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2011/04/18(月) 16:08 大鬼
■ 権力者たちの案:札束で事態収拾図ってまた原発推進?

権力者たちから、賠償がらみで、原発と東電の存続を前提にしたゴミのような案がいっぱい出てきた。

まず政府内にある東京電力分社化案。これは巨額の損失を抱え込む原発部門だけを一時東電本体から切り離して、一時的に国営にして税金で尻ぬぐいさせて黒字にしてから電力会社にお返しする、というもの。

次に財界の東電責任なし・政府は金だけ払え論。日本経団連の米倉弘昌(住友化学代表取締役会長)は、今回の原発災害は想定外の天災によるものだから東電に賠償責任はなく、政府=納税者が責任を負うべきで、国有化など問題外、何より株価や原子力産業を守ることが大事だと言っている(ちなみに住友グループといえば茨城県東海村の臨界事故で賠償責任を負ったJCOの親会社が住友金属だ)。

東電以外の電力会社(ただし原発メーカーや出資銀行は入っていない)による「共済制度」を作って共同で賠償金の一部を支払わせる案も急浮上してきた。もっとも、東電はまるまる存続させて利益を認めて、その利益からいくらか出させるというわけだ。

これら案に共通する特徴は、第一に東京電力という重犯罪企業を今後も存続させようとしていること、第二に被曝の被害に遭っている人々の声よりも誰が金を払うかということに関心が集中していること、第三に原発推進というエネルギー政策の基本を見直すといった大局的な視角=反省の欠如である。原発の停止・廃棄の方向性は議論すらされず、耐震基準を見直すだとか電気系統を補強するといった、ちょっと「想定」を変えてみました的なごまかしでまた安全神話を作り、あくまで原発にしがみつくつもりのようだ。ふざけているのか。そんなに短期的な利益が欲しいのか。民主党も自民党も財界も、こんな連中に決定を委ねていては次の浜岡原発大災害=首都圏放棄へとまっしぐらだ。

■ 再生可能自然エネルギー社会と抵抗勢力

チェルノブイリ級の大惨事を現実に引き起こして多大な被害を与えていること、放射能の被害は人体にきわめて深刻で取り返しのつかないものであること、1万年以上私たちの子孫に核のゴミ(放射性廃棄物)の管理を強いるというとんでもないコスト(史上最大の無駄)、原発は技術として欠陥があるだけでなく経済的にも非効率で時代遅れであること、実は自然エネルギーだけで電力需要をすべて満たせること、さらに日本列島が千年に一度の大地震活動期に入ったことなどから、常識的に考えれば分かることだが、原発は直ちに全面停止し廃炉を始めるべき時が来ている。

しかし利権の世界は人間的良識で動くものではない。原子力・石油などリスクが大きく未来もない斜陽産業の大企業が再生可能エネルギーを受け入れないのは当たり前だ。太陽や風や水のエネルギーはどこでも手に入るから、地域や小規模のグループでもローカルに発電ができ、大企業が従来のように利益を独占できなくなる可能性が出てくる。だから大企業の利益の恩恵に与っている御用学者や政治家も一生懸命ポンコツエネルギーを守るため、それがないと世界がまわらないかのような流言飛語を繰り返している。それに加えて核兵器が大好きな脳筋議員も抵抗勢力に加わっていることを見逃してはならない。この連中の特徴は人命よりも利権を優先するという点にある。私たちはただ安心して暮らしていくために、放射能だけでなくこういった権力者ともたたかわなければならない状況にある。

