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水曜日, 8月 01, 2012

放射能から命を守る6つの方法

ナチュラルニュース(NaturalNews)をご存知ですか。

これは、健康・環境に関わる重要な情報を毎週世界に発信しているネットワーク通信です。その編集者のマイク・アダムズは、まったくのボランティアで貴重な情報を世界に発信しています。

以下は昨日の記事です。とても参考になるので紹介します。 (私の感想や意見を書き足しています。)
http://www.naturalnews.com/036636_radioactivity_culture_life.html

「簡単にできる放射能から命を守る6つの方法」Dr. Gabriel Cousens

福島原発災害からの放射能を含む海流は現在北米沿岸に到達している。1987年のチェルノブイリ原発事故以来8ヶ月で、北米沿岸地域の乳幼児死亡率は245〜900%上昇した。その事実から、放射能は封じ込めることが不可能であり、それは世界中を汚染することを私たちは学んだ。
(このデータはアメリカのアーネスト・スターングラス博士等の研究によっています。スターングラス博士は、冷戦中米ソが盛んに核実験競争をしていた時期に、乳歯にストロンチウム90が蓄積しているデータと乳幼児死亡率の上昇率と核実験との相関性データを当時のケネディ大統領に示しました。その結果として締結された米ソ核実験禁止条約(1963年)の陰の貢献者です。博士は一貫して原発の健康に与える危険性を当初から訴えて来ました。私たちは2006年博士を日本講演に招待しました。そのときの青森での講演録がこれです。)

私たちは福島からの絶えまない放射能海洋汚染以外にも、さまざまな”日常的”な放射線被曝を受けている。放射線医療機器からの漏洩、空港の身体チェック、原子力潜水艦事故、劣化ウランの影響、CTスキャンやエックス線検査、放射能汚染されたタバコの煙、電子レンジ、食品被曝など多数ある。
(放射線は、科学的な定義で言えば電磁波のひとつです。光、電波、電気それから生体エネルギーである”気”も基本的には電磁波です。つまり電磁波には健康に有益なものと有害なものがあることになります。)

例えば、原子力災害と事故:1985年までの15年間に、世界14カ国で151件の深刻な原子力事故があり、また原子力発電所では27,000件の事故が報告されている。

X線:放射線疫学の世界的権威アリス・スチュアート博士はエックス線検査を受けた妊婦の幼児は、受けない妊婦の幼児より白血病の発症率が2倍になることを発見した。
(エックス線には安全値などないことを示したスチュアート博士を世界に知らしめたのが、スターングラス博士です。当時スチュアート博士は、低レベル放射線は無害だと主張する放射線医学界から徹底的に攻撃を受けていました。それは今日でも変わっていません。低レベル放射線(内部被曝)が有害であると認めると、原子力発電所そのものの立地ができなくなるからです。)

喫煙:タバコの煙には放射性粒子が含まれている。タバコ栽培で使用されるリン酸化学肥料にはラジウム226、そしてラジウム226の分裂生成物であるポロニウム210と鉛210、そしてカリウム40という放射性物質が含まれている。

私たちは福島災害の直接的な影響だけでなく、長期的な日常の危険な放射線被曝から私たちと家族たちを守ることが重要である。

私たちにできる6つの基本的方法:

1)食べ物を選ぶ
からだに十分なミネラルを摂っていれば、細胞は健康なミネラルに満たされる。細胞内に十分なミネラルがあれば、それ以上放射性ミネラルが吸収される可能性が減る。
(チェルノブイリからの深刻な影響を受けた国のひとつ、オーストリアの政府が放射能のからだに入って来る経路を調査したところ、80%が食べ物からということが分かりましたた。)

2)キレート(金属原子を中心にもつ錯体分子)
ある種の食べ物は放射性物質をとくに取り込み、膀胱と腎臓の排泄作用で体外に排泄する。海草類は自然界で最高のキレート剤であるアルギン酸ナトリウムを含む。ただ、出来るだけ汚染のない産地のものを選ぶこと。
I
3)抗酸化食品を増やす:被曝によってできるフリーラジカルを防ぐために抗酸化剤や食品と酵素をとる。

4)特に必要な食べ物と薬草:スピロリーナやクロレラ、大根、小松菜、キャベツ、ブロッコリーなどのアブラナ科野菜を増やす。蜂花粉(一日小さじ2杯)。ガーリックとタマネギを増やす。シベリア朝鮮人参、朝鮮人参、ローズマリーなど。
(放射線は体内の水分子を強力な発ガン物質であるハイドロオキシ水分子に変えます。これらの抗酸化食品はそれを防止するはたらきをします。)

5)アルカリ性の有機野菜
細胞液のPHがわずかにアルカリ性の方が細胞の酸化防止に役立つことが実証されている。アルカリダイエットとは、つまり野菜の生食ダイエットのこと。食物連鎖の放射能の生体濃縮を避けるためになるべく動物たんぱく質は避ける。ドイツのハイデルベルク大学の1978年の研究調査では、野菜にくらべ牛乳は15倍、牛肉は30倍の放射能が検出された。
(近年の酵素学の研究発達により、食べ物とからだに含まれる様々な酵素が健康維持に非常に重要な役割を演じていることが明らかになっています。酵素は48℃で破壊されてしまうため、食べ物を生で食べるローフード、あるいはリビングフードが見直されています。とくに日本の誇る漬け物は酵素をふんだんに含む食べ物です。)

6)政治的活動:放射線被曝から私たちを守るために、脱原発、劣化ウラン弾禁止、核兵器禁止、そして携帯電話とその中継搭の削減を求める政治的活動に関わる。
(中でも福島原発災害を受けている日本は、脱原発は緊急な課題です。市民のエネルギーを総結集して政治を動かすときです。)

水曜日, 6月 27, 2012

アルバート・アインシュタイン


最近刊行された『アルバート・アインシュタイン:ラジカルな市民、科学者』(ピ−ター・ドレイヤー著)の抜粋を読みました。なにかアインシュタインの生きた軌跡と彼の願いが、今の日本や世界と重なって感じられたのでここで紹介します。以下は本の抜粋です。

              ********




1931年のカリフォルニア訪問の際、当時ヨーロッパに住んでいた物理学者アルバート・アインシュタインはチャーリー・チャップリンと国際的な著名人や政治的に過激的な人物たちと会うことを望んだ。チャップリンは彼を映画“街の灯”の公開日に招いた。二人がカメラマンたちにポーズを取っているとき、チャップリンは言った、「彼らが私を歓迎するのは、私を理解するからです。彼らがあなたを歓迎するのは、だれもあなたを理解しないからです。」

アインシュタインは世界的に有名になった最初の科学者だ。彼の科学的業績を何も知らない人たちでも(たぶん、相対性理論とかE = mc2公式になにか関係していることぐらいは別として)、その名前とイメージから“天才”という言葉が出て来るだろう。

1921年ウィーンでの講義



TIMEは、宇宙と私たち自身を見る目を永遠に変えた人間として「世紀の人」に選んだ。しかしアインシュタインは科学の世界自身を変える可能性も示した・・理性的思考とテクノロジーによって私たちの暮らしを向上させることだ。 その反対に、高性能の戦争兵器のように、世界を破壊し得る科学の可能性も示した。

アインシュタインはこのモラルと現実的なジレンマを理解していた。科学的知識だけで世界が救われるとは信じていなかった。科学とテクノロジーを誰がコントロールするかで善くも悪く使われるだろう。それで彼はヨーロッパとアメリカ(1933年以降)での人生を平和と社会的公平のための活動に費やした。アインシュタインは平和主義者、人間主義者、社会主義者、シオニストであった。アインシュタインは不本意な有名人だったが、より人間性あふれる民主的な世界を創造するために自分の名声を使えることは知っていた。そして進んでそうした。常に政治的支配体制に挑戦するほかの科学者や活動家たちと連携したのだ。

 
彼は人生の中で、彼の政治的意見のためにドイツ政府とアメリカ政府の両方から脅かされたことがある。冷戦中、FBIのアインシュタインのファイルは1,800ページを越え、それには彼が支持した何十もの“破壊活動“組織とされる団体がリストされていた。伝記作家のジム・グリーンは、「彼の手紙はチェックされ、電話は盗聴され、自宅とオフィスは探索され、ゴミまで調べられた」と書いている。ジョセフ・マッカーシー上院議員はアインシュタインを”アメリカの敵“と呼んだ。

アインシュタインの科学と正義への情熱はドイツで子供の頃に培った。彼の両親は無宗教でミドルクラスのユダヤ人だった。5歳のとき、目に見えない力でコンパスの針が動くのを知って興味をかき立てられ、それが見えないフォース(力)への生涯の興味のきっかけになった。7年後、彼が“聖なる小さな幾何学形状の本”と呼ぶのを読み、それが別の生涯にわたる情熱をもたらした。プルシャ型教育の学校が彼の本来の心を抑えつけ、専横的な権威に対する懐疑心を形づくった。ある教師は彼はどうしようもない人間に成るだけだろうとさえ言った。アインシュタインが20代になるまでは、彼の教師が正しかったように見えた。

