
年表 | |
図版出典一覧 |
Ⅱ 民主政の成熟と崩壊 |
第一部 ペリクレス時代 | |
(紀元前四六一年から四二九年までの三十三年間) | |
―現代からは、「民主政」(デモクラツィア) が、最も良く機能していたとされている時代― | |
前期 | |
(紀元前四六一年から四五一年までの十一年間) | |
ライヴァル・キモン /宿敵スパルタ /三十代のペリクレス /連続当選 /武器は言語 /若き権力者たち /ペリクレスの演説 /地盤固め /究極の「デモクラツィア」 /キモン、帰る /ライヴァル、退場 | |
後期 | |
(紀元前四五〇年から四二九年までの二十二年間) | |
脱皮するペリクレス /「カリアスの平和」 /パルテノン /アテネの労働者階級 /「ペロポネソス同盟」と「デロス同盟」 /「ギリシアの今後の平和を討議する会議 /スパルタとアテネの棲み分け /愛する人アスパシア /変化する「デロス同盟」 /新市場開拓 /サモス島事件 /エーゲ海の北側 /戦争は辺境から /拡散する戦線 /「戦争」という魔物 /それぞれの国の慎重 /「ペロポネソス戦役」 /テーベ、動く /「戦役」の最初の年 /ペリクレスの開戦演説 /真意はどこに? /戦没者追悼演説 /疫病の大流行 /弹劾 /久々の勝利 /死 | |
第二部 ペリクレス以後 | |
(紀元前四二九年から四〇四年までの二十六年間) | |
―「衆愚政」(デマゴジア) と呼ばれ、 現代からは「民主政」が機能していなかったとされている時代― | |
前期 | |
(紀元前四二九年から四一三年までの十七年間) | |
なぜ衆愚政に? /扇動者デマゴーグクレオン /スパルタの出方 /レスポス問題 /エスカレートする残酷 /スパルタの敗北 /アウトサイダー登用の始まり /戦線拡大 /歴史家の誕生 /スパルタからの申し出 /「ニキアスの平和」 /ギリシア人にとっての「平和」 /若き指導者の登場 /ソクラテス /青年政治家アルキビアデス /「四ヵ国同盟」 /「マンティネアの会戦」 /〝オリンピック〟表彰台独占 /プラトンの『饗宴』 /メロス問題 /シチリア遠征 /ヘルメス神像首斬り事件 /出陣 /出頭命令 /シラクサ /「シラクサ攻防戦」 /アルキビアデス、スパルタに /再び、アウトサイダー /助っ人到着 /ニキアス一人 /ニキアス、「おうち」に手紙を書く /増援軍の派遣 /攻防の二年目 /一度目の海戦 /二度目の海戦 /增援軍到着 /月蝕 /三度目の海戦 /最後の海戦 /脱出行 /終焉 | |
後期 | |
(紀元前四一二年から四〇四年までの九年間) | |
禍を知って /再起 /エーゲ海の東 /再び、 アルキビアデス /政局不安 /海将アルキビアデス /新税という失策 /「トリエラルコン」 /連戦連勝 /再び民主政に /「愛した、憎んだ、それでも求めた」 /リサンドロス /アルキビアデス、失脚 /司令官たちの死刑 /たった一度の海での敗北 /アルキビアデス、暗殺 /引揚げ者たち /無条件降伏 | |
年表 | |
図版出典一覧 |
Ⅲ 新しき力 |
第一部 都市国家ギリシアの終焉 | |
第一章 アテネの凋落 | |
自信の喪失 /人材の流出 /ソクラテス裁判 | |
第二章 脱皮できないスパルタ | |
勝者の内実 /格差の固定化 /護書一筋 /市民兵が傭兵に /スパルタ・ブランド /ギリシアをペルシアに売り渡す | |
第三章 テーベの限界 | |
テーベの二人 /打倒スパルタ /少数精鋭の限界 /全ギリシア・二分 /そして、誰もいなくなった | |
第二部 新しき力 | |
第一章 父・フィリッポス | |
神々に背を向けられて /脱皮するマケドニア /新生マケドニア軍 /近標対策 /経済の向上 /オリンポスの南へ /「憂国の士」 デモステネス /ギリシアの覇者に /父親の、息子への罰の与え方 /離婚・再婚 /暗殺 | |
第二章 息子・アレクサンドロス | |
生涯の書 /生涯の友 /命を託す馬 /スパル夕教育 /師・アリストテレス /初陣 /二十歳で王に /東征 /その内実 /アジアへの第一歩 /「グラニコスの会戦」 /勝利の活用 /「ゴルディオンの結び目」 /イッソスへの道 /行きちがい /「イッソスの会戦」 /「シーレーン」の確立 /ティロス攻防戦 /エジプト領有 /「ガウガメラ」への道 /大河ユーフラテス、そしてティグリス /「ガウガメラの会戦」 /「ダイヤの切っ先」 /バビロン、スーザ、そしてペルセポリス /スパルタの最終的な退場 /中央アジアへ /人より先に進む者の悲劇 /東征再開 /ゲリラ戦の苦労 /インドへの道 /最後の大会戦「ヒタスペス」 /従軍を拒否されて /インダス河 /未知の地への探検行 /敗者同化とそれによる民族融和の夢 /アレクサンドロス、怒る /心の友の死 /西征を夢見ながら /最後の別れ | |
