「ギリシア人の物語」(その3)

9149G8er6wL.jpg 塩野七生「ギリシア人の物語」の3回目。

この本については、全3巻を通じて思ったことを書くつもりで、1記事のつもりだったが、今までの記事は、まず「ギリシア人とは?」についてで、次は民主政についてだった。それぞれ全3巻の第1巻、第2巻に対応している。
ということで、3巻に対応して3つめの記事になった。

第3巻は都市国家ギリシアの終焉と、その後の絶対的なリーダーとして全キリシア及びインドまでのオリエント社会を支配したアレクサンドロスⅢ(大王)の話である。

まず都市国家ギリシアの終焉だが、アテネはすぐれたリーダー亡きあとは、デマゴーグの世界になる。

すぐれたリーダーがいたかどうかはともかく、まだ民主的な政治運営がなされていた日本で、それが崩れたときにあらわれたのは、枝葉末節の不具合を針小棒大に言い立てるポピュリズムである。どうしていつの時代、どこの国でもこうなるんだろう。
Ⅰ 民主政のはじまり
読者への手紙
 
第一章 ギリシア人て、誰?
オリンピック /神々の世界 /海外雄飛
 
第二章 それぞれの国づくり
スパルターリクルゴス「憲法」 /アテネーソロンの改革 /アテネーペイシストラトスの時代 /クーデター /アテネークレイステネスの改革 /陶片追放 /「棄権」は? そして「少数意見の尊重」は?
 
第三章 侵略者ペルシアに抗して
ペルシア帝国 /第一次ペルシア戦役 /マラトン /第一次と第二次の間の十年間 /政敵排除 /戦争前夜 /テルモピュレー /強制疎開 /サラミスへ /海戦サラミス /陸戦プラタイア /エーゲ海、再びギリシア人の海に
 
第四章 ペルシア戦役以降
アテネ・ピレウス一体化 /スパルタの若き将軍 /デロス同盟 /英雄たちのその後
 
年表
図版出典一覧
Ⅱ 民主政の成熟と崩壊
第一部 ペリクレス時代
(紀元前四六一年から四二九年までの三十三年間)
―現代からは、「民主政」(デモクラツィア) が、最も良く機能していたとされている時代―
前期
(紀元前四六一年から四五一年までの十一年間)
ライヴァル・キモン /宿敵スパルタ /三十代のペリクレス /連続当選 /武器は言語 /若き権力者たち /ペリクレスの演説 /地盤固め /究極の「デモクラツィア」 /キモン、帰る /ライヴァル、退場
 
後期
(紀元前四五〇年から四二九年までの二十二年間)
脱皮するペリクレス /「カリアスの平和」 /パルテノン /アテネの労働者階級 /「ペロポネソス同盟」と「デロス同盟」 /「ギリシアの今後の平和を討議する会議 /スパルタとアテネの棲み分け /愛する人アスパシア /変化する「デロス同盟」 /新市場開拓 /サモス島事件 /エーゲ海の北側 /戦争は辺境から /拡散する戦線 /「戦争」という魔物 /それぞれの国の慎重 /「ペロポネソス戦役」 /テーベ、動く /「戦役」の最初の年 /ペリクレスの開戦演説 /真意はどこに? /戦没者追悼演説 /疫病の大流行 /弹劾 /久々の勝利 /死
 
第二部 ペリクレス以後
(紀元前四二九年から四〇四年までの二十六年間)
―「衆愚政」(デマゴジア) と呼ばれ、 現代からは「民主政」が機能していなかったとされている時代―
前期
(紀元前四二九年から四一三年までの十七年間)
なぜ衆愚政に? /扇動者デマゴーグクレオン /スパルタの出方 /レスポス問題 /エスカレートする残酷 /スパルタの敗北 /アウトサイダー登用の始まり /戦線拡大 /歴史家の誕生 /スパルタからの申し出 /「ニキアスの平和」 /ギリシア人にとっての「平和」 /若き指導者の登場 /ソクラテス /青年政治家アルキビアデス /「四ヵ国同盟」 /「マンティネアの会戦」 /〝オリンピック〟表彰台独占 /プラトンの『饗宴』 /メロス問題 /シチリア遠征 /ヘルメス神像首斬り事件 /出陣 /出頭命令 /シラクサ /「シラクサ攻防戦」 /アルキビアデス、スパルタに /再び、アウトサイダー /助っ人到着 /ニキアス一人 /ニキアス、「おうち」に手紙を書く /増援軍の派遣 /攻防の二年目 /一度目の海戦 /二度目の海戦 /增援軍到着 /月蝕 /三度目の海戦 /最後の海戦 /脱出行 /終焉
 