訳注:アインシュタインのその後の科学者としての世界的な成功話は、大体みなさんもご承知だと思います。その頂点は1921年の“理論物理学、とくに光電効果法則の発見への貢献”に対するノーベル物理学賞授与でした。

アインシュタインが初めて真剣に政治的活動に関わったのは第一世界大戦中で、ドイツの軍国主義と戦争に反対するいくつかの団体と関わった。彼はドイツの戦争参入に反対する声明文に署名した数名の知識人の一人だった。彼はナショナリズムを“人類の麻疹(はしか)”と呼んだ。

アインシュタインは、当時インドのガンジーが唱えていた市民不服従運動に希望を見出した。1930年9月彼は仲間の平和主義者たちに言葉ではなく行動で示せと批判した。徴兵される者たちの2%だけでもそれを拒否すれば、そんなに多くの人間を投獄できないので政府は無力化すると言った。

ユダヤ人のラジカルな有名人として、アインシュタインはナチス嫌いのあからさまな目標だった。ナチスはアインシュタインの科学を“ユダヤ人物理学”と呼び、アインシュタインと彼の理論を批判する会議と焚書を組織し、彼の講義を妨害した。当然のことだが、アインシュタインは身の危険を感じた。ヒットラーがドイツ総統に就任した後の1933年、彼と妻のエルザはアメリカを訪問中だった。ベルリンに戻る代わりに、アインシュタインはニュージャージーのプリンストンにある先端科学研究所での職を選んだ。

彼はドイツ市民権を放棄し、7年後アメリカ市民になった。1934年彼は軍需産業を“いたるところにあるナショナリズムの陰に隠れた邪悪なパワー”と呼んだ。しかしその年、ナチスの脅威を見て、彼はアメリカとヨーロッパ諸国にドイツとの戦争に備えるよう勧告し、軍役を拒否すべきというそれまでの主張を翻した。彼はスペイン内乱戦争で中立な立場のアメリカを批難した。ほかの多くの人々のように彼はそれをファシストと反ファシストとの闘いと見ていた。

アメリカが第二次世界大戦に参入する2年以上前、アインシュタインはフランクリン・ルーズベルト大統領に手紙を書き、ドイツが原子爆弾を開発できるかもしれないと警告した。彼は、アメリカの科学界を総動員して原子爆弾開発に必要な研究を始めるべきだと大統領に進言した。ルーズベルト大統領はすぐに返事をして、すでにこの問題を検討する委員会をつくったことをアインシュタインに伝えた。皮肉なことに、1941年にアメリカのトップの科学者たちが、原子爆弾開発のマンハッタン計画のためにニューメキシコ州ロスアラモスに集結したとき、そのプロジェクトのレールを敷いた理論の発見者であるアインシュタインは招かれなかった。何年か後に、公開されたFBIのファイルから、アインシュタインは長い間平和団体と社会主義団体と関わってきたためブラックリストに載り、このプロジェクトから外されていたことが明らかになった。

1953年彼は、冷戦時の魔女狩りの中心組織、下院非米活動委員会での証言を拒否するようアメリカ国民に呼びかけた。

アインシュタインはその後ルーズベルト大統領に手紙を書いたことを後悔するようになった。1945年のアメリカの日本への原爆投下による大量殺戮に彼は震え上がった。彼は冷戦時の軍拡競争と核兵器の拡大を恐れた。1954年彼は友人のライナス・ポーリングに、「私の人生で最大の過ちは、原子爆弾をつくるべきというルーズベルト大統領宛の手紙に署名したときだ。しかし、正当化できる理由がないわけではない・・ドイツ人たちがそれをつくる危険があったからだ」と語った。

1945年アインシュタインは先端科学研究所から引退したが、その後も一生の間社会的問題について発言をつづけた。1946年彼は水爆を含む核兵器拡散を止めるための新しい原子力科学者たちの緊急委員会の議長になった。

エリノア・ルーズベルトのテレビ番組でのインタビューで、アインシュタインは「国家の軍備で安全保障を達成しようというのは、現在の軍事技術からすれば、破滅的な幻想です」と語った。1955年死ぬ直前、アインシュタインと哲学者のバートランド・ラッセルは9人の著名な科学者たちを促して、核兵器と戦争そのものの廃絶を求めるラッセル・アインシュタイン宣言に署名した。

アインシュタインはしばしばアフリカ系アメリカ人の公民権問題についても公に発言した。1946年、モントゴメリーのバスボイコットが近代公民権運動のきっかけをつくる10年ほど前に、アインシュタインはエッセイ“黒人問題”の中で、アメリカの人種問題は国家の“最悪の病”と呼んだ。

アインシュタインはアメリカの民主主義と平等主義を手放しで称賛はしていたが、アメリカ人の“平等と人間的尊厳という意味は主に白い肌の男性たちだけのことだ”と指摘した。10年ほどアメリカで暮らして、アインシュタインは“自分をアメリカ人と感じれば感じるほど、この状況がさらに辛くなる」と書いている。

アインシュタインの政治と人種問題への急進的態度は、経済問題の分析批判にも及んだ。1949年に出版されたマンスリーリビュー創刊号の有名なエッセー“なぜ社会主義か?”の中で、彼は“市民を破壊する”のは“資本主義の最悪な罪”だと指摘した。彼は資本主義の“経済的無政府主義”、“私有資産による独占、民主的に構成された政治社会によっても実際にはチェックされない巨大なパワー”を批判した。

彼は、社会主義的経済と政治的民主主義が連携しなければならない、そうでなければ、個人の人権は強大で傲慢な官僚主義によって脅かされるだろう、と信じていた。彼をソ連共産主義に反対するように導いたのはこの急進的人間主義だ。

ドイツの若い科学者として反ユダヤ主義の犠牲者だったアインシュタインは、ユダヤ人の国家成立を熱心に唱えた。ユダヤ人を迫害から解放しユダヤ人文化が栄えることを彼は期待したからだ。彼はまたユダヤ人とアラブ人が権力を共有し、ひとつの国家で共存できるようになることを期待したが、それが実現しなかったことに失望した。

青年時代から死ぬまで、この合理主義科学者は熱心な世界市民だった。死ぬ1年前、アインシュタインはこう説明した。“社会的な問題で私が書いたり話したりするのは、状況があまりにも酷く不幸に見えるときはいつでも、黙っていることは共犯者だという罪の意識にかられるからです。” (引用抜粋はここまで)


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先週の4万5千人総理官邸前デモは壮観でした。今週の29日(金)は10万人を目指すそうです。これが全国的な大きなうねりになって政治を動かすようになるとすごいことですね。

これを”紫陽花革命”と呼ぶそうです。いまこの国会中継ビデオで知りました。
http://www.youtube.com/watch?v=lT4fFf37z0w&feature=youtube_gdata_player 
それにしても、首相や閣僚たちに国家の未曾有の危機だという気配がまったく感じられないのは私だけでしょうか。子どもたちのいのちが危機に晒されているというのに・・・

今週末に東京で行なわれるふたつの脱原発のイベントも、そのうねりを増大させることがその目的のひとつです。いまあらゆるレベルでの変化が起きつつあります。その変化のうねりに加わるのか、端でただ見ているだけなのか、すべての人々の意識が問われる時代なのでしょう。ぜひ参加してください。


      ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
       

           東京脱原発音楽祭 
          大切なものは何ですか  
http://tokyonukefreemusicfes.org/ 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 

■日時:2012年6月30日(土)14:00~19:00
■会場:国立オリンピック記念青少年総合センター 
出演者(出演順):
橋本美香&制服向上委員会、Kダブシャイン(14:10~)
尾米タケル之一座(スイシンジャー)(15:00~)
藤波心 (15:15~)
上杉隆 (16:25~)
南ぬ風人まーちゃんバンド (17:55~)


進行役:藤波心&きくちゆみ 


■参加方法:会場の規定で、以下の予約ページより事前申込み、振込みが必要です(当日も受付で登録をすれば入場できます)。
http://tokyonukefreemusicfes.org/ticket.html 


■参加費:「スライディングスケール」から選んで下さい。 (経済状況と貢献したい気持ちに合わせて参加者が選ぶ方法)
一般席(自由席):1~5千円
サポーター席(指定席):1~5万円
 問合せ先:[email protected]


翌7月1日も同じ会場で、素晴らしい映画&映像をトークと共に丸一日楽しめます。
多くの方のサポートのおかげで今年で9回目の開催。 この日、大飯原発3号機が動くことになっていますが・・。地震国で原発はダメ〜


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
   第9回東京平和映画祭  
 今こそいのちつながる選択を
   原発のない世界へ!    
 http://www.peacefilm.net/
 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 昨年に引き続き、今年も「原発のない世界を目指して、 第9回東京平和映画祭を開催します。良質のドキュメン タリー映画、多彩なトークゲストを揃えてのイベント。