第三章 ヘレニズム世界 | |
「より憧れた者に」 /後継者争い /アレクサンドロスが遺したもの | |
十七歳の夏 ―読者に | |
参考文献 | |
図版出典一覧 |
ペリクレスは党派を組んで市民の多数を押さえたわけではない。もちろん有力者との協力関係はあり、多数を握る自信は持っていたに違いないのだが、ペリクレスへの反対者が多い中、それでも最後は賛成に変えるのは、弁論の力であった。
塩野氏は民主政を絶対的に信奉しているわけではなさそうである。であるけれど、民主政が機能するためには、リーダーに恵まれることが条件であるとの見解は間違っていないと思う。であれば、英明な君主に恵まれた場合の王政でも同じではないかということになりそうだが、実はそうではない。優れたリーダーの提案に対して、責任をもって賛意を示し、外敵に対して立ち向かい、結果として挙国一致という強い国力を生み出すのは、民主政だからなのだという。挙国一致は全体主義が実現するわけではない。民主政が実現するものなのだ。
そういえば、旧日本軍は、民主国家の米国は国内世論が統一できないから弱いと考えたという話があるが、本当ならあまりに無知な人たちだったということになる。
そしてその力でアテネを中心とするギリシアが、強大なペルシアを斥けることにも成功し、アテネがギリシア世界の覇権を握ったのだ。
もちろん軍事技術という面ではスパルタも勝利に寄与したのだが、勝利者としてギリシア世界に君臨したのは民主国家アテネであった。
民主国家に価値をおくのは、こうした国家運営を可能とする唯一の政体だと信ずるからなのだ。
だが西欧民主主義者が理想とした古代ギリシアの民主政は、わずかな期間で終焉してしまう。
もっとも民主政の盛期とは、ペリクレス時代であって、「外観は民主政だが、内実はただ一人(ペリクレス)が支配する国」といわれた時代である。だが、この評価は、たしかにそのとおりだと思うけれど、ペリクレスに率いられた市民は愚民ではなかった。だから民主政が機能し、強大なペルシアを斥けることができた。
藤井達夫「代表制民主主義はなぜ失敗したのか」では、そもそも民主政の起源は、専制の排除であるという。
その意味では、アテネとスパルタというおよそ体制としては真逆に見える2つの国だが、どちらも専制の排除を行う体制のようだ。
専制排除ということでは、むしろスパルタのほうが徹底しているように見える。アテネは「外観は民主政だが、内実はただ一人(ペリクレス)が支配する国」だが、スパルタは徹底した全体主義的な印象があるが、国王は軍事指揮権はあるが、交戦権は持たないのである。戦争をするかどうかは、市民集会で決まるわけだが、さらに国王が「正しく」戦争をしているかは、毎年市民集会で選出されるエフォロスが常に監視する。エフォロスは1年任期で再任はないとのことで、軍事の素人である。もちろんスパルタ人だから、戦士としては鍛え上げられているかもしれないが、指揮官としての力量は高いとは限らず、そのため軍を率いる王は、思うような采配を振るうことができないということが起こるという。著者はそのことを何度も書いて嘆いている。
アテネとスパルタの違いの最大は、開放的か閉鎖的ということだろう。アテネもアテネ人の子供でなければアテネ人として認めない(市民権を与えない)点は同じにしても、国内で他国人が活動することなどは自由だったそうだ。
対してスパルタは、市民はごく限られていて、奴隷たちとは隔絶した世界だったようだ。
そしてスパルタの男が一人前になるための通過儀礼では、その奴隷(ヘロット)の首を持ってくることが決まりだったいう。これでは支配者(市民階級)へのシンパシーなど生まれようがないだろう。驚きの社会だ。
スパルタも最終決定権は市民が持つという点では、民主政と言えるのかもしれない。王は通常2人いて、軍事指揮権を持つが、政治決定には力がない。外交交渉もエフォロスが行うというから、和平条約もエフォロスが結ぶのだろう。そして戦争の機微をわきまえない決定がなされることになる。
ところがペロポネソス戦争で最終的に勝利したのはスパルタなのだから話がややこしい。このとき既にアテネは民主政が衆愚政に変質していたことが一因だというのが、本書の診立てである。
民主政をきちんと機能させるための知恵と、失敗させる愚行の両方が、ギリシアにはある。