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2014/08/29

Japan:言論統制は社会の空気による

9条の会の出店拒否 「国分寺まつり」毎年参加一転

東京都国分寺市で十一月に開かれる「国分寺まつり」で、毎年ブースを出している護憲団体「国分寺9条の会」が今年の参加を拒否されたことが二十八日、分かった。市などでつくる実行委員会は、内容が政治的であることを理由としている。9条の会は「表現の自由のじゅうりんで、到底承服できない」と同日、実行委と井沢邦夫市長に参加を認めるよう要請書を提出した。

憲法をめぐる議論が政治的なものであることは否定しがたいと思うし、特に9条の会が「政治的行動」を文字通りしていることも、本人たちも否定しないのではないかと思うが、そのような政治的な行動を禁忌することの妥当性を問うべきだと思うのだ。

政治的な内容の言論活動は、民主主義の基本であって、その言論の場は民主主義の基本インフラともいうべきである。
その意味では、先日話題となったた北大法学部の公開講座を札幌市教育委員会が後援しないこととした件と同じように、自由な言論に対して一定の立場からの締め付けという側面があるばかりでなく、言論の場を提供しないというのはもっと悪質といえる。

例えば選挙運動は、具体的な投票依頼という形をとる以上、選挙の公正のために制限を受けてもやむを得ない。やり過ぎじゃないかという面はあるが、それでも金があれば当選できるというのは公正ではないので、運動の時期や量を制約することに一理がある。具体的な制約の方法は立法政策の問題だが。

しかし、政治的な言論の自由は、特に幅広く認める必要がある。それは民主主義を成熟させるためにも、そして成熟した民主主義を維持するためにも、ぜひとも必要だ。
地域のおまつりのような場で、憲法や政治に関する催しが行われ、市民が気軽に参加し、子どもたちも自然に政治的な問題に触れて多少なりとも身近な話題として興味をもつこと、それこそが成熟した民主主義社会の建設と維持に必要なことだ。

学校教育の現場でも、憲法や政治に関する内容は教えられるし、その教え方がしばしば偏向しているなどとの批判はあるが、だからといって学校では憲法を教えないという選択はあり得ない。

第一、憲法の改正の当否という問題を国民が自分のこととして議論してほしいというのは、自民党の政治家たちが最近繰り返し述べてきたことだ。憲法問題をタブーにするなということで、具体的な憲法改正案なども発表してきた。その上で、議論するためには憲法改正を実際に発議しないとダメだと言って、96条の発議要件を軽減しようとさえしている。
しかし、国民の間で憲法改正の可否を巡る議論をするのに、改正案を発議されてからでは遅いし、発議することは必要条件でもない。必要なのは、憲法問題を語る、議論する場であり、機会を幅広く認めることだ。

その意味で、国分寺まつり実行委員会の上記の決定は、噴飯物であり、「市民が親睦する場で賛否両論あるものを取り上げ、いざこざが起きるのは好ましくない」などと言っている実行委員長の見識のなさ、浅はかさは、
救いがたいものである。

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コメント

町村先生の記事はとてもためになる話が多くて、いつも勉強させていただいていますが、この件はちょっと理解できません。

「地域のおまつりのような場で、憲法や政治に関する催しが行われ、市民が気軽に参加し、子どもたちも自然に政治的な問題に触れて多少なりとも身近な話題として興味をもつこと、それこそが成熟した民主主義社会の建設と維持に必要なことだ。」

市民の「おまつり」に「言論の場」を提供する必要があると私には思えません。お祭り会場で政治的な催しが行われることが当たり前になってしまえば、意見の異なる人たちが別のブースを作り、また別の意見を持つ人たちが別のブースを作りと、いつの間にやらお祭りが議論の場になってしまいはしないでしょうか。別途市民会館などを使って市役所主催の討論会等を開くのであれば別ですがそういうものとは違いますよね。

本来政治活動の場として用意されていない「おまつり」の場で、かつては時代の空気として「黙認」されてきただけで、そこに別の勢力が乗り込んで権利要求などしてきたら「おまつり」本来の目的が達成されなくなるため、原則に戻り「黙認」することをやめただけなのではないのでしょうか。
だって、あっちこっちで政治主張している「おまつり」なんてぜんぜん楽しくないもの。

投稿: 山田三男 | 2014/08/30 18:51

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