どうぞお誘い合わせてご参加ください。 


■日時:2012年7月1日(日)10:00~20:10
■会場:国立オリンピック記念青少年総合センター


●上映作品(予定)  
◎『The Story of Stuff』  http://www.storyofstuff.org/  
◎『放射性廃棄物~終わらない悪夢~』  http://www.takeshobo.co.jp/sp/waste/  ◎『friends after 3.11』  http://www.iwaiff.com/fa311/  
◎『フクシマの嘘』(ドイツZDF制作)日本語字幕つき完全版、国内初上映! 
◆ トークゲスト  
◇佐藤潤一氏(グリーンピース・ジャパン事務局長)  
◇松井英介氏(医師)  
◇藤波 心氏(タレント)  
◇上杉 隆氏(自由報道協会代表)  
◇A・ガンダーセン氏(Fair Winds)ビデオメッセージ
 ■詳細:http://www.peacefilm.net/
 

日曜日, 4月 01, 2012

国際アピール

2022年までにすべての原発を廃止すると宣言したドイツを筆頭に、多くのヨーロッパ諸国が脱原発への道を歩み始めていますが、原子力推進政策を頑に守っているフランスは、同時に国内の反原発市民グループに対しても強い圧力を掛けているためなかなか反原発の声が聞こえてきません。

その中で、フランスの著名な知識人18人がサインした以下の国際アピールが送れらてきました。このアピール文を草稿したジョーンマーク・ロエール氏は「アルバート・カミュの伝統にしたがって、世界でも最も核武装されている国の一つの既成事実化した野蛮性を拒否する知識人がいまだフランスにいることを知ってもらうために、このアピール文を書きました」と語っています。

また「このアピール文に対して共感していただけたら、どうかあなたの考えや意見をお寄せください」とあります。

ロエール氏の連絡先です:
Jean-Marc Royer, Paris, France
[email protected]

なお翻訳は友人がボランティアでやってくれました。


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国際アピール


ヒロシマ、チェルノブイリ、フクシマ:人道に対する罪


1945年以来、2400回以上の核爆発があった。そのいくつかのケース(1)における威力は、広島型爆弾の数千個分に達していた。そしてもちろん、無数の「故障」や数十回もの惨憺たる事故が起きている。分かっている範囲では、その一番古いものは1957年秋のウィンズスケール(英国)およびマヤーク(旧ソ連)での事故だ。それぞれINES基準のレベル5及び6だった。しかしこのすべてが及ぼした影響について厳密に語ることのできる人はいるのだろうか? この問題を国際的なレベルで分析する疫学的研究の名にふさわしい研究は、まったく行われて来ていない。そこで欧州議会の緑の党のメンバーらは、放射線リスクに関する欧州委員会(CERI)がこの影響を調査するよう要請した。その結果、過去65年間に渡って世界中の人々が受けてきた放射能による深刻な影響が確認された。この放射能が南極の氷から微量に検出されているのを知っている我々からすれば、驚くことではない。長期間に渡る低線量汚染がもたらす病理的影響の危険はあまりに巨大なため、全ての政府と国際機関は連携しあってそれを否定している。


      チェルノブイリ:放射線照射と「リバウンド」による複数の汚染


ちょうど1945年8月6日がそうであるように、1986年4月26日はすべての人類にとって歴史的な日だ。事故現場からの距離によって異なったが、この惨事の発生直後から放射性物質の放出は暴力的で、複合的で、複雑で、そして長期間続く影響を伴っていた。これがチェルノブイリ事故の異常な点の1つである。爆発した際、チェルノブイリのレーニン原子力発電所4号機からは、燃料の核分裂で生成された希ガスや各種のエアロゾルがある意味では核爆弾と似たように放出されたが、それだけではなく燃料の「固体系のホット・パーティクル」(5)も放出された。これらはありとあらゆるサイズの破片で、他の放射性核種と合わせて原発の敷地内、またはその付近に落下した。それに続けて、液体状のホット・パーティクルが雨の後、土の中で形成された。これらのパーティクルが飲食や呼吸を通して体内に入ると、たとえ放出から長期間が過ぎた後でさえ、高線量の局地的な内部被ばくをもたらす。この所見は事故の余波や影響を理解するために重要である。

事故当日以降、放射線は次第に様々な種類の長期的な汚染へと移行していき、誰一人予想できなかった放射線学的な状況に進展していった。

2つの例がある。


- プルトニウム241の崩壊過程に続いて生成されるアメリシウム241は、強力なガンマ線を放出し、多くの地点で汚染の重要な部分を占めるようになる。徐々に起きたこの崩壊のために、ガンマ放射線のレベルがすでに減少していた地域が再び危険になってしまった。

- さらに生体への蓄積(生物濃縮)、そしていくらかの年月が経った後には植物が根をおろす土壌への移行により、放射性核種の生態系への幅広い再分布が起きた。するとこれらの放射性核種と植物がどんどん接触しやすくなり、放射性核種は植物によって土の表面にふたたび引き出された。これが汚染地域における死亡率と疾病率が拡大及び悪化した原因の1つである。


    (ガンと白血病に加えて)チェルノブイリが引き起こした一部の病気


- チェルノブイリによる[人体の]放射能汚染は、内分泌系のすべての臓器の働きに悪影響を及ぼした。胸腺のホルモンに関する機能の崩壊は、免疫系の病理進展の主要な部分を占める。

- 循環器系臓器の病気は「リクビダートル」の障害や死亡の主要因の1つだ。

- チェルノブイリ大惨事により引き起こされた老化の加速が、数十万人に悪影響を及ぼしたし、将来も数百万人に悪影響を及ぼすだろう。

- 鉛中毒はチェルノブイリに関連する重要な病理の1つとなった。これは消火作業の最中に24006720トンの鉛が敷地内に廃棄されたことによる。鉛の主要な部分が、原子炉の火事の中で溶融、沸騰、昇華し、大気中に放出された。

さらに、チェルノブイリ大事故による遺伝的な影響が何世紀にも渡って、何億人の人々に対して続く。将来の犠牲者に含まれるのは以下の人々である。

- 最初の放射線の衝撃(強力で破壊的な外部被ばく)を経験した人々。生態圏に放出された放射性核種の量は大変重要であるためである。

- ストロンチウム90とセシウム137により汚染された地域で現在、そしてこれからの300年間を生きる人々。 もしくはプルトニウムとアメリシウムにより汚染された地域でこれからの数千年を生きる人々。

-被ばくした両親(その後住んでいる場所とは無関係)から生まれた子どもたちとその後の多くの世代。


         隠蔽、公的なデータ改ざん、背任行為


チェルノブイリから放出された全放射性核種によって欧州諸国がどの程度まで汚染されたのかに関し、公的に入手可能なデータは存在しないし、今後とも出てこないであろうことは今や明白である。IAEAおよびWHOは、このデータの欠落を2005年の「チェルノブイリ・フォーラム」における言い訳に用いた。彼らの研究対象の範囲は、ベラルーシ、ウクライナ、およびロシアにかかわるデータのみに限定され、他の欧州諸国の汚染は無視された。

しかし、たとえある地域における汚染の通常の密度が高くなかったとしても、事故直後の数日間及び数週間の後に大規模な汚染が起きたことは事実である。放射性物質の降下量は自然バックグラウンドレベルの1万倍を超えていたということが、一連の出来事を再構築することによって判明している。このことが、低レベルであっても長期間(数十年)に渡って汚染が続くことと合わせ、住民の健康と環境に対して大きな影響を与えるのは必至である。

もう一方、チェルノブイリの病理的影響について監視する機関が排除されたり、事故が引き起こした問題を研究するリサーチ班が分裂させられたり、専門知識を持つ医師たちがハラスメントを受けたり投獄されたりした。それらは真実を抑圧しようとする一斉かつ執拗な企てだった(6)

それに続けてIAEAWHOの専門家たちが提示した、ある特定の健康問題とチェルノブイリの放射線との関連を明白に提示するための必要条件は、ある実際の人物の総放射線被ばく量(その正確な再構成は相応の理由から不可能である)とその人物の健康被害との間に、「確実な相関性」が確立されなければならないというものであった。これはきわめて不誠実な類の知的詐欺行為である。

これらの背任行為に加え、旧ソ連、ウクライナ、ベラルーシ、そして関連する主要な国際団体(IAEAWHOなど)の中では、チェルノブイリ事故の影響を過小評価する政策がとられた豊富な証拠がある。以下がそのいくつかの例だ。

‐「清掃」業務に参加した数十万人の兵士らの健康に関するブックレットの中には、当時の被曝限度25レントゲンを超過していたことに関する記述がまったくない。しかし軍の清掃人1100人の臨床診察の結果、37%の人に放射線による血液学的症状があった。これらの人々が25レントゲン以上浴びていたという明白なしるしである。

