宮城警察官刺傷事件~生物が自閉するわけ
2005/08/25(Thu) Category : 不登校・引きこもり
中3の少年が起こした25日の事件で、子ども部屋の問題がクローズアップされた。
少年の部屋は、内側から新聞で目張りまでされた隔離空間だった。
密室(価値閉塞空間)の中で事件は起きる。
核家族の中での“しつけ”と称する虐待やDV、
学校におけるいじめ、
会社の中での社内イジメ、
病院の中での犯罪、
老人ホームや介護施設における虐待、
カルト宗教における行き過ぎた“修行”による殺人、
さらには、国家レベルでそれがなされている国もある。
外部からの情報が遮断された状況にあるとき、いとも簡単に個人の価値観は暴走してしまう…
そもそも生物は開放系である。
アメーバーは壁にぶつかると方向転換する。ぶつかることで、この先にはいけないよというフィードバックを壁から得て、進む方向を変える(自己修正する)わけだ。(サイバネティクス理論)
人間も同じ。自分がやったことで褒められたり叱られたりする。褒められるとその行為は助長され、叱られるとその行為をしなくなる。
褒められたり叱られたりすることは、自分のやった行為に対する外からのフィードバックである。生物は、外からフィードバックをもらって自己制御(自分をコントロール)していく。
難しく言えば、生物は常に外部と情報交換をすることで危険を回避しつつ生きている。常に外に向かって開かれているわけで、生命が開放系というのはそういう意味である。
(もう一つ、エントロピー論的に開放系といえるのだが、ここでは情報系に問題を絞る)
そのため、情報が遮断された系は生きていけない。
聞く耳を持たない個人や組織は自滅の道へと迷い込んでいく。
会社においては、現場、営業マン、苦情受付センター、コールセンター…それらが、外から会社へのフィードバック窓口だ。部下の悩みや苦情も貴重なフィードバック情報である。
それらの声に聞く耳を持たない組織は、いずれ沈没していく。
これは、生物だろうが組織だろうが、すべての“系(システム)”に通ずる原理なのである。
家庭に当てはめると、人の家のことに口出しするな、と親戚や知人や隣近所からのフィードバックを拒絶する家族は、迷い道にはまり込む。
さらに、夫が妻子の声に聞く耳を持たない場合、妻子からのフィードバックも断たれて、いずれその家族は崩壊していく。
事件を起こしたこの少年は、外からの一切のフィードバックを受け付けない隔離空間に自分の身を置いた。
問題は、子ども部屋を与えるべきかいなかということではない。
本当の問題は、なぜ子どもが自分を守るための城塞(カプセル)を築いたかということにある。
なぜなら、自分が侵略、侵害されない限り、本来「開放定常系」である生物は鎧をまとうことをしないからだ。
その少年は、そのカプセルの中に入らなければ安心を得られなかったのか…
隔離空間の中で、フィードバックを得ない価値観は暴走し始める。そして、事件が起きる。事件の原因を隔離空間ができて以降のあれやこれやに求めてもしょうがない。
隔離空間ができてしまうと、否応なしに事件の芽がまかれるからだ。
だから、隔離空間を作らせてはならない。
そのため、なぜ隔離空間を作らなければならなったのか。そこを追究しなければならない。
我が家の場合、引越しを契機に子どもたちは個別の部屋を持った。上が高1、下が小6の時だ。が、今に至るまで、子どもたちは普段は部屋のドアを開けっ放しにしている。
親がむやみやたらに来ないことを知っているからだ。
勉強しろとせっつくことも、やってるかどうかチェックしに行くこともない。
つまり、ドアを開けていてもテリトリーは守られている。
だから、閉める必要がない。
私は、中学の頃、部屋にこもった。
過保護な愛情に侵略されそうになり、過干渉な愛情に窒息しそうになったからだ。
自分が侵略されそうになった時、人は防御壁を作ってその中にこもる。
(国家規模でそれを作ったのが万里の長城)
