都会の菜の花 2023
去年も書いたが、職場の近く、梅田芸術劇場前に菜の花が咲いている。
去年は気づかなかったのだけれど、菜の花の中に、ステンレス製とおぼしき句碑が置かれている。
菜の花や月は東に日は西に
蕪村
写真を撮ったのは昼休み。この句は、月が東日が西にあるから夕景なので、句が描く景色とは随分違う。
与謝蕪村という俳人は、江戸中期の人だが、なんでも正岡子規が称揚したことで、明治になってから評価が高まったらしい。子規が芭蕉を批判し、それに対置する俳人として蕪村をもちあげたとか。
芭蕉の句は、写生ではないと嵐山光三郎「超訳 芭蕉百句」が指摘している。情景を描いているようで、実は古典を下敷きにしていたり、「作り話」であったりするという。
蕪村のほうは、そのまま一幅の絵という風情だといわれる。
芭蕉の句は詠み人の意図を汲んで深く鑑賞することが必要かもしれないが、蕪村は、その句を読む人が、そこからどう感じるのかが大事ということかもしれない。
去年は気づかなかったのだけれど、菜の花の中に、ステンレス製とおぼしき句碑が置かれている。
菜の花や月は東に日は西に
蕪村
写真を撮ったのは昼休み。この句は、月が東日が西にあるから夕景なので、句が描く景色とは随分違う。
そもそも都会の中で、東も西もビルが立ち並び、上がる月(満月だろう)も、沈む夕陽も見えない。
与謝蕪村という俳人は、江戸中期の人だが、なんでも正岡子規が称揚したことで、明治になってから評価が高まったらしい。子規が芭蕉を批判し、それに対置する俳人として蕪村をもちあげたとか。
芭蕉の句は、写生ではないと嵐山光三郎「超訳 芭蕉百句」が指摘している。情景を描いているようで、実は古典を下敷きにしていたり、「作り話」であったりするという。
蕪村のほうは、そのまま一幅の絵という風情だといわれる。
芭蕉の句は詠み人の意図を汲んで深く鑑賞することが必要かもしれないが、蕪村は、その句を読む人が、そこからどう感じるのかが大事ということかもしれない。