-チェルノブイリによる白内障の頻発について、医学界は発見から8-9年経過した後にになってようやく認め始めた。

-甲状腺がん、白血病、中枢神経の疾患に関しても同じ状況である。


      チェルノブイリによる公衆の健康への影響


CERIの報告書で出版されたデータを要約すると、チェルノブイリによる放射能汚染は約4億人(欧州で2億500万人、欧州外で約2億人)に悪影響を及ぼした。旧ソ連の汚染地域に暮らす子供たちの間の一般死亡率の統計は特に痛ましい。健康な子どもはわずか20%なのである。ポーランドの一部の地域では、健康な子どもはもはやいない。ドイツで事故後に生まれた子どもたちの歯には10倍以上のストロンチウム90が含まれていた(同様に、ウィンズスケールのそばに住む英国人の赤ちゃんの歯からはプルトニウムが出てくる。そのもう1つの原子力事故から53年経った今、ウィンズスケールはセラフィールドに改名されている)。チェルノブイリの犠牲者数は数世代に渡って増え続けるだろう。事故直後の最初の15年間については次のように推測される。

ベラルーシ、ウクライナ、ロシア    237,000

欧州の残りの地域           425,000

アジア、アフリカ、北米        323,000

世界全体               985,000(7)


       チェルノブイリ:人類の時代における核の大惨事(8)


以下の特徴により、原子力事故は生命史における多次元的な破壊と定義される。

-広大な面積に渡って起きる生態系全体への取り返しがつかない損失、鳥たちの鳴かない春、巨大で静かな火に焼き焦がされる木々。

-あまりに非人間的な状況でのあまりに膨大な死者数は、嘆き悲しむことを不可能にする。特に「無感覚の乾いた死が起きる時には」。

- 我々の想像力を超えたところにある予想外で考えられない出来事。それが未来に及ぼす影響は、それ自体が予測不可能。

-被曝した犠牲者たちは、精神的および肉体的な苦しみを味わう。影響の一部は数世代に渡って広がり、奇形の子どもたちが生まれてくる。

別の言い方をすれば、もう戻ってくることは不可能な「ビフォー&アフター」だ。人間の象徴的な記憶、その無意識の中に開けられた穴は、「抑圧された者たちの帰還」をその出来事の大きさに見合って準備しようとする。しかしこれに加え、終わりもなければ予測可能な期間も存在しない。これが原子力の事故の「二重のパラドックス的効果」だ。それは大きくなりながら人類を内側から滅ぼしてくる怪物であり、執拗な死亡率上昇を避けることはできない。原子力事故は「未来を侵略し、破滅から免れる可能性を与えない。その賭けを受けて立つ用意のできている文化は存在しない」(10)


       人類の近代産業時代における否定主義とその影響


国連加盟諸国と国際機関はチェルノブイリによる健康への影響を故意に過小評価してきた。その中にはUNSCEARも含まれる。バイアスのかかった判断はWHO(11)にも見られる。2005年までの死者数は約30人に過ぎないというのが、その悪名高き理論だった。

しかし実際ははるかにひどい。これは1945年8月6日以降の出来事に関係している。日本の不名誉な敗北の顔として、「ヒバクシャ」たちはあたかも疫病運搬人であるかのように扱われ、感染するかのように妄想され、恐れられた。公的に辱められる対象とされたことで、生き残った人々のほとんどは証言を行って「記憶の仕事」に貢献することを一切思い留まった。欧州の戦後思想における「記憶の仕事」は極めて重要性を持つ遺産である。それは、プリモ・レーヴィ、ロベール・アンテルム、ダヴィド・ルセ、シャルロット・デルボ、エリー・ヴィーゼル、ホルヘ・センプルン、ジャン・アメリーなどのホロコーストを生き残った人々にみられる。日本の官僚たちは街の速やかな「復興」に進んだ。敗北の痕跡とこの惨絶な犯罪の痕跡のすべてを、注意深く消すことが目的だった。ナチス・ドイツによるショアーの場合に起きたこととは対照的に、勝者と敗者は人類を盲目にさせるべく連携した。広島と長崎で行われた犯罪の性質を隠蔽するというその狙いは、今のところ成功している。例として、日本側当局の助力を得た米軍は原爆投下の影響についての現地調査を行った。これらの研究は米国政府の秘密書庫に保管され、長い間アクセス不能のままになっていた。これは苦しんでいた犠牲者たちに対して侮辱的であるということも事実だが、何よりこれらの保管資料こそが、現在、低線量放射線が長期間に渡ってもたらす影響を各国政府および国際機関が否定する際の根拠になっているのだ!

すべての痕跡を消せ、それこそがすべての犯罪者とホロコースト否定論者に共通する信条だ(これについてギュンター・アンダースがより専門的に語っているのを参照のこと)。同じ政策がチェルノブイリでも取られた。フクシマでも同様になると予想される。我々は、未来の世代に危険を譲り渡そうとしているのはよくよく承知の上で放射性廃棄物を扉の向こうに封じ込めようとするが、それと同じ方法で「記憶の仕事」も排除されるのだ。

これらすべての危険に直面しつつとられている否定主義の政策だが、そのもう一つの要素は、危険をただの統計学的なリスク曲線に替えてしまうという思考だ。このように危険を知的操作することで隠蔽されるのは、事故が起きた際に(「残余のリスク」というが)救援活動に呼ばれるのは常に政府だという事実である。なぜなら民間資金ではもちろん状況に対処するには不十分であるからだ。しかしチェルノブイリとフクシマ以来、世界のすべての国々の住民が知っているに違いないことがある。原子力事故の後ならもちろんのこと、原子力事故の前にも、効果的な住民の保護に関しては政府になどもはや頼れないということだ。世界中の人々は政治的選択から排除された-原子力の問題について意見を求められた市民社会は、これまでに1つとしてない-彼らに食物を与えてくれる土地から排除されるリスクを背負っている。「彼ら自身の生活から排除される」のだ。


      チェルノブイリ事故はもっと深刻になりえた


事故の原因となったのは「フルスケールの現実」を実験することを目的とした異常なプロジェクトだった。その発想とは、非常停止時に発電機のタービン軸に残った運動エネルギーを使ってさらに発電しようというものだった!言い替えるなら、この生きた世界が(ずっと前からだが)科学技術のための大規模な研究室と化したのだ。しかし、第4原子炉ひとつから放出された物質は、広島と長崎に落とされた爆弾を10倍以上も上回る汚染を引き起こした。そして「チェルノブイリの雲」は地球を少なくとも2周し、チェルノブイリは人類の時代における過去最大の科学技術事故になった。

しかしそれ以上に深刻な事実がまだある。事故後の処理作業を直接監視した核物理学者ヴァッシーリ・ネステレンコ教授はこう説明する。仮に1400kg(14)のウランと黒鉛の混合物が水に接触すれば、広島での爆発の200倍である3~5メガトン級の核爆発を引き起こしうる致命的な量となる。もし、その時すでに圧力容器を貫通していた炉心溶融物が、原子炉地下に格納された大量の水を遮断しているコンクリートの厚壁をも貫通していれば、これが起こり得た。「そのようなパワーの爆発は300-320km圏内(ミンスクの街も含む)の住民に強力な放射線障害を引き起こしうる。そして欧州全体が深刻な放射能汚染の犠牲となり、通常の生活が不可能になりうる」。私の意見では、チェルノブイリはもう少しのところで核爆発になるところだった。もしそうなっていれば、欧州には人が住めなくなっていただろう。(15)]


           チェルノブイリの再現、フクシマ


日本の場合、状況を考慮すると、冷却系が再び稼働することは決してありえないことは明白だ。建屋の空気を不活性にするためのホウ酸水が窒素と共に注入されている間、冷却用の大量の水が毎日送り込まれている。炉心溶融物が格納容器を貫通して、やはり大量の水に接触することのないようにしているのである。これが起きれば大惨事となる。 そして影響を受けた原子炉の数は1つではなく4つだったし、うち3号炉はフランスが提供したMOX燃料で稼働していた(16)。原発の位置からして、余震による影響が起きる可能性も残念ながら排除することはできない。これらの条件の下で、日本だろうとどこだろうと、このタイプの状況が与える累積的影響を誰が予想できるだろうか?チェルノブイリで地球規模の惨事を回避するのに成功した方法は、他の場所では二度と実現不可能である。例外はしばらくの間、中国にあるだけであろう。旧ソ連では80万人の「リクビダートル」を雇うことが出来た。その他には、その広大な国の全土から集められた緊急部隊、数百人の消防士たち、1万人の鉱夫たち、何万という予備兵を含むいまだ強力だった軍隊、このすべての人々が単純に政治局書記の命令で動いた。このような巨大な人数の派遣はもはや他の類似したケースでは不可能だ。そして他国への要請もそれで間に合うかどうかは疑わしい。命を犠牲にし、過酷と分かっている痛みを経験してもよいというボランティアの数は、リベラルな民主主義では少ないだろう。


