終戦記念日2022

今日は太平洋戦争の終戦記念日。

例年のことだが、この時期には、その戦争にまつわる特別番組が多く放送される。
そして近年の傾向ではないかと思うのだけれど、国民がこの戦争にどう関わったのかを、酷い目にあったという被害者の視点ではなく、戦争に加担したという視点が多くなってきているように思う。

EP3MXWPV4B-eyecatch_0a4c0c6c40fab59a733a499162dc6946.jpg その一つとして、「そして、学徒は戦場へ」というのがあった。
この番組では、徴兵猶予措置を受けていた大学生たちに対し、一般国民から特権階級的に見られ、学生も戦場へいかせろという声が大きくなったことがとりあげられていた。

番組に対する評価は措いて、こうした国民がヒステリックに「いい思いをしている輩」を糾弾する話は今までも聞いてきた。
こういう国民感情が起こるのは、為政者による情報操作や世論誘導があったことは否めないと思うが、だからといって国民に責任なしとは言えないだろう。それに協力したマスコミはもちろんである。

戦前の日本国にも議会はあったし、選挙もあったけれど、民主政とはいいがたい。今でも、多くの専制国家は、「正当に」選挙で選ばれた支配者が専制政治を行っている。
究極的には、国民が選んだリーダーなのだから、リーダーの悪政は国民の選択だということにもなるのかもしれないけれど。

一方、仮に良心的で熟慮のできるリーダーであったとしても、国民世論に抗うことができる強さがある人はまれである。むしろ世論に抗うリーダーは「民主的でない」と批判されるに違いない。

あるいは情報操作で国民を扇動した結果、その国民を統御できなくなってしまうということもあるだろう。ポピュリズムの陥穽とでも言おうか。

終戦記念日は、国民一人一人が民主政における主権者の責任を考える日なのかもしれない。

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