後期
(紀元前四一二年から四〇四年までの九年間)
禍を知って /再起 /エーゲ海の東 /再び、 アルキビアデス /政局不安 /海将アルキビアデス /新税という失策 /「トリエラルコン」 /連戦連勝 /再び民主政に /「愛した、憎んだ、それでも求めた」 /リサンドロス /アルキビアデス、失脚 /司令官たちの死刑 /たった一度の海での敗北 /アルキビアデス、暗殺 /引揚げ者たち /無条件降伏
 
年表
図版出典一覧
Ⅲ 新しき力
第一部 都市国家ギリシアの終焉
第一章 アテネの凋落
自信の喪失 /人材の流出 /ソクラテス裁判
 
第二章 脱皮できないスパルタ
勝者の内実 /格差の固定化 /護書一筋 /市民兵が傭兵に /スパルタ・ブランド /ギリシアをペルシアに売り渡す
 
第三章 テーベの限界
テーベの二人 /打倒スパルタ /少数精鋭の限界 /全ギリシア・二分 /そして、誰もいなくなった
 
第二部 新しき力
第一章 父・フィリッポス
神々に背を向けられて /脱皮するマケドニア /新生マケドニア軍 /近標対策 /経済の向上 /オリンポスの南へ /「憂国の士」 デモステネス /ギリシアの覇者に /父親の、息子への罰の与え方 /離婚・再婚 /暗殺
 
第二章 息子・アレクサンドロス
生涯の書 /生涯の友 /命を託す馬 /スパル夕教育 /師・アリストテレス /初陣 /二十歳で王に /東征 /その内実 /アジアへの第一歩 /「グラニコスの会戦」 /勝利の活用 /「ゴルディオンの結び目」 /イッソスへの道 /行きちがい /「イッソスの会戦」 /「シーレーン」の確立 /ティロス攻防戦 /エジプト領有 /「ガウガメラ」への道 /大河ユーフラテス、そしてティグリス /「ガウガメラの会戦」 /「ダイヤの切っ先」 /バビロン、スーザ、そしてペルセポリス /スパルタの最終的な退場 /中央アジアへ /人より先に進む者の悲劇 /東征再開 /ゲリラ戦の苦労 /インドへの道 /最後の大会戦「ヒタスペス」 /従軍を拒否されて /インダス河 /未知の地への探検行 /敗者同化とそれによる民族融和の夢 /アレクサンドロス、怒る /心の友の死 /西征を夢見ながら /最後の別れ
 
第三章 ヘレニズム世界
「より憧れた者に」 /後継者争い /アレクサンドロスが遺したもの
 
十七歳の夏 ―読者に
 
参考文献
図版出典一覧
また、無思慮な民衆がリーダーの地位にある人を弱気だなどと責め、責められた側が民主主義の所為にして、民衆迎合的な政策を実施するという構図もあるだろう。ポピュリストと民衆の共振現象というようなものか。

そのくせそうやってリーダーを追い詰めた自分たちのことは忘れて、リーダーにだまされた、あいつが悪い、自分たちは被害者だという。為政者側の情報操作もあるけど。


そしてスパルタは閉鎖社会の弊害が如実に表れ、市民階級でない者が戦争遂行の主体になっていく。リュクルゴスの「憲法」を頑なに守った結果、形式的にはスパルタの体制は維持されるものの、タテマエと実際が食い違った状態が続く。

そもそもギリシア世界というのは、多くの都市国家がお互いに小競り合いを繰り返してきたところだそうで、ギリシア人以外から見れば、内輪もめばかりしている連中となるのだそうだ。
そしてペロポネソス戦争で、勝者はスパルタであるものの、閉鎖社会のスパルタにはギリシア全体を背負う能力はなく、ギリシア都市国家は一蓮托生で衰退していくのである。
そして、アテネの繁栄時には豊かな経済活動をしていたギリシア人は、食いはぐれて他国の傭兵として生きる人が多くあらわれてくる。