    汚染地域で生きていかなければならないという可能性は排除できない


チェルノブイリのフォールアウト(放射性降下物質)で汚染された地域では、農業を営む、森を散歩する、釣りや狩りに行く、放射線量を確認せずに地元で作られた野菜を食べる、牛乳そして水ですら飲む、これらはすべて危険だ。最も安全で最も精密な生命の源として数千年もずっとそこにあったもの-空気、天然の水、花々、大地の実り、森、川、そして海-これらがたった数日で人と動物に対する危険源になってしまった。このウクライナの惨事が我々に教えてくれたように、我々は呼吸によるものにせよ食物を通した摂取にせよ「低線量」がもたらす破壊的な健康への影響をもまた考慮しなければならない。これらは何年も経ってからその影響が出てくるのである。

ベラルーシで使われているSCRINNERなどの人体の自動分光測定機器は、人体における放射性核種の活性度を計測するように設計されている。これらの機器は運転中の原子力発電所の風下に位置しているすべての国々で定期的に使われるべきである。さらに、ヨウ素剤や屋内避難手段、ファーストエイド(応急処置)、避難区域、緊急計画の利点や限界点が明確に書いてある、ほんとうに大規模な公衆向けの処方箋が発行されるべきだ。全ての国の市民社会の団体が、公的なシステムからは独立した放射線管理システムの創設の重要性を考慮すべき理由はここにある。


           極端に矮小化された悪-原子力産業


その「矮小化された悪」のコンセプトにおいて、ハンナ・アーレントは1960年代、人類に対する罪は一般の人々によって犯されることを示した。なぜなら人々はその「活動」の目的に対して何の疑問も投げかけないからだ。一度彼らがその階層制度(またはあるイデオロギー。現在となってはそのすべてが、「仕事」などの領域の世界を支配している計算づくの理由から、普遍的価値を有している)に対しての忠誠の誓いでくくりつけられると、彼らはこれらの活動を正しいとみなすのだ。この「悪の矮小化」のコンセプトは「人間性」に関する推測から分岐したものではなく、まさに1933年から1945年にかけて欧州で起きた出来事、そして何がそれらの出来事の道筋を作ったのかに関する社会学的・歴史学的分析に基づいているものである。60年後の我々は、進化を阻まれた世界を信じているのでない限り、ハンナ・アーレントが書いたことから結論をあえて導き出さなければなるまい。歴史的に、世界における悪の矮小化は、労働と人間が科学と技術による固い支援を得ていったん「産業化」されるやいなや、広範に広がっていった。言い換えれば、大切に育ててくれた地球に基盤をおく現実から隔離され、バラックにおしこめられてプロレタリアートにされ、資格を奪われ、現実を剥奪され、そして究極的には非人間化されたということである。その瞬間から、すべては矮小化の目的のために可能となり、すべては悪の目的のために許容可能になった。消費主義的で市場を基盤とした独占形態の利益のためだけに、人間のすべての目的が価値を失った。

それ以来、何も改善されていない。これは人間の精神を含めすべてのレベルで証明できる。だから我々は勇気を持って言わなければならない。この悪の矮小化が普及したのに続いて我々の社会は「民主的全体主義システム」以外の何物でもなくなってしまい、複数の究極的大惨事が導かれた。それは政治の領域の中でもそのように分析されるべきである。地球上すべての生き物を一斉に死に追いやる能力をもつ核産業は、特に顕著な例である。しかし、西側世界の各国政府は、ほとんどのメディアと共に、1945年8月6日と9日に起きた人類の歴史的敗北を隠蔽するために手を尽した(40年続いた冷戦がそれに大きく寄与した)。それには、研究・科学・技術・産業の持つ華々しい発想や力に対するゆるぎない賞賛と献身が伴っていた。1945年8月6日、新しい神が出現した。すべての神がそうであるように、恐ろしい力を引き起こしながら。そしてその栄光のために新しい賛美の歌がすぐに作られた。原子爆弾投下と「チェルノブイリの経験」は人類に対する犯罪であるだけではない。それは何か新しいものでもあった。「自然」に対する犯罪である。こんにち我々が「エコサイド」と呼ぶものだ。このような生態系への組織的な大惨事という意識が抑圧され続ければ、人類の未来や歴史の書かれ方へ影響を及ぼさずにはいないだろう。このすべてのことから要請され導き出される結論は、1945年8月6日以降、チェルノブイリやその他の場所、それからファルージャ、フクシマに至るまで起きてきた人道に対する原子力犯罪を裁くために、バートランド・ラッセルが創設したのに似た国際法廷を設立する必要があるということだ。



Notes:

注(訳省略)

1 - 100 Mt: Andrei Sakharov, Mémoires, Seuil, 1990, p 246. The French IRSN claims it was about 50 Mt.

2 - European Committee on Radiation Risk (CERR), Recommandations 2003 du CERI, Ed Frison Roche, 2004. Summary and viewing of the report on: www.euradcom.org. For the CERR, an estimated 65 million deaths are attributable to the nuclear industry since 1945!

3 - Claude Lorius, Voyage dans l’Anthropocène, Actes Sud, 2010.

4 - The vast majority of information that follows is from the book by Alexei V. Yablokov, Vasily B. Nesterenko, Aleksei V. Nesterenko, Chernobyl, the Consequences of the Disaster for Man and Nature No. 1181, Annals of the Academy of Sciences New York, 2009. The selection of texts translated into French is from Wladimir Tchertkoff in collaboration with Lisa Mouravieff. The American version is in part searchable online at: http://books.google.fr/. Other sites offer summaries in French.

5 - At the time of the accident, the activity of certain "hot particles" reached 10 to 12,000 Becquerels, which could cause death within few hours.

6 - Yuri Bandazhevsky was arrested in July 1999, allegedly as part of emergency measures to combat terrorism. Arbitrarily detained and accused of corruption, sentenced on 18 June 2001 to eight years in prison, despite the public recantation of his accuser, after a trial worthy of the thirties, he was imprisoned until 2005. Nesterenko, director of the independent Belarusian Institute of Radiation Protection, Belrad, which he founded in 1989 with the help of Andrei Sakharov, Ales Adamovich and Anatoly Karpov, was threatened with internment in a mental asylum by the KGB, suffered two attacks, and died August 25, 2008 after surgery to the stomach.

7 - Alexei V. Yablokov, Vasily B. Nesterenko, Aleksei V. Nesterenko, op. cit. These figures have been widely reviewed upward either by the NY Academy of Sciences, or following the international conference in November 2010: see "La gazette nucléaire" No. 259 February 2011, on http://resosol.org/Gazette/2011/259p23.html

8 - Age characterized by the fact that man has become the main geological force on earth (Georgescu-Roegen, P. Crutzen, A. Gras, J. Grinevald or C. Lorius).

9 - Allouch Jean, Erotique du deuil au temps de la mort sèche, EPEL, 1995

10 - Frederic Lemarchand, sociologist, member of the Scientific Board of CRIIGEN, article dated March 17, 2011, Les Echos.

11 - An agreement was signed in 1959 between the IAEA and WHO forcing the latter to submit its position to that of IAEA in all cases where nuclear power is at stake.

12 - The city was quickly rebuilt, which is entirely understandable and it was also the case in Europe. But one would have hoped that other traces of the disaster remain, and not just the dome of the industrial exhibition palace.

13 - In the movie «Tchernobyl; la vie contaminée, vivre avec Tchernobyl » by David Desramé and Dominique Maestrali.

14 - In 2011, there are still the equivalent of some tens of tons of uranium in the sarcophagus...

15 - Letter from Mr. Prof. Nesterenko to Wladimir Tchertkoff, Solange Fernex and Bella Belbéoch, Jan. 2005.

16 - Fuel consisting of a mixture of uranium oxides, but also of plutonium, which on the one hand reduces the safety margins (its melting temperature being lower and more quickly reached) and on the other hand increases its dangerousness, a few milligrams being sufficient to cause a rapid death.

17 - Melman Charles, Lebrun Jean-Pierre, La nouvelle économie psychique, une nouvelle façon de penser et de jouir aujourd’hui, Eres, 2009.

This call was signed by:賛同者(訳省略)

Paul ARIES, philosopher and writer, key intellectual for the movement in support of economic decrease. Last book published: « La simplicité volontaire contre le mythe de l'abondance »

Marc ATTEIA, Doctor of Applied Mathematics, Professor Emeritus at the University of Toulouse, author of: Hilbertian kernels and spline functions, Elsevier

Science Publishers, 1992 and Le technoscientisme, le totalitarisme contemporain,, Yves Michel, 2009.

Marie-Christine GAMBERINI, translator, referent of the association Les Amis de la Terre France on nuclear questions and energy.

Raphaël GRANVAUD writes in "Billets d'Afrique" of the association Survie, author of Que fait l'armée française en Afrique, Agone 2009, and Areva en Afrique, une face cachée du nucléaire français, Agone 2012.

Alain GRAS, professor emeritus at the University of Paris I and Director of the Centre d'études des techniques, des connaissances et des pratiques, co-founder of the journal Entropia, author of Le choix du feu. Aux origines de la crise climatique, Fayard, 2007.