生物の原理は、アメーバから国家に至るまでそうそう変わるものではない。
その少年は、誰から自分を守ろうとしていたのか。
少年の部屋は、内側から新聞で目張りまでされた隔離空間だった。
密室(価値閉塞空間)の中で事件は起きる。
核家族の中での“しつけ”と称する虐待やDV、
学校におけるいじめ、
会社の中での社内イジメ、
病院の中での犯罪、
老人ホームや介護施設における虐待、
カルト宗教における行き過ぎた“修行”による殺人、
さらには、国家レベルでそれがなされている国もある。
外部からの情報が遮断された状況にあるとき、いとも簡単に個人の価値観は暴走してしまう…
そもそも生物は開放系である。
アメーバーは壁にぶつかると方向転換する。ぶつかることで、この先にはいけないよというフィードバックを壁から得て、進む方向を変える(自己修正する)わけだ。(サイバネティクス理論)
人間も同じ。自分がやったことで褒められたり叱られたりする。褒められるとその行為は助長され、叱られるとその行為をしなくなる。
褒められたり叱られたりすることは、自分のやった行為に対する外からのフィードバックである。生物は、外からフィードバックをもらって自己制御(自分をコントロール)していく。
難しく言えば、生物は常に外部と情報交換をすることで危険を回避しつつ生きている。常に外に向かって開かれているわけで、生命が開放系というのはそういう意味である。
(もう一つ、エントロピー論的に開放系といえるのだが、ここでは情報系に問題を絞る)
そのため、情報が遮断された系は生きていけない。
聞く耳を持たない個人や組織は自滅の道へと迷い込んでいく。
会社においては、現場、営業マン、苦情受付センター、コールセンター…それらが、外から会社へのフィードバック窓口だ。部下の悩みや苦情も貴重なフィードバック情報である。
それらの声に聞く耳を持たない組織は、いずれ沈没していく。
これは、生物だろうが組織だろうが、すべての“系(システム)”に通ずる原理なのである。
家庭に当てはめると、人の家のことに口出しするな、と親戚や知人や隣近所からのフィードバックを拒絶する家族は、迷い道にはまり込む。
さらに、夫が妻子の声に聞く耳を持たない場合、妻子からのフィードバックも断たれて、いずれその家族は崩壊していく。
事件を起こしたこの少年は、外からの一切のフィードバックを受け付けない隔離空間に自分の身を置いた。
問題は、子ども部屋を与えるべきかいなかということではない。
本当の問題は、なぜ子どもが自分を守るための城塞(カプセル)を築いたかということにある。
なぜなら、自分が侵略、侵害されない限り、本来「開放定常系」である生物は鎧をまとうことをしないからだ。
その少年は、そのカプセルの中に入らなければ安心を得られなかったのか…
隔離空間の中で、フィードバックを得ない価値観は暴走し始める。そして、事件が起きる。事件の原因を隔離空間ができて以降のあれやこれやに求めてもしょうがない。
隔離空間ができてしまうと、否応なしに事件の芽がまかれるからだ。
だから、隔離空間を作らせてはならない。
そのため、なぜ隔離空間を作らなければならなったのか。そこを追究しなければならない。
我が家の場合、引越しを契機に子どもたちは個別の部屋を持った。上が高1、下が小6の時だ。が、今に至るまで、子どもたちは普段は部屋のドアを開けっ放しにしている。
親がむやみやたらに来ないことを知っているからだ。
勉強しろとせっつくことも、やってるかどうかチェックしに行くこともない。
つまり、ドアを開けていてもテリトリーは守られている。
だから、閉める必要がない。
私は、中学の頃、部屋にこもった。
過保護な愛情に侵略されそうになり、過干渉な愛情に窒息しそうになったからだ。
自分が侵略されそうになった時、人は防御壁を作ってその中にこもる。
(国家規模でそれを作ったのが万里の長城)
生物の原理は、アメーバから国家に至るまでそうそう変わるものではない。
その少年は、誰から自分を守ろうとしていたのか。