さて、そんなギリシア世界で、次に覇権を握ったのは、言うまでもなくアレクサンドロスのマケドニアである。

私はマケドニアはギリシアとは別の国というイメージを持っていたが、本書によると、マケドニアの人はギリシア語(マケドニア訛り)を話し、ギリシア神話の神々を信仰する人たちであり、やはりギリシア人である。
ただし都市国家が集まる地域はオリュンポスの南側、マケドニアは北側にあり、ひょっとしたら神々が臨む人間界は、オリュンポスの南側だったのかもしれない。


マケドニアは王政の国だから、他のギリシア人の国とは異なる。しかし、王は、王の血統だからということでなれるものではなかったのだという。有力武将たちが認めた者でなければ王にはなれなかったという。このあたりは王政のマケドニアであっても、民主的なところがあった、やはりギリシア人の国だったということらしい。
もちろんアレクサンドロスの即位は、それ以前のあざやかな戦いぶりからも反対者はいなかったようだ。

マケドニアからインドまで行ったわけだが、そこで遠征を終了したのは、兵士たちの反抗によるものらしい。そりゃそうだろう、何年も、故国から離れていては、里心もつこうというものだし、何のために戦っているのかもわからなくなるだろう。アレクサンドロスは探求心の塊で、どこまでもいくつもりだっただろうけど。
それでもアレクサンドロスを恨んでの反抗ではなかったようだ。国へ戻ると聞いて彼らは喜んで従うのだから。アレクサンドロスは帰り道も探求の連続のようだが。

アレクサンドロスの事績は良く知られているから書かないが、本書はその戦いぶりが臨場感たっぷりに描いている。「ローマ人の物語」でも、ハンニンバルやスキピオ・アフリカヌスの戦いぶりは生き生きと描かれていた。筆がのるというのはこういうことかもしれない。

ただ一つ驚いたことを書いておくと、アレクサンドロスが戦ったペルシアには、ギリシア人傭兵が多くいたという。アレクサンドロスはギリシアの都市国家の総意として、ペルシア侵攻を担うリーダーとなっていて、アレクサンドロスへ歯向かうことはギリシアに歯向かうこととされていたから、傭兵として敵として戦ったギリシア人は故国へ帰れば犯罪者となる。

スパルタはこの盟約に参加していなかったから、スパルタ人傭兵は故国へ帰れたらしい。

こうしてアレクサンドロスの敵として戦ったギリシア人はどんな気持ちだったのだろう。

インドにまでいたる広大な地域を手に入れたアレクサンドロスだが、兵站についても周到に用意し、本国からの補給は完璧になされていたという。征服した地域には拠点都市(アレクサンドリア)を築いていくが、そこの守りにもきちんと兵力をあてている。しかしそれが大きくなればなるほど、本国の人口では賄うのは難しいだろう。それもあってか、軍事以外はペルシア人など現地人に任せているそうだ。

アレクサンドロスは要所はギリシア人でおさえるが、だからといって被征服者を低くみることはなかったようだ。アレクサンドロス自身はペルシアの女性を(現地)妻に迎えているし、部下の将兵にもペルシアの女性と結婚させている。1万人のマケドニア将兵と1万人のペルシアの娘たちとの合同結婚式を挙げたのだそうだ。(統一教会のそれと似たような景色だったのだろうか)

アレクサンドロスの早すぎる死によって、大王国が継承されなかったということは、私などは残念な思いがする。もしもう少しアレクサンドロスが長生きし、マケドニア帝国がきちんと組織されていたら、その後の世界はどうなっただろうか。マケドニアの人口規模とアレクサンドロス以外のギリシア人は、他民族への市民権を認めたがらなかったことからすると、おそらく帝国はそう長続きしなかったのではないかと思う。

同じように広大な版図を持ったジンギスカンのモンゴルがやはり一つの帝国としては長続きせず、いくつかのハン国に分裂したように、やはりプトレマイオス朝エジプトやセレウコス朝ができた。


そういう少々残念な気持ちがある一方、著者の指摘はさすがだと思う。すなわち、大帝国が維持されなくても、ヘレニズム文化は世界に定着した。
ミロのビーナスもサモトラケのニケも、どちらもヘレニズム期の作である。

どちらも美しい女性像だが、どちらも力強い、堂々たる体躯の女性だと思う。竹内久美子「ウエストがくびれた女は、男心をお見通し」の基準には合わないのではないだろうか。


アレクサンドロスの帝国は、むしろ解体されることで、より自由なヘレニズム文化が生まれた、そういうことがあるのかもしれない。

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