アナニアシヴィリのこと(その2)
等速運動(青)と等加速度運動(赤) |
短いカットはそれほど山ほどあり、同じシーンをいろんなダンサーを比較できるように編集された動画も多い。
昨日の記事では、アナニアシヴィリがオデットとオディールを完全に分けて、清純なオデット、妖艶なオディールを演じていると、情緒的なことを書いているけれど、すべてのダンサーはそれぞれの演じ分けに努力していることだろう。
であるけれど、私にはアナニアシヴィリの演技を見ていると、その表現レベルが群を抜いて高いように思う。
他のダンサーの動きを見ていると、たしかにポーズとしてはアナニアシヴィリ同様に決まっているのだけれど、動きとしての明確さで劣るように思う。それが顕著に表れるのが決めのポーズへの入りだろう。
等速運動(青)と等加速度運動(赤) |
試しにアナニアシヴィリの動きに促されるように手を叩いてみたら彼女に指揮されている気分。
この感覚は何から起こるのだろうと考えて、昔聴いた話を思い出した。
それは、オーケストラの指揮の基本は、指揮棒の動きが自由落下とその反発となるということ。
指揮棒を上から振り下ろすとき、拍の頭が棒が落ち切ったところになるが、その間の運動を自由落下を模したものにすることで、拍の頭が明確になる。そして落ち切ったところからはボールが反発して上がるように自由落下を逆にした動きにする。
言い換えれば、(等)加速度運動である。
それでアナニアシヴィリの腕や足、あるいは頸や体の動きに注目すると、彼女の動きは随所でそういう加速度運動に見える。もちろん静謐な動きのときは加速度はゼロになるのだけれど、オディールがジークフリートを誘惑するシーンでは、この加速度運動が、踊りに素晴らしいメリハリをもたらしているのではないだろうか。
そういう仮説をもってあらためていろんな人のオデット、オディールを見ると、ザハロワなど一流どころはやはり加速度を感じさせる動きだと思った。しかし、他のダンサーは決めのポーズの直前で、ポーズを決めるためだろうか、減速するように思う。
対してアナニアシヴィリは加速の頂点でポーズが決まる。他のダンサーのポーズはスラっと決まるが、アナニアシヴィリはビシっと決めるという感じになる。
もちろんすべてのポーズがそうではなくて、シーンで使い分けている。それだけ表現の幅が広い。
惚れた弱みかもしれないが、アナニアシヴィリの加速は全く自然に行われているように見える。全身が表現する意思に満ちている。加速度運動というのは、最後に最高速となり、そこでピタッとポーズが決まるから、その勢いも得て、手足が見事に、そして自然に伸びきる。鍛え上げられた体幹、四肢があるからできることではないだろうか。
加速度を感じるというのは力を感じることである。ニュートンを待つまでもなく、素朴物理学でも物の動きが加速するところには何らかの力が働いていると感じる。アナニアシヴィリはその力を見事に表現する。
蛇足中の蛇足だが、どこでもそういう動きをしているわけではない。白鳥が翼を上下するときにはむしろ空気(抵抗)を感じさせる動きが表現されている。
まぁ、古希を超えてようやくバレエに魅力を感じられるようになったド素人爺イの勝手な分析だけれど。