Francis JARRIGE, Senior Lecturer at the University of Burgundy, author of Face au monstre mécanique. Une histoire des résistances à la technique, imho, Paris, 2009.

Eva JOLY, former magistrate of the pôle financier de Paris, former adviser to the Norwegian government then to the Icelandic Government in the struggle against international financial crime, Member of European Parliament.

Baudouin JURDANT, Professor Emeritus at the University of Paris 7, translator of Paul Feyerabend, author of Les problèmes théoriques de la vulgarisation scientifique, Ed. Les Archives contemporaines, 2009.

Paul LANNOYE, PhD in Physical Sciences, honorary MEP, director responsible for the thinktank Groupe de réflexion et d'action pour une politique écologique (GRAPE) )in Belgium, co-translator into French of the report CERI, Editions Frison-Roche.

Serge LATOUCHE, Professor Emeritus of Economics, University Paris XI and growth objector, author of Vers une société d'abondance frugale ; Contresens et controverses sur la décroissance, Mille Et Une Nuits/Fayard, 2011.

Frederick LEMARCHAND, sociologist, co-director of the pole RISK, University of Caen, Council Member of the scientific Council CRIIGEN. Co-author of Les Silences de Tchernobyl and of the film La Vie Contaminée, advisor for the International Exhibition Once upon a time Chernobyl.

Corinne LEPAGE, former Minister of Environment, MEP, a teacher at the IEP. Last book: La vérité sur le nucléaire ; le choix interdit, Albin Michel, 2011.

Stephane LHOMME, Chairman of the Observatoire du Nucléaire, author of L’insécurité nucléaire ; bientôt un Tchernobyl en France, Yves Michel, 2006.

Jean-Marie MATAGNE, Ph.D in Philosophy, President of l’Action des Citoyens pour le Désarmement Nucléaire (Www.acdn.net), author of En finir avec la terreur nucléaire, and of Désarmer pour vivre sur une planète sans armes ni centrales nucléaires.

Roland MERIEUX, secretary of the International Union for assistance to the liquidators of the Chernobyl nuclear power plant and nuclear victims.

Jean-Marie PELT, President of the European Institute and Honorary Professor of Ecology at the University of Metz, latest book: Heureux les Simples, Flammarion, 2011.

Pierre RABHI, farmer, Algerian-born French writer and thinker, Knight of the ordre national de la Légion d'Honneur, Pierre Rabhi is among the pioneers in agroecology.

Jacques TESTART, agronomist and biologist, PhD in Science, Honorary Director of Research at INSERM, former president ofthe French Commission on Sustainable Development (1999 -2003). Co-author of Labo-planète. Ou comment 2030 se prépare sans les citoyens, Mille et une nuits, 2011.

Jean-Marc ROYER, engineer, former senior ADP, former leader of the union executive SICTAM / CGT of the airport of Orly, in press: La science creuset de l’inhumanité. Décoloniser l’imaginaire occidental. I, Writer of the Appeal. Email: [email protected]


      ___________________________

以下原文:


INTERNATIONAL APPEAL

HIROSHIMA, CHERNOBYL, FUKUSHIMA: CRIMES AGAINST HUMANITY

Since 1945, there have been more than 2,400 explosions, with a power in some cases (1) amounting to several thousand times that of the Hiroshima bomb: this comes in addition to numerous "failures" and dozens of catastrophic accidents, starting, as far as we know, back in the fall of 1957 at Windscale (UK) and Mayak (former USSR), respectively ranked level 5 and 6 on the INES scale. But who can tell precisely what the impact of all this has been? Since no epidemiological survey worthy of the name had been initiated at an international level to analyze this problem, thus a European Committee on the Risks of Irradiation (CERI) (2) was requested by green party Members of the European Parliament to study this impact, and their findings confirmed the serious effects that atomic activity has had during the past 65 years on populations worldwide, which comes as no surprise when we know that traces of this activity have been detected in the ices of the South Pole (3). The stakes are so huge that the pathological effects of the contaminations by the small doses throughout time are fiercely denied jointly by all countries or international organizations.

Chernobyl: irradiation and multiple contamination with "rebounds"

The April 26 1986 is a historical date for all of humanity, just as the august 6 1945 (4). Right from the start of this disaster, depending on the distance of the accident, the emission of radiations was violent, multiple, complex and with long-lasting effects: this is one of the peculiarities of the Chernobyl accident.

When it exploded, the reactor N° 4 of the Lenin plant at Chernobyl not only rejected gases and various aerosols produced by the nuclear disintegration of the fuel, in a way similar to a bomb, but it also rejected "solid hot particles" (5) of fuel: these are fragments of all sizes which, combined with other radionuclides, dropped on the site or near the plant. Subsequently, the hot liquid particles were also formed in the soil after the rains. When these particles enter the body through ingested water and food or inhaled air, they produce, even long after their emission, high doses of localized internal irradiation. This observation is important for understanding the aftermath and the consequences of the accident.

Since the day of the disaster, irradiation has gradually given way to various types of long-term contamination and the radiological situation is developing in a manner that no one could predict. Two examples:

- Following the decay process of plutonium 241, the natural formation of americium 241, a potent gamma ray emitter, becomes an important part of the contamination of many places. Because of this gradual disintegration, areas that had reduced their level of gamma radiation have once again become dangerous.

- Furthermore, there was a wide redistribution of radionuclides within ecosystems due to their concentration by living organisms (bio-accumulation) and their migration, after some years, in parts of the soil where the roots enter: these radionuclides then became increasingly accessible to plants, which draw them for a second time to the soil surface. This is one of the causes of the expansion and worsening of morbidity and mortality in contaminated areas.

Some of the diseases caused by Chernobyl (in addition to cancer and leukemia)

- The radioactive contamination from Chernobyl has affected the functioning of every organ of the endocrine system. The collapse of the hormonal function of the thymus plays a major part in the development of pathology of the immune system.

- The diseases of circulatory organs are one of the leading causes of disability and death among the "liquidators ".

- The accelerated aging caused by the Chernobyl disaster has affected hundreds of thousands of people and will affect millions in the future.

- Lead poisoning has become one of the significant pathologies linked to Chernobyl. This is due to the fact that between 2400 and 6720 tons of lead were dumped on the site during extinction operations. An important part of that lead was released into the atmosphere following its melting, boiling and sublimation in the reactor fire.

In addition, genetic effects caused by the Chernobyl disaster will affect hundreds of millions of people for centuries. Among these future victims:

- those who experienced the first radiological shock (the powerful and brutal external irradiation), because the amount of radionuclides released into the ecosphere was very important;

- those who now live, and those who will live over the next 300 years, in the areas contaminated with strontium 90 and cesium 137, or those who will live in areas contaminated with plutonium and americium over the next thousands of years;

- for many generations, children born of parents who were irradiated, wherever they live thereafter.

Secrecy, official falsification of data and the malpractices

There is no publicly available instrumented data on the extent to which all European countries have been contaminated by the entire array of radionuclides from Chernobyl, and it is now clear that there never will be. In using this absence of data as a justification in the "Chernobyl Forum" of 2005, the IAEA and the WHO restricted the scope of its study to include only data pertaining to the territories of Belarus, Ukraine and European Russia, ignoring the contamination of other European countries.

However, even if the usual density of the contamination is not high in a given area, it is a fact that a huge contamination occurred during the first days and weeks following the disaster: we know, by reconstructing the chain of events, that in some areas, the activity of radioactive elements fallout exceeded 10,000 times the natural background levels; this, combined with the low-level but long-lasting contamination (several decades) is bound to have a major impact on the health of residents and the environment.

On the other hand, the removal of institutions which were entrusted with monitoring the pathological consequences of Chernobyl, the diversion of research teams from the study of problems caused by the disaster, the harassment and the imprisonment of some specialized doctors, are as many attempts for concerted and persistent suppression of the truth (6).

Consequently, the requirement put forward by experts of the IAEA and the WHO, for clearly demonstrating that a particular health problem is linked to radiation from Chernobyl, that a "definite correlation " should be established between the total radioactive exposure of a concrete person (never reconstituted with precision, and for good reason) and damage to this person's health, is an intellectual trickery of a particularly dishonest kind.

In addition to these malpractices, in the former USSR, in Ukraine, in Belarus, and in key relevant international organizations (IAEA, WHO ...) there is abundant evidence of a policy to minimize the consequences of the Chernobyl disaster. Here are some examples.

- In none of the health booklets of the tens of thousands of service members who participated in the work of "liquidation» was any mention ever recorded about exceeding the limit of 25 roentgens then in effect. But the clinical examination of 1100 military liquidators found in 37% of them hematological symptoms of radiation sickness, a clear indication that these people received more than 25 roentgens.

- The Official medical science has just begun to recognize the frequency of the cataract of Chernobyl, 8 or 9 years after its discovery.

- Same situation concerning thyroid cancer, leukemia and ailments of the central nervous system.

