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火曜日, 9月 21, 2010

国際平和の日

Summit MembersのJPG

今日、9月21日は国連が定めた「国際平和の日」です。いまこの瞬間、世界各地で平和を祈る様々な催しが行われています。ちょうど1年前のこの日、平和省プロジェクト(JUMP)の日本代表として私たちは中南米コスタリカの首都サンホセに滞在していました。グローバルアライアンスの第4回平和省地球会議に出席していたのです。上の写真はその最終日の国立劇場での閉会式のあとの記念写真です。じつは、そのとき一緒だったアメリカ代表のキャサリーンさんが今日送ってくれました。

平和省プロジェクト(JUMP)は政府内に平和省をつくろうという目的ではじまった団体です。そのような同じ目的で活動している団体が世界中にあり、そのネットワークがグローバルアライアンスで、ほぼ1年おきに平和省地球会議を開いています。第3回の会議は千葉で開催され私たちがホスト役を務めました。来年2011年には南アフリカのヨハネスバーグで第5回平和省地球会議が開かれます。

いま、目覚ましい勢いで平和を求める草の根の動きが世界各地で高まっています。この数年で人々の意識が確実に変化しているのを感じます。

この宇宙で、いまだに戦争しているのは地球ぐらいの星だそうです。資源や宗教、信条の違い、民族の違いから争うなど、ほかの宇宙文明社会ではとっくに過去のことだと・・。
そろそろ人類はあらゆるレベルでの暴力を捨て、真の自由と愛に目覚める段階に進むときではないでしょうか。

木曜日, 3月 01, 2007

2月28日アリアス大統領

1948年に憲法で軍隊を破棄した国ということで、戦争や内紛の歴史に彩られる他の南アメリカ諸国とはコスタリカは確かに一線を画していると言えます。同じ平和憲法を保持しているのに、どうして日本とこうも違うのでしょう。それは日本の場合、新憲法が制定されてすぐ実質上の軍隊である自衛隊が創設され、当然撤退するはずだったアメリカ軍がアメリカの戦略上の理由からそのまま居座ってしまっているからです。日米軍事同盟を日本が固守するかぎりそれは変わらないでしょう。

President Arias JPG

オスカー・アリアス大統領

コスタリカに来てよく耳にしたことは、コスタリカ人がとてもPassiveつまりおとなしい国民だということ。また気づいたことは、この国には英雄が存在しません。どの国にもかならず国民的英雄の銅像があちこちあっていやでも目につくのですが、コスタリカにはどこにも見当たらないのです。それは取り立てて目立つことを非常に嫌うとともに、誰かが特出することもよく思わない、という国民性があるからだとラスール・ファンデーションのリタさんが言っていました。そういう国が、70年代と80年代の内乱と紛争が吹き荒れた中南米の国際情勢にいかに巻き込まれずに平和にくぐり抜けて来れたのでしょうか。それこそ非暴力による紛争解決の鍵なのでしょう。とくに隣国ニカラグア内戦の際は、ニカラグア反政府軍(コントラ)を後押しするアメリカ政府がコスタリカに基地を作ろうといろいろ圧力を掛けて来たのですが、コスタリカ政府はきっぱりと”憲法に則って”拒否しました。このおとなしい国民のどこにそんな気概が隠されていたのか驚きです。

当時その平和外交を国際的に展開したのが後にノーベル平和賞を受賞したアリアス大統領です。その類いなる指導力を買われて現在再び大統領に選ばれています。日本を出る時は、さぞアリアス大統領は絶対的な国民の人気を集めているのだろうと思っていました。ところが、驚いたことにコスタリカではまったく不評なのです。期待していたのにまったく裏切られたという声があちこちで聞かれました。どうやらその理由は、最近アリアス大統領が積極的に進めようとしているアメリカとの自由貿易協定のようです。もしそれが調印されたらコスタリカの文化経済に打撃的な影響を及ぼし、独立性が脅かされるというので、国民の大半が反対しています。

アリアス大統領は現在でも国連を舞台に非武装・軍縮外交を積極的に進めています。もちろん、それは自国の平和憲法を実践している実績があるからこそできることで、実質骨抜きにされた平和憲法をもつ日本が、同じ平和外交をやろうとしても確かに説得力がないでしょう。でも、そのアリアス大統領がどうして国民の大半が反対している自由貿易協定をアメリカと強引に結ぼうとしているのでしょうか。私はそこに、彼が置かれている立場上の苦渋の選択があるのではないかと想像しています。平和と経済を天秤にかけているのではないかと。実際コスタリカには豊かな熱帯林があるだけで、これといった資源も産業もありません。(そのわりには車が多いのには驚きですが、あとで聞いたらみんな見栄で無理して買っているそうです。自動車は100%の関税が掛かるので超贅沢品)そのような貧しい国はおしなべて観光業つまりツーリズム、そしてコーヒーといった換金作物で経済を支えているのが通常です。そしてメディアが決して取り上げないことがあります。それはアメリカ軍基地の存在です。貧しい第三世界の国々を見渡すと、ほとんどの国にアメリカの軍基地があります。言い換えれば、アメリカ軍に土地を提供することで経済が成り立っているところが多いのです。世界のどこを見渡しても、貧しい国は軍事基地とツーリズムでなんとかやっているのが通常です。軍事産業とツーリズムはそのように密接につながっています。でもコスタリカは平和憲法上それができません。アリアス大統領の苦渋の選択はそんなところではないでしょうか。きっとすごいアメリカ政府からの圧力があるんだと思います。基地をとるか、経済をとるか。