■ 送電線を国有化しなければならない理由

ではどうやって再生可能エネルギー社会に移行するのか。まずは日本全国の送電線をすべて国有化して、電力会社の権力の源である電力流通支配を打ち砕くことだ。

送電線を道路、電気を車にして考えれば分かりやすい。東電のような地域独占企業が送電事業も独占している現状というのは、いわば道路が特定の企業によって独占されていて(彼らは車も作っていて)、彼らの車を買わなければ道路を走ることが許されないという状態である。道路を占有されている以上、あなたがいくらすばらしい車をつくってもそれを走らせることはできない。しかも彼らの作る車とはひどい公害車か、事故を起こせば大爆発して周りを巻き込むような車ばかりである。独占企業から道路を取り上げて国(公共組織)が管理し、逆にクリーンな車を走らせて危ない車はなくしていくような公的な規制を作ることが必要である。つまり送電線を独占企業の手から引き離して公有・公共財産とすることで、ローカルな再生可能エネルギー発電を抑圧せずにむしろ推進していくことが可能になる。(ちなみに同じ国有化でも政府内の一部にある「原子力発電部門のみ一時国有化」という議論が東電を喜ばせるだけで庶民にデメリットしかもたらさないゴミ案であることはもうお分かりいただけたかと)

この問題は賠償とも関係する。おそらく今回の賠償をまともにやるならば10兆を越えるだろう。ここでも書いたように、賠償はまず原発産業全体が可能な限り負うべきであるが、その上で政府が電力会社の送電部門を収用することを必須の条件として賠償金を一部肩代わりする、というのが被曝した人々や納税者にも納得がいくやり方だ(米倉の言うような税金で東電を救っておいて東電は儲け続けるし公的資産は一切増えないしでは誰も納得できるわけがない!)。

送電線の国有化で困るのは、電力会社とそれに出資してる銀行くらいで、基本的にこれをやらない政府は人々の利益を損ねていると考えて良い。

■ サステイナビリティの意味:自由化ではなく民主化を

では発電部門はどうすべきか。一昔前には何でもかんでも自由化・民営化すればいいといった風潮があったが、それは一部の人間が公共財産を私物化して儲けるための躰のいい言い訳に過ぎない。自由化=市場主義というのは短期的には機会を増やすように見えるが、長期的には資本力のある企業がより強くなって各地の電力供給をまた独占しはじめる(実際自由化した国でその傾向が見られる)。そして自由化=市場主義では利潤動機(金儲け主義)ばかりが重視され、地域を良くしたいとか安全に暮らしたいといった他の動機が軽視され、最終的には持続可能性のない格差社会が作り出される傾向がある。

エネルギーや環境の持続可能性を追求するならば、社会も均衡のとれた持続可能なものにすべきではないか。そのためには好き勝手やらせるだけではダメで、利益よりも人命が尊重される社会にするためのいろんなルールを民主的に決めていくことが必要だ。例えば送電部門を取得した政府は、原子力を含む旧式有害エネルギーの廃棄・再生可能エネルギー普及促進といった大きな基本方針を作った上で、それがまともな雇用を創出したり都道府県・自治体・地域の零細業者・非営利組織・地方大学などが持続的・分散的に発電供給にかかわれるような社会的ルールも作れるはずだ(ドイツは再生可能エネルギーへの転換を政策的に正規雇用創出・ワークシェアリングと結びつけた)。状況によってはもっと利益の出る場所に資本移動ができてしまうような大企業に依存するよりも、その土地で生きていく人々が自治体に雇われたり自治体と契約したりして発電を直接営む方が、職業の長期的持続可能性という視点で考えれば優れている。一元管理となる旧式発電所では難しかったが、太陽光・風力・波力・地熱・水力など自然エネルギー発電の場合はローカルな管理こそ適している。これまで原発で儲けてきた電力会社には原発の廃炉・燃料廃棄という当然の責任を果たしてもらうことに専念してもらおう。地域住民がグリーンエネルギーの供給権を掌握できれば、地方経済活性化や災害復興の助けにもなるだろう。このように本当の意味でサステイナブルな社会をつくっていくには、市場原理ではなく住民世論、つまり民主主義の力が必要である。

まずは再生可能エネルギーのことを学び(ざっと調べたらこんなのが見つかりました~パネルなし太陽光発電ジャイロ式波力発電洋上ハイブリッド風車マイクロらせん水車)、住んでいる場所や近海でどんな発電が可能なのかを考えてみよう。そして自治体が何をやっているか、やっていないのかを調べて、市議会議員に聞いてみよう。


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