The consequences of Chernobyl on public health

Briefly summarizing the data published in the CERR report, radioactive contamination from Chernobyl has affected nearly 400 million people, (205 million in Europe and about 200 million outside Europe). The curve analysis of general morbidity among children living in contaminated areas of the former USSR is particularly distressing: only 20% of them are healthy. In some parts of Polesye there are no more healthy children. In Germany, the teeth of children born after the disaster contained 10 times more strontium 90 (similarly, plutonium shows up in baby teeth of English children living near Windscale - since then renamed Sellafield - 53 years after that other atomic disaster). The number of Chernobyl victims will continue to grow over several generations. During the first 15 years following the disaster, it can be estimated as follows:

Belarus, Ukraine, European Russia 237,000

Rest of Europe 425,000

Asia, Africa, North America 323,000

World 985,000 (7)

Chernobyl: a nuclear disaster in the Anthropocene era (8)

The atomic disasters have this characteristic that they always define a multidimensional fracture in the history of life:

- Irretrievable loss of an entire living world covering vast territories, springtime without the cries of birds, and trees scorched by a huge and quiet fire.

- Fatalities in such great numbers, and in such inhumane conditions, that grieving is impossible to achieve, especially "at time of dry death" (9).

- An unexpected and inconceivable event, which lies beyond our faculties of imagination and whose future consequences are themselves unpredictable.

- Irradiated / contaminated victims affected by mental as well as physical suffering, because some effects will spread over several generations, will give birth to lines of deformed creatures.

In other words, "a before and after" with no possible return. A hole in the symbolic memory of humans, in their unconscious, which prepares "a return of the repressed" in line with the size of the event. But in addition to this, and this is the "double paradoxical effect" of atomic disasters, they have no end, no predictable term: it is a monster that grows and devours humanity from within, with a persistent morbidity that is hard to avoid. The atomic disaster "colonizes the future and offers no possibility to escape the doom: no culture is ready to take that bet" (10).

The negationism and its consequences in the Anthropocene era

The UN member states and international organizations, among which the UNSCEAR, have deliberately played down the health consequences of Chernobyl: that bias in judgments is also true for the WHO (11) with its infamous thesis that there were only about thirty fatalities until 2005. But there is a lot worse relating to the aftermath of August 6 1945.

Faces of the disgraceful defeat of Japan, the "Hibakushas" were treated as if they were plague carriers for fear of fantasized contagion; they were subjected to public shame, thus discouraging most survivors from contributing with their testimonies to any "work of memory": the kind of legacy which proved to be of such a critical importance in Europe's postwar intellectual life, as seen with Primo Levi, Robert Antelme, David Rousset, Charlotte Delbo, Elie Wiesel, Jorge Semprun, Jean Amery and other survivors. The Japanese aediles proceeded to a rapid "reconstruction" of the city that was intended to carefully delete all traces of their defeat and ... of this appalling crime (12). Contrary to what happened in the case of the Shoah perpetrated by Nazi Germany, winners and losers teamed up to blind humanity, in order to cover up, so far successfully, the nature of the crimes committed in Hiroshima and Nagasaki. As an example: with the help of the Japanese authorities, US military services had conducted on-site studies of the consequences of the bombings, studies that were kept in the secret archives of Washington which remained inaccessible for a long time. Besides the fact that this was contemptuous towards the victims who were suffering, it is these same archives that states and international organizations now rely on to deny the effects of low doses over the long term!

Erase all traces, such is the creed common to all criminals and Holocaust deniers (see what Günter Anders has to say, more specifically, about this). The same policy was followed in Chernobyl and the same can be expected in Fukushima. The "work of memory" is thus precluded in the same way that one attempts to lock up a piece of radioactive waste although we know perfectly well that we are passing the danger on to future generations.

Another aspect of the policy of denial in the face of all these dangers lies in a line of reasoning which transforms the dangers in curves of mere statistical risks. What this intellectual manipulation of risk aims to hide, is the fact that in the case of a disaster (termed "residual risk") it is always the states which are called to the rescue because private funds are obviously insufficient to cope with the situation. But since Chernobyl and Fukushima, residents of all countries of the world must know that they can no longer rely on their governments to protect them effectively, either before or let alone after an atomic disaster. This is why we can say that the people of the entire world, after having been excluded from the political choice - no civil society was ever consulted on the nuclear issue - are under the risk of being excluded from the lands that feed them, "expelled from their own lives".

The Chernobyl disaster could have been even more serious

The disaster had its origin in the outrageous project which aimed to experiment in the "full scale of reality": the idea was, in the case of an emergency stop, to use the residual kinetic energy of the rotor of the generator for further production of electrical energy! In other words, the living world has (and since long ago) become a large scale laboratory for technoscience. But the material ejected by the single reactor N° 4 caused a contamination ten times more extensive than the bombs dropped on Hiroshima and Nagasaki, and the "Chernobyl cloud" circled the Earth, at least twice, making Chernobyl the greatest technological disaster to date in the Anthropocene era.

But there are more serious facts. The professor Vassili Nesterenko, a nuclear physicist who directly supervised operations to deal with the consequences of the disaster, explains (13) that if 1400 kg (14) of the uranium-graphite mixture came in contact with water, this would be a critical mass that could cause an atomic explosion with a power from 3 to 5 megatons, about 200 times the power of the explosion in Hiroshima; this would happen if enough of the corium, which had already pierced the reactor vessel, had pierced the concrete slab that separated it from the masses of water contained in the basement of the reactor. "An explosion of such power could cause massive radiation injury to the population within a 300-320 km radius (encompassing the city of Minsk) and the whole of Europe could be the victim of a severe radioactive contamination making normal life impossible. [...] It is my opinion that in Chernobyl, we narrowly missed a nuclear explosion. If it had occurred, Europe would have become uninhabitable." (15).

Fukushima, a replica of Chernobyl

In Japan, considering their condition, it is clear that the cooling systems will never be able to return to service. While borated water is injected as well as nitrogen, to render inert the atmosphere of the buildings, a huge amount of water is poured every day in order to cool them so as to prevent the corium from piercing the outer containment and reaching these same masses of water, which could be catastrophic. And it is not just one, but four reactors, including the N° 3 that worked on French-provided MOX (16), that are affected. Not to mention the consequences of seismic aftershocks, the possibility of which can unfortunately not be excluded, given the location of the plant. Under these conditions, who can predict the possible cumulative effects of this type of situation, whether in Japan or elsewhere? Actually, the measures that were successfully applied in Chernobyl to avert a catastrophe of planetary scale are unlikely to ever be feasible anywhere else again, except perhaps for some time yet, in China. In the former USSR, it was possible to recruit 800 000 "liquidators", as well as the emergency services of an entire vast country, hundreds of firefighters, ten thousand miners, a still powerful army with tens of thousands of reservists, all of this simply on the order of the Secretary of the Politburo. The deployment of such gigantic means will no longer be possible in other similar cases, and it is doubtful that appealing to other countries would be enough: in liberal democracy, there will be few volunteers to sacrifice their lives and experience a degree of pain that is known to be horrendous.

The prospect of having to survive in contaminated areas cannot be excluded

In the territories that were contaminated by fallout from Chernobyl, it is dangerous to practice farming, dangerous to wander in the forests, dangerous to go fishing and hunting, dangerous to eat locally produced food without checking its level of radioactivity, dangerous to drink milk and even water. All things that had been for many millennia the safest and most accurate sources of life - air, natural waters, the flowers, the fruit of the earth, forests, rivers and seas - all those, in just a few days, became sources of danger to man and animal. As this Ukrainian disaster has taught us, we must also consider the destructive health effects of "low doses", whether inhaled or ingested through food, which will then produce their effects many years later.

Equipment for automated spectrometry of the human body, such as the SCRINNER used in Belarus, are designed to measure the activity of radionuclides in the human body. These devices should be routinely used in all countries situated downwind of active atomic power plants. Moreover, real large scale public prescriptions should be issued, clarifying the advantages and limitations of iodine tablets, of sheltering measures, of first aid gestures, of evacuation perimeters, of the emergency plans ... This is why, in all countries, civil society organizations should consider the importance of creating a system of radiological control that is independent from the official system.

Nuclear industry, a radical trivialization of evil

Through his concept of "trivial evil", Hannah Arendt showed in the sixties that crimes against humanity were committed by ordinary people because they would not ask any questions about the purpose of their "activities". Once they were bound by an oath of loyalty to their hierarchy (or to an ideology, all of which are nowadays construed as universal values by the calculating reason which rules the world of "work" and other areas), they regarded these activities as legitimate.

This concept of "trivialization of evil" is not derived from speculation about a "human nature", but is indeed based on a socio-historical analysis of what happened in Europe between 1933 and 1945 and what paved the way for those events. Sixty years later, unless you believe in a world shielded from evolution, we must dare to draw conclusions from what Hannah Arendt wrote.

Historically, the trivialization of evil in the Western world spread widely once labor and human beings became "industrialized" with the solid support of science and technology: in other words, they were cut off from their nurturing earth-based reality, to be quartered in barracks, proletarianised, disqualified, deprived of their reality and ultimately dehumanized. From that moment, everything became possible in the order of trivialization and everything became acceptable in the order of evil, since all human purposes were discredited for the sole benefit of consumerist and market-based alienation.