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コスタリカのアリエス大統領の姉(妹?)・セシリア・アリエスさんときくちゆみ


さて、改憲問題に揺れる日本のことを思うとこころが重たくなりますが、コスタリカでアリアス大統領の妹さんのセシリアさんに会いました。憲法9条が無くなってしまうかもしれないという日本の事情を伝え、なんとかアリアス大統領に日本に来てもらって国会で演説してもらえないかと訊ねると協力しましょうと言ってくれました。実現するよう祈りましょう。

土曜日, 2月 10, 2007

2月9日

中南米コスタリカ首都サンホセのちょっと郊外にあるサンタアンナという小さな町の宿に来ています。山肌のうっそうとした熱帯雨林の中に建てられているすべて木造りのこのマラニョンというホテルはオーガニックで有名だと説明されました。つまり環境にもやさしいホテルというわけです。零下5〜6度だったワシントンDCからこの国へ着いたのですから、もちろんからだは喜んだのですが、なによりもここの大自然とそれに寄り添うように生きているコスタリカ人の雰囲気に、いっぺんに馴染んだと言うのが本当のところです。なんだか鴨川に帰ったような村のたたずまいが懐かしい感じです。

3面がガラス張りの部屋から遠くに山並が見えます。空は真っ青。気持ちよい風がすきまから吹き込んできます。まわりはバナナ、マンゴー、アボカド、パパイヤなどの緑と花でいっぱい。そこをハチドリが鋭い鳴き声で飛んで行きます。昨日はサンホセ中心部に出てレンタカーを借り、にぎわう街を歩きました。最初は普通車を予約していたのですが、地元の人が田舎の道は穴がいっぱいあって車の下をこすっちゃうよと言うものですから、結局スズキ・ジムニという4輪駆動車になりました。ちょっとショックアブザーバーが疲れているようですがまあこんなところでしょう。9日間で保険も込みで375米ドルです。

コスタリカでもっとも感激した食べ物はパイナップル。これまで食べたどのパイナップルよりも味が濃く思わずサラ一杯食べてしまいました。野菜、といっても乾期で数は限られているようですが、どれも新鮮で美味しい。アメリカのサラダはなんとなく物足りなかったのですが、コスタリカの野菜はエネルギーが溢れているといった感じ。

ゆみちゃんは別にスペイン語を習ったわけでもなく、若い頃ちょっとスペインを旅行したくらいなのに、コスタリカ人とぺらぺらしゃべっているんです。これはじつは本人もびっくりしているくらいで、どういうわけかスペイン語がすっと頭に入ってくると言うのです。スペインを旅していたとき、ああここにいつかいた、というDe Javu経験があったそうですが、おかげで大助かりです。なんしろ通訳代が節約できるから。

話は、アメリカでのことに飛びますが、ワシントンDCを離れる最後の日。朝6時のマイアミ行きのフライトだったため、その晩はほぼ徹夜で、朝3時に子どもたちを起こし(もっとも杏菜はなんとか起きましたが真生は眠りから醒めず抱いて)てタクシーに乗せるまでがまず大変でした。前夜から雪が降り出していて道路は真っ白。タクシーはのろのろと慎重に動いて行きます。雪になったため温度が上昇したのか幸い凍っていないのでそれほどスリップする様子はありません。ゆっくりと運転する運ちゃんの「こどもは大変だよねえ。どこからだい?」という会話からはじまって「俺はカメルーンから出稼ぎに来たんだよ。こどもは10人だ」にびっくり。よく聞いてみると奥さんが3人いると言います。「アフリカじゃねえ、かみさんが一人だけなんていうのは馬鹿にされちゃうんだよ。俺のとうさんには20人のこどもがいたよ」「もっともアメリカでも2〜3人ワイフをもっているじゃないかい。秘密にね」「アフリカでは子どもも大人もみんな一緒に仲良く暮らしているよ」

そしてもっともこのアフリカから来たタクシーの運ちゃんにびっくりしたのは、なんとデニス・クシニッチを知っているというのです。普通のアメリカ人でさえもしらないのに。しかも私たちが参加した平和省会議のことも、ゲストのディーパック・チョプラまでも知っているのです。ゆみちゃんは話のなりゆきにびっくり、この運ちゃんはよほどのインテリだと、早速インタビューする価値ありだとコンピュータを取り出しました。
というわけで空港までの雪道ハイウェイーをのろのろ走りながら大笑いの道中になりました。

「カメルーンの田舎はすべて自給自足だよ。そして村の真ん中にかならず大きな木があるんだ。その幹にちいさな小屋がある。食べ物があまったら村人はそこに置いていくんだ。食べ物がない人のためにだ。そうやってみんな助け合って暮らしているのがアフリカだ。それに比べてアメリカ人はどうだい?狂っているとしか言えないね。それも根本的なところで」

運ちゃんの話はどれも納得することばかり。アメリカに来てもっとも感動する場面だったかもしれません。住所ももらったのでいつかカメルーンに行こうという話になりました。

さて、今日はこれからモンテズマというビーチに向います。そこに1週間滞在する予定で、そこからいろいろ探索しようというわけです。平和憲法を持つ軍隊のないコスタリカ。そうはいっても隣のコスタリカから難民が流入して犯罪などいろいろと問題になっているようです。経済問題も大変そうです。副大統領との会見を予定していたのですがどうやら難しいらしいので、とりあえず、この国をできるだけ見て回ることにしましょう。