Since then, things have not improved: this can be verified at all levels, including the human psyche (17). So we must have the courage to say that this trivialization of evil has become pervasive and, consequently, our societies have become nothing more than "democratic totalitarian systems" leading us to one or several final disasters, which should be analyzed as such in the realm of politics. The nuclear industry, which carries the potential universal death of all living beings on the planet, is a particularly striking example. But governments along with most media in the Western world (the cold war, which lasted forty years, contributed largely to this) did everything to cover the historic defeat of humanity which occurred on the 6th and 9th of August 1945, with a thick blanket of admiration and devotion to the brilliant ideas and the power of research, science, technology, industry ... A new god had emerged on August 6 1945, naturally yielding fearsome power, as do all gods, and new hymns were promptly created for his glory.

The dropping of atomic bombs, and the "Chernobyl experience" were not only a crime against humanity but also something new: a crime against Nature, what we today would call an Ecocide. If the consciousness of such a systemic disaster for the ecosphere continues to be suppressed, it will not be without consequences for the future of humanity and the way history will be written.

All this leads to a necessary conclusion: there is a need for an international tribunal to be set up, similar to the one created by Bertrand Russell, for judging atomic crimes against humanity that occurred at Chernobyl and elsewhere since August 6 1945, all the way to Fukushima, through Fallujah.

Notes:

1 - 100 Mt: Andrei Sakharov, Mémoires, Seuil, 1990, p 246. The French IRSN claims it was about 50 Mt.

2 - European Committee on Radiation Risk (CERR), Recommandations 2003 du CERI, Ed Frison Roche, 2004. Summary and viewing of the report on: www.euradcom.org. For the CERR, an estimated 65 million deaths are attributable to the nuclear industry since 1945!

3 - Claude Lorius, Voyage dans l’Anthropocène, Actes Sud, 2010.

4 - The vast majority of information that follows is from the book by Alexei V. Yablokov, Vasily B. Nesterenko, Aleksei V. Nesterenko, Chernobyl, the Consequences of the Disaster for Man and Nature No. 1181, Annals of the Academy of Sciences New York, 2009. The selection of texts translated into French is from Wladimir Tchertkoff in collaboration with Lisa Mouravieff. The American version is in part searchable online at: http://books.google.fr/. Other sites offer summaries in French.

5 - At the time of the accident, the activity of certain "hot particles" reached 10 to 12,000 Becquerels, which could cause death within few hours.

6 - Yuri Bandazhevsky was arrested in July 1999, allegedly as part of emergency measures to combat terrorism. Arbitrarily detained and accused of corruption, sentenced on 18 June 2001 to eight years in prison, despite the public recantation of his accuser, after a trial worthy of the thirties, he was imprisoned until 2005. Nesterenko, director of the independent Belarusian Institute of Radiation Protection, Belrad, which he founded in 1989 with the help of Andrei Sakharov, Ales Adamovich and Anatoly Karpov, was threatened with internment in a mental asylum by the KGB, suffered two attacks, and died August 25, 2008 after surgery to the stomach.

7 - Alexei V. Yablokov, Vasily B. Nesterenko, Aleksei V. Nesterenko, op. cit. These figures have been widely reviewed upward either by the NY Academy of Sciences, or following the international conference in November 2010: see "La gazette nucléaire" No. 259 February 2011, on http://resosol.org/Gazette/2011/259p23.html

8 - Age characterized by the fact that man has become the main geological force on earth (Georgescu-Roegen, P. Crutzen, A. Gras, J. Grinevald or C. Lorius).

9 - Allouch Jean, Erotique du deuil au temps de la mort sèche, EPEL, 1995

10 - Frederic Lemarchand, sociologist, member of the Scientific Board of CRIIGEN, article dated March 17, 2011, Les Echos.

11 - An agreement was signed in 1959 between the IAEA and WHO forcing the latter to submit its position to that of IAEA in all cases where nuclear power is at stake.

12 - The city was quickly rebuilt, which is entirely understandable and it was also the case in Europe. But one would have hoped that other traces of the disaster remain, and not just the dome of the industrial exhibition palace.

13 - In the movie «Tchernobyl; la vie contaminée, vivre avec Tchernobyl » by David Desramé and Dominique Maestrali.

14 - In 2011, there are still the equivalent of some tens of tons of uranium in the sarcophagus...

15 - Letter from Mr. Prof. Nesterenko to Wladimir Tchertkoff, Solange Fernex and Bella Belbéoch, Jan. 2005.

16 - Fuel consisting of a mixture of uranium oxides, but also of plutonium, which on the one hand reduces the safety margins (its melting temperature being lower and more quickly reached) and on the other hand increases its dangerousness, a few milligrams being sufficient to cause a rapid death.

17 - Melman Charles, Lebrun Jean-Pierre, La nouvelle économie psychique, une nouvelle façon de penser et de jouir aujourd’hui, Eres, 2009.

This call was signed by:

Paul ARIES, philosopher and writer, key intellectual for the movement in support of economic decrease. Last book published: « La simplicité volontaire contre le mythe de l'abondance »

Marc ATTEIA, Doctor of Applied Mathematics, Professor Emeritus at the University of Toulouse, author of: Hilbertian kernels and spline functions, Elsevier

Science Publishers, 1992 and Le technoscientisme, le totalitarisme contemporain,, Yves Michel, 2009.

Marie-Christine GAMBERINI, translator, referent of the association Les Amis de la Terre France on nuclear questions and energy.

Raphaël GRANVAUD writes in "Billets d'Afrique" of the association Survie, author of Que fait l'armée française en Afrique, Agone 2009, and Areva en Afrique, une face cachée du nucléaire français, Agone 2012.

Alain GRAS, professor emeritus at the University of Paris I and Director of the Centre d'études des techniques, des connaissances et des pratiques, co-founder of the journal Entropia, author of Le choix du feu. Aux origines de la crise climatique, Fayard, 2007.

Francis JARRIGE, Senior Lecturer at the University of Burgundy, author of Face au monstre mécanique. Une histoire des résistances à la technique, imho, Paris, 2009.

Eva JOLY, former magistrate of the pôle financier de Paris, former adviser to the Norwegian government then to the Icelandic Government in the struggle against international financial crime, Member of European Parliament.

Baudouin JURDANT, Professor Emeritus at the University of Paris 7, translator of Paul Feyerabend, author of Les problèmes théoriques de la vulgarisation scientifique, Ed. Les Archives contemporaines, 2009.

Paul LANNOYE, PhD in Physical Sciences, honorary MEP, director responsible for the thinktank Groupe de réflexion et d'action pour une politique écologique (GRAPE) )in Belgium, co-translator into French of the report CERI, Editions Frison-Roche.

Serge LATOUCHE, Professor Emeritus of Economics, University Paris XI and growth objector, author of Vers une société d'abondance frugale ; Contresens et controverses sur la décroissance, Mille Et Une Nuits/Fayard, 2011.

Frederick LEMARCHAND, sociologist, co-director of the pole RISK, University of Caen, Council Member of the scientific Council CRIIGEN. Co-author of Les Silences de Tchernobyl and of the film La Vie Contaminée, advisor for the International Exhibition Once upon a time Chernobyl.

Corinne LEPAGE, former Minister of Environment, MEP, a teacher at the IEP. Last book: La vérité sur le nucléaire ; le choix interdit, Albin Michel, 2011.

Stephane LHOMME, Chairman of the Observatoire du Nucléaire, author of L’insécurité nucléaire ; bientôt un Tchernobyl en France, Yves Michel, 2006.

Jean-Marie MATAGNE, Ph.D in Philosophy, President of l’Action des Citoyens pour le Désarmement Nucléaire (Www.acdn.net), author of En finir avec la terreur nucléaire, and of Désarmer pour vivre sur une planète sans armes ni centrales nucléaires.

Roland MERIEUX, secretary of the International Union for assistance to the liquidators of the Chernobyl nuclear power plant and nuclear victims.

Jean-Marie PELT, President of the European Institute and Honorary Professor of Ecology at the University of Metz, latest book: Heureux les Simples, Flammarion, 2011.

Pierre RABHI, farmer, Algerian-born French writer and thinker, Knight of the ordre national de la Légion d'Honneur, Pierre Rabhi is among the pioneers in agroecology.

Jacques TESTART, agronomist and biologist, PhD in Science, Honorary Director of Research at INSERM, former president ofthe French Commission on Sustainable Development (1999 -2003). Co-author of Labo-planète. Ou comment 2030 se prépare sans les citoyens, Mille et une nuits, 2011.

Jean-Marc ROYER, engineer, former senior ADP, former leader of the union executive SICTAM / CGT of the airport of Orly, in press: La science creuset de l’inhumanité. Décoloniser l’imaginaire occidental. I, Writer of the Appeal. Email: [email protected]